第314話 ただ、君のために③

『……おいおい、とんでもねえな』


 戦闘が始まって、どれぐらいの時間が経ったのだろうか。

 ――一分か、五分か、それとも数時間なのか……。

 時間の感覚が分からなくなるほどに眼前の激戦は凄まじいものだった。


『あの小僧、やっぱ化けモンだったか』


 バルカスは唸る。

 対人戦は言うまでもないが、鎧機兵戦もまた桁違いだった。

 幾度も交差する水晶の刃と鋼の拳。互いの一撃一撃がまるで天災のようだ。今も余波だけで愛機が振動している。


『人間業じゃねえよ。オオクニのおっさんが義理の息子に選ぶ訳だ』


『ああ。確かにな。それも納得の実力だ』


 そう告げるのはゾットだった。


『しかしどうするバルカス? こうなると俺達は完全に蚊帳の外だぞ』


『まあ、あれに加勢なんてとても出来そうにもないしね』


 と、ジェーンも呟く。

 鋼の鬼と《聖骸主》の戦いはほぼ互角だった。

 ここで彼らが何かしらの援護をすれば、戦況は優勢に傾くかも知れないが、代償にこちらの命がなくなりそうだった。

 流石に生き残れるかも知れないこの状況で死にたくはない。

 バルカスは腕を組んで「う~む」と悩んだ。

 そして十数秒後、


『よし。ここは旦那に全部任せておこうぜ』


 あっけらかんとそう言った。


『俺らがいても邪魔なだけだろ。なに。旦那なら勝ってくれるさ』


『いや、確かにこのまま行けば勝てそうだけどさ』


 ジェーンが呆れた様子で尋ねる。


『「旦那」って何さ? あいつを団員にするんじゃなかったの?』


『いやいや無理だろ。今となっては俺らの方が恩を受けちまったしな。俺らは旦那を信じて邪魔しねえように下がっていようぜ』


 言ってバルカスが《ティガ》を少し後退させた。

 ジェーンの《スカーレット》とゾットの《ラング》は互いの顔を見合わせた。

 どうやらバルカスは相手を完全に格上と認めたらしい。長いものに巻かれる方針に変えたようだ。この潔さと切り替えの早さは実にバルカスらしかった。


『まあ、あんたがそう言うのならいいけどさ』『そうだな。俺達は少し離れて様子を窺うことにするか』


 と、ジェーンとゾットも同意した。

 そして三機は森の近くまで後退して様子を窺っていた――のだが、


『…………え』


 ジェーンが不意に声を上げた。バルカスが眉根を寄せる。


『どうした? ジェーン』


『ちょっとバルカス! あれって!』


 言って、《スカーレット》が森の一角を指差した。

 バルカスとゾットも指の先へと視線を向けた。

 そして――。


『ッ! おいおい……』『ヤバいなこれは……』


 予期せぬ事態に、傭兵達は息を呑むのだった。



       ◆



 ――激戦は続く。

 ガガガガガガッと六本脚が大地を抉り、突進してくる水晶の蜘蛛。

 そして左の大剣が空を薙ぐ。《朱天》は間合いを外して回避するが、セレンはすぐさま右の大剣を叩きつけてきた。

 ――ズズンッ!

 少女の細腕とは思えない重すぎる一撃。《朱天》の両足が地に沈んだ。


(……チイィ)


 アッシュは歯を軋ませるが、即座に反撃に移った。

 強く踏み込み、少女の身体へと剛拳を繰り出す! セレンは回避できないと悟ったか、咄嗟に大剣を交差させて直撃を防いだ。とは言え衝撃までは止められず、蜘蛛の巨体は一気に押し戻されることになった。


(マジで強えぇな。ヤバいぞ。こいつは……)


 アッシュは内心で焦っていた。

 ――完全に侮っていた。まさか互角の状況までに追い込まれるとは……。

 アッシュの愛機・《朱天》は《黄金の聖骸主》との戦いを想定した機体だ。幾度にも渡って改造を加え続けた特別な鎧機兵だった。

 しかし、実際に戦ってみると《白銀の聖骸主》相手にほぼ互角。

 ならば《黄金の聖骸主》とは、一体どれほどの実力を持っているのか……。

 そんなことが脳裏によぎるが、


(いや、それはまた後で考えりゃあいいか)


 今は戦闘に集中しなければマズい。余計なことに気をかけるのは愚行だ。

 眼前に立ち塞がる異形の少女は、油断すれば死を招くほどの敵なのだから。


(……いずれにせよ)


 アッシュは小さな呼気を吐いた。


(そろそろ決着をつけなきゃな。やっぱ倒すには《虚空》しかねえ。だが、どうやって彼女の動きを止めるか……)


 表情には出さず必死に戦術を思案する。と、その時だった。


「――は、灰色さん!」


 突如、ユーリィが声を張り上げたのだ。

 戦闘中、彼女はほとんど喋らない。アッシュの集中力を妨げない彼女の配慮だ。

 そんなユーリィが今は声を震わせていた。


「ッ! どうしたユーリィ!」


「あ、あれ……」


 言って、ユーリィは《朱天》のモニターに映し出される景色の一角を指差した。

 アッシュもまた、そちらに視線を向けて。


「――ッ!? くそッ!」


 愕然と目を見開き、思わず舌打ちする。

 そして『彼』の声が集音器マイクを通して聞こえてきた。




「…………セレン?」




 それは、ライクの声だった。

 この最悪の場所にとうとう彼がやって来てしまったのだ。


(間に合わなかったか……シャル)


 苦渋を隠せずそう思うが、彼女を責めるつもりはない。森の中で狩人を捕らえることの難しさは山村育ちのアッシュにはよく分かる。

 むしろ、こうなる前にセレンを倒せなかったアッシュの失態だ。


「は、はは……。セレン? 何やってんだ?」


 そんな中、ライクは弓も矢筒も落としてふらふらと歩き出した。


「何だよ、その格好。仮装でもしてるのか? お前には似合わないよ」


 ライクの足取りはまるで夢遊病者のようだった。


(……ああ、くそ、くそが)


 アッシュはそんな少年の姿を見やり、グッと強く唇を嚙んだ。


(……すまねえ、ライク)


 呆然とした様子でただ歩き続ける少年。

 ――ライクがいま何を感じ、何を考えているのか……。

 その気持ちが痛いほど共感できる。

 自分もまた《星神》だった少女を愛した男だ。

 彼女達が背負うリスク。聖骸化をライクが知らないとは思えない。

 ライクはすでにこの光景が何なのか理解しているはずだった。


 だが、それでも――。


「なあ、セレン」


 ライクは異形と化した少女に両手を伸ばした。


「帰ろう。俺達のホルド村に」


 簡単に受け入れられる訳がない。

 ――愛する少女が死んだ事実など。


(――ライク!)


 グッと握りしめられる拳。

 切り裂かれるような胸の痛みを抑えつけ、アッシュはライクを止める決意をした。

 これ以上、ライクをセレンに近付けさせてはいけない。

 すでに彼女はライクが愛した少女ではない。今も恋人だった少年を一瞥さえもしていない。間合いに入れば何の躊躇いもなくライクを殺すことだろう。

 せめて、それだけは止めなければならなかった。


 しかしそんな時だった。

 意外にも、アッシュが動くその前に割って入る者がいたのだ。


「おい! 待ちな坊主!」


 広場に響く怒鳴り声。

 それは愛機を捨ててまで駆けつけたバルカスの声だった。

 そして、アッシュが驚いて目を見開く中、


「――このアホウが!」


 額に青筋を立てたバルカスはライクの肩を掴むと、少年を地面に叩きつけた。


「一体何やってんだよ、てめえは! 見て分かんねえのか! あの嬢ちゃんは《聖骸主》なんだぞ!」


 次いで、ライクの腕を固めて首根っこを押さえつける。

 バルカスはさらに叫んだ。


「《蜂鬼》どもを殺したのも! ホルド村を滅ぼしたのもあの嬢ちゃんだ! 迂闊に近付きゃあてめえまで殺されちまうぞ!」


「うるさい! 黙れ! そんな訳あるか! だってセレンは――」


「――聞けよ坊主! あの嬢ちゃんはもう死んでんだよ!」


 バルカスの宣告に、ライクは大きく身体を震わせた。

 何か声を出そうとするが、ただ口が開くだけで何も言えなかった。


「あの子がホルド村の住人だってことは知っている。キャシーから聞いた。けどな、あの嬢ちゃんはもうお前の知り合いなんかじゃねえんだよ」


 バルカスは双眸を細めて告げる。


「あの嬢ちゃんは死んじまったんだよ。あれはもう、ただの亡骸に過ぎねえ。キツいとは思うが現実を受け入れな」


 数瞬の静寂が訪れる。


「セ、セレンは……」ライクは再び大きく身体を震わせた。「優しくて、料理が上手で、お節介焼きで」


 ガツンと額を地面に打ちつける。


「二人で、二人で幸せになろうって……」


「――ッ! おい」


 バルカスが目を見開いた。

 そしてすぐに表情を一変させる。


「……そういうことかよ……。だからお前は……」


 察するには充分すぎる状況だった。

 しばしの沈黙。

 バルカスは一度目を伏せ、ギリと歯を軋ませてから口を開いた。


「だったら坊主。尚更お前があの子を看取ってやるんだ」


 一拍おいて、


「あの子はもういねえ。死んじまったんだ。だから憶えといてやれ。そんで忘れんな。あの嬢ちゃんがどんな子だったのかを。これからお前がどんな人生を送っても、あの子のことを忘れないでいてやれ」


 そう語るバルカスの声には普段の粗暴さはない。穏やかで優しい声だった。

 だが、粗暴な男のそんな優しさこそが非情な現実を突きつける。


「あ、あああぁ……」


 ライクの顔が絶望で歪んだ。


「ああああぁ、ああああああああああああァァぁあ……」


 そして少年は再び地面に額を強く打ちつけて、ただ嗚咽を上げた。

 何度も何度も額を打ち付ける。バルカスは黙ってそれを見つめ、愛機から降りてきたジェーンが血の滲んだ少年の額をハンカチで拭ってやった。


「……旦那」


 バルカスはアッシュに告げる。


「この坊主は俺が抑えとくよ。だから旦那は嬢ちゃんだけを見てやってくれ」


『……ああ、分かったよ』


 アッシュは《朱天》の中から応える。


『バルカスだったよな。悪りい。ほとんど無関係のあんたに嫌な役をさせた』


 バルカスはライクを取り押さえながら苦笑いを浮かべた。


「……旦那ほどじゃねえよ」


 これから《黒蛇》の切り込み隊長は、知り合いの少年の前であの哀れな少女を殺さなければならない。それに比べれば随分と易い役目だった。


『……いや、俺は……』


 アッシュもまた渋面を浮かべる。

 そして一拍の間を開けて、


「………俺にとっちゃあ、これは他人事なんかじゃねえからな」


 拡声器でも拾えない小さな声でそう呟く。

 その呟きが聞こえたのはユーリィだけだった。

 彼女は眉根を寄せるが、アッシュはそれ以上何も語らない。

 ただ、心の中で強く思っていた。


(……サクヤ)


 今やどこにいるのかも分からない愛する少女。

 ――これは自分の過去であり、いずれ訪れる未来でもあった。

 アッシュはそう感じていた。

 だから、


『セレン嬢ちゃん。辛かっただろう。怖かったんだろう。けど心配はねえ』


 祈りを込めてアッシュは告げた。


『もう苦しむことはない。どうか安らかに眠ってくれ』

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