第313話 ただ、君のために②
(早く追いつかないと)
薄暗い森の中を、シャルロットは一人走っていた。
強い焦燥感が胸を灼く。
早くライクに追いつかなければならなかった。
出なければ最悪の結果になる。
ライクにとって、そしてアッシュにとってもだ。
(クライン君……)
あの優しい少年は、すべて自分一人だけで背負うつもりだ。
器用でいて、また不器用だとも思う。
けれど、そこがたまらなく愛おしかった。
(……私の愛しいあるじさま)
胸の鼓動が早いのは走っているせいだけではない。
出会ってまだ数日だけの付き合いだ。しかし、今やシャルロットの中で彼の存在は主人であるお嬢さまにも劣らないものになっていた。
――だからこそ、愛しいと思うほどに胸の奥が強く痛む。
今回の事件、仮に真実を隠し通せたとしてもアッシュだけは傷つくことになる。
哀れな少女の成れの果てを、その手で殺すことになるのだ。
それがとても辛い。
(だけど、きっと彼は辛さなんて顔に出さないのでしょうね。頑固だから)
だが、それでも自分だけは真実を知っている。
せめて自分だけは彼を支えよう。
彼が望んでくれるのなら自分の『女』も使おう。それで少しでも元気になってくれるのなら、彼にすべてを捧げても構わなかった。
強くそう思った。
(私の考えも随分と大胆なものに変わってしまったものです)
頬をわずかに赤らめつつ、シャルロットは嘆息する。
自分のことはそこそこ貞淑な人間であると思っていたのだが、恋とは想像以上に人を変えてしまうものらしい。
まあ、いざ事に及ぶ時はきっと勇気不足で迷走してしまうのだろうけど。
(ですがそれも後のことです。いま優先すべきことはライク君を止めることですね)
せめてライクの心だけは救いたい。
彼女のあるじさまの願いは、何としてでも遂行しなければならなかった。
戦闘に役に立てない以上、現時点でシャルロットに出来ることはそれだけだった。
スカートの裾をたくし上げ、木々の間を縫う。
この辺りの地形についてはライクの方が詳しい。だが単純な身体能力では彼女の方が優れていた。このまま速度を緩めなければ必ず追いつけるはずだ。
シャルロットはさらに加速する。
そうして十分後。
(――いた!)
ようやく走る人影を見つけ、シャルロットは声を張り上げた。
「待ってください! ライク君!」
◆
「――ッ!」
不意に名を呼ばれ、ライクは振り向いた。
そして思わずその場で足を止める。
自分の少し後方にはメイド服の女性がいた。
「……シャル姉ちゃん」
女性の名を呟く。
「良かった。追いつきました。ライク君」
よほど急いでいたのか彼女の息はかなり乱れていた。
「戻りましょう」
シャルロットは言う。
「ここは危険です。どこに魔獣がいるのかも分かりません」
「何言ってんだよシャル姉ちゃん!」
しかし、ライクの返答は無下もない。
眼光を鋭くしてシャルロットを睨み付ける。
「この先にはセレンが待っているんだ! 俺は助けにいくんだ!」
「……ライク君」
シャルロットは一瞬だけ哀しそうに眉を寄せた。
が、すぐに頭を振って、
「あなたは一般人でしょう。すでにこの先にはクライン君が向かっています。セレンさんの救出は彼がしてくれます。信じてあげてください」
「アッシュ兄ちゃんのことは信じているよ」
ライクは鉈の柄に手をかけた。
「あの人は信頼できる人だ。だけど、それは俺がセレンを助けに行かないこととは別の話なんだ。たとえどれだけ危険でも俺は行かなきゃいけないんだ」
「………ライク君」
シャルロットは神妙な声で彼の名を呼んだ。
予想はしていたが、やはりライクを説得するのは難しいようだ。
そもそも恋人が襲われていると聞いて、大人しくするような男はいないだろう。
何があっても駆けつけたいと思うのは当然の心情だった。
(仕方がありません)
――ここはもう実力行使に出るしかない。
シャルロットは覚悟を決めて少しずつ間合いを詰め始めた。
それを察したのか、ライクもジリジリと間合いを遠ざけようとする。
そして――。
「………ッ!」
ライクは背中を向けて駆け出した。
シャルロットもすぐさま彼の後を追った。
足の速さはシャルロットの方が少しだけ速かった。わずかずつだが距離を詰める。
そうして追い続けること一分。
大きな大樹の幹の近くで、ようやくシャルロットの手がライクに届こうとした。
――が、
「ごめん。シャル姉ちゃん」
言って、ライクが鉈を抜いた。シャルロットが一瞬目を剥くが、ライクは彼女に刃を向けることはなく近くの蔓を切り落とした。
途端、シャルロットの足下がぐらりと揺れた。
「――きゃあッ!?」
そして悲鳴を上げる。
彼女は太い網に捕われて木の上にへと吊されてしまった。
「ラ、ライク君! これは!」
「獣を生け捕りにするための罠だよ。ここら辺は俺の狩り場なんだ」
言って、ライクは鉈をカシャンと鞘に収めた。
シャルロットは綺麗な両足を網の間からはみ出させたままゆらゆらと揺れていた。
「本当にごめん。後でちゃんと助けるからしばらく大人しくしてて」
そしてライクは「俺は行くよ」と告げて再び走り出した。
「ま、待ちなさい! ライク君!」
シャルロットは慌てて短剣で網を切ろうとするが、元々は獣の捕獲用。恐ろしく頑丈で少しずつしか刃が入らなかった。シャルロットは青ざめる。
彼女の蒼い瞳には背中を向けて走る少年の姿が映っていた。
――彼の行く先に待っているのは絶望だけだった。
「行ってはダメ! 待って! ライク君!」
せめて懸命に叫ぶ。
しかし、すでにライクの姿は遠く、彼女の声は届かなかった。
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