第315話 ただ、君のために④
緊張した空気の中、動き出したのはセレンの方だった。
六本脚で大地を穿ち、轟音と共に《朱天》に迫る!
一方、《朱天》は泰然と構えていた。竜尾で地面を叩き、慌てる素振りもない。
そして二つの巨体が近接する。
「―――――――――――――――――――ッ!」
音なき声を上げてセレンは左右の大剣をほぼ同時に繰り出した。交差するように放たれる水晶の刃が大気を切り裂く。それに対し、《朱天》は両手を使って受け止めた。左右の剣腹に五指が深々と食い込んでいく。
――ギシギシギシッと。
セレンと《朱天》が膠着した状態で力比べをする。
が、その時、いきなり《朱天》がバカンッとアギトを開いた。
そして口腔から放たれるのは恒力の塊だった。
――ズドンッ!
至近距離からの砲撃にセレンは吹き飛ばされた。大きくバウンドし十数セージルも離れたところでようやく立ち上がる。
――《黄道法》の放出系闘技・《咆哮殺》。
膠着状態における《朱天》の隠し技の一つだった。
「…………………」
セレンは無表情のまま《朱天》を見据えていた。
すると、
『これで終わりだ』
アッシュが宣言する。
そしてゆっくりと歩み出す《朱天》。その右の拳に莫大な恒力が収束される。数秒後には拳だけが紅く輝き始めた。あまりの超高温に拳の周辺の景色が歪んで見える。
――《黄道法》の操作系闘技・《虚空》。
触れるものすべてを塵へと変える破壊の剛拳。
「…………………」
セレンは未だ無貌のままだった。
しかし、流石にこの闘技だけは危険だと察したのだろう。戦術を切り替えてきた。
おもむろに蜘蛛の腹の部位から無数の水晶の槍が生み出される。それからは上空に向けて射出。地上へと降り注いだ。接近戦を避け、遠距離戦に移ったのだ。
水晶の雨はバルカスやライク達にも降り注いだが、それらは鎧機兵に乗ったゾットが闘技を駆使して凌いでいた。
アッシュはそれを一瞥、問題ないと判断した後、行動に移った。
この猛威の中、あえて防御も闘技も用いずセレンへと間合いを詰める。
どうしようもない攻撃のみ左腕で逸らし、他は体さばきだけで凌いでいく。
そして水晶の雨が降り注がない場所――すなわち、セレンの間合いに入った瞬間、《雷歩》を使って一気に近接する。
「――――――――――――ッ!」
セレンが絶叫と共に、右の大剣を振り下ろすがもう遅い。
《朱天》は右の拳をギシリと固めた。
そうして必殺の一撃を繰り出そうとした瞬間だった。
「――やめてくれ! アッシュ兄ちゃん! やめてくれええええええッ!」
耳に届くライクの絶叫。
その刹那、アッシュの脳裏にかつての記憶が蘇る。
炎に包まれた故郷。闊歩する黒い鎧機兵ども。そして地面に這う自分。
目の前には黒服の男に捕われ、涙を流す愛しい少女がいた。
そして、
(――さようなら。大好きだったよ。あなたは、生きて幸せになってね――)
《彼女》が告げた最後の台詞。
あの時の微笑みが、眼前の無貌の少女と重なる。
(サクヤ!)
――ズグンッ、と。
かつてないほどの痛みが胸を貫いた。
途端、集中力が霧散する。《朱天》は繰り出した拳を止めてしまった。
それが致命的な遅れとなる。
――ズドンッッ!
水晶の大剣が深々と《朱天》の左肩に喰い込んだのだ。幸いアッシュにまでは届かなかったが、水晶の刃はすぐさま《朱天》の装甲の一部を水晶化させていった。
「だ、旦那ッ!」「アッシュの兄ちゃん!」
バルカスやライクが叫ぶがアッシュの耳には届かない。
アッシュは右手で胸を押させ、激痛に耐えていた。
幾度も幾度も《彼女》との思い出が蘇り、その都度、激痛が走った。
もはや誰の声も届かない。
――そのはずだった。
「………アッシュ?」
不意に響いたその声にアッシュは目を見開いた。
「大丈夫? どこか痛いの?」
自分も危険なのにアッシュのことだけを心配する優しい声。
アッシュにとってかけがえのない存在。
「………ユーリィ」
アッシュが彼女の名を呼ぶと、ユーリィは「……ん」と呟いてぎゅうと背中にしがみついてきた。幻影ではない確かな温もりに胸の痛みが和らいできた。
改めて思い出す。自分にはまだ守るべき者がいることを。
(なに腑抜けてんだよ俺は)
アッシュは再びセレンを見据えた。
痛みが完全に治まった訳ではない。だがもう構わない。
どんな痛みであっても耐えてみせよう。
――それが《彼女》のために自分が選んだ道なのだから。
グウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッッ!!
そして戦場に雄々しき声が轟く。
主人の覚悟に呼応して《朱天》が吠えたのだ。
『――終わりだ。セレン』
アッシュは再度告げる。
痛みも。辛さも。哀しみも。絶望も。
すべての想いを呑み干して《朱天》は真紅の拳を繰り出した。
だが、その時、セレンは《朱天》を見ていなかった。
彼女は死を運ぶ敵を前にして、別の方向に目をやっていた。
視線の先にいるのは、バルカスに取り押さえられているライクだった。
ライクは唖然としていた。
そんな彼に対し、セレンは――。
微かに笑った。
――キュボウッッッ!!
初めて繰り出された《虚空》の威力は凄まじく、彼女は空間ごと抉り取られたかのように消えた。わずかに残った水晶の残骸も数秒も経つと光となって消えていった。
「あ、あああぁ……」
ライクが絶望の声を零す。彼の拘束はすでに解かれていた。
『………ライク』
と、アッシュが少年の名を呼ぶ。
同時に《朱天》は振り抜いた拳をゆっくりと下ろした。
『俺を憎んでくれていい。恨んでくれても構わねえ』
「――うるさい!」
ライクは額を両手で覆った。
「うるさい! うるさい! そんなこと言うなあッ!」
少年の肩が震え出す。そしてぶつけようのない怒りを彼は吐き出した。
何度も何度も拳を地面に叩きつけ、時には絶叫を上げて運命を呪う。
ただただ、愛しい少女の名を叫び続けていた。
アッシュもユーリィもバルカス達も何も言わなかった。
そうして……。
「………憎める訳ないだろ」
ようやく、ライクは振り絞るように呟いた。
「だってアッシュ兄ちゃん、あんな状況でも拳を止めてくれたじゃないか。最後までセレンを思ってくれたじゃないか……」
――違う。
(それは違うんだ、ライク)
アッシュが拳を止めたのは自分の痛みからだ。
セレンではなく、彼女を通じてもう一人の少女を見ていたからだ。
決して彼女を思い遣ってのことではない。
すべては身勝手な想いからだった。
(本当に最低だな、俺は……)
アッシュは拳を強く握りしめた。
『すまねえ。ライク』
そうしてただ謝罪する。
『憎まれてやることさえ、俺には出来ねえんだな』
「……だから、そんなことを言わないでくれよ……」
ライクは立ち上がると、ふらふらとセレンが消えた場所に向かった。
そこにはもう彼女の遺品すらなかった。
「………セレン」
ライクは両膝を付いた。
彼女はもうどこにもない。その事実が胸を切り裂く。
そして、
『二人で幸せになりましょうね』
「~~~~~~~~ッッ」
彼女の言葉が強く、強く胸を締め付ける。
「うぁ、うわあァあああァァ……」
嗚咽が零れ落ちた。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああァアァ―――……」
そして少年は泣いた。
ただ、セレンのために。
――声が枯れ果てるまで泣いた。
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