第三章 彼女は一体誰のモノ?

第291話 彼女は一体誰のモノ?①

「え、えっと? マジで何なんだよこれ?」


 アッシュは軽く混乱していた。

 ――これは一体どういうことなのか?

 どうしてギルドに入るなり人が飛んでくるのか?

 困惑しつつも、視線を腕の中に向ける。

 唐突に飛び込んできた女性は荒い呼吸を繰り返していた。

 見たところ外傷はなさそうだ。しかし意識は完全に失っているようで、少し苦しいのか額には玉のような汗を浮かべている。


「お、おい。メイドさん?」


 と一応声を掛けてみるが、彼女が目覚める様子がない。

 そこで少し彼女を揺らして起こそうとするが、不意に気付く。身構えるのが精一杯の事態だったため、受け止めた自分の右手が彼女の胸を鷲掴みにしていることに。

 指が深々と埋まり、わずかに動いただけで女性は微かに呻いた。


(おお……)


 これはかなりのボリュームだった。張りも凄い。自分の戦闘の師である少女や、今はどこを流離っているかも分からない幼馴染にも劣らない弾力だ。


「すっげえ柔らけえ……」


 男ゆえに思わず口にする。

 が、次の瞬間、ハッとした。


「…………灰色さん」


 傍に立つユーリィが冷酷な眼差しを向けていたのだ。


「い、いや、違うぞユーリィ!」


 アッシュは慌ててメイドの女性を抱き直した。気絶している女性を床やそこら辺のテーブルの上に寝かすのも何なので、ここはやむを得ずお姫さま抱っこをした。その際、彼女が自分の太股にベルトを巻いて帯剣していることに気付き、「うわぁ、恐っかねえメイドさんだな」と呟く。ちなみにユーリィの眼差しは冷めたままだ。


 とりあえずアッシュはユーリィから視線を逸らすと、周囲を見渡した。

 酒場も兼ねる店内には数十人の傭兵達がいた。女傭兵も数人いたが、ほとんどは厳つい男ばかり。場違いな狩人姿の少年もいたがきっと彼は依頼人だろう。


「おいおい。兄ちゃんよ」


 その時、不意に声を掛けられた。

 目を向けると眼前に熊のような大男がいた。顎髭を何度もさするその男は、シャルロットを打ち倒したバルカスだった。


「まずはその嬢ちゃんを受け止めてくれてありがとよ」


 そう礼を告げてから、バルカスは不愉快そうに言葉を続けた。


「けどよ。勝手におっぱいを揉みくだしたり、お姫さま抱っこってのは気に入らねえな。その嬢ちゃんは俺が勝ち取った《勲章》なんだぜ。返して貰おうか」


「…………はあ?」


 状況が分からずアッシュはバルカスと、名前も知らない腕の中のメイドさんの顔を交互に見た後、カウンターの方へと目を向けた。

 そしてこの傭兵ギルドのマスターらしき壮年の人物に声をかける。


「これはどういう状況なんだ? このおっさんは何を言ってんだ?」


「いや、それはだな……」


 と、マスターが困り果てた様子で説明しようとする。が、


「なに。簡単なことさ」


 答えたのはバルカスだった。


「ちょいとした決闘をしたのさ。双方合意の上でな」


 そこでアッシュの腕の中で眠るシャルロットをまじまじと凝視し、


「そんで俺が勝った。しかしその嬢ちゃんも中々のもんでな。俺はこの嬢ちゃんを気に入ったんだ。だからこそ手に入れるんだよ。文句あっか」


「……おい待て。《猛虎》の」流石にマスターが眉間にしわを寄せた。「そこまでの話にはなっていなかったはずだぞ」


「はン。分かっているよマスター。いくら俺でも気絶している女に手は出さねえよ。まあ、多少のスキンシップはするかもしんねえが、ちゃんと起こしてから口説くつもりさ。だからこっからは男女の話だ。あんたが口出しすることじゃねえだろ?」


「いや、だがな」


「この嬢ちゃんはマジで相当なもんだぜ」


 渋るマスターを黙殺して、バルカスは仲間達に言う。


「対人戦が強えぇ奴は間違いなく鎧機兵戦でも強えぇ。俺らの仲間にすりゃあ相当な戦力になる。ここは少々野暮な真似をしてでも口説き落とすべきだ」


「……あたしの時のようにかい?」


 と、仲間の中で唯一の女傭兵であるジェーンが吐き捨てる。

 決闘の流れから嫌な予感はしていた。


 ――ジェーン=トラス。

 彼女はかつてエリーズ国内でも有数の若手として名を知られた傭兵だった。

 しかしある日のこと、彼女はたまたま一緒に仕事をしたバルカスに不運にも気に入られてしまったのだ。バルカスはとてもしつこい男だった。結果、苛立ったジェーンはバルカスと口論となり、勝てば二度と近付かないこと。負ければ一夜付き合うことを条件に決闘を受けたのである。無論、彼女には自信があった。

 だが、その結果は……。


(まったく最悪だ)


 ギュッと唇を噛みしめる。バルカスは本当に強かった。自負を以て挑んだ決闘は、自分の力を過信したジェーンの惨敗だった。


 そしてその後の展開も今回とほぼ同じだった。

 バルカスは満面の笑みを見せると敗北のショックで呆然とする彼女を抱きかかえてそのまま宿の一室に連れ込んだのである。

 目的は言うまでもない。早速約定の権利を行使したのだ。


 我に返った時には遅かった。が、それ以前にそういう約定なので拒否できない。傭兵にとって約定とは絶対であり、約束した以上は必ず守らなければならなかった。出なければ根無し草など誰も信用しないからだ。いずれにせよ、獰猛な虎は一夜にして彼女の誇りから純潔まですべて喰らい尽くしたのである。


(……はあ、あたしは馬鹿なのか……)


 自分の軽率さは今でも後悔する。もっと慎重になるべきだった。

 だが、今さら過去は変えようもない。その後、彼女が《猛虎団》に入団することになる経緯も含めてだ。あの日からもう五年の月日が経っていた。今やジェーンはバルカスの仲間であると同時に、都合のいい情婦となっていた。


「ははッ、安心しな。ジェーン」しかし、バルカスは彼女の運命を狂わせた自覚もないのか悪びれもなく宣う。「この姉ちゃんはあくまで二番目の《勲章》だ。もちろん一番愛してんのはお前だからさ」


「……………」


 ジェーンは嘆息するだけで何も言わなかった。愛しているという戯言はともかく、バルカスはすでにあのメイドを獲物として見定めているようだ。

 長い付き合いで嫌でも知っている。この男は呆れるぐらい身勝手なのだ。手に入れると言ったら必ず手に入れる。自分の時のように。

 もはやあのメイドの運命は、自分と同じく確定してしまったと言えた。


(あの娘も哀れなことだね)


 せめてとして面倒は見よう。

 ジェーンはそう諦めたのだが、この状況に納得いかない者もいた。


「――ふざけんなよ!」


 シャルロットに助けてもらった少年だ。


「その姉ちゃんは親切心で俺を助けてくれただけだ! 本来は関係ない人だろ!」


「いや坊主。そうは言っても気に入っちまったもんは仕方ねえだろ?」


 と、バルカスが両腕を組んで言う。

 少年はますます顔を怒りで赤くした。そんなことは見過ごせるはずもない。少年はバルカスに詰め寄ろうとした――その時だった。


「う~ん、あのさ」


 ずっと様子を窺っていたアッシュが口を開いた。


「いまいち事情はよく分からんが、これって俺がこの姉ちゃんを渡したら、この姉ちゃんの今後の人生が決まっちまうってことなのか?」


「ん? まあ、そういうこったな」


 と、バルカスが言い切った。

 アッシュは「う~ん」と呻き、渋面を浮かべる。次いで苦しそうに眠るメイドさんに目をやった。改めて見ると本当に綺麗な女性だった。スタイルも抜群で目を惹く。片やバルカスは実にむさ苦しい大男だった。言動からして粗暴な人物なのは間違いない。ここで彼女を引き渡すのはまるで魔獣に生け贄を差し出すような気分だった。

 ――当然ながら、いい気分ではない。


(この姉ちゃんも災難なことだな。しかし、やっぱここは仕方ねえか……)


 そうしてしばしの逡巡の後、アッシュは決断した。


「なぁ、おっさんよ」


「あン? 何だよ。白髪小僧」


「あんた、決闘に勝ったからこの姉ちゃんの身柄を要求すんだろ?」


「ああ、そうだぜ」と堂々と告げるバルカスに、アッシュは呆れつつも提言する。


「なら話は簡単だ。提案がある」


 バルカスを含め、傭兵達が注目した。


「正直に言って、このままこの姉ちゃんを引き渡すのは後味が悪い。だから提案する。おっさん。この姉ちゃんの身柄を賭けて俺と決闘しようじゃねえか。おっさんはこの姉ちゃんの身柄を。俺は……そうだな。ユーリィ」


 そこでユーリィに目をやる。ユーリィは「なに?」と顔を上げた。


「いま俺らの持ち合わせってどれぐらいだ?」


「ビラル金貨四十五枚ぐらい」


「ん。そっか。なら金貨二十枚を賭ける」


 アッシュは告げる。


「どうだ。おっさん。この条件で決闘を受けてくれねえか?」


「………ほう」


 小さく感嘆を零すバルカス。周囲で見物している傭兵達は「おお。いいじゃねえか」「受けろよ。バルカス。そして俺らに奢れ」と乗り気になった。

 バルカス自身もかなり興味が惹かれた。


(……ふ~む)


 一度少年の姿を吟味する。

 バルカスが見る限り、この白い髪の少年からは何の圧も感じない。

 傭兵稼業をしてるだけに立ち姿に隙はないがそれだけだ。少なくとも自分の敵ではないだろう。このぐらいの力量ならば本人も実力差を自覚しているはず。

 しかし、それでも挑んでくるのは若さゆえの義侠心か。


「……ああ、いいぜ」


 世の中にはどうしようもない事があるのを教えるのも先達の務めだ。

 何より上等な女に加え、大金まで入ってくる機会を見過ごすほど自分は甘くない。


「感謝しな。受けてやるぜ。俺の名はバルカス。小僧。お前は?」


「アッシュだ。アッシュ=クライン」


 そう名乗って、アッシュはメイドをかばおうとしていた少年に近付き、「悪りいがこの姉ちゃんを頼む」と告げて彼女を渡した。同時にその場に自分のサックも降ろす。


「い、いいのか? 兄ちゃん? 全然関係ないのに決闘なんて……」


「構わねえよ。つうか、たとえ見ず知らずでも気絶している姉ちゃんをあんなエロ親父に引き渡せねえよ」


 言って、アッシュは苦笑いを浮かべた。

 そして呆然とシャルロットを抱きかかえる少年を背に、バルカスの元に向かう。

 その際、ユーリィとすれ違った。

 彼女は言う。


「早くお風呂に入りたい」


「ははっ、分かってるって。もう少しだけ待っていてくれ」


 アッシュは笑い、ユーリィの頭にポンと手を置いた。

 そうして頭一つ分も身長に差がある二人の傭兵が対峙した。


「じゃあ小僧。恨みっこなしだぞ」


「ああ。あんたもな」


 互いにそう告げる。

 周囲の傭兵達や《猛虎団》の面々は興味深げに見物していた。


「やれやれだ」


 そして本来ならこの場を仕切っているはずのマスターがぼやく。


「今日は厄日だな。もうさっさと終わらせてくれ」


「おう。分かっっているぜ、マスター。俺にもメイドの姉ちゃんをじっくりと堪能……おっと、もとい口説き落とすっていう大事な用があっからな」


 そこでも下卑た台詞を吐くバルカス。

 アッシュは嘆息した。そして――。


「行くぜ! 白髪小僧!」


 自分の勝利を一切疑わず、バルカスは拳を繰り出した。

 鍛え抜いた自分の防御力を絶対視する、相も変わらない大振りだった。

 それに対し、アッシュは、


「隙だらけだな」


 ゆっくりと拳を突き出した。バルカスは「はン」と鼻で笑う。この程度の拳など自分の鋼の肉体の前では全く意味を成さない。当たったところで少々痛いだけだ。むしろ受け止めれば相手の隙も誘える。

 そう判断し、バルカスはあえて拳を腹筋で受け止めることにした。

 ――が、次の瞬間。


「―――ッッ!?」


 バルカスはギョッとして息を呑んだ。

 激痛。そして有無を言わさず後ろへと押し戻す衝撃。バルカスの軍靴が線を引いて床を擦り、辺りに焦げ臭い匂いが充満した。


(――な、何だこりゃあ!?)


 そして一気に血の気が引いた。

 ――何が起きたのか……痛い! 痛い痛い! いや、痛みなどすぐに通り越して消失感さえ覚える。腹。自分の腹が射抜かれた。鉄槌? いや大砲か? 胃が丸ごと潰されてしまった。いやそれも違う。胃が喉に押し上げられ、体から――……。


「お、おヴェ……ッ!」


 どうしようもない吐き気を催し、バルカスは口元を両手で押さえた。

 と、その時、コツコツと足音が響いて――。


「へえ。中々鍛えてんな、エロ親父。一発で沈められなかったのは久々だぜ」


 白い髪の少年が近付いてくる。

 バルカスは、口元を押さえたまま双眸を大きく見開いた。

 ガクガクと膝が震えてくる。


(――な、何なんだよ、コイツは……一体何なんだ!?)


 驚愕を隠せなかった。今はただただ恐怖が全身の毛穴から噴き出してくる!

 もはや目の前の少年が人間には見えなかった。

 一方、少年は軽く右肩を回して、


「けどまぁ流石にこれで終わりだろ。眠っちまいなおっさん」


 そう宣告した直後、バルカスの横っ面に衝撃が走った。

 今度も大砲にも等しい一撃だった。人間に耐えられるような痛みではない。

 途方もない激痛にバルカスの本能は自ら意識を手放した。途端、白目となり、吐瀉物を撒き散らして宙を舞った。次いで、ギュルルルルゥと錐もみ状に回転して観衆の一部に突っ込んでいく。そうして運悪く巻き込まれた傭兵達の「ぎゃあ!」という悲鳴と共に、ガランガランッとテーブルや椅子が倒れ込んだ。

 ギルドが静寂に包まれる。


「「「―――――え」」」


 十数秒後、ようやくこぼれ落ちる呟き。

 あまりにも一方的な決着に、ジェーンや《猛虎団》の団員達は勿論、その場にいる全員が呆気に取られた。まあ、ユーリィだけはパチパチと拍手を送っていたが。

 そんな中、


「憶えておきな。おっさん」


 アッシュはコキコキと手首を鳴らして告げる。


「ある程度経験を積めば相手の力量は読めるようになるもんだ。それが出来るってことはおっさんもかなり強えんだろうな」


 そこで皮肉気な笑みを見せて、


「けど、それって落とし穴もあるんだぜ。両者に相当な力の差がある場合だと相手の強さを誤認しやすくなるんだよ。建物とかデカすぎると全体が見えなくなるだろ? それと似てるかもな。まっ、審美眼に頼りすぎんなって話だ」


 と忠告するが、気絶したバルカスには答えようもなかった。

 アッシュはやれやれと呟くと、少年の方へと向かった。


「……に、兄ちゃん、えげつないぐらい強いな」


「まあ、本業だしな」


 アッシュは皮肉げに笑う。それから自分のサックを背負うと、再び気絶したままのメイドさんを少年から受け取り、両腕で抱き上げた。痛みが引いたのか、彼女の表情も少し和らいでいる。


「ともあれ、この決闘は俺の勝ちだ」


 賭けの対象であった女性を手に堂々と宣言する。


「この姉ちゃんは俺が貰っていく。文句は言わせねえからな」


 アッシュの言葉に異論を唱える者はいなかった。

 あんな決闘を見せつけられては異論を挟めるはずもない。

 団長をのされた《猛虎団》さえも沈黙する。

 何にせよ静寂は了承の意。アッシュはそう判断した。


「さて、と」


 アッシュはメイドさんを丁重に抱き直し、ユーリィに目配せした。

 ユーリィはこくんと頷いた。

 本当ならギルドで色々と手続きする予定だったが、今はもうそんな状況でもない。ここは一旦出直すしかなかった。アッシュは「マジで災難だよなぁ」と嘆息すると、ユーリィを伴って傭兵ギルドから立ち去ろうとした――が、


「あ、少し待ってくれ兄ちゃん」


 少年に止められた。


「その姉ちゃん、荷物もあるんだ。それを持っていかないと」


 そう言って床に置かれっぱなしだったシャルロットのサックに目をやる。

 思いのほか大きな荷物にアッシュは眉をしかめた。

「それか? 流石に手が足りねえな」と呟き、「なあ、坊主」自分とさほど変わらない歳の少年に声を掛ける。


「悪りいがその荷物を運ぶの手伝ってくれねえか?」


「あ、うん。別にいいよ。むしろ俺の方こそ兄ちゃんに用が出来たし」


 と、少年は承諾しつつ呟いた。アッシュは一瞬訝しげな顔をするが、


「まっ、いっか。そんじゃあ頼むよ」


「うん。任せてくれ」


 言って少年はシャルロットのサックを背負った。

 そうしてアッシュは、少年と少女を引き連れて傭兵ギルドを後にした。

 何の因果か、その腕に一人の女性を抱いて。

 なお、この一件はサザンの傭兵ギルドにおいて結構な伝説となる。

 子連れ傭兵がメイドさんを決闘でゲットした事件として有名になるのだが、そのことをアッシュが知るのは随分と後のことである。


「灰色さん。早くお風呂」


「ああ、分かってるって」


 今はただ、愛娘のご機嫌を取るのに一生懸命なアッシュであった。

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