第290話 ファイティングなメイドさん③
「ねえ、灰色さん」
停留所から降りたユーリィが尋ねる。
「しばらくこの国でお仕事をするの?」
「いや。そのつもりはないな」
アッシュは肩にかけたサックを担ぎ直して答えた。
「この街はたまたま近くにあったんで寄っただけだ」
そこでふと表情を暗くする。
「俺は皇国からは出来るだけ離れたくねえんだよ。目的があるからな」
それは独り言に近い呟きだったが、ユーリィの耳には届いた。
「目的って?」
眉をひそめて尋ねてみる。
連れだって一年以上だが、彼に目的があるとは初めて聞いた。
すると、アッシュはハッとした表情を浮かべた。
が、しばらくすると少し困ったように口元を綻ばせ、
「まあ、大した目的じゃねえよ」
そう言ってユーリィの頭をポンポンと叩いた。
ユーリィは納得していない表情を見せた。付き合いは浅くても彼は自分の保護者だ。思わせぶりな様子は気にはなるが、彼女はすぐに頭を振って諦めた。
アッシュが頑固なのはよく知っている。明らかに誤魔化し始めた以上、ここで問い質しても答えてくれないだろう。
だから、今はただ不満そうに頬を膨らませるだけだった。
そんな愛らしい愛娘の反抗ぶりに、アッシュは相好を崩した。
「いつかは話してやるよ。それよりこの国での予定だが……」
そうしてしばし考えた後、二カッと笑って告げる。
「とりあえずこの街には三日ほど滞在するつもりだ。ユーリィも旅ばかりで疲れてるだろ。ここでは何もせず骨休めでもするよ」
◆
シン、と空気が張り詰める。
普段は騒がしい傭兵ギルドも、今はただ沈黙していた。
対峙するのは、実に対照的な二人。
厳つい顎髭の大男と、楚々たるメイド姿の女性だ。
この場にいる全員が二人の挙動に注目していた。ギルドを仕切るマスターもここまで話が進むと止めることも出来ない。一番の当事者である少年も沈黙するしかなかった。
そして――。
――ダンッ!
と、床を強く蹴りつけたのはメイド姿の女性――シャルロットの方だった。
流れるような自然な動きで一気に間合いを詰める。周囲の傭兵達から「おお……」と感嘆の声が上がった。
次いで繰り出させるのは閃光の二連撃。喉元と鳩尾への順突きだ。
しかし、
「はン。軽いな」
顎髭の男――バルカスは全く動じなかった。鋼のように鍛え上げた自慢の筋肉はダメージをほとんど受け付けなかった。
そしてお返しとばかりに裏拳を繰り出すが、シャルロットは後方へと跳躍。拳は空を切って難を逃れる。
バルカスは「ち」と舌打ちする。が、
「逃がしゃあしねえよ!」
今度は自ら間合いを詰める。
シャルロットは表情を変えずに拳を身構えるが、内心では焦りを抱いていた。
(これはまずいですね)
今の攻防で理解する。自分の拳ではこの敵を打ち倒すのは難しい。流石は傭兵と言ったところか。この男の鍛え抜かれた肉体を打ち砕くには明らかに筋力不足だった。
――果たしてどう攻めるべきか。
打開策を考えるが、そうこうしている内にもバルカスの猛攻は続く。
一撃でも貰えば危険な拳が幾度も繰り出される。シャルロットは拳闘のような軽やかなフットワークでかわし続けるが、わずかに肩にかするなど危うい場面もあった。
「ははっ! 逃げでばかりじゃあ勝てねえぞ! 嬢ちゃん!」
バルカスの勢いは止まらない。
すでにかなりの数の拳を繰り出しているというのに息が切れる様子もない。体力も相当なものだ。やはり戦闘を本業にしている者は侮れなかった。
(ならば!)
シャルロットは眼光を鋭くして重心を大きく捻る。そして繰り出すのは相手のこめかみを狙った上段蹴りだ。バルカスは「む」と呻き、左腕を盾にした。
「中々鋭い蹴りじゃねえか」
「本業の方からお褒めに預かるとは光栄です」
シャルロットは淡々とそう答え、連続で大腿部、腰を蹴りつけた。残念ながらそれらはバルカスに防がれてしまうが。
拳が効かない以上、足技に頼るしかない。シャルロットとしては苦肉の策なのだが、周囲の男衆には大好評だった。スカートがなびくたびに見事な脚線美を拝めるからだ。美女の生足に「「おお~」」と興奮気味の声も上がる。
「あっ、てめえら! ずるいぞ!」
唯一拝んでいるだけの余裕がないバルカスが不満の声を漏らす。
とは言え、猛攻に怯んでいる訳でもなかった。巨体ゆえに速度では劣るが、それでも完全にシャルロットの攻撃を見切っている。
シャルロットは強く唇を噛みしめた。やはり自力が違う。勝機を掴むにはもはや賭けに出るしかない。
「――ふっ!」
シャルロットは鋭く息を吐くと、間合いを詰めた。
バルカスはすぐさま身構えるが、その前に彼女は動く。
――バシンッ、と。
まずは急所である鳩尾に左拳。わずかに敵が怯んだ瞬間に、右の順突きを寸分違わず同じ部位に叩きつける。「チィ」と舌打ちして数歩だけ後退するバルカスに、シャルロットはさらに前蹴りを喰らわせた。それもまた鳩尾だ。連続の美技に「「おおおおお!」」と盛り上がる観衆を背にシャルロットは反転。今度は後ろ回し蹴りを叩きつける!
「ぐ、ぐうう!」
鋼の肉体を誇るバルカスも苦痛で渋面を浮かべた。
同じ部位への度重なる連撃。察するに狙いは一点突破か!
バルカスは「しゃらくせえ!」と吐き捨てて腹筋を固める――が、
「――――はあっ!」
その瞬間、シャルロットが宙を舞った。
視界を覆うほどスカートを大きく翻し、繰り出すのは最後の一撃。それはバルカスのあごを狙った上段蹴りだった。
「―――がッ!?」
完全な不意打ちにバルカスは両目を見開いた。そして大きく頭を揺らしてガクンと膝を崩す。シャルロットは勝利を確信した。
――だがしかし。
「……痛ってえ……。やるじゃねえかよ。お嬢ちゃんよ」
ガシッ、と。
いきなりシャルロットの足首は掴まれた。
「し、しまっ……」
そしてシャルロットは青ざめる。
今の一撃でバルカスの意識を刈り取れなかったのだ。
「これで俺の勝ちだ。嬢ちゃん」
バルカスはあごを撫でつつ不敵に笑う。
「けどやるな嬢ちゃん。気に入ったぜ。よし。ついでだからこのまま嬢ちゃんを貰うことにしたぞ。今夜第二戦と行こうじゃねえか」
「―――――え」
告げられた言葉の意味が分からず、シャルロットは目を瞬かせた。
が、次の瞬間、大きく双眸を見開いた。
掬い上げるように放たれたバルカスの剛拳が、彼女の腹部に直撃したからだ。
「~~~~~ッ!」
腹部に走る鈍痛に声すら発せない。
そして弧を描いて弾かれるシャルロット。
「メイドの姉ちゃん!」
と、恐らく彼女の唯一の味方である少年が悲鳴を上げた。
一方、傭兵達は決着かと興味深そうに見ていたが、すぐに全員が「やべっ!」と声を上げた。思いのほか吹き飛ぶ威力が強すぎる。メイド服の女性は為す術なく建屋のドアに向かって吹き飛んでいた。
そして実に間が悪いことに、その時、来客が訪れたのだ。
「――へ?」
いきなり吹き飛んでくるメイドさんに来客は目を丸くするが、それでもこのまま避けるのはまずいと思い、咄嗟に両腕を開いて身構えた。
そして――。
――ドンっと。
まるで、そこに収まる事こそが運命であったかのように。
シャルロットは、一人の少年の腕によって抱き止められることになった。
「え? ええ? な、何だこれ……?」
とは言え、その少年――アッシュ=クラインの方は、唐突な出来事にただただ呆然とするだけだったが。
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