第292話 彼女は一体誰のモノ?②

 ズキン、と腹部が痛む。

 微睡みの中、シャルロットはずっと考えていた。

 この痛みが嫌でも現実を教えてくれる。


(……ああ、負けてしまった)


 完全な敗北だった。

 騎士学校を卒業後もお嬢さまを守るために訓練は欠かさなかった。

 だが、それでも相手は流石に本職だ。

 あの男は間違いなく自分よりも強かった。

 それが――とても悔しい。


(あんなに努力していたのに、なんて情けないの……)


 キュッと唇を噛みしめる。

 彼女は王都にある孤児院出身の平民だった。

 エリーズ国騎士学校は、貴族のみならず平民にも門戸が開かれている。

 とは言え、本来ならば通うこともなかったはずなのだが、孤児院の院長がなけなしの学費を工面して通わせてくれた。騎士学校を卒業すれば将来の道が大きく開けるからだ。院長はシャルロットの才覚を伸ばせるように苦心してくれたのである。


 だからこそ、シャルロットも努力した。

 座学は勿論、実技においても寝る間を惜しんで頑張ったものだ。


 その甲斐もあって学年次席になった時は嬉しかったし、院長も本当に喜んでくれた。まあ、結局三年間において一度も主席は取れなかったが。

 何にせよ優秀な成績を収めたおかげで、シャルロットはエリーズ国における四大公爵家の一つであるレイハート家にメイドとして就職できた。そして彼女が仕えるようになったのは十歳の少女だ。公爵令嬢であるその子はとても聡明であり、多くの貴族が持つような平民に対する傲慢さもない。幼くして誇りを抱く素晴らしい子だった。

 不敬ながらも、シャルロットは主人の少女を妹のように大切に思っていた。


 ――ゆえに、今回の敗北は許せない。

 幸いにも今回主人は同行していなかった。だがシャルロットの敗北は主人の危機にも直結するのだ。あの子が危険に晒される。それは到底許せることではなかった。


 本当に情けない。相手が本業だからなど言い訳にもならない。

 自分はただのメイドではないのだ。


(自分の頬をひっぱ叩きたい気分ですね)


 心の底からそう思う。

 ペチペチ。


(ええ、そうです。そんな感じに。ですが少し弱いですね)


 ペチペチペチペチペチペチ。


(いえ。数を増やせば良い訳では……)


 ペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチペチ……。


(い、いえ。もういいです。流石に少し痛いです)


 シャルロットは眉根を寄せた。

 何やら、先程からずっと頬を叩かれている。

 それは今も続いていた。小さな痛みが積み重なり、流石に渋面を浮かべた。


(一体何ですかこれは?)


 苛立ちが募り、全身に力を込める。

 そしてシャルロットは重たい瞼をこじ開けた。

 すると、


「あ、起きた」


 そこには一人の少女がいた。



       ◆



 シャルロットは眉をひそめた。

 次いで首を動かして周囲の様子を窺う。

 傭兵ギルドではない。見知らぬ部屋だった。部屋の片隅にテーブルに椅子。サックが三つ床に置かれている。それ以外には目立つ物もない簡素な部屋だ。恐らくどこかの宿の一室なのだろう。どうやら自分はベッドの上に寝かされていたらしい。

 そして一番気になるのは目の前で馬乗りになっている少女だ。

 白いフード付きコートを着た空色の髪の少女。何故か若干髪が濡れている。年齢は主人と同じぐらいだろうか、恐ろしく綺麗な少女だった。どうも彼女がずっとシャルロットの頬を叩いていたようだ。


「あ、姉ちゃんが起きたのか?」


 と、その時、少年の声が聞こえてきた。

 声のした方に振り向くと、傭兵ギルドで出会った少年がいた。


「心配したよ。全然目覚めないから」


 少年が言う。


「すみません。ご迷惑をお掛けしたようで」


 シャルロットは馬乗りになっていた少女を両手で支え、上半身を上げた。

 次いで、今がどういう状況なのかを聞こうとしたところでふと気付く。

 そう言えば、目の前の少女も少年も名前を知らない。


「まずは自己紹介をしましょうか。私の名はシャルロット=スコラです。年齢は今年で二十二になります。職業はレイハート公爵家に仕えるメイドです。あなた方は?」


「え? あ、ごめん。そう言えば名乗ってなかった」


 まず少年が答えた。


「俺の名前はライクだよ。ライク=アサンブル。歳は十六だよ。仕事はホルド村で狩人をやっている」


「私はユーリィ=エマリア。十歳」


 と、少女の方も答える。

 シャルロットは内心で小首を傾げた。兄妹だと思っていたのだが、家名が違う。そもそも少年の方はともかく、少女は何者なのか?

 シャルロットは未だ自分の両腕で支える軽い少女を見つめた。


「ユーリィさん。あなたとは初対面ですよね?」


「うん。話すのも初めて」と、ユーリィが答える。完全に見知らぬ少女だ。シャルロットは眉根を寄せて「あなたは誰なのですか?」と直球に聞いた。


「ああ、その子はさ」


 すると答えたのはライクの方だった。


「傭兵の兄ちゃんの妹さんだよ。いや兄ちゃんは養女って言ってたかな?」


 ――傭兵。

 その単語にシャルロットは表情を少し険しくした。

 同時に察する。どうやら敗北した自分を運んだのはあの傭兵団のようだ。ライクも当事者なので、この宿まで同行させられたといったところか。

 内心で焦りを抱く。

 これはどうにもまずい状況であった。

 あの傭兵団が自分に良い感情を抱いていないのは理解している。その上、相手の拠点に連れ込まれてしまうとは。言わば自分は今、敵陣の中にいるということだ。


(しかし詰めが甘いですね)


 シャルロットはユーリィを隣に座らせるとベッドから立ち上がった。

 太ももの感触で分かる。自分の武装は解かれていない。まさかメイドが武装しているとは思わなかったのか、いずれにせよこれならばまだ脱出も可能だった。


(さて。どうしますか)


 これからの方針を考える。

 正直このままこの部屋にいるのは危険だ。しかし、だからといって詳しい状況も分からないまま強行突破はすべきではない。ちらりとユーリィを一瞥する。わざわざ身内をこの部屋に置くのは、すでに敵意のない証のようにも思える。

 ここはもう一度、あの団長と対話すべきか――。

 と、考えていた矢先だった。


「ごめん。姉ちゃん」


 不意にライクが、頭を下げて謝罪したのだ。


「姉ちゃんは全然関係なのに、あんな目に遭わせてしまって……」


 生真面目に謝るライクにシャルロットは破顔した。

 手を差し伸べて良かったと、少年に好感を抱く。

 だからこそ、彼をこのまま落ち込ませてしまうのは申し分けない。


「気にしないでください。荒事には慣れています」


 言って、シャルロットは自分のスカートをたくし上げた。

 美しい脚線美が剥き出しにされてライクが顔を真っ赤にする。一方、ユーリィも目を丸くして瞳をパチパチと瞬くが気にしない。

 彼女が見せたい物は足ではない。太ももに装着した鎧機兵の召喚器短剣だからだ。

 そしてシャルロットは告げる。


「私は主人の護衛も兼ねる武闘派メイドなのですから」


 一瞬の沈黙。


「え?」ようやくライクが首を傾げて呟く。「そんなのいるのか?」


「はい」シャルロットは平然と答えた。「メイドや執事には戦闘訓練を受けている武闘派がかなりいます。主人の危機の際、最後の砦となる者達ですから」


「「へえ~」」


 と、声を揃えて感嘆するライクとユーリィ。

 和やかな空気が部屋を満たす。と、その時だった。

 不意にコンコンとドアがノックされたのだ。

 ライクは何気ない顔でドアを見やり、シャルロットは表情を鋭くする。

 そしてユーリィは「開いている」と来訪者に告げた。

「ユ、ユーリィさん!」と思わずシャルロットは叱責しそうになったが、そもそもこの少女は傭兵団側の人間だった。来訪者が身内なら当然の対応になる。

 ガチャリ、とドアが開かれる。


「おっ、ようやく目が覚めたのか姉ちゃん」


 ――ごしごし、とタオルで頭を拭きつつ現れたのは白い髪の少年。

 共用風呂から上がったばかりのアッシュであった。

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