エピローグ

第283話 エピローグ

 ――《獅子の胃袋亭》。

 もはや馴染みの店になっているその場所で彼女達は丸テーブルを囲んで座っていた。テーブルの上には冷えたアイスコーヒーが乗っている。


「けど、結局、何だったのかしらあのおじさん」


 と、アリシアが頬杖をついて呟く。

 連休が明けて二日が経ったその日の放課後。

 アリシアを筆頭に学生達は何となくこの店に集まっていた。


「うん。お父さまも『昔から何を考えているか分からん奴だ』って言ってた」


 と、答えるのはヘルムをテーブルの上に置いたサーシャだ。

 彼女の父親は別れの挨拶もなく居なくなった友人に唖然としていた。


「いやいや、それがゴドーさんだろ」


 そう意見するのはエドワードである。


「あの人は過去にはこだわらねえ。新しい冒険に旅立ったのさ!」


 ニヒルな笑みを作ってそう続けるのだが、少女達に眼差しは冷めたモノだ。


「しかし旅行の途中でいきなりいなくなるとはな。火急の用とは何だったのか」


 と、ロックが腕を組んで呟く。

 彼がこの場にいる最後の一人だった。最近共に行動することが多くなっているルカはクラスの都合で席を外していた。


「あの人がそうそう動じるとは思えんのだが」


 ロックが言葉を続ける。と、


「まあ、そうね。特にオトハさんにアピール途中で帰るなんて驚いたわ」


「あっ、その点だけは俺も思ったぞ。ゴドーさんならあのまま姐さんをお持ち帰りしちまいそうだったのにな」


 アリシアとエドワードが語る。

 そんな二人の台詞にロックとサーシャは苦笑を零した。


「流石にそれは難しいだろう。教官は相当苛立っていたからな。俺にはあのままだと流血沙汰になる未来しか見えなかったぞ」


「うん。オトハさん。限界だったみたいだし。あっ、けど……」


 そこでサーシャは頬に手を当てた。


「ゴドーさんがいなくなった影響だったのかな? オトハさん、旅行の最終日、かなり変だったよね」


 と、最後の台詞はアリシアに向けたものだった。

 アリシアは親友を一瞥した後、少し頭上を見上げて、


「う~ん、確かにそうよね。終始緊張していたかと思えば、時々もの凄く幸せそうに『にへら』って感じで笑っていたし。帰りのラッセルで一緒にお風呂に入った時なんてすっごい真顔で念入りに身体を洗い続けてたんだけど、あれって何だったのかしら? まあ、ゴドーさんがいなくなって単純に緊張感から解放されただけかもしれないけど……」


 どうにも腑に落ちない。

 オトハに何かとても上機嫌になることがあったのは間違いなさそうだが、心当たりがまるでない。普段ならば少し探りを入れればある程度は情報を引き出せるのだが、今回に限ってオトハは徹底して口を閉ざしていた。これも非常に珍しいことだったが、ともあれ何の情報もなくてはこれ以上の推測も無理だった。

 アリシアは小さく嘆息した。


「とりあえずあのおじさんのことはもういいわ。また会う時に話でも聞きましょう」


「ははっ、その時は土産話が山ほどありそうだぜ」


 エドワードが破顔する。

 短い交流ではあったが、彼にとってゴドーは人生の師のような存在になっていた。

 アリシア達は級友の未来に不安を感じつつも笑みを見せた、その時だった。


 ――カランカラン、と。

《獅子の胃袋亭》のドアが開かれる。


 アリシア達が振り向くと、そこにはルカの姿があった。肩にはいつものようにオルタナも乗せている。ルカは入店するなり店内を見渡していたが、すぐにアリシア達の姿を見つけると微笑んで駆け寄ってきた。


「お、おまたせしました」


 そう言って、彼女は丸テーブルの空いた席に座った。

 それからやる気のなさそうなウェイトレスに、アイスコーヒーを注文する。


「ルカ。もうクラスの用事は終わったの」


 アリシアが妹分にそう尋ねると、ルカは「はい」と答えて、


「ただのHRでしたし、すぐに済みました」


 と、続ける彼女の声は少し弾んでいた。


「……? どうしたのルカ? 何かいいことがあったの?」


 そう訊いたのはサーシャだ。

 そして銀の髪を揺らして小首を傾げる。

 HRが長引いても楽しくもないはずなのにどうしてここまでご機嫌なのか。

 するとルカはニコニコと笑い、


「はい! ありました!」


 言って、腰につけたポシェットの中から一枚の手紙を取りだした。

 ルカが手に持つ手紙に、全員が注目する。


「手紙か? おっ、もしかしてラブレターって奴か」


 と、興味津々にエドワードが尋ねる。

 しかし、ルカはかぶりを振った。


「違います。これは私のお師匠さまからの手紙なんです」


「ほう。それは例の鎧の師匠か」


 ロックが以前聞いた話を思い出して呟く。

 ルカが留学中、師事したという人物。自律型鎧機兵オルタナを筆頭に数々のとんでもない技術を開発した職人だ。驚くべき事にロック達とほぼ同年代の学生らしい。

 だが、それ以上に記憶に残るのがその人物の容姿だった。

 まず、身長はおよそ二セージルもあるらしく、そこそこの巨漢であるロックよりも背が高いことになる。その上、日常生活で全身鎧を纏う変人とも聞いていた。かの王国の騎士学校では全身武装した生徒が闊歩しているということだ。

 ちなみにルカ曰く素顔は美形であり、とても綺麗な女性であるそうだ。まあ、その点に関しては多少身内贔屓があるのではないかとロックは思っていたが。


 ともあれ、無駄にインパクトが強すぎる人物像だった。

 そしてルカの師匠に興味があるのはロックだけではなかった。


「へえ。どんな手紙だったの?」


 と、アリシアが尋ねる。


「こないだルカが送った近況報告の返信かしら?」


「はい。けど、それだけじゃなかったの!」


 と、ルカは言う。


「……ウム! ヨロコバシイ! キッポウダ!」


 ルカの肩に乗っていたオルタナも鋼の両翼を広げて喜びを表す。

 そして手紙を両手で『ででーん』と掲げて、ルカは満面の笑みと共に告げた。


「手紙にはこう書いてあったの! 近い内にお師匠さまがこの国にやって来るって! それも達も一緒に!」


「えっ! そうなの!」「良かったじゃない。ルカ!」「おおっ! それって噂の鎧師匠に会えるってことか!」「うむ。それは実に興味深いな」


 と、次々と騒ぎ出すアリシア達。

 ルカとオルタナも、実に嬉しそうだった。

 にわかに騒々しくなる《獅子の胃袋亭》。


 しかし、アリシア達は知らない。

 ルカの師が、一体どういう気持ちでこの手紙を綴ったのか。

 この来訪にどんな意味があるのか。

 今の彼女達には、知る由もなかった――。



       ◆



 青い空。広い海。

 ザザザッと波をかき分けて進む帆船の甲板にて、ゴドーは大海原を見つめていた。

 手すりに肘を突き、今や姿の見えなくなったグラム島に思いを寄せる。


「…………ふふ」


 そしてニンマリと笑う。

 今回の里帰り。まさに大収穫であった。

 親友達の元気な姿。彼らの愛娘達との出会い。

 自分の十二人目の妻に相応しい女性とも出会った。

 未来ある少年達との交流もとても有意義であったし、最大の目的であるシルクディス遺跡の秘宝も手に入れることに成功した。

 何よりも、最後の最後で、恐らくは自分の生涯の宿敵でなるのではないかと期待できる男の素顔を見ることも出来た。


「ふふっ、ボルドの奴があの男に執着する理由も分かるな」


 一人、そう嘯いていると、


「………ゴドーさま」


 不意に後ろから声をかけられた。

 ゴドーは双眸を狭めて後ろに振り向く。そこには黒い服で身を固めたカルロスがいた。


「カルロスか。いや――」


 一拍おいて、ゴドーは問う。


「お前は今どっちなのだ? 全社の総務総括を担う第4支部の長――《土妖星》ランドネフィアか? それともカルロスなのか?」


 その問いかけに、黒い服の青年はゆっくりと口を開いた。


「カルロスです。少なくとも私はそう思っています」


【無論、俺も健在だぞ。ゴドー】


 と、思念波を送るのはカルロスの裡に住むランドネフィアだ。


「そうか」


 ゴドーは満足げに頷く。


「どうやらお前達の『契約』は完全に成立したようだな。今の気分はどうだランド。適合者など久しぶりではないのか?」


【うむ。実に百十七年ぶりだ。悪くはない。独力で存在しているのもそろそろ辛かったところだったしな。俺もホッとしている】


「それは良かったな。異界の友よ。ならば、差し詰め今のお前達は二人合わさって『カルロス=ランドヒル』と言ったところか」


【随分と安直な名前をつけてくれる。まあ、それで構わんが】


 と、ゴドーとランドネフィアが語り合う。

 それを横目に、カルロスは不意に頭を下げた。


「申し訳ありません。ゴドーさま。ランドネフィア支部長」


 カルロスは言葉を続ける。


「お二人のご厚意によりお借りした《土妖星》を大破寸前にまで損壊させた失態。いかなる処罰も受ける所存です」


 と、生真面目に自己申告するのだが、ゴドーは「ああ、気にするな」と言ってプラプラと手を振った。


「ランドと『契約』した以上、すでに《土妖星》はお前の機体だ」


 ゴドーはポンと青年の肩に手を置いた。


「ゆえに処罰も不要だ。カルロス=ランドヒルよ。ランドネフィアに選ばれたお前こそが今日より《土妖星》なのだ。今の《九妖星》は麗しき一人を除くと、むさ苦しいおっさんや爺さんばかりだからな。お前の若さには期待しているぞ」


 さらにゴドーは言葉を続ける。


「第4支部は唯一専用の支部を持たない部署だ。各支部に総務社員が滞在し、独自のネットワークで繋がり対応している。ランドが俺の傍にいられる理由だな。今後お前はそのネットワークを管理することになるが今までの仕事と勝手が違って大変だぞ」


「鋭意努力致します」


 そう答えてカルロスは再び頭を下げる。

 そして万感の想いを込めて宣誓する。


「我が忠誠はすべて御身に。我らが――《 》さま」


「ふははははっ、そう畏まるな。いささか気恥ずかしいぞ」


 そう言って、ゴドーは――《九妖星》の主君にして《黒陽社》を統べる長は、ポンポンとカルロスの肩を叩いた。

 だが、しばらくすると申し訳なさそうに眉根を寄せて。


「しかしすまんな。俺が第2支部に行く予定はしばらくない。お前がリディアを口説く機会はなかなか与えてやれんかもしれんな」


【おい待て。ゴドーよ。それはないだろう】


 と、何気に面倒見のいいランドネフィアが、ゴドーに文句を告げる。


【カルロスがどれほどの決意を以て俺と『契約』したと思っている。本当は今すぐにでもリディアを口説きたいのだぞ。たとえ拒否されたとしても幾度でも口説く。積もり積もった長年の想いと情熱と情欲をぶつけ、今度こそリディアを口説き落とすのだ。腹の子に触らない程度なら軽い生殖行為的なこともしたいと密かに考えているのだ。お前も男ならばその気持ちを汲んでやれ】


 いきなりそんなことを語り出すランドネフィアに、カルロスが青ざめる。


「お、おい、ランド! やめろ俺の中の『悪魔』! 俺の願望を赤裸々に語るな!」


「むう……。確かにそうだな。俺もオトハが口説けなくて辛い。結局あれほどの女を前にしておきながら、あの男のせいで夜這いも出来なかったしな。う~む。ここはもう少しカルロスの気持ちを汲んでやるか」


「いや、社長も変な気遣いはおやめください。正直、リディアになんと話しかければいいのか全く考えていないのです」


「ん? そうなのか」


【なんだと? あれだけの啖呵を切っておいてまさかの無計画ノープランなのか? それは流石に情けないぞ。我が『契約者』よ】


「い、いやランドよ。そうは言っても、俺はリディアを今までずっと『妹』としてみようとしていたんだぞ。いきなり態度を切り替えるは無理があるだろう?」


 と、相棒へ言い訳しつつ、ゴドーの方も見やり、


「社長のお心遣いは有り難く存じ上げます。ですが、しばらくは気持ちを整理する時間が必要かと……」


 カルロスは気まずそうに告げる。

 すると、ゴドーとランドネフィアは深々と嘆息した。


「なんと呑気な。リディア=ヒルと言えば我が社でも五指に入る美女だと聞くぞ。ガレック亡き今、他の男が言い寄ってきたらどうする気だ?」


【ゴドーの言う通りだ。また『ネトラレ』るぞ】


「おい! 本当にやめろランド! 『悪魔』がそんな不吉な予言をするな!」


 と、青ざめた顔で叫ぶカルロス。

 ゴドーとランドネフィアは、くつくつと楽しげに笑うだけだった。


「まぁよい」


 そう言ってゴドーは再び遙かなる大海原へと目をやった。次いで懐から一つの『石』を取り出す。銀色に輝く球体のそれは、どこか神秘的な趣を放っていた。


「ゴドーさま」


 カルロスは目を細めて尋ねる。


「それがシルクディス遺跡の?」


「ああ。その通りだ。《悪竜》の遺産の一つだな」


 と答えてゴドーは陽光に『石』をかざした。


「我が長年の大望。ようやくこの手にし、本当に嬉しく思うぞ。しかし、極めて希少な秘宝ではあるが、この状態のままではどうしようもないのが無念だな。口惜しいがここはに任せるしかないだろう」


 その独白に、カルロスは表情を引き締めた。

 これからゴドーが何をするつもりなのか。それはランドネフィアより聞いていた。


「では、いよいよなのですね」


「うむ。いよいよだ」


 ゴドーはニヤリと笑う。


「会いに行こうではないか。この世界において《悪竜》以外で唯一、煉獄からの『異界渡り』を果たした姫君。そう――」


 一拍おいて、ゴドーは告げた。


「我が恋敵――《双金葬守》が心から愛したと聞く殿にな」




 第九部〈了〉

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