第282話 夜宴⑤

 アッシュとカルロスは視線を声の方に向けた。

 そこには一人の男がいた。

 遺跡の中へと潜っているはずのゴドーである。


「……ふむ」


 ゴドーは《土妖星》を一瞥した。


「随分と派手にやられたようだな。カルロス」


『……申し訳ありません。ゴドーさま』


「いや、別に責めている訳ではないぞ。むしろ《双金葬守》相手に生き残っているだけでも大したものだ」


 言って、ゴドーは破顔する。


「どうやら一皮むけたようだな。カルロス」


『……それは、私には分かりかねます』


 と、カルロスが微妙な表情を作って答えた。

 なにせ自分でも情けないと思う心境を吐露しただけなのだから。


「ふむ。その辺の話は後で聞こう。ともあれこの国での用はもう済ませた。ここらで俺達はお暇することにしよう」


 そう宣言するゴドーにカルロスは「……はっ」と応えた。

 そして百足を動かしてゴドーの前で台座を作る。ゴドーは台座に足を乗せた。


「目的の秘宝も無事入手できてホッとしたな。ああ、ところで《双金葬守》よ」


 そこで初めてゴドーはアッシュ――《朱天》に目を向けた。


「ガハルド達には後で手紙でも送るつもりだが、サーシャちゃんとアリシアちゃんには用が出来たからと先に帰るとでも言い訳しておいてくれ。ロック少年やエドワード少年にもよろしく頼むぞ」


 と、敵でありながら図々しく頼んでくる。


『……本当に手前勝手なおっさんだな』


 アッシュの双眸に剣呑な光が宿った。

 愛機である《朱天》もギシリと鋼の拳を固める。


『このまま、俺がてめえらを逃がすとでも思ってんのか?』


「ああ、逃がすだろうな」


 しかし、ゴドーはアッシュの挑発など歯牙にもかけない。


「これ以上の戦闘は流石の貴様でもキツいだろう。《土妖星》が大破寸前でも俺が別の機体を所有している可能性もあるしな。戦闘勘の良い貴様のことだ。ここは痛み分けがベストと考えているのではないか?」


『……………』


 アッシュは答えなかった。ただ小さく舌打ちする。

 ゴドーは満足げに口角を崩し、顎髭をさすった。

 が、そこで不意に表情を改めて。


「おっといかん。一つ忘れていたな。むしろこれこそが一番重要だった。《双金葬守》よ。今回はやむをえず帰るが、オトハにはくれぐれもよろしく言っておいてくれ。必ず迎えに行くとな。なにせ、あれは俺の女なのだから」


 と、一方的に告げてくる。

 その台詞に対しても、アッシュは何も答えなかった。

 それを了承と捉えたか、ゴドーは軽く鼻を鳴らして「では行くぞカルロス」と指示を出す。カルロスは「……はっ」と応え、《土妖星》を動かそうとした――が、




『……おい。ふざけんなよ、おっさん』




 その時、アッシュの口からとても小さな呟きが零れ落ちた。

 今までとは少し違う声色に、ピタリと《土妖星》が動きを止める。

 ゴドーも「む?」と興味深そうに呟き、《朱天》に乗るアッシュへと目をやった。

 アッシュは怒気を込めて言葉を続ける。


『毎回毎回、当たり前のようにオトハを自分の女って言ってんじゃねえよ』


「……ほう。貴様でも憤るのか」


 ゴドーは顎髭に手をやり、少し驚いたような声を漏らした。


「だが、オトハは貴様の女でもないのだろう? そもそもオトハを口説くのを邪魔する権利など貴様にはないはずだ」


『うるせえよ。いいか。二度とオトハに近付くな』


 そこで一瞬だけ言い淀む。

 ここから先の台詞は。理性がそう告げている。

 だがしかし、この時ばかりは理性よりも激情が勝った。




『てめえなんぞが、あいつに触れるな』




 アッシュは強い口調で言い放つ。


 ……本当に苦しくて。

 今にも狂ってしまいそうだったあの時代。

 ずっと傍にいて、生きる力と術を与えてくれたのがオトハだった。

 彼女がいなければ、今の自分は存在していない。

 そう断言できるぐらいに特別だった。



 ――。



 操縦棍を握る手が自然と固くなった。



『――……マジでふざけんなよ、おっさん』


 ギリ、と歯を強く軋ませる。


『だいたい、出会った時からずっとてめえは馴れ馴れしいんだよ。その薄汚え手でオトハに触れてんじゃねえ』


 主人の怒りを示すように《朱天》が強く竜尾を地面に叩きつけた。

 濛々と舞う砂埃。

 ゴドーの態度に苛立ちも、もはや限界だった。

 そしてアッシュは、荒々しくも明朗な声で宣言する。



『さっき権利とかほざいたな。ならいいぜ。権利を主張しろってんなら今ここではっきり言ってやるよ。てめえに奪われるぐらいなら、



「…………なに?」


 ゴドーは大きく目を剥いた。


「おい、貴様、いま何を……」


『耳が遠いのかよ、おっさん。あいつは俺がもらうって言ったんだよ。てめえは勿論、他のどんな野郎にも譲らねえ。オトハは俺の女にする。だから、あいつを奪いたかったらまず俺を殺すんだな』


 シン、とした空気が流れる。

 重い沈黙が、無残な瓦礫と化した遺跡の広場を覆った。

 それは数秒、十数秒と続くのだが……。


「ふ、ふはははははははははははっははっはははははははははははははははははっはははははははははははははっははっはははははははは―――ッ!」 


 唐突なゴドーの哄笑で打ち破られる。

 ゴドーは腹部を片手で押さえ、笑い続けた。


「いいぞ! いいぞッ! そう来たか! ふはははッ! 最後の最後でようやく見せてくれたな! 一気に貴様に興味が湧いてきたぞ!」


『……うっせえよ。おっさん』


 と、忌々しげにアッシュは吐き捨てた。

 ゴドーはくつくつと笑い、


「実に清々しい気分だ。楽しみが二つになったぞ。とは言え、いかに本気の貴様が相手であっても、オトハは必ず俺が頂いてみせるがな」


 そう言って不敵な笑みを見せる。と、


『……くくく』


 不意に《土妖星》を介してカルロスが笑った。


「ん? どうしたカルロス?」


『いえ。私も少しばかり面白かっただけです。それよりもゴドーさま。そろそろ撤退してもよろしいでしょうか?』


「うむ。そうだな」


 ゴドーは顎髭をさすり、友愛さえ宿した眼差しで《朱天》を見据えた。


「ではさらばだ。《双金葬守》。我が恋敵よ。また会える日を楽しみにしているぞ」


『俺はうんざりだ。二度と来んな。代理野郎もな』


 アッシュの返答は辛辣だった。

 が、やはりゴドーは他者の嫌悪など気にもしなかった。


「では、今度こそさらばだ!」


 ゴドーがそう宣言した途端、百足の群れが地面を削り、粉塵を巻き上げる。

《朱天》は攻撃を警戒して身構えるが、これといって何も起きない。十数秒後には粉塵も収まったが、その時には《土妖星》の姿は消えていた。

 宣言通り立ち去ったようだ。

 アッシュはしばらく荒れ果てた遺跡の中で敵の姿を幻視していたが、


「……やれやれ、だな」


 深く。とても深く嘆息した。

 次いで先程の自分が言い放った台詞を振り返る。

 あまりにも傲慢で、一方的な台詞の数々を。


 そして――。


(…………うわあ)


 アッシュは、日頃は滅多に見せない何とも情けない表情を作った。

 確かに、オトハのことは少なからず――いや、はっきり言ってしまえば、とても魅力的だと思っている。それは自問するまでもない認識だった。

 正直なところ、そんな彼女を愛しいと想っている気持ちも少しは自覚していた。

 それが友人の域を越えた感情であることもだ。

 ここ数日、オトハを守っていたのもそんな気持ちの表れでもあった。案外自分は独占欲が強いのではないかと自嘲じみた思いも抱いていたぐらいだ。


(いや、けどよ――)


 天を仰ぎつつ、アッシュの表情はますますもって情けないものになる。

 よもや自分の口から、あんな台詞が飛び出してくるとは思いもよらなかった。

 自分の欲望に対して全く悪びれもしないゴドーの態度や、あの《土妖星》を操っていた青年の言葉に多少なりとも感化されてしまったのか。それとも……。


「……………」


 アッシュは不意に表情を真剣なものにした。

 が、数秒も経たずに表情を戻し、かぶりを振って嘆息する。

 何にせよ、これは流石に売り言葉に買い言葉の次元ではない。

 苛立っていたことを差し引いても、完全にトチ狂っていたとしか言えなかった。


「……ったく。何やってんだ」


 そう呻き、額を覆うように、片手でパチンと叩いた。

 本当に自分は何を考えていたのか……。


「……なんつう、とんでもないことを口走ってんだよ。俺は……」


 オトハ本人に聞かれなかったことがせめてもの救いか。

 もしも聞かれたとしたら、不機嫌にはならないかも知れないが、きっと唐突すぎて困惑されるか、呆れ返って失笑されるだろう。そんな感じがする。

 それに、


「……悪りい。サクヤ」


 思い出の中の少女が、笑顔のまま額に青筋を立てているような気がした。


「…………はぁ」


 結構ヘコみながら、三度みたび嘆息するアッシュだった。



       ◆



 ――その頃。

 荒れ果てた遺跡の近く。森の木々の影に一機の鎧機兵がいた。

 紫紺色の鎧装を纏う機体。左手にさやに収められた『刀』と呼ばれる反りの入った剣を携える鎧機兵。

 誉れ高き《七星騎》の一機――《鬼刃》だ。

 そしてその機体に搭乗するのは当然オトハ=タチバナだった。


「どうやら決着がついたようだな」


 言って、彼女は操縦棍から手を離した。

 次いで豊かな胸を支えるように両腕を組み、小さく嘆息した。

 オトハは紫紺色の瞳をスッと閉じた。

 アッシュとは付き合いが長い。

 恐らく今夜辺りぐらいにゴドーに対して何かしらのアクションを起こすと思い、後をつけてみたが、まさに推測通りの状況だった。


 そして始まった《九妖星》との死闘。

 本来ならばオトハも加勢すべきだった。しかし一騎討ちに割り込むのは『戦士』としての礼儀に反する。そのため、オトハは森の中で戦況を見守っていたのだ。


「しかし、それにしても……」


 オトハは瞳を閉じたまま少し顔を上げて呻く。

 ――神学者・ゴドー。

 只者ではないとは思っていたが、まさか《九妖星》の一角だったとは。

 しかも最後の台詞。あの男は本気で自分のことを狙っているらしい。


「最悪だな。私に言い寄る男はあんなのばかりなのか」


 不快感を隠さずに呟く。

 が、すぐに不敵な笑みを口元に浮かべて。


「だが、これで奴を斬る大義名分が出来たな。エイシス団長には悪いが、犯罪者に容赦する気はない。私を侮るなよ」


 今度言い寄って来る時は、もはや躊躇いもしない。

 即座に斬り捨てる。オトハはそう決めた。

 その顔はとても凜々しい――のだが、そこでオトハは少しだけ瞳を開いた。

 そしてチラリと遺跡にいる《朱天》へと目をやった。

 数秒後。オトハは再び瞳を閉じた。

 そこからさらに数十秒ほど、彼女は沈黙した。

 すると、表情は凜々しいままなのだが、オトハの口元が徐々に変化し始めた。下唇を強く噛みしめ、への字を描くようになる。その上、わずかに身体が震え始めた。

 彼女の脳裏に浮かぶのは、先程アッシュが次々と言い放った台詞だ。



『うるせえよ。いいか。二度とオトハに近付くな』


『だいたい、出会った時からずっとてめえは馴れ馴れしいんだよ。その薄汚え手でオトハに触れてんじゃねえ』


『さっき権利とかほざいたな。ならいいぜ。権利を主張しろってんなら今ここではっきり言ってやるよ。てめえに奪われるぐらいなら、


『耳が遠いのかよ、おっさん。あいつは俺がもらうって言ったんだよ。てめえは勿論、他のどんな野郎にも譲らねえ。オトハは俺の女にする。だから、あいつを奪いたかったらまず俺を殺すんだな』



 …………………………………………。

 …………………………………。

 ………………………。

 ………………。


 長い。

 とても長い沈黙が続く。

 そして――。


「ふひゃあああああっ!!」


 とうとうオトハは限界を迎えた。

 いきなり立ち上がり、ゴンッと頭を愛機の天井に叩きつける。反動で再び操縦シートに座るのだが、そこで呆然とした。

 目から火花が出そうなぐらい頭が痛かったが、今はそれどころではなかった。

 恐る恐る両手で頬を押さえた。炎のように肌が熱い。

 心臓に至っては壊れてしまうのではないかと心配になるぐらい高鳴っている。


「お、俺の女……」


 火照った顔でオトハは反芻する。

 まさか、まさか、まさか!

 あの鈍感極まるアッシュが、あそこまで明確に宣言するなんて――。

 アッシュが心の奥に秘めている激情は察していた。

 状況によってはこういう展開もあり得るとは思っていた。

 しかし、それでもここまではっきりと言われるとは考えてもいなかった。


「こ、これはもしかして……」


 オトハはゴクリと喉を鳴らした。


「わ、私はいま『確定』したのか? あいつの女になることが決まったのか……? こ、こんな唐突に? 本当に?」


 宣言通りならば、いずれアッシュは自分を求めてくる。

 そして自分は彼を拒絶するつもりはない。


「~~~~~~~~~ッッ」


 胸元を両手で強く押さえてオトハは赤面した。

 胸の鼓動がさらに高鳴る。

 望んでいた未来が一気に現実へと近付いたことを肌で感じ取った。


「け、けど……」


 オトハはぐるぐると回り始めた紫紺の瞳で《朱天》を凝視する。

 その未来が来るのは一体にいつになるのか? それだけは分からなかった。

 次にあの男が現れた日なのか? それとも明日には――。


「あ、明日ッ!」


 ボッとオトハの頬がますます赤くなる。


「わ、私は明日からどんな顔をしてクラインに会えばいいんだ……?」


 当然ながら彼女の問いに答える者はいない。

 ――男勝りでも心は乙女。

 オトハの悶々とした日々はしばらく続くのであった。

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