第276話 月下問答②

 沈黙は続いていた。

 夜の遺跡にて対峙する二人の男。

 彼らは何も語らず、互いを睨み据えていた。

 そして――。


「そうだな」


 ゴドーが口を開いた。


「今宵は月も美しい。問答も一興か」


 そう独白してアッシュを見やる。


「それで何が聞きたいのだ? 白髪小僧」


 乗り気になったゴドーに、アッシュは皮肉気に口角を崩した。


「そんじゃあ遠慮なく」


 そう言って、アッシュは問い始める。


「まずはあんたが語った《悪竜》の『異界渡り』についてだ」


「……ほう。何か疑問があったのか」


「ああ。あんたはあの時、《悪竜》は『異界渡り』の異能でステラクラインに現出してきたと言っていたが――」


 一拍おいて、


「そもそも《悪竜》が元いた世界ってのは煉獄だって話なんだろう? いわゆる『死者の国』であり、死後の世界って奴だ。けどよ、あんたの理屈ならってことだよな。もしそうなら『異界渡り』ってのは……」


「………ほほう。そこに気付いたのか」


 と、アッシュの推測を待たずにしてゴドーが感嘆の声を零す。

 しかし、声にこそ感嘆は宿っているが、その態度は実にふてぶてしい。腰に片手を当てて顎髭をさすっていた。

 アッシュは両腕を組んで睨み据えた。


「やっぱそういうことかよ。要するに『異界渡り』ってのは『死者蘇生』の可能性も孕んでいるってことか」


「まあ、そういうことだ」


 ゴドーは動じることもなく答える。


「意外と知恵が回るではないか、貴様は。褒美だ。では、貴様の望み通り少しばかり講義をしてやろう」


 そう切り出して、異端の神学者は語り始めた。


「俺が考えるに『異界渡り』と『死者蘇生』は密接な関係にあるのだ。実のところ、『異界渡り』は珍しい異能ではない。何故なら人は死ねば別の世界へと渡るからだ」


 夜よりも深い瞳を持つ男は、顎髭を静かに撫で続ける。


「ステラクラインの住人ならば煉獄へ行くということだ。ゆえに『異界渡り』は誰もが持つ異能とも言えよう。だが、《悪竜》はその上を行く。あの神話の怪物は死の手順を介さずとも異界へと渡ることが出来るのだからな。想像してみるがよい。もしその能力を手に入れることが叶うのならば――」


 そこで、ゴドーは大仰に両手を広げた。

 そしてまるで世界そのものに語りかけるように言い放つのであった。



「他の世界に行くだけではない。煉獄に赴き、死んだ人間をこの世界に呼び戻すことも可能になるのだ。すなわち『死者蘇生』が自由自在となるということだ」



「…………………」


 一方、アッシュは何も語らない。

 荒唐無稽な妄言。一笑に付するような幼稚な台詞だ。

 だが、アッシュには笑えなかった。

 なにせ、アッシュ自身がケースは違えど『死者蘇生』の体現者でもあるからだ。


「ふむ、どうした? 白髪小僧?」


 ゴドーがくつくつと笑う。


「その可能性に気付いたからこそ、わざわざこんな夜中に俺に聞きに来たのだろう? 昼間にその問いかけをしなかったということは、貴様もこの能力に興味があるのだな。察するにといったところか」


「………………………」


 再び沈黙で返すアッシュ。

 忌々しいが図星すぎて言葉もないのだ。


 ――そう。思わず死者の蘇生を願うぐらいに。


 それほどまでに、アッシュの人生には死別が多かった。


 共に育った悪友達は一人残らず逝った。

 頼りになった父と、優しかった母には別れを告げることさえ出来なかった。

 いつもいつも自分の真似ばかりしていた幼い弟も、もういない。

 生まれ育った村は丸ごと炎に呑み込まれ、アッシュは一人になった。


 そうして故郷を失ってからは、これまでの人生から一変して戦いの連続だった。

 傭兵、騎士時代、心を許した戦友の死を目の当たりにした事は幾度もある。自分をかばって命を落とした仲間もいた。


 奪われていった者達の数は両手の指でも足りないぐらいだ。

 死は、常にアッシュの傍に寄り添っていた。


 そして、何よりも――。


(………サクヤ)


 アッシュは拳を強く固めた。

 『アッシュ=クライン』という存在の核。

 自分の身代わりとなって死んでしまった愛しい少女。

 ゴドーの話を聞いた時、アッシュは真っ先に彼女のことを思い浮かべたのだ。

 

 ――もしかすると彼女に再び逢えるかもしれない、と。

 もう一度、彼女を抱きしめられるかもしれない。


 そんな愚かしくも、淡い期待を抱いてしまったのである。

 だが、それを口にして語るつもりはない。


「なあ、おっさんよ」


 アッシュは問いかける。


「あんたこそ仮に『死者蘇生』を手に入れたら一体どうするつもりなんだ?」


 死んだ者を蘇らせる。

 何とも魅惑的な言葉だ。それを願う者はごまんといるだろう。

 大切な者との死別が辛くない人間などいない。もし本当に死者との再会が叶うのならば幾らでも金を積む者もいるし、すべてを投げ出す者もいるかもしれない。

 そんな麻薬のごとき魅力を持つ能力を、この破天荒であり、危険すぎる匂いを持つ男がどう利用するのかが分からなかった。

 するとゴドーは「ふむう」と顎髭に手をやり、


「俺としては別にこれといって利用するつもりもないな。俺の目的は昼間にも言った通り他の世界に行くことだ。これに偽りはない。興味があるのは『異界渡り』であり、『死者蘇生』の方はおまけ程度だな。だが、あえて使うのなら……」


 そこでアッシュを一瞥してニヤリと笑う。




「八名では締まりが悪い。ここは

 



 唐突に告げられた聞き覚えのある名前。

 アッシュは双眸をわずかに細めた。

 夜の遺跡に相応しい静謐な空気が流れる。

 そうして、


「――……まったく、最悪だな」


 しばしの沈黙の後、アッシュは小さく嘆息する。


「やっぱり、てめえはの人間だったってことか」


 続けてボリボリと頭をかいた。

 一方、ゴドーは少しばかり拍子抜けしたような様子を見せる。


「なんだ。さして驚かんのだな」


「当然だろ」


 アッシュは実に忌まわしげに言い放つ。


「オトをあそこまで警戒させる野郎だ。そんなレベルの化け物とくれば、嫌でもあの連中のことを連想するに決まってんだろ」


「ふはは、それは褒め言葉と受け取っておくぞ。《双金葬守》」


 ゴドーは陽気に笑って言った。

 対するアッシュは不機嫌そのものだ。


「好きに受け取れよ」


 と、吐き捨てゴドーを睨み据える。

 カウボーイハットを指先で動かし被り直した壮年の男は泰然としている。

 アッシュは小さく舌打ちした。

 そして一拍の間を空けて、


「戯れ言はここまでだ。そろそろ今日の本題に入るぜ。おっさん」


 薄々勘づいていた事実を正面から切り出した。


「あんたは何者なんだよ。あのクソ野郎の名前まで出した以上、今さら隠してもしゃあねえだろ。はっきりと正体を現わしたらどうだ?」

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