第七章 月下問答
第275話 月下問答①
時刻は深夜。午前二時。
月の光が降り注ぐ山道を、その男は一人歩いていた。
道の左右に並ぶ森は静寂に包まれ、虫の声も聞こえない。
夜の森。
完全な静寂。
聞こえるのは自分の足音だけ。
言葉だけならば何かが出現しそうな不気味さがあり、肝でも冷やしそうな情景だが、その男――ゴドーは臆すこともなく歩を進めていた。
「……ここまで来るのに二十五年以上もかかるとはな」
と、感慨深い声でゴドーが呟く。
それは独白だった。
いつも傍らにいたランドの姿もない。ゴドーは珍しく一人だった。
それからおもむろに足を止めて夜空を見上げる。
星々を隠す雲こそあるが、今夜は月が随分と明るい。ランタンなど持たずとも、森の道を歩けるぐらいにだ。
次いで、今度は自分が進む前方へと目をやった。
真っ直ぐに続く道の先にはまだ遠目ではあるがシルクディス遺跡の影が見える。
この一本道が聖なる神殿へと続く祝福の道のようにも思われる光景だ。
「ふふっ、シルクディスよ。ようやく俺を迎入れてくれるのか」
そんな感傷を抱いてしまう。
それほどまでにここまでの道程は長かった。
若き日にこの遺跡を知り、『鍵』について調査をした。
四大陸すべてに訪れ、潜った遺跡は数知れない。読み違えて何の関係もない外れの遺跡に潜ってしまったことなど日常茶飯事だ。
命がけの探索で何の成果も上げれなかった時は流石に堪えたものだった。
だが、なお諦めることなく調査を続け、ようやく『鍵』を手に入れたのである。
「すまないな。エドワード少年。ロック少年」
ゴドーは親しくなった少年達に小さな声で侘びる。
「君達に見せてやりたいのはやまやまなのだが、流石にあの先にある『モノ』は公にはしたくないのでな」
言って、胸ポケットから銀色の『鍵』を取り出した。
昼間、大扉の鍵穴に入れて不発に終わった『鍵』。
だが、あれはフェイクだ。差し込んだ瞬間に確信した。
――この『鍵』は本物である、と。
だからこそ、ゴドーはあの場ではそれとなく誤魔化したのだった。
観光客がまだ大勢いる前であのまま扉を開いては秘匿にすることは不可能だ。
偽物ならば仕方が無し。しかし本物ならば芝居をうつ。
ゴドーは最初からそう決めていた。
そして今宵、この旅の目的をひっそりと果たすため、誰もいないこの時間に行動しているのである。
「……さて。俺の推測通りの『モノ』が出てきてくれると有り難いのだが」
ゴドーは再び歩き出した。
そうして月夜の山道を進み、ややあって目的の遺跡の広場にまで辿り着く。
「……ほう」
ゴドーが小さな声を零した。
月夜に照らされた遺跡は、昼間とは随分と違う趣がある。
閉店した露天商の屋台が少しばかり景観を損ねているが、それ以外は神秘性に包まれている。これこそがこの遺跡の本来の姿なのだろう。
この光景を前にすると、昼間の賑やかさは無粋なようにも思えた。
「ふむ。これはなかなかのものだな」
言って、広場へと踏み込む。
周囲に木々もないこの広場は森の中以上に明るい。
壮大な神殿を一瞥した後、ゴドーは散策でもするような軽快な足取りで進んだ。
コツコツと石畳に足音が響く。
その音も心地よくゴドーは嬉しそうに破顔した。
「まったくもって残念だ。これほどの景色ならばオトハも連れてくればよかった」
広場に通るほどの大きな声でそう語る。
ゴドーはさらに十数歩進み、数本目の支柱を越えたところで足を止めた。
そして近くの支柱の一つに目をやり告げた。
「きっと喜んでくれたに違いない。貴様もそう思うだろう?」
「う~ん、そいつはどうかな」
支柱が答える。
「確かにオトも雄大な景色とかには感動もするが、こんな夜中、ましてや相手があんたじゃあ絶対ついていかないと思うぜ」
「そこにはいかようにも手段があるだろう。例えば睡眠薬でぐっすり眠らせてからここまで連れてきて起こすのだ。サプライズという奴だな」
と、ゴドーは腰に両手を当てて堂々と告げる。
「いやあのな。おっさん」
支柱――の影で背中を預けていた青年は姿を現し、呆れたように答えた。
「それを世間一般じゃあ拉致って言うんだよ。最悪だな」
「ふん。時には強引な手も戦術の一つだ。頭の固い貴様には分からんだろうがな」
「流石に分かりたくねえよ。それは」
言って、青年――アッシュはおもむろに歩き出し、ゴドーの十数歩前に立った。
対するゴドーは不機嫌顔だ。
「それでこんな時間に俺に何か用か? 白髪小僧」
と、興味もなさそうに尋ねるゴドーをアッシュは一瞥した。
次いでほんの一瞬だけ瞳を閉じてから、
「ああ、あんたに聞きたいことがあってな」
「聞きたいことだと? 一体何の話だ?」
ゴドーは眉根を寄せた。
するとアッシュはふっと笑い、
「まあ、確認したいことは色々とあるんだが、まずはあんたが昼間この遺跡で語った話についてだな。あんたの話には一つ気がかりな点があったんだよ。俺は頭こそ悪いが、そこそこ勉強熱心なんでな」
そこで肩を竦めてアッシュは告げた。
「だから、ちょいとばかりご教授願いたいのさ。ゴドーのおっさん」
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