第277話 月下問答③
「……ふむ。正体か」
ゴドーは顎髭に手をやった。
「俺はガハルドとアランの友であり、神学者だ。これにも偽りはない。十一人――いや、新たにオトハも加えて十二人の妻がいることもな」
「おい。勝手にオトを嫁に加えてんじゃねえよ。おっさん」
アッシュは頭をかきつつ舌打ちした。
「オトの件はともかく、そこら辺の話は疑ってねえよ。ガハルドのおっさんにも裏は取れてるからな。神学者や嫁がアホほどいる点も嘘をついても仕方がねえ。馬鹿馬鹿しく聞こえるがマジなんだろな」
アッシュはゴドーに鋭い眼差しを向けた。
「だが、俺が知りてえのは、てめえがほとんど語らなかった副業の方だ。てめえが《黒陽社》の人間だって事はもうしゃべったんだ。後はとっとと名乗れ」
「う~む。名乗れと言われてもな」
ゴドーは眉をひそめる。次いで大仰に肩を竦めた。
「俺の本業はあくまで神学者の方だ。根無し草ゆえに名刺の類も持っていない。それは副業に関してもだ」
「誰も名刺を寄越せとは言ってねえよ。本当に話が通じねえおっさんだな」
と、アッシュが苛立った様子でツッコんだ。
すると、ゴドーは困ったように頬をポリポリとかき、
「いや、そうは言ってもな」
さも当然のように、淡々とした声で告げた。
「正直、サーシャちゃんとアリシアちゃんのことを除けば、俺は貴様に全くと言っていいほど興味が抱けんのだ。今のところ、貴様の印象は俺のオトハにまとわりつく羽虫程度のものだ。オトハを落としてしまえばすぐにでも忘れると思うぞ。まあ、はっきり言えば貴様に名乗るのは、とても馬鹿馬鹿しいと感じている」
それは、まともに名乗る価値がないという宣言であった。
その言い草に、アッシュも流石に青筋を額に立てる。
「……言ってくれるじゃねえか、おっさんよ」
ドスの利いた低い声でそう吐き捨てる。
さらにゴドーを突き刺すような眼差しで睨み付けて言葉を続けた。
「犯罪組織の大幹部さまは随分とお偉いんだな。気位も高いってことかよ」
「いや、そうではない。目くじらを立てるな。《双金葬守》」
すると、ゴドーは少し困ったような表情を見せた。
「本来ならばここまで卑下にはせん。なにせあのガレックを殺した男だ。貴様の名は記憶にも焼き付いている。だが、いざ実際に会ってみるとな」
そこで小さく嘆息する。
「実力は人外。頭も切れる。《七星》の一角を担うに相応しい力量だ。その上、俺と同じ素養もあるのは間違いないだろう。だというのに、どうにも貴様に興味が湧かん。貴様の本当の顔が一向に見えてこんのだ」
「……何だよそれは」
アッシュは訝しげに柳眉をひそめた。
それに対し、ゴドーは顔つきを真剣なものに改めてアッシュを見据える。
「俺の直感で語るぞ。貴様は誰に対しても本当の顔を隠しているのではないか? その人外の実力に見合うだけの強欲で傲慢な魂の炎を胸に宿しながら、その炎に他者を巻き込んでしまうことを恐れ、無理やり抑え込んでいる印象だ」
「……………」
アッシュは表情を消して黙り込んだ。
ゴドーはふっと口角を崩して語り続ける。
「そういう意味ではボルドが貴様に執着する理由も分かる。あいつは見てくれや態度からは想像もできんがまごう事なき戦闘狂だ。恐らく貴様の魂の炎を自分との戦いにて引き出したいと考えているのだろう。だが、俺は――」
はあ、と溜息をつく。
「奴ほどの戦闘狂でもないのでな。男相手にそこまで構うのは正直面倒くさいのだ。だから積極的に貴様の相手もしたくないと考えている」
そう宣言してゴドーは気まずげそうに顎髭を撫でた。
「……ああ、そうかよ」
対するアッシュは無表情のままだ。
ただ、拳をゴキンと鳴らして――。
「なら別に名乗らなくてもいいさ。てめえが《黒陽社》の社員であることさえ分かれば充分だ。ここで塵になりな」
スッと大腿部に装着しているハンマーに――愛機の召喚器に触れようとする。
「まあ待て。《双金葬守》」アッシュの殺意にゴドーは苦笑を浮かべた。「確かに俺は相手をするのが面倒くさいとは思っているが、そうではない人間もいるのだ」
「………なに?」
アッシュは手をピタリと止めた。
ゴドーはそれを見やり、視線を広場の先、森の奥へと向けた。
「そろそろ出てきてもいいぞ。お前達」
と、話しかける。
アッシュも警戒しつつ森の奥の方へと目をやった。
すると森の奥からゴドーの愛犬・ランドと、見知らぬ青年が現れた。年の頃はアッシュより少し上ぐらいか。黒服を着ているので彼も《黒陽社》の社員なのだろう。
新たに増えた敵にアッシュがさらに面持ちを鋭くする。
そんな緊迫した空気の中、コツコツと足音を鳴らして近付いてくる黒服の青年と黒犬。青年の顔はとても真剣なものだった。
そして青年と黒犬はゴドーとアッシュの十セージルほど手前で足を止めた。
ゴドーは顎髭をさすりながら黒服の青年に問う。
「ふむ。覚悟は決めたか。カルロス」
「……はい」
黒服の青年――カルロス=ヒルは答えた。
「すでに迷いはありません。たとえここで燃え尽きようとも本望です」
「良い返事だ。やはり魂の炎を剥き出しにする者は違うな」
そう言って、ゴドーは皮肉めいた眼差しでアッシュを一瞥する。まるでお前も見習えと言わんばかりの視線だった。
アッシュは不快感を露わにして眉間にしわを刻んだ。
が、今はそんな苛立ちも後回しだった。
「おい、おっさんよ」
アッシュは、黒犬を従えて静かに佇むカルロスを睨みつけた。
「そいつは一体誰なんだよ」
率直に問い質す。するとゴドーは肩を竦めて――。
「ああ、すまんな。白髪小僧。貴様は初対面だったか。こいつは《黒陽社》の社員だ。名はカルロス=ヒルと言う。そして……」
と、そこでもったいぶるように溜めを入れてニヤリと笑い、ゴドーは告げた。
「聞いて驚くがよい。なんとあのガレックの義兄に当たる男だ」
「…………………は?」
流石にアッシュの目が丸くなった。
あまりにも予想外であった紹介に呆気に取られる。
むしろ、その場で一番感情的になったのはカルロスだった。
「ゴドーさま。お戯れはおやめください。あの男は私の義弟ではありません」
「ん? ああ、そうだったな。すまんすまん。それでカルロスよ。お前の『契約』内容はどんなものにした?」
と尋ねるゴドーに、カルロスは表情をより真剣なものに変えて答える。
「――力の強化を」
一拍おいて。
「異能はいりません。人間を超える姿もです。私が欲するのは人としての純粋な肉体の力のみ。反射速度。思考速度の強化を望みます」
「ほう。シンプルでいいな。なかなか良い選択だぞ。ランドの話では人間から逸脱しすぎた能力を望んだため、自滅した者が大勢いたそうだからな」
ゴドーは満足げに頷く。
そしてカルロスの隣にて腰を下ろすランドを見やり、
「――やれ。ランドネフィア」
そう命じた。
すると、ランドはゆっくりと首を上げて。
――ウオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォン!
初めて遠吠えを上げた。
しばし遺跡の広場と周囲の森に遠吠えが響き渡る。と、
「――な、なに!」
アッシュは目を剥いた。
突如、黒犬の姿が崩れ始めたのだ。存在がひも解かれていくように細い糸となり、それらはカルロスの首筋へと突き刺さった。
「ぐうううッ!」
カルロスが双眸を見開き、片膝をついた。
全身が震え始め、額からは玉のような汗が浮かぶ。その間も黒い糸となったランドはカルロスの体内へと侵入していった。
見たこともない現象に、一流の戦士であるアッシュでも固まってしまった。
そうして十数秒後、
「……け、『契約』は完了しました」
苦しそうに呻きながらも、カルロスがゴドーに報告する。
髪の色同様に茶色に近かったはずのカルロスの両眼は真紅へと変貌し、首筋から頬にかけては樹の根のような黒い紋様が刻まれていた。
「……そうか」
そう答えてゴドーはおもむろに懐から短剣を取り出した。
美しい装飾が施された儀礼剣だ。
「苦しいと思うが、耐えろカルロス。仮にどれほど適性が低くともしばらくは正気でいられるはずだ。《土妖星》は貸してやる。意地を見せてみろ」
「………御、意」
片膝をつき、カルロスはゴドーから恭しく儀礼剣を受け取った。
その様子にギリと歯を鳴らしたのはアッシュだ。
先程の現象が何なのかは分からない。しかし一つだけ察した。
ゴドーは今、自分の愛機を別の操手に託したのだ。
口に出した機体名は《土妖星》。
名前からして《九妖星》の一機であることには間違いない。
だが、その機体を別の人間に託したということは、すなわち代理戦――本来の操手であるゴドー自身は本気でアッシュの相手をするつもりはないということだった。
「とことん舐めてくれるな。おっさんよ」
「別に舐めているつもりはないぞ。《双金葬守》」
ゴドーは再び視線をアッシュに向けた。
「ただ俺にはこれからやらねばならんことがあるのだ。なにせ、この遺跡の奥には二十数年も想いを寄せた秘宝が待っているのだからな。それに加え、カルロスの気持ちを汲むとどうしてもこの結果になっただけだ」
「……ああン? てめえがあの部屋の奥に用があんのは予測してたが、そいつの気持ちってのは何だ?」
と、荒い言葉でアッシュが尋ねると、ゴドーは「う~む」と唸り、
「それは本人にでも聞いてくれ。答えるかはカルロス次第だがな。それよりも貴様も早く愛機を出した方がいいぞ」
言って、カルロスの方へと親指を向けた。
顔色が少し落ち着いてきたカルロスは、早速儀礼剣を抜き放っていた。
アッシュは舌打ちする。ここで出遅れては最悪だ。
すぐさまハンマーに手を触れ、
「――来い! 《朱天》!」
「――いでよ! 《土妖星》!」
丁度同時にそれぞれの鎧機兵の名を喚んだ。
そうして光が疾走し、転移陣の紋様を描いた。夜の闇を照らす転移陣からは二機の鎧機兵が姿を現わした。
一機は言わずと知れた最強の《七星騎》――《朱天》。
漆黒を基調に金色の縁取りで装飾した鎧装と、甲殻獣の背に似た手甲。獅子のたてがみに揺れる白い鋼髪が印象的な機体。アギトには鋭い牙が並んでおり、額から二本。後頭部からもう二本。合計四本の真紅の角を生えている異形の鎧機兵だ。
そしてもう一機は――《土妖星》。
その機体は《朱天》以上に異形だった。
まずは上半身。全身を覆う装甲の色は微かに光を放つ黒。まるで夜空の星のように白い点が無数に描かれている。三眼の頭部を持ち、両腕の関節が一つ多く、異様に長い。それを支えるためか特に肩周りの装甲が厚かった。全体的なシルエットは球体に近く一般的な鎧機兵よりも二回りほど大きい――が、ここまではまだ人型だ。
問題は下半身である。制作者に譲れないコンセプトでもあるのか、《九妖星》の機体は半身半獣の形態が多いのだが、どうやら《土妖星》も例外ではないようだ。
(……いや、正確に言えば例外なのかもしんねえな)
アッシュは《土妖星》を鋭い眼差しで一瞥した。
初めて見る《土妖星》の下半身は、おぞましいことに数え切れないほどの黒い百足で構成されていた。一体一体が百二十セージルの長さにも至る巨蟲だ。
百足はある程度の群体でまとまっているため、遠目から見るとまるで大蛸の足のようにも錯覚しそうな姿だった。半人半獣改め、半人半蟲の鎧機兵と言ったところか。
あれが一斉に動き出すとしたら正直ゾッとする光景だった。
いずれにせよ、アッシュとカルロスはそれぞれの愛機に乗り込んだ。
その間、ゴドーは、
「では、後は若い者同士で語り合ってくれ」
二人にそう告げて歩き出し、一人遺跡の奥へと姿を消した。
アッシュは「くそ!」と舌打ちするが、ここで後を追う訳にはいかない。
なにせ、いかに操手が代理とはいえ、《九妖星》の一機が目の前にいるのだ。
さらに言えば、本来の操手であるゴドーが愛機を託した男である。並みの腕ではないのは容易に想像できる。一瞬の隙も見せることが出来ない状況だった。
(……くそ。やっぱこいつを先に倒すしかねえか)
ままならない状況に、アッシュは内心で呻いた。
かくしてゴドーに翻弄されつつも。
《朱天》と《九妖星》の一角――《土妖星》は対峙した。
『――行くぞ《双金葬守》!』
無数の百足を蠢かし、《土妖星》が覇気を放つと、
『チイィ! 代理野郎が! かかってきな!』
ドゴンッと拳を胸部装甲の前で打ち付けて《朱天》が身構える。
誰もいない深夜の遺跡。
怪物級の鎧機兵同士の戦いの幕が切って落とされた。
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