幕間一 父と娘3
第265話 父と娘3
「旅行に、行きたいん、です」
それはいつもの夕食時のことだった。
王城ラスセーヌの最上階にある王族専用食堂での会話だ。
その場にいるのはアティス王・アロスとサリア王妃。そしてルカの三人だけ。
食事も終えてメイド達が食器を下げた後、ルカがそう切り出してきたのである。
「ふむ。旅行か」
「は、はい。友達と今度の連休、五日間、です」
そう答えるルカをアロスは優しい眼差しで見つめつつ、豊かな髭を右手でさすった。
ルカはさらに指を折りながら言葉を続ける。
「サーシャお姉ちゃんと、アリシアお姉ちゃん。それとハルトさんとオニキスさん。タチバナ教官と、最近お友達になったユーリィちゃん」
「ほう。若き英雄殿達の名もあるな。親しくしてもらっていて何よりだ」
「うん。後ね、ガハルドおじさんのお友達のゴドーさん。そして――」
そこでルカは、はにかんでその名を告げた。
「仮面さんも一緒なの」
「ふむ。仮面さんか……仮面さん?」
最後の人物に対してだけアロスは首を傾げた。
だが、すぐにあだ名なのだろうと思い直したのか本題に入った。
「それにしても旅行か。そう言えば城下では連休が近付いていたのだな」
言って、ルカを見つめる。
「ルカも旅行に誘われたということか。うむ。構わぬぞ。楽しんでくるがよい」
「ほ、ホント! お父さん!」
あまりにもあっさり許可を出した父に、逆にルカの方が驚いた。
すると、アロスは苦笑じみた笑みを見せて。
「サーシャ嬢達の折角のお誘いだ。無下にはできぬだろう。ただ、本来ならば護衛の騎士を出したいところではあるが、それも学生達の旅行には無粋だな。護衛は《業蛇》討伐の英雄殿達にお任せすることにしよう。サリアよ。お主からは何かあるか?」
不意に話を振られても、サリア王妃は動じることはなかった。
メイドに出してもらった食後の紅茶を一口だけ飲み、
「いえ。名前を聞いている限り問題ないメンバーみたいだし、神経質にならなくても大丈夫だと思うわ。ルカ、楽しんでらっしゃい」
愛娘に慈愛の眼差しを向けてそう告げる。
ルカはパアッと表情を輝かせた。
「ありがとう! お父さん! お母さん!」
そして勢いよく立ち上がり、
「じゃ、じゃあ、私、旅行の用意、して来ます!」
そう言って、ルカはご機嫌な様子で食堂を退出していった。
後に残されたのはアティス夫妻だけだ。
アロスはしばしとても優しい眼差しでルカが立ち去ったドアを見つめていたが、不意にぶわっと汗をかき始めた。まるで食中毒にでもなったような反応だ。
しかし、妻であるサリアはこれにも動揺しない。
ただ、ちらりとドアを見やり、
「もう大丈夫だと思うわ。ルカは完全に行ったみたい」
と告げた。するとアロスはガタンと椅子を倒して立ち上がる。
そして驚くべき事をした。
いきなり自分の豊かな髭をむんずと掴むなり、引きちぎったのだ。
そうして現れたのは髭のないアロス。実年齢は五十一なのだが、四十代前半でも通じそうな若々しい顔立ちだ。髭がないだけで印象が大きく変わっている。
アロスは色々な意味で臣下には見せたこともない顔を向けて。
「サ、サササ、サリアちゃ――ん! これは一体どういうことなんだ!」
「うわ。久しぶりに聞いた。アロスの『ちゃん』付け」
サリアが淡々とツッコむが、アロスはそれどころではない。
「『仮面さん』って誰なんだ!? 何だったんださっきのルカの表情は!? あの子のあんなはにかんだ笑顔は初めて見たぞ!?」
総勢八名もの名前が挙がったが、中でも特に気になったのは最後の人物だ。その人物の名を告げた時のルカの表情は、まるで少女だった頃のサリアのようで――。
「けど、あっさり許可出したじゃない」
と、比較対象の当人であるサリアが呆れたように告げる。
「仕方がないだろ! 私も威厳を保たないといけないし、何より下手にダメなんて言ったらルカに嫌われるかもしれないじゃないか!」
アロスは隠そうともせず本音を語った。
「私はルカに嫌われたくないんだ! いつまでも『お父さん、大好き』と言ってもらいたいんだ! 出来ることならずっと頭をナデナデしていたいんだ――ッ!」
「おい。嫁でさえドン引きするような絶叫をするな。あたしの旦那」
と、紅茶を一気に飲み干してサリアは告げる。
それから口元に微苦笑を浮かべて。
「まったく。相変わらずなのね。アロスは。けど、そんな露骨な愛情だと逆に嫌われてしまうわよ。特にお父さんは」
「分かっているよ! だからルカの前では普段から『王さまモード』で話しているんだよ! サリアちゃんだって知ってるだろ!」
「そりゃあ知っているけど、最近のアロスってあたしに対して以外じゃまるで素を出さないじゃない。家族なんだからある程度は本心を出しなさいよ。あの子、あなたが付け髭だって事も知らないのよ」
と、サリアが皮肉めいた口調で告げる。「うむむ」とアロスが唸った。
アロスの髭は若く見えすぎて威厳が乏しい顔立ちを誤魔化すためのものだった。
最初は本物の髭を伸ばそうとしていたのだが、体質なのか一向に伸びず、結局こんなアイテムに頼ることになったのだ。
この事実は意外と誰も知らず、知っているのは妻であるサリアだけだった。
王さまは王さまで色々と苦労しているのである。
「分かっているよ。けど、ううゥ、本心か……」
と、アロスが両手をテーブルについて肩を落とす。
そしてグッと拳を固めて、
「ま、まずは仮面って奴に軍を派遣して……」
「おい待て。何だその本心は。落ち着け。あたしの亭主」
サリアは椅子から立ち上がるとアロスに近付き、ポカンと頭を殴りつけた。
「本気で落ち着きなさいよ。あなたはルカに恋人が出来るたびに軍を送るの?」
「それも辞さない……」
「とんでもないことを真顔で言うな。だから落ち着け」
サリアは再びアロスの頭を殴りつけた。
「だ、だけどさ!」
アロスは頭を片手で抑えて妻の顔を見やる。
「やっと外国からルカが帰って来たんだ。次期国王ってことで留学を渋々認めたけど、今度生まれてくる子が男の子ならもうルカを手放すような必要もないんだ! やっとあの子の頭をずっとナデナデ出来ると思っていたのに――仮面さんって何だよ!」
一拍おいて。
「仮面さんって何だよッ!!」
「いや、なんで二回も言ったの?」
が、愛するサリアのツッコミもアロスの耳には届かなかった。
ただ、ググッと両の拳を強く固めて。
「ちくしょう、ちくしょう……」
ギシギシと歯を軋ませる。
「誰なんだよ、仮面さんって!? ちくしょうおおおおおお――ッ!」
かくして王城にて王の絶叫が響く。
まあ、その声に愛娘であるルカが気付くことはなかったが。
ルカ=アティス。
彼女もまた、悩める父を持つ少女であった。
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