第264話 その男、浪漫を語る④

 場所は変わり、クライン工房の作業場。

 時刻は五時半過ぎ。高かった日もわずかに沈み始める頃合いにて……。


「――ふむ。そろそろよい時間帯だな」


 パイプ椅子からおもむろに立ち上がり、ゴドーがそう呟いた。

 愛犬・ランドがピクリと耳を動かして顔を上げる。

 ゴドーは愛犬の方へと目をやり、


「さて。ランドよ。俺達はここらでお暇することにしようか」


 そう伝える。

 作業場を包んでいた談笑の声が一瞬止まった。


「え? もう帰るんっすか? ゴドーさん」


 ここ十数分ですっかりゴドーに気を許したエドワードが声をかける。

 ゴドーはとても残念そうにあごに手をやり、


「うむ。すまんな。もっと浪漫について語りたいのは山々なのだが、俺はこれからガハルド達の説得をせねばならんのだ。だからエドワード少年。ロック少年よ」


 そこでカウボーイハットを指で押し上げ、自称神学者は不敵な笑みを見せた。


「これより続きは旅先で語ろう。楽しみにしておくがよい」


「うっす!」「はい。よろしくお願いします」


 と、立ち上がって頭を下げるエドワードとロック。

 そんな弟分達に、アッシュは微妙な表情を見せつつも、


「まあ、こいつらにあんま変なことは教えないでくれよ」


 言って、見送るために立ち上がった。

 それに合わせてランドと遊んでいるルカを除き、全員が立ち上がる。

 サーシャとアリシアは「それじゃあゴドーさん、説得の方、よろしくお願いします」とかなり真剣に頭を下げた。ゴドーは相好を崩して「ああ、分かっている」と応えて歩き出すが、ふと振り返って、


「ああ、そうだ。帰る前にオトハさんに伝えたいことがあるのだ」


「……? 私にか?」


 オトハが訝しげに眉をひそめる。

 今日、彼女はゴドーとはほとんど会話をしていない。そんな自分に一体何の用だろうかと考えていると、ゴドーはツカツカとオトハに近付き、


「正直、驚いたぞ。まさかこの懐かしき地で君のような素晴らしい女性と出会うとはな。俺は運命さえも感じたぞ」


 そう言って、熱い眼差しでオトハを見つめた。

 嫌な予感がヒシヒシとして、オトハは表情を固くした。


「……何が言いたいんだ」


「うむ。では、単刀直入に言うぞ」


 オトハの両手をガシッと握り、ゴドーは宣言する。


「オトハさん――いやオトハよ。どうか俺の第十二夫人になってくれないか?」


「………………………は?」


 あまりにも色々すっ飛ばした言葉に、オトハは唖然とした。

 それは他のメンバーも同様で否応なしに工房内が静寂に包まれる。

 一体何を考えているのか、この男は……。

 思わずオトハが頬を引きつらせている。と、


「――じゅ、十二!? すでに十一人も妻がいるのか!? 何ですかその人数は!?」


「スゲえ! ゴドーさんスゲえぇ!」


 真っ先に騒ぎ出したのは、ロックとエドワードだった。

 食いつくポイントがズレているのは愛嬌か。


「俺はぜひとも君に女豹のポーズを取って欲しいのだ!」


 ゴドーは情熱を込めて、そんなことを言い放った。

 少年達は「「おおッ!」」と興奮の声を上げるが、この場にいる女性陣はこの上なく冷たい目でゴドーを見据えていた。ルカまで表情が消えている。

 が、その中でも最も冷酷な目をするのは当然オトハだった。

 まさかのプロポーズは想定していなかったが、不快なことには変わらない。

 自分の手を握りしめるゴドーの手を一瞥し、


「この手を離せ。私にそんな気はない。これ以上は私への侮辱――」


 が、オトハの拒絶に構わず、ゴドーは明瞭な声で告げる。


「ああ、そうだ。一つ教えておこう」


「……なに?」


 一瞬、眉根を寄せるオトハ。

 すると、ゴドーはニヤリと笑って言葉を続けた。





「――俺はこれまで欲しいと思ったモノを逃したことはない」





 シン、と静まる空気。

 その声は決して大きくはなかったが、工房内にとてもよく響いた。


「だからオトハよ。お前も必ず手に入れてみせるぞ」

 

 ゴドーは自信ありげにそう宣言すると、オトハから手を離した。

 だが、傍から離れる訳ではない。「やはりお前は美しいな」と口角を崩し、今度は眼帯スカーフで覆われていない彼女の頬に触れようとする。

 流石にオトハも表情を険しくした――その時だった。


「――な、なに!?」


 思わずギョッとしてしまった。

 ゴドーに敵意と警戒心を向けた隙を突くように、いきなり背後から肩を掴まれて引き寄せられたのだ。


「――――――っ!」


 何事かと息を呑むが、こうなっては抵抗のしようもない。

 オトハは何も出来ないまま後ろに引っ張られ、そして強く抱き止められた。

 さらに続けて両肩には右腕。腹部には左腕。彼女の右手首も後ろにいる人物の左手でがっしりと掴まれる。簡潔に言えば、後ろから羽交い締めにされた状態である。

 身じろぎさえも難しい状況。かなり危険な事態だ。

 しかし、この唐突すぎる事態に対し、オトハの胸中に訪れたのは拒絶感や危機感ではなかった。それとは対極の――とても深い安堵感だった。

 その理由は分かる。自分の手を掴む腕に見覚えがあったからだ。

 オトハは小さく舌打ちしてから文句の一つでも言おうとする――が、その前に少女達の困惑と驚愕が入り交じった声が響いた。


「せ、先生!?」「アッシュさん!?」「……え?」「……ア、アッシュ?」


 次々と声に出されるのは、想像通りの名前。

 オトハは仏頂面で、自分を拘束する人物の名を呼んだ。


「……おい、クライン」


 返答はない。だが返事はなくとも確信している。

 オトハを背後から拘束したのは間違いなくアッシュだ。

 そもそも顔を確認したり、自分を掴む腕から推測したりする必要もなかった。

 たとえ不意打ちであっても自分を即座に拘束できる人間など限られているのだ。それがこの場で出来るのはアッシュだけだった。


「いきなり何をする。私を離せ。クライン」


 オトハは安堵感を振り払い、『戦士』としての怒りをぶつけた。

 背後から拘束されるなど恥さらしもいいところだ。

 アッシュに対しても、自分自身に対しても強い怒りを感じる。


「………ダメだ」


 だが、それに対するアッシュの声は無体なものだった。


「だから一体何のつもりだ――」


 オトハはさらに声を荒らげようとしたが、


「少し聞けよ。オト」


 そう切り出して、アッシュは彼女の耳元でぼそぼそと何かを呟き始めた。オトハはしばし耳を傾けた後、「……しかしだな」と呟いてかなり渋い顔を見せたが、ややあって小さく嘆息すると、それ以降は抵抗する素振りをやめた。

 そうして大人しくなったオトハをアッシュは一瞥してから、



「――おい、おっさんよ」



 これまで一度もしたことのない無情の顔でゴドーを見据えて告げる。


「タチの悪い冗談はそこまでにしておきな」


 それは、冷淡なほどにとても静かな声だった。

 いきなりの緊迫した空気に少年少女達は息を呑んで黙り込み、オトハはアッシュに身を委ねつつもムッとした表情でゴドーを睨み付けていた。

 すると、ゴドーは、


「ふむ。冗談も何も俺は本気だぞ」


 と、悪ぶれる節もなく言ってのける。

 アッシュは「……おいおい」と小さく呻いた。


「余計タチが悪いな。口説くにしても手順や段階があるもんだろ。強引すぎっぞ」


「そうか? やり方は人それぞれだろう。それに――」


 そこで、ゴドーはまじまじとオトハとアッシュを凝視する。

 そして口元に片手をやり、くつくつと笑う。


「今の貴様の方がよっぽど強引に見えるのだが?」


「……うっせえよ」


 アッシュは不機嫌そうに渋面を浮かべた。

 それに対してゴドーは双眸を細めて破顔する。


「いや、貴様の行動力を否定している訳ではないぞ。むしろ少し感心したぐらいだ。やはり群れを統べる獅子とはそうでなければな。ふふっ、何だ。その気になれば出来るではないか。一つ合格だぞ白髪小僧」


「……はあ? 合格って何の話だよ?」


 アッシュは片眉を動かしてゴドーを睨みつける。


「本当に意味が分からんことばかりほざくおっさんだよな。少しぐらいは分かるように会話しろよ」


 続けてそう言い放つと、ゴドーはカウボーイハットを被り直してニカッと笑った。


「なに。貴様には見込みがあるということだ。俺と同じ高みに来れるかもしれん」


「だから、それは何の話だって訊いてんだよ」


 というアッシュの質問には答えず、ゴドーは「うむ。では、俺はガハルド達の所に行くとするか。アリシアちゃん達について説得をせねばならんからな」と呟くなり、背を向けて工房の外へと歩き出した。ランドも立ち上がってその後に続く。


「ああ、そうだ。今回の旅費は全額俺がもとう。主催者だしな。それと旅用の馬車も俺の方で用意しておこうではないか」


 最後にそれだけを告げたゴドーは、もう立ち止まる様子もなかった。

 アッシュは無言でその後ろ姿を見据えていたが、


(……こいつはしくったか)


 内心で渋面を浮かべて呻く。

 まさか、こうも早々と不安が的中するとは思いもよらなかった。

 あの男の道化のような態度に完全に騙されてしまったか。

 いずれにせよ――。


(ったくよ。今回も狸親父の相手をしなきゃなんねえのかよ)


 これはもう自分の運命なのだろうか……?

 旅に出る前からすでに疲れ始めるアッシュであった。

 



 ちなみに。

 この時、オトハは未だ抱きしめられたままであった。

 背後から拘束されてしばしの間は不機嫌そうだったが、流石に今の自分の状況を自覚してきたのか、今は真っ赤な顔で深く俯き、声さえ出せない状態なっていた。


 そしてその光景は色々な波紋を呼んだ。


「おお……」「師匠、大胆っすね」


 と、ロックとエドワードは素直に感嘆した。

 が、対照的にサーシャとアリシアはショッキングな光景に涙目になっていた。ユーリィは再びふて腐れてアッシュの足をズバンッと蹴りつけた後、二階に上がった。


 そしてルカは――。


「…………」


「えっと、ルカ嬢ちゃん?」


 アッシュがオトハを離した後、アッシュのつなぎの裾を掴んで、ジィとアッシュの顔を見つめていた。彼女の水色の瞳に嫉妬の色はない。

 彼女は時折くるりとその場で回転して、アッシュに背中を見せていた。

「……ウム! カレイナ、ターンダ! ルカ!」とオルタナが室内を旋回して叫んでいるがこれもまた意味不明だ。


「い、いや、ルカ嬢ちゃん?」


 アッシュは最後まで彼女の行動に困惑していた。

 結局その場では何の進展なく終わるのだが、要するに、この時のルカは自分も同じように抱きしめてもらえるのを待っていたのだ。期待が不発に終わっても「じゃあ、また今度の時に」と言って、気落ちさえしていなかった。

 ……何気に一番精神的にタフなのは彼女なのかもしれない。

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