第263話 その男、浪漫を語る③

 そこはアティス王国・市街区。

 時刻は五時を少し過ぎた頃。南方に位置するこの国は日もまだ高く街中も騒がしい。

 露店がやや多い大通りを見渡せば、談笑する騎士候補生らしき少年少女や、子供を連れた主婦の姿などが目立った。実に平穏な景観だ。

 そんな街中を黒いスーツを着た男――カルロス=ヒルは一人歩いていた。


『おいおい。もう少し頑張ってくれよ』


 その時、ふと聞き慣れた人物の声で脳裏をよぎる。

 カルロスにとって忘れられない男の声だ。


 ――カルロス=ヒルが、その男に遭遇したのは十九の頃だった。


 カルロスはセラ大陸の北方にある小さな街の――俗に言うアウトローだった。

 四十人規模の十代の多い若いチームを作り、窃盗、恐喝などを行い、日々を好き勝手に生きていた。小さな街の自警団では手も出せないならず者の集団である。

 カルロス達は街外れにあった廃工場をアジトとし、人生を――若さを謳歌していた。

 いずれはこの街を出てもっと大規模な犯罪組織を立ち上げる。盗んだ酒で夜通し飲み明かした時などは、よくそんな夢を仲間と語り合っていたものだ。


 だが、その日、為す術もなくチームは壊滅した。

 ――いきなりアジトにやって来た、たった一人の男の手によって。


 歳は三十代後半だろうか。黒いスーツを身に纏ったその総髪の男は素手でカルロス達を蹂躙した。今思えば、文字通り大人と子供の喧嘩だったのだろう。

 ナイフや鉄パイプなどの武器まで持って迎撃したのにも拘わらず、カルロス達は男に傷一つ付けることも出来きないまま、汚い床に伏せることになった。


『う~ん、こういったクズの吹き溜まりには意外と人材の原石がいるもんなんだが……やれやれ。今回は外れってことか』


 そう言うと、男はスッと手を上げた。

 すると、男と同じ黒いスーツを着た男達が数十人、アジト内に入ってきた。

 黒服達は総髪の男の前で整列すると、


『支部長』


 リーダー格らしき黒服の一人が総髪の男に尋ねた。


『今回もいつものように対処致しましょうか』


『おう。頼むぜ。野郎はまとめてボルドの所に送れ。あいつはクズの処理には容赦ねえからな。後腐れなく処理してくる。それと』


 そこで男は床に倒れているカルロスの仲間達を一瞥した。

 その中には数人だが少女もいる。家に居場所がなくここまで流れてきた者達だ。


『何人かは女がいるだろ。そいつらは一旦置いておけ。そいつらは俺が面を確認してから処理を決める。まあ、そこそこの容姿なら楽しんでからでもいいだろ』


『……その、支部長』


 すると、黒服が少し呆れたような口調で進言した。


『もう少しこの娘達が商品になることを配慮して扱ってくださいませんか? いくら第5支部長でも心が壊れた娘は《商品》として扱いにくいと思います』


『ああン? つまんねえこと言うなよ。所詮こいつらなんて大した額もつかねえよ。むしろ後腐れなく使い潰すまで楽しめるのが外れの時の慰めなんだぜ』


 と、総髪の男と黒服の会話が聞こえてくる。

 カルロスの顔が蒼白になった。この場に倒れている者の運命を垣間見た気がした。

 要するにこの黒服達は奴隷商であり、自分達は『商品』ということらしい。

 この男達は金品ではなく、カルロス達の身柄を略奪するつもりなのだ。

 そこには何の悪意・・もない。しかし、そのこと自体は当然だろう。略奪とは勝者の当然の権利だからだ。窃盗レベルだがカルロスも似たような台詞を吐いた覚えがある。

 今までその特権を乱用していた自分としては文句の一つも言えなかった。暴力に頼る者はより凶悪な力に潰される。それが道理であり真理なのだ。


 だが、それでも今日ばかりはその真理を受け入れる訳にはいかなかった。

 何故なら、今この場には――。


(くそったれが!)


 カルロスは痛む身体を動かし、近くの床に落ちていたナイフを握りしめた。

 今日に限ってこのアジトにはカルロスの妹もいるのだ。


(……リディア)


 カルロスは妹の名を胸中で呟く。

 カルロスの実家はこの街でも有数の名家であり、厳しい教育に脱落したカルロスと違って妹は道徳に反することもせず、真面目に生きていた。


 頭頂部近くで結いだ薄い亜麻色の長い髪。カルロスの仲間達が容姿を見ただけで口笛を鳴らす見事なプロポーション。四つも離れたカルロスを『カル』の略称で呼び、護身術が趣味だと公言するような少しだけお転婆でもある少女。それがリディアだった。


 カルロスにとってはずっと可愛がってきた自慢の妹である。学校では才色兼備で知られており、男女問わず人気があると妹の友人から聞いたことがあった。

 しかし、そんな真面目なリディアなのだが、最近見合い話が挙がっていたらしい。

 いわゆる政略結婚という奴だ。それが嫌でリディアは実家を飛び出して兄であるカルロスに頼ってきたのである。


 従ってリディアはチームの人間ではない。単なるゲスト扱いだった。だというのに彼の妹は今、チームの壊滅に巻き込まれてカルロスの視界の端で倒れていた。

 気絶しているのか、リディアはピクリとも動かない。


(……くそッ!)


 カルロスは強く歯噛みした。

 ――自分は人間のクズだ。それは疑いようもない。

 だが、リディアはただここに居合わせただけだ。些細な悪事さえもしていない。

 政略結婚については自分も見過ごす気はないが、とりあえずは明日にでも一度説得して実家に戻してやるつもりだった。


(させねえ! あいつだけは!)


 そしてカルロスは息を殺して雌伏した。

 不幸中の幸いとも呼ぶべきか、総髪の男が真っ先に目を付けたのは妹のようだ。

 コツコツと歩き出す男。だが、総髪の男は気付いていない。リディアへと一直線に向かうには、カルロスの側を通らなければならないことに。

 勝機は恐らく一度だけだ。隙を見てあの総髪の男を人質に取るしかない。

 力量差は歴然だ。自分がどれだけ無茶をしようとしているのかは全身の痛みが嫌になるぐらい教えてくれる。だが、それが出来なければ仲間達は売り飛ばされる。そしてまだ十六になったばかりの妹はあの男に陵辱され、その後は同じく……。


 カルロスはギリと歯を鳴らした。

 そして――。


『があああああああああ―――ッ!』


 総髪の男がカルロスの側を横切った時、カルロスはナイフを片手に立ち上がった。

 次いで総髪の男の喉元にナイフをかざそうとする――が、


『ほう。今回はがいたのか』


 総髪の男は不敵に笑った。そして間髪入れず拳を振り下ろした。背中を殴打され、カルロスは衝撃に呼吸さえも出来ず、再び地面に叩きつけられた。

 カラン、とナイフが地に落ちた。


『ふん。息を潜めて機を窺っていたってことか。結構根性を見せるじゃねえか』


 総髪の男はカルロスを見下ろして言葉を続ける。


『小僧。名前はなんて言う?』


『…………』


『おい無視すんなよ。俺の名前はガレック=オージス。さあ、お前も教えてくれよ』


 と、聞いてもいないのに総髪の男――ガレックは名乗った。カルロスは一瞬無視を決め込もうと考えたが、ここで沈黙しても意味がないと悟り、


『……カルロスだ。カルロス=ヒルだ』


『おっ、そっか。で、お前さんがここで牙を剥いたのはあの女を守るためか』


 ガレックは視線をカルロスの妹に向けた。

 カルロスは拳を強く固めてガレックを睨み付けた。


『……そうだ。あいつは俺の妹だ』


『おいおい。兄妹揃ってアウトローなんかしてんのかよ』


 呆れた果てた口調でそう言い放ち、ガレックはカルロスの妹の元へ向かった。

 そして腰を深く屈めると、仰向けになって倒れている少女の顎を指先で掴み、顔立ちを確認した。直後にわずかに目を瞠る。次いで彼女のプロポーションを見やり、


『……ほほう。こいつは……』


 ガレックは感嘆の呟きを零した。


『驚いたぜ。泥の中から宝石でも見つけた気分だな。今でも相当なもんだが、こいつはあと数年もすればとんでもない美女になるぞ。う~ん、いつもならがいた場合は、そいつ以外は見逃してやるんだが、こいつを逃すのはもったいねえかぁ……』


 ガレックは顎に手をやり、しばらく考えた。

 そして数秒後。


『すまねえなカルロス』


 ガレックはカルロスに視線を向け、本当に申し訳なさそうな顔を見せた。


『決めたぞ。お前の妹は俺がもらうことにしたわ』


『――な、なんだと!?』


『悪りい。こいつがお前の女ってことなら、お前の気持ちを配慮して流石の俺でも手を引くんだが、妹だって話だしな』


 そう言って、ガレックはカルロスの妹を丁重に抱き上げた。

 リディアが微かに眉根を寄せる。が、起きるような気配まではない。年齢不相応の大きな胸が呼吸のたびに上下した。ガレックはそんな少女を『おっ、これだけでも目の保養になるな』と軽薄な笑みを浮かべて凝視する。と、


『ざけんじゃんねえ! 今すぐ妹を離せ! このクズ野郎が!』


 当然ながら、カルロスの怒りが爆発した。


『残念だがそいつは無理な相談って奴だぜ、カルロス』


 しかし、ガレックはカルロスの怒声を一蹴する。

 リディアを両腕で抱き上げたまま再びカルロスの方を見やり、


『なにせ「欲望に素直であれ」ってのが俺らの社訓でな。俺はもうこいつを自分の女にするって決めちまったんだよ。けど約束するぜ』


 そして憤るカルロスに対し、ガレックは軽薄さが消えた顔でこう告げた。


『お前の妹を雑に扱ったり、他の女と同列にしたりしねえよ。こう言っちゃなんだが、俺は一度抱いた女にはあんま興味を持てねえ男だ。だが、こいつだけは他の男に渡す気はねえよ。生涯俺だけの女だ。マジで誰よりも大切にするぜ』


『てめえ、何を言ってやがる!』


 と、泡を飛ばすカルロスだが、すでに身体は動かず這いずるだけだった。


『ははっ、やっぱてめえは活きがいいな』


 そこでガレックは、部下達を一瞥し、


『おい。カルロスを連れて行け。少々暴れるかもしんねえが、手当ても忘れんなよ。それとこいつらを拉致する命令は撤回だ。他の連中はもうほっとけ』


『了解しました。支部長はこれからどうされますか?』


 黒服がガレックに尋ねると、ガレックは腕の中で眠るリディアを少し持ち上げ、


『野暮なこと聞くなよ。早速こいつを俺の女にするに決まってんだろ。こいつのすべてを丸ごと頂くのさ。いつもみてえな体だけじゃねえ。今回は心もな』


 と、ガラにもない真剣な口調で語った後、二カッと笑い、


『まっ、多分一晩ぐらい経ったら合流すっから、お前らは街の外で待機してな』


『了解しました』


『ふざけんな――ッ! リディアッ! リディア――ッ!』


『おっ、リディアって言うのか。いい名前だな』


 そう言って、黒服達に拘束されるカルロスを背に、ガレックは眠り続けるリディアを連れてアジトから去っていった。

 しかし、結局、ガレック達は翌日の朝になっても戻ってはこなかった。

 それどころか二日目になっても戻ってこなかったのだ。


『二日目か。今回は随分と長いな。これはまた支部長やっちまったかな?』


『まぁそうだろな。知っているか? あの人、娼婦でさえしょっちゅう壊すんだぜ。もう朝から晩まで連続って話らしい。その上体力が無尽蔵だからな。多分今回はスイッチでも入っちまったんだろうな。きっとあの娘に飽きるか、壊れるまで戻ってこないぞ』


 そんな黒服達の声が聞こえ、カルロスは血が流れるほど唇を嚙んだ。

 そうして拘束された状態で待たされることさらにもう一日。カルロスがようやくリディアと再会できたのは三日目の昼過ぎだった。


『よう。待たせたなお前ら。カルロスも』


 ガレックが片手を上げて陽気な挨拶をしてくる。

 その隣には三日前とは違う服装のリディアの姿もあった。

 珍しく髪を下ろしているリディアは現れてからずっと無言だった。

 ガレックに肩を支えられて立つ妹の様子は頬が微かに赤く、まるで熱病にでも浮かされているようだった。わずかにだが瞳孔が開いているようにも見える。


 カルロスは最悪の予感がした。


 が、その時、仲睦まじいことを証明するためか、ガレッグがリディアの頬に軽くキスをした。すると、どちらかと言えば勝ち気だったはずの妹が拒絶する事もなく、ただ顔を真っ赤にした。ガレックはそんなリディアの頬にキスを繰り返す。


 と、そこで彼女はようやく口を開いた。


『――も、もうっ! やだっ! もうやめてよガレック!』


『おいおい、この程度で今さら恥ずかしがんなよ、俺の可愛いリディア。まあ、初日は流石にキスさえも散々嫌がっていたが、たっぷり可愛がってようやく打ち解けてくれた昨晩なんてあんなに「お願い」ってせがんでたじゃねえか』


『そ、それは……それでもカル――の前なの! ホントにやめて! あとこの三日間のことを人前で言うなっ! この監禁魔! ガレックの最低のクズ人間っ!』


 と、誰もが恐れるガレックの胸を両手でドンと押して、堂々と『クズ人間』と言い放ってみせたリディア。余程恥ずかしかったのか、彼女の瞳は涙目になっていた。

 だが、同時にその瞳には紛れもない正気の光があった。人間を『商品』と呼ぶような恐ろしい男に三日三晩つき合わせれてもリディアの心が壊れている様子はなかった。

 これには黒服達さえ驚いていたぐらいだ。

 しかし、ホッとする反面、カルロスは激しい苛立ちを感じていた。


『悪りいな、カルロス』


 すると、ガレックは顔を赤くする妹を強く抱き寄せた。

 心がざわついてくる。


『リディアはもう俺の女なんだ。こいつだけは二度と離すつもりはねえ』


 火のように苛烈な男は、はっきりとそう宣言した。

 そして結果的に言うと、カルロスはそのまま《黒陽社》に入社する事になった。あの日以降、長い髪を下ろし、カルロスを『兄さん』と呼ぶようになった妹も一緒だ。

 所属部署は二人揃ってガレック直属の第2支部である。

 リディアは一般的にいう秘書のような仕事をしていた。一方、カルロスは職務的に戦地への出張が多かった。カルロスはガレックへの反感を隠しつつ精力的に働き、順当に出世頭となっていた。いつか見返してやろうと考えていたのだ。


 が、そんな中、カルロスの元にガレックが殉職したという報告が届いた。

 カルロスは愕然としたが、誤報ではなくこのことは社内に瞬く間に伝わった。


 ――当然、リディアにも、だ。


 そして妹は初めて自分の想いをカルロスに語った。


『ガレックはあらゆる意味で女癖のひどい人だったわ。女性を単なる性欲を満たすための道具にしか思っていないような人よ。口説く時は真剣なくせに、手に入れた途端、露骨なぐらい雑になって使い潰し、事が済ませれば興味も無くす。本当に絵に描いたようなクズ人間ね。だけど……』


 リディアはそこで微笑んで。


『私にはいつも優しかったの。私なんて出会ったその日に自分の女にしたのにね。その後も何度もプレゼントとかを送ってきたり、食事に誘ったり、私にだけは一緒に住むための家を用意したりもしたわ。あの人が一度抱いた女にお金をかけるなんて本当にあり得ないことなのよ。ただ、それは私が兄さんの妹だからなんでしょうけど……。ガレックは男同士の約束だけは大切にする人だったから』


 そう言って、リディアは自分の腹部を愛しげに撫でた。

 今、そこには一つの命が宿っている。

 残火などではない。まさしく《火妖星》の炎を受け継ぐ新たなる灯火だ。

 カルロスとしてはとても不快ではあるのだが、結局、ガレックはこの上なく横暴で一方的ではあっても本当に約束だけは守っていたということだ。

 少なくともガレックの死に慟哭するほどに、リディアは彼を愛していた。


(俺は今でも納得いかないがな)


 だが、それでも妹にはガレックが必要だったのである。

 だからこそカルロスは動いた。妹の涙を少しでも止めるために。

 そしてもう一つ。


(俺は必ずあんたを超えるぞ。ガレック。《双金葬守》を倒してな)


 砕け散ってしまった乗り超えるべき壁。

 それを超えるためには、壁を破壊した当人に挑むしかないのだ。

 かくして、胸の奥に燃え盛る炎を宿して――。

 カルロスは街の喧騒の中へと消えていった。

 その炎の先に待ち構えているモノを、この時の彼が知ることはなかった。

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