第六章 密会
第204話 密会①
時刻は夜十二時すぎ。
場所は大きな館が立ち並ぶ皇都ディノスの二番地。
街灯が照らす細い路地を一頭の馬が進む。
騎乗するのは、白いサーコートを羽織った壮年の騎士だ。
グレイシア皇国騎士団・副団長。ライアン=サウスエンドである。
その日、彼は珍しく帰宅途中だった。
(屋敷に戻るのも三週間ぶりか)
手綱を握りながらそんなことを考え、ライアンは目を細める。
皇都ディノスの二番地は、主に貴族の館が多い上流住宅街であり、子爵位を持つライアンの屋敷もこの地区にあった。
あと十分ほどこの道を進めば、彼のサウスエンド邸が見えるはずだ。
(さて、我が家は果たして無事なのだろうか)
ライアンは、滅多に自宅を使用しない。
普段は日々多忙なこともあり、ラスティアン宮殿の副団長室にて寝食ともに済ましているため、これと言って自宅に帰る必要性がない事と、彼には出迎えてくれるような家族がいないのが主な理由だった。
以前までは妻もいて、多忙でも比較的帰宅するように心掛けていたのだが、彼女が病で亡くなってからはほとんど放置状態だ。管理人もいない。
(まあ、この無駄に豪勢な地域において、わざわざあのボロ屋敷を選んで忍び込むような輩もいないしな)
夜の帳の中で、ライアンは苦笑いを浮かべた。
と、そうこうしている内に、彼の屋敷が見えて来た。
簡素な鉄格子の門構えに、小さな庭園。
鬱蒼とした葉に覆わた木々は剪定もしていないので林と見間違えそうな趣だ。
その庭園の奥にあるのが、サウスエンド邸。
彼の屋敷は周辺の館に比べ、随分と小じんまりとしていた。元々亡き妻があまり使用人を好まない人物だったので、精々四、五人が暮らせる程度の大きさだ。
もはや手放してもいいような屋敷なのだがここには妻との思い出がある。《鬼喰夜叉》という《七星》の中でも最も凶悪な二つ名を持つ彼だが意外にも愛妻家だった。
妻との間に子供を授からなかった以上、この屋敷は、彼女との思い出が詰まった形見の一つだ。放置しても完全に手放すことは出来ず、かと言って使用人を雇って管理してもらうのも思い出を触られるようで躊躇してしまう。
ライアンは馬の上で小さく嘆息した。
(あいつが死んで、もう八年になるのか)
そして彼は門構えを越えて、林のような庭園に入った。
館へ続く石畳を、馬の蹄がコツコツと打つ。
この屋敷に戻ると、思い出すのは妻のことばかりだった。
男爵家出身の貴族であり、グレイシア皇国の元騎士だった妻。
結婚したのは今から二十二年前のことだ。
妻は十歳年下だったこともあり、とても活発な女性であった。
当時は戦闘狂と揶揄され、本人自身、他人と深く関わり合うことを避けていたライアンに対し、積極的にアピールしてきたのが亡き妻だった。
(……ふん。あいつときたら)
馬に乗りながら林を進み、ライアンは瞳を優しげに細めた。
結局、押し切られるように彼女と結婚したのも、今では懐かしい。
あの朴念仁が後輩に手を出した。
同僚達には、そんな酷い噂を面白おかしく流されてしまったものだ。
ともあれ結婚後、彼女と暮らすために購入したのがこのサウスエンド邸だった。
暮らすのはたった二人。貴族としてはあまりにも小さすぎる館。
それでも屋敷はいつも騒がしかった。
(何かと張り切りすぎるのは、あいつの悪い癖だったな)
林も半ば辺りを越え、ライアンは再び嘆息する。
例えば妻は、炊事洗濯がとても苦手だった。が、それでも使用人を雇う事をよしとせず、積極的に挑戦し続けていた。
しかし、挑戦すればよい結果が出る訳ではない。
その挑戦の結果、生み出された産物に、ライアンはほとほと呆れ果てていた。
(だが、あいつの下手な料理も二度と喰えんのだな)
そう思うとやはり寂しい。
懐かしき館で、鬼さえ喰らうと呼ばれた男は柄にもなく思い出に浸る。
――と、
「…………」
そろそろサウスエンド邸の門が見え始めた時だった。
不意に馬を止め、ライアンは無言のまま、林の一角を睨みつけた。
月光も差し込まない、特に鬱蒼とした闇のような一角だ。
そんな場所に射抜くような視線を向け――。
「……無粋だな」
ぼそり、と。
独白のように、ライアンは小さく呟く。
その声はあまり感情を見せない彼にしては、珍しく苛立っていた。
「ここは私にとって特別な場所だ。立ち入る許可など出した憶えはないぞ」
そして馬から降りる。「ぶるる」と愛馬が嘶きを上げた。
少し興奮する愛馬を片手で宥めつつ、ライアンは腰の短剣をすっと抜いた。
「招かざる客よ。そろそろ姿を見せたらどうだ?」
が、その催促に相手は答えない。
月光の下、しばし沈黙が続く――が、
「…………」
不意に侵入者は、闇の中から姿を現した。
やや背が低く、黒いローブを全身に纏い、フードを深々と被った人物だ。
その右手には鋭い細剣が握りしめられている。
友好的と呼ぶには程遠い姿。目的は明らかである。
(……暗殺者か)
ライアンは相手を観察しつつ、そう結論付けた。
それも隙のない立ち姿から、相当な腕前だと推測できる。
だが、ライアンは怯むこともなく、右手の短剣を下段に構えた。
皇国騎士団の副団長を担う彼にとって、暗殺者に襲われるのは初めてではない。
むしろ襲撃は敵を捕縛し、裏にいる組織を探るチャンスであった。
(さて、どう出る)
ライアンはもう何も語らない。
すると――暗殺者が突然駆け出した!
ライアンは軽く目を瞠った。
怖ろしく速い。それもまるで地を這うような低さで接近して来る。
(――狙いは足か!)
――ギィン!
互いの刃が交差して甲高い音が庭園に響く。
暗殺者はライアンの剣圧に弾かれ、大きく後方に跳んだ。
が、着地と同時に今度は円を描くように、ライアンの周囲を回る。
「…………」
ライアンは言葉を発さず、視線だけで暗殺者を追った。
流れるような足捌きで半身をずらし、短剣の切っ先は常に暗殺者に向けている。
すると、暗殺者は懐に片手を忍ばせると何かを取り出した。
暗くはっきりとは分からないが、手に納まる球体のように見える。
(……爆発物や暗器ではないな。一体何だ……?)
眉をひそめてライアンは警戒する。と、暗殺者は手に持ったそれを振りかぶり、ライアンにめがけて投げつけた!
危険物には見えないが、正体不明の物体に迂闊に手を出すのはまずい。
ライアンは身を屈めて飛来する球体を避けようとした。
が、その時だった。
――カッ!
と、いきなり眩い光が林の一角を照らした。
ライアンは息を呑む。投擲された球体は閃光弾だったのだ。
突然の強い光に視覚を潰され、ライアンは暗闇の中に放り込まれる。
敵の前で視覚を失う。
それはこの上ない危機――なのだが、
(……ふん。小細工を)
最年長の《七星》は全く動じず、気配のみを頼りに敵の動きを予測する。
そして一瞬後、
――ギィン!
再び甲高い音が庭園に響く。
同時に暗殺者はもう一度間合いを外した。
暗殺者の必殺の刃を、目の見えないライアンが見事に防いだのだ。
「…………」
暗殺者は無言でライアンを見据えていた。
数秒間ほど続く沈黙。次なる手を考えているのか。
ライアンがそう考えた時、暗殺者は細剣をこちらに向け――ようとしたのだが、不意に切っ先を下ろした。
(……? 何だ? 切っ先を下ろしたのか?)
気配からそう感じ取り、ライアンは訝しげに眉根を上げる。と、
「……まったく。貴様と言う奴は視覚を潰されても動揺さえせんのか」
唐突に、暗殺者が口を開いた。
続けて細剣をフードの下に持つ鞘に納める。
「やれやれ。それなりに楽しめたが遊戯もここまでだな」
「……その声は」
ライアンは眉間にしわを寄せる。
暗殺者の声には聞き覚えがあったからだ。
「そうか、あなたは」
ライアンがそう呟くと、暗殺者は大仰に肩をすくめた。
「ああ、お前の想像通りだ」
そう語る暗殺者に、ライアンは嘆息した。
そして少しばかり回復してきた眼で、強く睨みつける。
「……一体、これは何の真似ですかな。ハウル公爵」
「まあ、ただの老いぼれの悪ふざけだ。そう目くじらを立てるな。しかし、腕は落ち取らんようだな。サウスエンドよ」
言って、バサリとフードを取る暗殺者。
同時に晒される燃えるような短い頭髪と、長い赤髭。
暗殺者の名は、ジルベール=ハウル。
グレイシア皇国の大貴族であるはずの老人が、その場にいた。
「少々貴様に用があってな。少し付き合ってもらうぞ。副団長殿」
そう一方的に宣言して、赤髭の老人はにやりと笑った。
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