第205話 密会②
「……今、コーヒーでもお出ししましょう」
と、告げるライアンに、
「いらん。それよりも灰皿はないか」
ジルベールは素っ気なく返す。
老人の手はすでに懐に伸びており、一本の葉巻を取り出そうとしていた。
「あなたのお歳で頻繁に喫煙するのはお身体に悪いですぞ」
ライアンは普段の鉄面皮を向けてそう忠言するが、老人の手が止まる様子はない。仕方がなく彼は近くの書棚から滅多に使わない灰皿を取り出し、応接室の大理石製の机にコツンと置いた。
そこはサウスエンド邸の一階。応接室。
大理石で造られた背の低い机と、来客用の二つのソファーぐらいしか目立つ物がないその部屋には今、二人の人物がいた。
どっしりとソファーに腰を下ろすジルベールと、突然の来客に顔には出さないが、困惑するライアンの二人だ。
「……ふん。儂の勝手だ。貴様が気遣うことではない」
言って、早速紫煙を吸うジルベール。
ライアンは内心で嘆息しつつ、老人の向かい側の席に着いた。
「それでハウル公爵」
そして、こちらも早速本題に入る。
「今日はどういったご用件で?」
「ふん。昔の部下の顔を見に来たでは説得力はないか?」
ふうっと大きく紫煙を吐き出し、そう嘯くジルベールに対し、ライアンは「ありませんね」とはっきりと答えた。
「あなたはそこまで暇ではないでしょう。そもそも顔を見るぐらいならあなたは私をハウル邸に呼びつけるでしょうに」
と、中々辛辣なライアンの台詞に対し、ジルベールは呵々大笑した。
「くははっ! 流石に分かっておるな。儂が手塩にかけてきただけのことはある」
そう言って、老人はさらに笑い続ける。
すでに夜も遅いというのに、やたらと元気がよすぎる老人に対し、ライアンは呆れるようにかぶりを振った。
「あなたとの付き合いは、かれこれ三十年以上になりますか」
ライアンとジルベールの付き合いは長い。
それこそ、ライアンが新米騎士だった頃からの付き合いだ。
(まったく。この人は変わらんな)
最年長の《七星》は皮肉気に笑う。
老いてなお、あんな大立ち回りが出来ようとは思いもしなかった。
今でこそ副団長の地位に就くライアンだが、新米騎士のころは散々なまでに、この怪物に鍛えられていたものだ。
良くも悪くも昔の事ばかり思い出す今夜に、ライアンは苦笑いするしかなかった。
「まあ、実のところ、私もあなたに訊きたい事がありましたので、今日来て頂いたのは丁度良かったかもしれませんな」
「……なに? 儂に訊きたいことだと?」
ジルベールは眉根を寄せた。
「一体何が訊きたいのだ?」
「まあ、簡単な話ですな。ミランシャ=ハウル上級騎士。訊きたい事とは、あなたの孫娘の扱いについてです」
「……ふん。何かと思えば、あの愚鈍娘についてか」
ジルベールは不快そうに渋面を浮かべた。
続けて、灰皿に葉巻を苛立った様子で擦りつける。
「それはわざわざ説明が必要なことか? 儂は政略結婚を仕組んだ。あの愚鈍娘はそれが嫌で逃げ出した。ただそれだけのことだろう?」
淡々とそう言い放つジルベール。
すると、ライアンは「やれやれ」と呟き、かぶりを振った。
「あなたの性格はそれなりに理解しています。実は孫娘に愛情を抱いているなどとも思ってはいません。あなたにとって、本当にミランシャ=ハウルは無価値であり、ただの『道具』なのでしょうな」
そこでふうっと嘆息し、
「しかし、だからこそ分からない。優秀な人材ならば、すぐに身内に取り込もうとするあなたが、これまでミランシャ=ハウルだけは政略結婚に用いたことはなかった。それは彼女があなたの『孫娘』だったからではないのですか?」
「………何が言いたい? サウスエンド」
ジルベールは、静かな眼差しでライアンを見据えた。
対し、海千山千の副団長は、わずかに口角を崩して言葉を続ける。
「ミランシャ=ハウルはあなたの『孫娘』。すなわちそれは、彼女の夫となる人間は分家筋に取り込んだ者達と違い、あなたの直系になるということです」
そこで一呼吸入れて、
「だからこそ、彼女の伴侶は群を抜く逸材でなければならない。それが今まであなたがミランシャ=ハウルを政略結婚に使わなかった理由でしょう」
「…………」
ジルベールは無言だった。
ただ静かに、二本目の葉巻を取り出す。
一方、ライアンは腰の前辺りで指を組んだ。
普段は寡黙に近い彼なのだが、今日だけは饒舌に語り続ける。
「だというのに今回の政略結婚。相手はエリーズ国の侯爵家の次男坊だそうですな。少々調べさせて頂きました。こう言っては失礼ですが、家柄以外には、さほど特記するような事柄もない人物。人材としては優秀には程遠い人間です」
紫煙を吐き出す老人を横目に、ライアンはふっと口角を歪めた。
「とてもミランシャ=ハウルの伴侶として望ましい人間ではない。もし縁故関係だけが目的であるならば分家筋の者でも充分です。あなたがこれまで温存していた
副団長の推測はそこで終わった。
そしてそれを踏まえた上で赤髭の老人に問う。
「一体、何が目的なのですか? あなたは一体何を考えている?」
「………ふん」
その問いかけに対し、ジルベールは天井を静かに見上げ、紫煙を吐いた。
ライアンは催促することもなく、老人の返答を待つ。
そしてしばらく時間が流れ……。
「やれやれ、その判断力。大したものだ」
ジルベールはふっと笑った。
その紅い眼差しは、どこか少しだけ穏やかだった。
直弟子とも呼べる男の優秀さに、喜びを感じているのかもしれない。
が、老人はすぐに表情を引き締め――。
「しかし、状況判断までは確かに正確だったが、相手の腹の中までは読めんか。まだまだ精進が足りんな、サウスエンドよ」
あえて酷評を下しつつ、ジルベールは肩をすくめた。
対し、ライアンは、はっきりと苦笑いを浮かべた。
「それは申し訳ない。ですが、なにしろ情報が少なすぎますので。残念ながらこれ以上の推測は私には無理ですな」
「……ふん。泣き言とは嘆かわしい」
ジルベールは眼光を鋭くしてライアンを睨みつける。
「それではいつまで経っても副団長どまりだぞ」
「副団長で大いに結構。私は団長になる気はありません」
と、迷う様子もなく明言するライアンに、ジルベールは「それはそれでまた嘆かわしいな」と呟いて渋面を浮かべた。
「まったく。サウスエンドよ。お前はいつまであの女に大きな顔をさせる気だ? 貴様が望むのならばいつでも儂が後押しすると言うのに」
「また推薦の話ですか? その話はすでにお断りしたはず」
ライアンはやれやれと額に手を当てた。
ジルベールと会談すると、必ずこの話が出てくる。
八年前から勧められる縁談話同様、もはやうんざりしている話である。
「何度仰られようと、私は団長になるつもりはなりません。私は補佐の役割に生きがいを感じておりますので」
そう返してから、ライアンもまた、ジルベールに鋭い眼光を向けた。
「さて。ハウル公爵。わざわざ私の屋敷まで出向いてくれたのです。あなたの真意を教えて頂けるのでしょうな」
と、有無を言わせない口調で告げる。
ジルベールは心底不満そうに、深く嘆息した。
この頑固な元部下には、これ以上何を言っても無駄だと悟ったのだ。
そして赤髭の老人は「……ふん」と呟いた後、
「そうだな。では、まずはこれに目を通してもらおうか」
言って、葉巻を持っていない手で懐から一枚の封筒を取り出した。
ハウル家の封蝋がされた封筒だ。
赤髭の老人は「ほれ」と言って封筒をライアンに差し出した。
「……失礼します」
ライアンは訝しげに思いつつも封筒を受け取り、早速封を切る。
中からで来たのは一枚の書文だった。
細かい数値が並ぶ資料であり、どうやら何かの分析結果のようだ。
ライアンは静かに文面に目を通した。
そうして数分後、
「まさか……これは」
一通り資料に目を通したライアンは、大きく目を瞠る。
彼にしては非常に珍しく動揺を隠せずにいた。
「――ハウル公爵。これは事実なのですか」
ライアンは思わず声を強くして、上司だった老人に尋ねる。
対し、かつての部下の鉄面皮を崩せて満足したのか、ジルベールは肩を屈めてくつくつと楽しげに笑い、
「ふん。流石に顔色を変えたか」
葉巻を口に咥え、紫煙を肺に吸い込む。
ライアンは、老人を見据えたまま沈黙していた。
そしてジルベールは、ぷはあっと紫煙を吐き出し――。
「どうだ? 呆れ果てるだろう?」
皮肉気に笑って、赤髭の老人はこう告げるのだった。
「全く愚昧ばかりだな。サウスエンドよ。貴様もそう思わんか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます