第194話 思わぬ再会②

 ――アティス王国・港湾区。

 そこは王城区、市街区と並ぶ三区の一つであり、その名の通り、外国から王都ラズンに訪れる船が停泊するための港区だ。一般的な客船は勿論、輸入品、輸出品を扱う運搬船も停泊し、近くには大きな倉庫が立ち並ぶ区域でもある。

 とは言え、今は年明け。普段ならば忙しく船員が出入りする運搬船も、ただ停泊しているだけで静かなものだ。客船の姿も今はない。


 が、そんな港湾区の一角。

 特に船も停泊していない場所にて、今人だかりが出来ていた。


「おお、マ、マジだ……」


「ありゃあ、何だよ……新種の魔獣か?」


「なあ、第三騎士団に連絡した方がよくねえか?」


 と、ガヤガヤとざわめいている。

 老若男女が揃う彼ら――野次馬達の視線は水平線のある蒼い海ではなく、白い雲がたゆたう蒼穹の空に向けられていた。

 全員が、首を大きく上に傾けて騒然としている。

 そこには――とても大きな『鳥らしきモノ』が飛翔していたのだ。

 発見されてからすでに五分。少し港から離れた位置にて、あの緋色の鳥は大きな翼を広げて、ぐるぐると旋回している。


「それにしてもデケえ鳥だな……」


 と、野次馬の一人が喉を鳴らして呻くように呟いた。

 それは見物人全員の感想でもあった。

 大空を悠々と飛び続けるあの『鳥』のサイズは、翼の両端まで考慮すると六セージルを軽く超えるだろう。しかも全身に鎧のような甲殻まで纏っており、両足には鋭利な爪も持っていた。大人でも軽々と攫えそうな巨体である。

 恐らくは猛禽系の魔獣ではないか。多くの人間がそんな予感を抱いていた。

 そしてもし魔獣だった場合、かなり危険な状況だ。

 流石に、野次馬達も不安の声を上げ始める。


「なあ、やっぱ、誰か第三騎士団を呼んで来いよ」


「ああ、そうだな……。あんなのに襲われたら堪んねえしな」


 と、野次馬の一人が頷く。

 鎧機兵の喧嘩程度なら動じない彼らでも、魔獣が相手では話は別だ。

 身の危険を感じる以上、自衛に備えていた方がいい。


「よし。じゃあ、ちょっと行ってくるよ」


 そう言って、数人の男達が屯所へ向かおうとしていた、その時だった。


「おお! 見ろよロック! 凄げえ! なんかデケえ鳥がいるぞ!」


 後ろの方から、そんな興奮気味な声が上がったのは。

 野次馬達の視線は、この国では結構有名人であるその声の主に集中する。

 その声の主――エドワード=オニキスは、特に注目には気付かず言葉を続ける。


「なあ、ロック。あれって焼き鳥にすると何十人分ぐらいだと思う?」


「いやお前、あの巨大な鳥を見て、真っ先に出る意見がそれなのか?」


 と、エドワードに答えるのは大柄な少年――ロック=ハルトだ。

 この少年もまたかなりの有名人である。

 そして彼らには、まだ同行者がいた。


「うわあ、本当にデカいわね。あれってやっぱり魔獣の一種なのかしら」


 そう呟いたのは、絹糸のような髪を持つ蒼い瞳の少女。

 アリシア=エイシス。第三騎士団・団長の娘としても有名な少女だった。

 群を抜いた美少女であることに加え、今は着飾った装いのため、普段ならばかなり目を引くのだが、野次馬の視線は、彼らの最後の同行者に向けられていた。


「おお! 師匠だ!」「よかった……。師匠がいればもう安心だ」


 そんな声が港湾区に次々と湧きたつ。

 そこにいたのは、一人の白髪の青年だった。

 彼の名前は、アッシュ=クライン。

 この王都ラズンにおいて『流れ星師匠』の二つ名で知られる人物である。

 本業は鎧機兵の工房を開く職人らしいのだが、鎧機兵を使わせればとにかく強い。ひたすらに強い。その強さは、上級騎士さえも軽く凌ぐと噂される青年だった。

 彼がいるのならば、もしあの魔獣が襲って来ても大丈夫だ。

 野次馬達は誰もがそう思った。

 しかし、当のアッシュと言えば――。


「………はあ? なんであいつがここにいんだ?」


 ただただ、目を丸くするばかりだった。

 その顔には、未知の魔獣に対する警戒はない。


「アッシュさん?」


 何やら様子が不自然なアッシュに、隣に立つアリシアが小首を傾げた。

 いつもの彼なら、あんな巨大な鳥を見れば、もう少し警戒するはずだった。


「どうかしたんですか? もしかしてあの魔獣を知っているんですか?」


「え、マジッすか! 師匠!」


 アリシアの問いに、エドワードが乗ってくる。

 ロックの方も興味深そうにアッシュの方へ視線を向けた。

 が、それに対し、アッシュは「はあ?」と呟き、眉をしかめた。


「お前ら何言ってんだよ。魔獣って――あっ、そっか」


 そこでアッシュはポンと手を打つ。


「ああ、そういうことか。お前らって、何だかんだであいつの機体を見る機会がなかったんだな。だったらその反応も当然か」


 納得がいったのか、アッシュは両腕を組んでうんうんと頷いていた。

 アリシアが小首を傾げた。ロックやエドワードも訝しげに眉を寄せている。


「……あの、アッシュさん?」


 アッシュ一人だけで納得されても、アリシア達にとっては状況が分からない。彼女は説明を求めるように、じいっとアッシュの顔を見つめた。

 すると、その視線に気付いたアッシュが苦笑し、


「あれは魔獣なんかじゃねえよ。あれは――」


 と、言いかけた時だった。


「お、おい! なんかヤベえぞ!? 鳥がこっちに来る!」


「うおッ!? マジかよ!?」


 周囲が俄然騒がしくなった。

 アッシュ達が上空を見上げると、空を飛ぶ鳥が大きく旋回し、地上――要するに港に向かって下降して来るところだった。


「「「うわああああああああ!?」」」


 周囲の野次馬達が悲鳴を上げて一斉に逃げ出す中、アッシュは苦笑を浮かべるだけで逃げようとしなかった。それにつられるようにアリシアとロック、エドワードも表情を強張らせながらもその場に留まった。

 そして強い風を巻き上げて、巨大な鳥はアッシュの眼前に降り立った。


「え、これって――」「はあ? 何だこれ?」「……これは」


 その光景を間近で目の当たりにして――アリシア達は目を瞠った。


「もしかして鎧機兵、なの?」


 アリシアが呆然と呟く。

 両足で降り立って直立する鳥は、遠目では分からなかったが、近くで見ると全身が金属で構成されていたのだ。


「マ、マジかよ!? 鳥型の鎧機兵ってことか!?」


 と、エドワードも愕然とした声を上げた。


「いや、まさか、空を飛ぶ鎧機兵が存在するのか……」ロックも唖然とする。

一旦避難していた野次馬達も困惑の声を上げ始めていた。

 と、そんな時だった。


 プシュウ……と。


 いきなり空気が抜ける音がして、ゆっくりと鳥の胸部が開き始めたのだ。

 アッシュを除く全員が言葉を失った。

 まさに、この鳥が鎧機兵である証を見せつけられたのである。

 そして完全に上に開く胸部装甲。

 その場にいる全員が特殊すぎる機体に乗る操手に注目した。


「オオォ……」「こりゃあ……」


 野次馬達から感嘆の声が上がった。

 その操手が、予想外にも美しい女性だったためである。

 年の頃は二十代前半。燃えるような赤い髪と同色の瞳が印象的な、黒い騎士服を纏ったスレンダーな美女。それがこの機体の操手だった。

 ただ、アッシュを始め、アリシア達は感嘆の声を上げなかった。

 何故ならば、その美女は、アリシア達がよく知る人物だったからだ。


「「「ミ、ミランシャさん!?」」」


 声を揃えて彼女の名を呼ぶ三人の学生達。

 全く予想もしていなかった再会に、三人は思わず硬直した。

 そんな中、アッシュはボリボリと頭をかき、


「ミランシャ。お前、なんでこんな場所にいんだよ」


 と言って、彼女の機体――《七星騎》の一機である《鳳火》に近付いて行く。

 すると、彼女――ミランシャ=ハウルは真直ぐアッシュの顔を見つめて、


「う、うう……」


 ボロボロと涙を零し始める。

 流石にギョッとして足を止めるアッシュ。

 そして――。


「うわああああん! アシュ君! アシュくぅ――んっ!」


 ミランシャはいきなり飛び出してきた。

 アッシュの首に両手を回し、そのまま彼にしがみついた。


「お、おい、ミランシャ!?」


「うう、うわああああああああああああん!」


 そして堪えきれなくなったのか、誰はばかることなく泣き始めるミランシャ。

 アッシュは困惑しつつも彼女の背中に手を当てて「ミ、ミランシャ? 一体どうしたんだよ」と状況を尋ねてみるが、赤毛の女性は何も答えない。

 今はただ、愛しい青年アッシュの胸板に顔を埋めて、ミランシャはひたすら涙を流し続ける。


「う、ううぅ……うわああああ」


「ミ、ミランシャ……?」


 ミランシャはしがみつく腕に力を込めつつ、細い肩を震わせる。

 対し、アッシュは心底困った表情を浮かべた。


(いやいや、どうなってんだよこれは……)


 思わず小さく嘆息する。まだ状況がよく理解できていないが、友人が深く傷ついている事だけは把握した。恐らく何かのトラブルがあったのだろう。

 それが容易く分かるほどの取り乱しようだった。


(……これは仕方がねえな)


 アッシュは脱力するように肩の力を抜いた。

 いずれにせよ、ミランシャをこのままにはしておけない。

 少し年寄りくさい考え方だが、こんな観衆の前で年頃の娘が男に抱きつくのはあまり良くないだろう。ミランシャの心証が悪くなりそうだ。


「ああ、もう大丈夫だ。だから少し落ち着こうな、ミランシャ」


 そう言って、アッシュは彼女の頭を優しく撫でた。

 すると、ミランシャは泣き顔のままアッシュの顔を見上げ――。


「うええェ、アシュくぅん……」


 くしゃくしゃと表情を崩し、再び彼の首にしがみついてきた。

 全身を押しつけ、絶対に離さないとばかりの密着度だ。まるで恋人同士のような熱い抱擁シーンに、野次馬達は「おお……」と興味深げな声を上げた。

 身内であるエドワード、ロックも興味津々に見つめ、アリシアは頬を引きつらせる。


「お、おい、ミランシャ?」


 ますます事態が悪化し、アッシュは内心で渋面を浮かべる。

 結局、アッシュが彼女を宥めるのには、十分近くも要することになるのだった。

 アリシアが終始不機嫌だったのは言うまでもない。

 ちなみにこの一連の騒動は、後に『流れ星師匠の痴話喧嘩』というお題目で面白おかしく噂として流れるのだが、それはまた別の話である。

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