第三章 赤髭公

第195話 赤髭公①

 そこは、アティス王国の市街区。

 主に学生達に重宝される《獅子の胃袋亭》にて。

 アッシュとミランシャ、アリシア達学生三人は丸いテーブルを囲んでいた。

 彼らの前には、香りたつコーヒーと紅茶が並んでいる。


「……少しは落ち着いたか」


 湯気立つコーヒーカップを片手にアッシュが、赤毛の友人にそう尋ねた。

 ミランシャは覇気のない様子でこくんと頷く。

 アッシュはふっと苦笑を受けべつつ、言葉を続ける。


「で、一体何があったんだよ? なんで皇国にいるはずのお前がこの国にいるんだ?」


 その質問に、ミランシャ当人だけでなく、アリシア達も注目する。

 ミランシャはグレイシア皇国の騎士。

 それも最強と謳われる《七星》の一人であり、さらには公爵令嬢でもある。本来ならばこんな田舎の国でいきなり出くわすような立場の人間ではなかった。

 全員が無言のまま、肩を落とすミランシャを見つめた。

 そして数秒の時間が経過し、ようやく彼女は「……あのね」と唇を動かし始めた。


「実は、アタシの実家でね――……」


 そう切り出し、ミランシャは彼女の祖父との確執を語り出した。

 しばしアッシュ達は、彼女の話に耳を傾ける。


「それでね、結局、お爺さまと喧嘩別れしてそのまま家を飛び出してきたの」


 と、本来活発な性格のはずのミランシャは、見る影もない落ち込みようでこれまでの経緯を語り終えた。

 コーヒーと紅茶の香りだけが漂う中、アッシュは「そうか」と呟き、


「またあの爺さんが原因か。まあ、お前の気持ちも分からねえこともねえが……」


 そこで呆れ果てたように嘆息する。


「他国にまで来るのはぶっ飛びすぎじゃねえか?」


 グレイシア皇国とアティス王国の距離は帆船でおよそ二週間。鉄甲船を用いても一週間はかかる。もはや『家出』というよりも『出奔』と呼ぶべき距離だ。

 それに加え、気になるのは、


「つうか、お前ってまさか《鳳火》で海を渡ったのか?」


 と、顔を強張らせて聞いてみる。

 ミランシャの愛機ならば、恐らく四日もあればこの国にまで辿りつける。ただし、不眠不休で空を飛び続ける必要はあるが。

 すると、ミランシャはしゅんと肩を落として、


「うん。かなりきつかったわ。途中で小島を見つけた時は本当にホッとしたもの」


 そう告げたところで彼女は小さく溜息をつき、


「けど、お爺さまなのよ。近隣の港は真っ先に抑えられたし、頼れるような親戚もすぐに手を打たれたし、お爺さまは元団長だから騎士団も強気には出れないわ。アルフも今は遠征中だし……」


 と、強行した理由を挙げ始める。

 アッシュは渋面を浮かべて、コーヒーを一口呑んだ。


「それで、無理してまで俺んとこに来た訳か」


「うん。もうアシュ君しか頼れないの」


 そう語るミランシャは、とても儚げだった。

 完全に覇気が失せている。ここまで落ち込むミランシャは本当に珍しい。


「あ、あの、ミランシャさん」


 すると、今まで黙って話を聞いていたアリシアが手を上げた。


「ミランシャさんのお爺さまって、どんな人なんですか?」


「ああ、それは俺も気になります。政略結婚は今でもありますが、当人の了承もなく見合いさえ省略するなど聞いたこともない」


 と、ロックも両腕を組んで相槌を打った。

 その隣でエドワードもうんうんと頷き、


「まあ、はたから聞いてもえげつねえよな。エイシスとかなら絶対にブチぎれて、問答無用でその爺さんに殴りかかりそうだ」


 気の強い同級生を横目で見ながら、そんな感想を言う。


「そんなの当然でしょう」


 例えに挙げられたアリシアは、エドワードを鋭く睨みつけて言い放つ。


「いくらなんでも無茶苦茶すぎるわ。女の子を完全に道具扱いしてるじゃない。一体いつの時代よ。時代錯誤にも程があるわ」


「……まあ、確かにな」


 気炎を吐く妹分に、アッシュは苦笑を浮かべた。


「あの爺さんはな。皇国ではかなりの有名人なんだよ」


 そして白い髪の青年は語り始める。


「グレイシア皇国の名門――ハウル公爵家の現当主。ジルベール=ハウル。長い顎鬚を胸辺りまで伸ばした爺さんで、付いたあだ名は赤髭公。その性格はマジきつくてな、一応分類すると血統至上主義者ってことになると思うんだが、それ以上に時代錯誤な男尊女卑主義者なんだよ。だからまあ、今の団長とも折り合いが悪くてさ」


 グレイシア皇国の現騎士団長は、見目麗しい女傑だ。

 皇国最強の七人――《七星》の長も務める優秀極まる人物でもある。

 が、にも拘わらず、ジルベールは彼女を認めようとしない。

 それは《七星》の一角である孫娘のミランシャに対しても同様だった。


「しかもあの爺さん、今は騎士団のご意見番みたいな立場にいてさ。女性騎士からは本気で嫌われているよ。ちなみにオトもユーリィもあの爺さんは苦手だった」


 アッシュは、何とも言えない微妙な表情をして言葉を締めた。


「あの、師匠」


 すると、ロックが少し眉をひそめて尋ねてくる。


「一応分類すると血統至上主義者とはどういう意味なんでしょうか? 普通の血統至上主義者とは何か違うんですか?」


 一般的に血統至上主義者と呼ばれる者は、自分の血筋を重んじる人間のことだ。貴族主義者とも呼ばれる彼らは総じてプライドが極めて高く、他者を――特に貴族でない者を軽視する傾向にある。中には貴族でなければ人間ではないと言い放つ人間までいるかなり過激で前時代的な思想だ。

 ただ、その主義そのものは誤解しようもないほど単純明快だ。しかし、アッシュはかなり微妙な表現をしていた。


「う~ん、そいつはな」


 アッシュはミランシャを一瞥してから腕を組んだ。


「あの爺さんが、ハウル家の血統を重視してんのは間違いねえんだが、少しばかり変わっててな。優秀な人材を見つけると、すぐに自分の一族の誰かと引き合わせて身内に加えようとすんだよ。まあ、どんどん新しい血を取りこもうとしてんだろうな」


 そこで苦笑いを浮かべる。


「一つ実例を挙げるとな。騎士時代の俺の部下って言うか――まあ、同年代ぐらいのダチでさ、ハウル家の分家筋の女の子と結婚させられそうになった奴がいたんだよ。その子、当時六歳だったんだぜ」


「「「ろ、六歳!?」」」


 と、驚愕の声を上げるロック、アリシア、エドワードの三人。

 一方、その当時を知るミランシャは深い溜息をつき、


「あの時は本当に大変だったわ。いくら本家でも強権を使いすぎよ。結局、アルフやお爺さまと比較的仲がいい副団長がどうにか諫めて話は流れたんだけど……」


 と、アッシュの話を補足した。

 アリシア達は唖然として言葉もない。


「まあ、そんな感じでさ」


 アッシュはボリボリと頭をかいて、学生達に告げる。


「とにかく厄介な爺さんなんだよ。まあ、今回の件もひでえ話だよな。ミランシャが逃げ出したくなる気持ちはよく分かるよ」


「ううぅ、アシュ君……」


 ミランシャが再び涙目になってくる。

 アッシュは「ああ、泣くなってば」と言って苦笑した。

 それから、疲れ果てたように遠い目をする。

 今回の一件。ミランシャの不遇には当然ながら同情するが、事態は彼女だけの問題では終わらないだろう。

 恐らくあの厄介な老人は――。


(まあ、今頃、団長達は大変だろうな)


 言葉には出さず、アッシュはかつての上司達に同情するのであった。

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