第192話 不運な少女の、最初の幸運②
「う~ん、流石に少し寒い感じだな」
時刻は昼の十一時。市街区にある『ミネルバ噴水広場』にて。
その青年は手を擦り合わせ、ポツリと呟いた。
年の頃は二十代前半。痩身だが鍛え上げた体と、そこそこ整った顔立ちをしており、黒い瞳と毛先だけがわずかに黒い白髪が特徴的な青年だ。
普段は作業着でもある白いつなぎを愛用する彼なのだが、今はファーで装飾された紺色の厚手のコートと、黒いズボンを身に着けていた。
彼の名前はアッシュ=クライン。
このアティス王国の王都ラズンにて、鎧機兵の工房を営む職人である。
「さて、と」
アッシュはおもむろに周囲を見渡した。
普段は周辺で露天商が市場を開き、広場の中央には《夜の女神》を象った優雅な噴水がある憩いの場所であるここも、今は若干店の数も少ない。
訪れる人々も普段に比べるとまばらだった。
(まあ、それも仕方がねえな)
アッシュは苦笑する。
年明けからまだ四日目。飲食店以外の店舗ならまだ休みに入っている時期だ。
むしろ、少しでも露店が開いているだけでも驚きだろう。
「やっぱ普段より寂しいな。こんなんで建国祭の代わりに何のか?」
アッシュは両腕を組んで「う~ん」と少し呻いた。
続けて首を傾げる。
今日、アッシュはこれからアリシアと二人で街を散策に出る予定があった。
どうして年明け早々、そんなことになっているのか。
それは、年末の建国祭が切っ掛けだった。
アティス王国の建国祭。アッシュ達は何度か組を分けて賑やかな建国祭を回った。
ただ、結果として、他のメンバーとは一通り同じ組になったのだが、意外なことにアリシアとだけは一度も同じ組にはならなかったのだ。
まあ、所詮はクジ引きで決めた組分けだ。
当然だが、同じ組にならない場合だって充分あり得る。
アリシアは何故か落ち込んでいたが、アッシュは特に気にもせずにいた。
が、そんな時だった。
『……先生。年明けでいいんです。建国祭の代わりに一日だけアリシアと付き合ってくれませんか?』
建国祭が終わった直後、いきなり愛弟子がそんなことを切り出してきたのだ。
愛弟子の顔は何と言うか、深い憐憫を抱いたような真剣さがあった。
『いや、建国祭の代わりって何だ?』
と、不思議に思うアッシュに、
『……アッシュ。お願い。アリシアさんに一日だけ付き合ってあげて』
隣に佇む愛娘がクイクイと袖を引き、同じような面持ちでお願いしてくる。
そして最後には、
『クライン。流石にあれは見ていられない。頼む。年明けに一日だけエイシスに付き合ってやってくれ』
信頼する旧友までが、少女達と全く同じ表情でそう告げてきた。
この上なく真剣な面持ちの三人にそう懇願され、アッシュはいまいちよく状況が分からなかったが、とりあえず承諾することにした。
そして今に至るのである。
「まあ、散策自体は別にいいんだが……」
アッシュは、困ったような表情でポリポリと頬をかいた。
彼にとってアリシアは可愛い妹分だ。
一緒に街を回るのは嫌ではない。きっと楽しいだろう。しかし、建国祭時の賑やかさどころか、普段の活気さえない街を散策してあの子は楽しめるのだろうか。
年長者らしく、そんなことを心配していると、
「――アッシュさん!」
不意に名前を呼ばれ、アッシュは視線を横に向けた。
そこには待ち人――アリシア=エイシスがいた。
白い毛皮のコートと、同色の帽子を身に纏う彼女は頬を少し上気させていた。
「おう。おはよう。アリシア」
アッシュはにこやかに笑う。
アリシアも口元に笑みを浮かべた。
「はい。おはようございます。お待たせしましたか?」
「いや、待ってねえさ。それよりよく似合っているぞその服」
鈍感な割には、迷うこともなく女性の服を誉め始めるアッシュ。
アリシアはますます嬉しそうに笑みを深めた。
「ふふ、ありがとうございます」
そして彼女は少し緊張するように、アッシュの元へと歩き出すが、
(うん。そうね……)
一瞬だけ足を止めて小さく息を吐くと、
(折角サーシャ達が譲歩してくれたんだもの。今日は積極的にいかなきゃ!)
そう決意する。そして思い切ってアッシュの右腕を両手で強く掴んだ。
続けて、やや控えめな胸を精一杯押し当てて青年に密着する。
その様子はまるで恋人同士にしか見えなかった。
いきなり甘え始める妹分に、少し目を丸くするアッシュ。
すると、アリシアはじっと青年の顔を見つめ――。
「それじゃあ早速行きましょう! アッシュさん!」
そう告げて、嬉しそうに微笑んだ。
◆
――場所は変わり、街外れ。
人間が乗り操縦する巨人兵器である鎧機兵の、主にメンテナンスを営むクライン工房の二階、『和』の様式を取り入れた茶の間にて。
厚手の布団を組み合わせた背の低い机を囲んで、三人の女性がそこにいた。
十代の美しい少女が二人。見た目だけなら十代後半でも充分通じる二十代前半の美女が一人という華やかなメンバーだ。
熱いお茶を両手で持ち、布団の中に足を入れる少女の一人がポツリと呟く。
「今頃、アリシアは先生とデートなんですね……」
彼女の声には覇気がない。
琥珀色の瞳と、最近伸ばし始めた銀の髪――他者の《願い》を叶える事が出来る《星神》と人間との間に生まれたハーフの証――で彩られた美貌にも陰りがあった。
サーシャ=フラム。
アッシュの愛弟子であり、アリシアの親友でもある少女だ。
普段は騎士学校の制服を着ることの多い彼女だが、今日は流石に休日。上には白いタートルネックニット。下には黒いズボンを履いていた。
「………はあ」
そしてサーシャは大きな胸を揺らして、深々と溜息をつく。
「……仕方がないだろう。まさか、建国祭があんな結果になるとはな」
と、告げるは同じく布団に足を入れ、向かい側に座る美女だった。
紫紺色の短い髪と、スカーフのような白い眼帯で右目のみを覆った同色の瞳。
抜群のプロポーションの上に、漆黒のレザースーツを纏う彼女は、やや鋭い顔立ちであるが、凛とした雰囲気を放つ女性だった。
彼女の名はオトハ=タチバナ。
本業は傭兵である彼女はアッシュの旧友であり、現在はサーシャやアリシアが通う騎士学校の臨時教官を務めている。ちなみにクライン工房の居候でもあった。
サーシャ同様に湯気の立つ熱い湯呑を手に持っていたオトハは、それをコツンと机の上に置くと、嘆息した。
するとその時、もそもそと机の下部を覆う布団が動き出した。
そして数秒後、
「……ぷはあ」
布団の中から一人の少女が顔を出す。
三人の中では最年少。見た目十二歳ほどに見える十四歳の少女。
毛先の部位のみ緩やかなウェーブがかかった、肩にかからない程度まで伸ばした 空色の髪と、神秘的な翡翠色の瞳。今は若干上気しているが、透き通るような白い肌と人形めいた顔立ちが印象的な少女だ。
ユーリィ=エマリア。
クライン工房の従業員であり、アッシュの養女でもある少女だった。
ユーリィの姿もいつもと違う。下に履いた白いスカートがほとんど隠れるぐらいの大きな薄桃色のセーターを着込んでいる。冬用の彼女の私服だ。
ユーリィは、もそもそと布団の中から一旦這い出ると、サーシャとオトハと同じように足を布団に入れたまま、その場に座った。
「あれは私も予想外。まさか、イカサマクジで悉く外れを引くとは思わなかった。アリシアさんはどちらかと言うと強運だと思っていたのに……」
と、ユーリィが正直な疑問を口にする。
建国祭の日。アッシュに恋心を抱く彼女達は密かに結託し、順番にアッシュとペアになれるようにイカサマクジを用意していた。
その計画は上手くいき、ユーリィ、オトハ、サーシャは満足のいく結果を残せた。
しかし、アリシアだけは結局、一度もアッシュとペアになれなかったのだ。
「基本的にアリシアは強運だよ」
と、アリシアの幼馴染でもあるサーシャが言う。
が、すぐに苦笑を浮かべて、
「けど、時々凄く不運になるの。特に年末から年明けぐらいの時期とか。まるで一気に借金を払うみたいに」
「何だそれは。あいつの強運は前借り制なのか……?」
と、オトハが呆れたように言う。ユーリィも微妙な表情を浮かべていた。
建国祭の後、一人だけ外れを引いて心底落ち込むアリシアを見かねて、三人は今回のデートをお膳立てしたのだ。
だが、時間が経過するにつれて、やはり少し後悔の念が浮かび上がる。
なにせ、彼女達の想い人は今、恋敵と二人っきりでデートしているのだ。
気分がいいはずがない。羨ましくもあり、不満でもある。
「……少し甘すぎる対応だったか」
と、渋面を浮かべるオトハに対し、
「……だけど、それは仕方がないと思います。あんなに落ち込んでいたら……」
「……うん。流石に無視は出来ない」
と、意見を告げるサーシャとユーリィ。
一瞬の沈黙、そして三人は盛大に溜息をついた。
しばらく彼女達は、ず~んと落ち込んでいたのだが、
「と、ところで!」
不意にサーシャが顔を上げた。
この重い空気を払拭しようと決意したのだ。
「この変わった机――『コタツ』でしたっけ? 凄く暖かいですよね」
「……ん? ああ、そうだな。これもアロン大陸特有の品でな」
オトハがふっと瞳を愛おしそうに細めて、
「建国祭の露天商で偶然見つけて、思わずクラインにねだってしまったんだ。ふふっ、久しぶりのあいつからのプレゼントだな」
と、布団と背の低い机を組み合わせた奇妙な暖房家具――コタツに片手を触れ、オトハは少女のように微笑む。
「いえ、その、オトハさん……? プレゼントで家具を選ぶのはちょっと……」
サーシャは困惑するようにポツリと呟いた。
あの建国祭の日、元々アッシュは常日頃の感謝の証として、オトハに何かプレゼントを贈る予定だったと聞く。
だが、それでも家具をねだられるとは、彼も想像していなかったに違いない。
あまりにも感性がずれているように思えるオトハに対し、サーシャは少し頬を引きつらせるのだが、隣に座るユーリィの反応は少し違った。
「……メットさん。その発想は甘い」
半眼でオトハを睨みつけて、ユーリィは言葉を続ける。
「この黒毛女、この家に居着く気満々。じゃないと家具なんてプレゼントに選ばない」
「えっ、い、いやエマリア。そ、それはだな……」
と、いきなり挙動不審になって口籠るオトハ。どうやら図星だったらしい。
「えっ? そ、そうなの?」サーシャは一瞬目を丸くする。
が、すぐにユーリィと同じく半眼になってオトハを睨みつけた。
二人の少女の注目を浴びて「むむむ」とオトハは呻く。
再び、微妙な空気が茶の間に訪れた。
しばらく続く沈黙。が、不意に三人は深々と嘆息する。
これも不毛なやり取りに思えたのだ。
そうして彼女達は、それぞれが小さく呟く。
「「「………私もデートしたいな」」」
三者三様に性格は大きく違うのだが、結局、同じ男に惚れた者同士。
完全に台詞が被るほど、気の合う三人であった。
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