第一章 不運な少女の、最初の幸運

第191話 不運な少女の、最初の幸運①

 季節は冬。『一の月』。

 アティス王国は、年明けから四日目の朝を迎えていた。

 寒風がまだまだ止まない時節だ。

 しかし、その少女は、すでに春が訪れたかのようにとてもご機嫌だった。

 室内でもまだ少し肌寒いというのに、スレンダーな肢体を惜しげもなく晒し、少し大人びた下着を身につけた彼女は、軽やかに鼻歌を口ずさんでいる。

 アリシア=エイシス。腰までのばした絹糸のような栗色の髪に、切れ長の蒼い瞳。アティス王国の騎士学校に通う十七歳の少女だ。

 そこは、アティス王国の王城区にあるエイシス邸三階。

 アリシアの私室だった。


「さて、と」


 彼女は美麗な顔立ちを「うふふ」と崩しながら、クローゼットの中に並べられた服からお気に入り――勝負服とも言う――の一着を取り出した。

 少し厚手の白い冬用タイトワンピースだ。


「よし。これなら」


 そう呟き、アリシアはタイトワンピースに袖を通した。

 さらにその上に、白い毛皮のコートと、もふもふの同色の帽子を被る。

 アリシアは立て鏡スタンドミラーの前で自分の姿を見つめた後、一回転。再び口元を綻ばせた。


「……うん。我ながらいい出来ね」


 アリシアは腰に手を当て満足げに頷く。

 これならば今日の重要ミッションも無事こなせるだろう。

 ――いや、それどころか、一足跳びに大人的な展開さえも……。


「……うふふ」


 彼女は両頬に手を当て、いやいやと首を振った。

 白い肌がうなじまでほんのりと赤く染まる。

 ――そう。何気に、勝負服は上着だけではないのだ。

 そんな願望と覚悟を密かに抱きつつ、アリシアはグッと拳を握りしめる。

 が、しばらくして、


(……けど、あの鈍感なアッシュさん相手だと流石にそこまでは行かないかな)


 不意に現実に立ち戻り、アリシアは少しだけ気落ちするように嘆息した。

 いずれにせよ、今日は彼女にとってビックイベントがある。

 現在、彼女の通う騎士学校は冬休みの真っ最中。アリシアはその残り少ない休暇の日に彼女の想い人と、二人っきりのデートの約束をこじつけたのだ。

 それが、まさに本日なのである。

 まあ、正確に言えば、数日前に終わった建国祭時のアリシアの惨状を心底憐れんだ恋敵達が、慈悲とばかりにお膳立てしてくれた舞台なのだが。


(それはともかく!)


 アリシアは再度、強く拳を握りしめた。


「うん! そもそもアッシュさんの方からアピールしてくる場合ならOKって、事前にサーシャ達とも約束しているし、きっとチャンスはあるわ!」


 元来、前向きの少女は、自分をそう奮い立たせた。

 と、その時。

 コンコンというノックと共に、ドアの向こうから「お嬢さま」とアリシアを呼ぶ声が聞こえて来た。エイシス家のメイドの声だ。


「なに? どうかしたの?」


 アリシアは帽子とコートを脱いでベッドの上に置きつつ、ドアに話しかける。

 すると、ドアの向こうのメイドは、


「朝食のご用意が出来ましたので、お呼びに参りました。旦那さまと奥さまはすでに食堂にてお待ちしておられます」


「あっ、ごめん。もうそんな時間だったんだ」


 アリシアは慌ててドアを開けると、メイドにそう謝罪した。

 そして一礼するメイドを背に、廊下を走り抜いて階段を下りていく。


「まっず……浮かれ過ぎていたみたいね」


 どうやら自分の自覚以上に高揚していたらしい。

 階段を駆け足で降りつつ、アリシアは苦笑を浮かべるのだった。



 一方その頃。


「……ふむ」


 一階の大食堂にて、カイゼル髭をたくわえた四十代前半の男性――エイシス家の当主であるガハルド=エイシスは、おもむろにあごに手を置き小さく呻いた。

 すでに彼の手元には朝食の準備が整っている。


「珍しいな。あの子が朝食に遅れるとは」


 そう言って、妻の方に目をやる。

 傍らに座る妻――シノーラ=エイシスはクスクスと笑う。

 栗色の長い髪と白いドレスがよく似合う淑女。アリシアの実母であり、一応ガハルドと同い年なのだが、今でも三十代前半で通りそうな美しい女性である。


「あの子ったら、何やら昨日の晩からとても興奮していたじゃない。きっと、今日は噂に聞く『彼』とデートなのでしょうね」


 そんなことを言う妻に、ガハルドは「ぬ、ぬう」と呻いた。

 それは、ガハルドも薄々察していたことだった。


「……やはりそう思うか。母親の勘か?」


 と、ガハルドが妻に問うと、シノーラは頬に手を当て「ふふっ」と笑った。


「まあ、あれだけそわそわしていたら母親じゃなくても分かるわ。けどアリシアの『彼』って外国では有名な騎士だった人なのでしょう? 今は工房の職人に転職したとか」


「いや、彼はまだアリシアと付き合っている訳ではないようだが……」


 やけに詳細に語るシノーラに面を喰らいながらも、ガハルドは答える。


「概ねその通りだな。しかし、随分と詳しいなお前」


「メイド達が噂しているのよ」


 シノーラは柔らかに微笑んだ。


「『お嬢さまは最近とてもお綺麗になられた。きっと噂の彼が……』ってね。実際、私の目から見てもアリシアは綺麗になっているわ」


 と、冷静に評価を下す妻に、


「う、む。そうか」


 ガハルドは渋面を浮かべた。

 正直なところ、ガハルドは『彼』の事を認めている。交際は勿論、最終的には『義息子』と呼ぶのもやぶさかではない。

 しかし、父親としてはやはり複雑なのだ。


「……あの子も恋を知る歳なのか」


 そう呟いて、ガハルドは朝早くから深々と溜息をついた。

 シノーラはそんな夫に呆れたような眼差しを向ける。


「何を言っているの。そんなの当然でしょう。あの子はもう十七歳なのよ。私達が付き合い始めたのもそれぐらいじゃなかったかしら」


「いや、確かにそうだが……」


 と、ガハルドがシノーラの前でしか見せない情けない顔をした時だった。


「――遅れてごめんなさい!」


 話題の当人であるアリシアが登場した。

 遅れて来た割には、随分と気合いの入った服装である。

 今日、何かあるのは一目瞭然だった。

 ガハルドは厳つい表情を浮かべ、シノーラは楽しげに目を細めた。


「……うふふっ」


「……? どうしたの? 母さん?」


 やけにニマニマと笑う母を訝しみつつも、アリシアは母の隣の席に座る。

 それから父と母を順に見やり、再度謝罪する。


「ごめんなさい。少し服を選ぶのに手間取っちゃって」


「う、む。そうか……服を選んでいたのか」


 と、ガハルドはどこか諦めたような顔を見せ、


「あらら。それじゃあ仕方がないわね」


 一方、シノーラはますます笑みを深めた。

 対照的な両親の反応に、アリシアは訝しげに眉をしかめると、


「ねえ、アリシア」


 シノーラは愛娘の耳元にポツリと囁く。


「お母さん、お願いがあるの。今日のデートの相手、今度この家に連れて来て紹介してくれない? だって、あなたの未来のお婿さんなんでしょう?」


 母の唐突すぎるそんな『お願い』に、


「……………え?」


 アリシアはキョトンと目を丸くした。

 が、ややあって愕然とした表情へと移り変わっていき――。


「えええっ!?」


 その後、真っ赤になったのは語るまでもなかった。

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