幕間二 《悪竜》の教団

第181話 《悪竜》の教団

「……《ディノ=バロウス教団》だって?」


 と、尋ねてくる少年に、少女は「そうだ」と頷いた。

 その日。少年と少女の二人は、彼らが所属する傭兵団・《黒蛇》のキャラバンに向かって走っていた。

 少年の名はアッシュ=クライン。黒いレザースーツを着た十六歳の少年だ。

 少女の名はオトハ=タチバナ。少年と同じ服を着た十五歳の少女である。


「奴らの服には見覚えがあった。間違いない」


 と、オトハが言う。

 今から、三十分ほど前のことだった。

 アッシュとオトハの二人は、近くの街まで買い出しに出かけていた。

 ただ、初めて赴いた街であったため、二人は若干道に迷ってしまい、人気がない路地裏に入り込んでしまった。

 そこで、いきなり二人は襲われたのだ。

 東方の大陸アロンで使われる黒い服を着た、数人の覆面男に。

 アッシュもオトハも荒事には自信がある。

 撃退自体はさほど問題ではなかったが、不意にオトハが走り出したのである。


「お、おい! オト!」


 アッシュも慌てて彼女の後を追った。

 そして走りながら聞いたのが、《ディノ=バロウス教団》のことだった。


「それって《黒陽社》と似たような組織なのか?」


 裏切りの聖者である《黒陽》を信奉する犯罪組織――《黒陽社》。

 裏の宗教集団で思い浮かぶのは、まずその名前だった。


「まあ、そうだな。ただ、奴らは《黒陽》ではなく《悪竜》を信奉する連中だ。それに思想が大きく違う。《黒陽社》が欲望優先主義者の集まりなら……」


 一呼吸入れて、オトハは告げる。


「連中はいわゆる終末主義者だ。《悪竜》を復活させ、今度こそ世界に神罰を与える。それが奴らの教義らしい。不可解な魔具を用いる連中でもあってな。正体がいまいちはっきりしない。ある意味、《黒陽社》より厄介な連中なんだ」


 オトハは渋面を浮かべた。


「終末主義者か……」


 アッシュは眉根を寄せた。


「けど、なんでそんなのが団長を狙ってくんだよ」


 今、彼らがキャラバンへ急いでいるのも、オトハの父でもある《黒蛇》の団長が《教団》に狙われていると彼女が告げたためだ。

 オトハは何か事情を知っていそうだが、アッシュには未だ状況が把握できない。

 すると、オトハは少し困惑した様子で答えた。


「私にも詳細は分からない。何故か奴らは昔からタチバナ家を狙っているんだ。私の祖父も狙われたことがあるらしい」


 と、話している間にも、二人はキャラバンに到着した。

 広い草原に幾つかのテントが設置された場所。傭兵団の仲間の姿が所々に見える。

 普段通りの光景に、アッシュは眉根を寄せた。


「襲撃されたような雰囲気じゃねえな」


「確かにな。だが、とりあえず父さ――団長のテントへ向かおう」


 そう提案するオトハに、アッシュは頷いた。

 そして二人が団長のテントに向かうと、


 ――ドゴッッ!


 いきなりテントの中から、重い音が響いた。

 アッシュとオトハは息を呑み、テントの中に駆け込んだ。


「――団長!」「父さまっ!」


「あン? 何だてめえら。やけに早い帰りだな」


 そう告げるのは、拳をボキボキ鳴らして佇む巨漢。

 筋肉質な体躯に、下あごにある大きな古傷が特徴的な、五十代の大男。

 オトハの父。オオクニ=タチバナだった。


「何だ? もう買い出しは済んだのか?」


 そんな呑気なことを尋ねてくるオオクニ。

 団長の無事な姿に、アッシュ達はホッと胸を撫で下ろすが、それも束の間。

団長の足元で仰向けに倒れ伏す人影に、二人は思わず目を剥いた。


「フーマッ!?」


 オトハがギョッとして声を上げる。

 そこに倒れ伏していたのは、黒いレザースーツを着た四十代の男性。

 傭兵団・《黒蛇》の副団長を務めるフーマ=シスンだった。

 フーマは胸板をハンマーで殴られたかのように陥没させ、絶命していた。


「ど、どうしてフーマが……」


 オトハがそんな愕然とした声をもらすと、


「ああ、そいつはフーマじゃねえよ」


 オオクニが腕を組んでそう告げた。


「副団長じゃない? それってどういうことだよ団長」


 と、アッシュが団長に聞いた時だった。

 ――パキンッ、と。

 不意に何かが割れる音がした。

 訝しんだアッシュとオトハは音のした方向に目をやり、ギョッとした。

 倒れていたフーマの顔に亀裂が入っていたのだ。しかも、その亀裂は一気に広がると、顔の上にうっすらとひび割れた仮面が浮かび上がってきたではないか。

 よく見れば、フーマの体格も一回り小さくなったような気がする。

 アッシュは少し警戒しながら、フーマの遺体に近付いた。

 そして仮面を持ち上げて見ると、そこには見知らぬ男の顔があった。


「……誰だこいつ?」


 アッシュは眉をしかめた。こんな男は傭兵団にはいない。

 オトハも近付き、眉をひそめていた。

 すると、オオクニがボリボリと頭をかいて答えた。


「そいつは刺客さ。フーマに化けてたんだよ。その《サジャの仮面》を使ってな」


「……《サジャの仮面》?」


 手の中で崩れ落ちていく仮面を見つめて、アッシュが団長の言葉を反芻する。

 それに対し、オオクニは腕を組んで語り出した。


「仕組みまでは分かんねえが、バロウス教の連中が使う魔具の一つだ。化けてえ人間の血の一滴を捧げると、その人物そっくりに変身すんだよ。ったく。フーマの奴。ヘマしやがったな。せめて無事ならいいんだが」


 そこで団長は、倒れ伏す刺客を睨みつけた。


「ふん。だが人選を誤ったな。団員は全員俺の家族で俺のガキだ。どんだけそっくりでもこの俺が自分のガキを見間違えるかよ」


 そう自信ありげに嘯く団長に、アッシュと実の娘であるオトハは苦笑を浮かべた。

 結局、この《教団》の暗殺者はフーマに化けてオオクニを殺そうとしたが、あっさりと見抜かれ、逆に返り討ちにあったということか。


「しかし団長。なんでこいつらは団長やオトを狙ってんだよ」


「いや、そいつは俺も分かんねえな。まあ、こんな稼業をしてりゃあ恨みなんぞいくらでも買うしな……って、おい小僧。今なんつった?」


「ん? いや、なんで団長やオトを狙うんだって……」


 アッシュが再び告げると、巨漢の団長はみるみる青ざめた。

 そしてガッと娘の両肩を掴み、


「お、おいオト!」


「な、何だ? 父さま――あ、いや団長」


「こいつらお前んとこにも来たのか!? 大丈夫か!? 怪我はねえか!?」


「あ、ああ。だ、大丈夫だ」


 ぶんぶんと頭を揺らす父に、オトハは目を回しつつも答える。


「ク、クラインもいたから。それにあいつら殺す気までなかったようだ」


「そうか……。さてはオトの『血』もストックする気だったってことかよ」


 自分でそう結論付け、ホッと安堵の息をこぼすオオクニ。

 それから、ゴホンとわざとらしく喉を鳴らし。


「まあ、無事ならいい。そいつの始末は俺がしとく。てめえらは戻っていいぞ」


「ああ、分かったよ。とにかく団長が無事で良かったよ」


 と告げるアッシュに、オトハも頷く。

 そして二人はテントから退出しようとした――が、


「あ、おい、ちょい待て。オト」


 不意にオトハだけ呼び止められた。アッシュはすでに退出している。


「何だ? 団長?」


 と、眉根を寄せて尋ねるオトハに、


「う~ん、俺が言うのも何だが、お前、早くあの小僧をモノにしろよ」


 彼女の父は、そんなことを言い出した。

 オトハは小首を傾げた。


「……? クラインはもう充分強いぞ。傭兵としてモノになっているぞ」


「いやいや、そう言う意味じゃねえよ。なんつうか、もどかしいって言うか……ったく。男ばっかで雑に育てすぎちまったか」


 そう言って額を打ち、深々と嘆息するオオクニ。

 今後は、もっと女性団員の入団も積極的に行うべきか。


「まぁいい。それよりオト。《教団》にはお前も気をつけんだぞ」


「ああ、分かっている」


 そう返答し、オトハはテントを後にした。

 テントの外ではアッシュが腕を組んで待っていた。


「団長、なんか言ってたのか?」


「いや、《教団》には気をつけろという話だった」


「……そっか」


 アッシュは顔つきを険しくした。


「《ディノ=バロウス教団》か。確かにヤバそうな奴らだな」


「ああ、そうだな。だが、奴らの戦闘力そのものはそう高くない。油断さえしなければ、どうにでもなる相手だ」


 そこでオトハは、あるアイディアが閃いた。

 と言うより、少しだけお願いしてみたくなったのだ。

 オトハは一度アッシュの横顔をちらりと見た後、少し悩みつつも唇を開く。


「そ、それにな。万が一、私が危機に陥ったとしても……」


 そこで一拍置く。それから何度か呼吸を繰り返す。

 そして数秒後、彼女は年齢相応の少女の笑みを見せて――。


「そ、その、お前が、私を助けてくれるんだろう?」


 勇気を振り絞ってそう告げた。


「へ? 俺がか?」


 アッシュは一瞬だけ困惑するような表情を見せてそう返した。

 しかし、真剣な眼差しを見せるオトハの前に、すぐに面持ちを改めると、


「……そうだな」


 アッシュは苦笑しつつも約束する。


「お前がヤバくなったら、俺が助けてやるよ」


 その言葉に、オトハは少し顔を赤くした。

 続けてとても小さな声で「ふふっ、上手くいった」と呟いた後、


「うむ。期待しているぞ。クライン」


 そう言って、オトハは笑った。

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