第七章 求めるモノは……。

第182話 求めるモノは……。①

 わずかな照明が注ぐ薄暗い部屋の中。

 ズキンッと響く足の痛みで、オトハは目を覚ました。


(……ここは?)


 うっすらと瞼を開けて周囲を見渡す。

 そこは、窓のない広い石造りの部屋だった。

 周囲には幾つかの木箱と机と椅子。部屋の端には天井へと続く石段がある。

 どうやら、この部屋はどこかの地下室のようだ。

 続けてオトハは自分の姿に目をやった。

 彼女は今、両手に手枷をはめられ、天井から鎖で吊るされている状態だった。高さは両膝をつく程度の位置。さらに見れば右足に包帯が巻かれていた。恐らく『奴ら』が失血死させないために止血したのだろう。身につけていた赤いサーコートはないが、それ以外には特に衣服に乱れはない。少しホッとした。しかし、毒の効果が残っているのか、身体にはほとんど力が入らず完全に捕えられた状況だ。

 オトハは、険しい顔つきで眉根を寄せる。


(……これは、まずいな)


 正直なところ、怖ろしく危険な状況だった。

 彼女の傭兵人生の中でも一、二を争う危機である。


(完全にしてやられた。まさか狙いがフラムではなく私だったとは……)


 今回の脱獄事件を仕組んだ黒幕は、ゴードン=ジラールでなくても、恐らくはアンディ=ジラールの関係者だと、オトハも騎士団も思い込んでいた。

 あくまで狙いは、サーシャだと考えていたのだ。

 それが、まさかこんな裏があろうとは……。


(《ディノ=バロウス教団》か)


 何かとタチバナ家を狙ってくる狂信者達。

 一体、奴らの目的は何なのか――。


(いや、それよりも今は)


 オトハはわずかに身じろぎした。


(どうにかして脱出しなければ洒落にもならん)


 ――ガシャガシャ、と。

 腕を動かしてみるが、手枷が外れそうな様子はなかった。

 少なくとも今の体調に加え、この体勢では独力での脱出は不可能か。


(……くそ。これは状況が変わるのを待つしかないか)


 オトハの胸にわずかな焦燥が宿る。

 十代の頃にした大失態。危うく山賊に手籠にされかけた危機。

 トラウマでもあるあの光景が、嫌でも脳裏によぎる。

 オトハは、グッと唇を噛んだ。

 未だ自分が生きているということは何かしらの尋問があるのだろう。そしてオトハは女性だ。かなりの高確率で、あの時と同じようなことをされるに違いない。

 それは、当然ながら強い嫌悪を感じる。


(……クライン)


 思わず相棒であり、想い人である青年の名を思い浮かべる。

 しかし、あの時は偶然助けてくれた彼も、今回ばかりは当てには出来ない。

 そもそも、オトハが攫われたことにさえ気付いていないはず。

 今回の事件の裏であの《教団》が動いているなど気付けと言う方が無理だった。

 騎士団も同様だ。外部からの救出は期待できない。

 オトハは小さく息を吐き、覚悟を決めた。


(独力でどうにかするしかない。まずは体調を回復させないと)


 そしてオトハが自分の身体を再確認しようとした時だった。

 ――ガタンッ、と。

 不意に天井のドアが開いた。

 そして、ぞろぞろと三人の男が石段を降りてくる。

 全員が三十代~四十代。

 先頭に白髪の目立つ栗色の髪の男。その脇に、小太刀を携えた筋肉質な男と、トランクケースを持った不気味さが際立つ猫背の男だ。

 男達はおもむろにオトハの前で立ち止まると皮肉気に笑った。


「お目覚めのようだな。タチバナの姫君よ」


 そう告げたのは、栗色の髪の男――ハン=ギシンだ。

 オトハは雰囲気から彼がリーダー格だと見抜き、睨みつける。


「ふん。最悪の目覚めだ。貴様らは女のエスコートの仕方も知らんのか」


「それはすまない」


 ハンは肩をすくめた。


「しかし、女獅子の捕え方ならこんなものだろう」


「……獣扱いとは随分と酷い評価だ」


 オトハは、不本意そうに吐き捨てる。

 すると、猫背の男が「クヒヒ」と笑い出した。


「安心しろ《天架麗人》。クヒヒ。少なくとも私はお前を『女』として見ているよ」


「…………」


 そんなことを告げる男を、オトハは睨みつける。

 こういう下卑た男の反応は、今までもよく見て来た。何回見ても苛立ちを抱く。


「クヒヒ。楽しみだ。本当に楽しみだ。噂に名高いかの《黒蛇》の美姫。一体どんな顔をして鳴くのか……」


 そう独白して、ますます下卑た笑みを浮かべる猫背の男。

 オトハは、内心で鳥肌が立った。

 身体が自由ならば、即座に殴り飛ばす類の男だ。


「……まあ、そう焦るな。ダイモン」


 ハンがそう言って猫背の男を制した。

 ダイモンと言うのは、猫背の男の名前だった。


「お前の趣味をとやかく言うつもりはないが、まず一度ぐらいは聞くのもいいだろう。何事も手間がない方がいい」


 と、宣言し、ハンは両膝をつくオトハを見据えた。

 そしてハンは彼らの目的を語り始める。


「《天架麗人》。我々がお前を攫った理由は他でもない。お前が所有する我らが秘宝を奪還するためだ」


「……秘宝だと?」


 その台詞に、オトハは眉をひそめた。


「何の話だ? 私は宝など持っていないぞ」


 心当たりが本当になかったので率直に言う。と、ハンは鼻を鳴らした。


「ふん。ならばはっきり言おう。我々の求めるモノは《悪竜の尾》だ」


「……《悪竜の、尾》?」


 そこでオトハはハッとする。一つだけ思い当たったのだ。


「ま、まさか、お前達の言う秘宝とは『屠竜』のことなのか!」


 タチバナ家に代々伝わる御神刀。かの《悪竜》の尾の骨を削り取って造られたと

いう大太刀だ。まあ、最近アッシュに偽物疑惑をかけられた代物ではあるが……。

 オトハは愕然として問い返した。


「で、では、お前達は、ずっとあの刀を狙って私達にしかけていたのか……」


「当然だ。貴様達が『屠竜』などと名付けたあの《悪竜の尾》は、我らの秘宝。我らの元にこそあるべき秘宝なのだ」


 と、ハンは言う。


「我々が《悪竜の尾》の存在を確認したのは今から五十年ほど前。すぐさま奪還に動いたのだが、貴様らタチバナ家の人間はどいつもこいつも化け物揃い。特に貴様の父親には一体何人の同胞が殺されたことか……」


 ハンは感慨深げに嘆息する。が、すぐにふっと笑い、


「しかし、《悪竜の尾》は貴様に継承され、我々はチャンスを得た。まさかこれほど容易く貴様を拉致できるとはな。いかに《七星》といえど所詮はまだ小娘か」


「…………クッ」


 オトハは歯を軋ませて呻く。


「まあ、とは言え、まだ完全に秘宝を取り戻した訳ではない」


 ハンは皮肉気に言葉を続ける。


「《悪竜の尾》をこの場に召喚しない限りな。クラーク」


「……おう」


 ハンにクラークと呼ばれたのは、小太刀を持つ筋肉質の男だった。

 今まで沈黙していた彼は、小太刀をハンに差し出した。

 ハンはその小太刀を片手で受け取り、


「このお前の召喚器。これで《悪竜の尾》を呼び出せるのだが……」


 そこで深々と嘆息する。


「基本的に召喚器は主人にしか使えない。クラークのような職人ならばその設定の解除もできるが、それには早くても三日はかかってしまう。そんなに時間がかかれば、もう一人の《七星》もお前の不在を疑うだろう。それは非常にまずい」


 そこで提案だ、とハンは続けた。


「お前にここで《悪竜の尾》を召喚してもらいたい。時間が経つほど《双金葬守》はお前の不在を訝しむ。我々は今日にでも撤退したいのだ」


「……ふん。それは随分と自分勝手な提案だな」


 オトハはキッと睨みつけて吐き捨てた。

 すると、ハンは小太刀を片手に肩をすくめた。


「いやそうでもないぞ。お前にもメリットはある。もし召喚してくれるのなら……」


 一拍置いて《教団》の実行隊長は言う。


はしない。『女』として綺麗な身体で死ねるぞ」


「…………」


 オトハは無言のままハンを睨みつけた。

 凌辱されて殺されるか。ただ殺されるのか。

 どうやらその二択だけらしい。視界の端ではダイモンが「クヒヒ」と笑っていた。

 オトハは、ふっと苦笑を浮かべる。

 馬鹿馬鹿しい選択だ。そんなもの答えは決まっている。

 そして彼女は明確な意思を以て答えた。


「ふん。断る。誰がお前達なんぞに協力などするものか」


「……ほう。『女』よりも『戦士』の誇りを選ぶか」


「……そうではない」


 オトハは立ち塞がる三人の男を睨みつけた。


「私を抱いてもいいのは私よりも強い男だけだ。お前達はそうではない。もしお前達が私に触れようとするのならば……」


 そこで彼女は大きく息を吐き、告げる。


「私は自ら死を選ぶ。この場で舌を噛み切ってみせるさ」


 オトハの紫紺の瞳には覚悟が宿っていた。

 ハンとクラークはわずかに顔つきを険しくする。

 ――が、ダイモンだけは「クヒヒ」と笑い、


「いいねえ。実に私好みだ。ますます鳴き顔が見たくなったよ。クヒヒッ。しかし《天架麗人》。そもそも、お前は我々に負けてここにいるんだぞ。お前の理屈なら、我々にはお前を好きにする権利があると思うんだがね」


 と、そんなことを告げる。

 しかし、それに対し、オトハはふんと鼻を鳴らした。


「ならば言い直そう」


 そして彼女は、はっきりと宣言する。


「私を抱いていいのは世界でただ一人だけだ。あいつ以外の男が私に近付くな」


 この状況でなおそう言い放つ女傑に、男達は一瞬言葉を失った。

 だが、ハンだけはわずかに苦笑を零して、


「……ふん。大した女だよ。まあ、いずれにせよ、やはりお前はここで殺すべきだな。我らが盟主にお喜び頂くためにも」


 オトハは眉根を寄せた。


「………盟主だと?」


 初めて聞く名称だ。《教団》の教主的な存在なのだろうか。

 すると、ハンは皮肉気に笑った。


「我らの内々の話だ。気にするな。それよりもお前の返答を聞いた。ならば、我々としてやることは一つだ」


 ハンはダイモンを見やる。

 そして猫背の部下に小太刀を渡す。


「後は任せる。好きにしていいが、必ず二時間以内に召喚させろ」


「クヒヒ。了解です。隊長」


「……私に触れれば舌を噛み切ると言ったぞ」


 オトハは毅然とした表情で男達にそう告げるが、それに対し、ダイモンが小馬鹿にするように鼻を鳴らした。


「クヒヒ。舌を噛み切るというのは、そんなに容易じゃないんだぞ。その麻痺が取れない身体じゃあ一発で噛み切るなんて不可能さ」


 そこでダイモンは持っていたトランクケースを床に置き、ガチャリと開けた。

 その中には、様々な機具や瓶に入った液体状の薬品が入っている。

 ダイモンはその中から小型の注射器と赤い薬品を取り出した。


「クヒヒ。簡単に自殺できると思うなよ。俺は薬物の専門家でな。意識だけ残して身体の自由を完全に奪うクスリだってある。じっくりと堕としてやるからな。クヒヒ」


「…………」


 オトハは無言でわずかに顔を強張らせた。

 嫌でも最悪の展開を思い浮かべる。


「……《天架麗人》」


 ハンは哀れむような瞳でオトハを見つめた。


「選択を誤ったな。だが、これもお前が選んだ運命だ」


 そう言って、ハンとクラークは背を向けた。

 一人、ダイモンだけは、下卑た笑みを浮かべてオトハに近付いてくる。

 オトハは頬に冷たい汗を流した。

 女としての本能が、激しく警鐘を鳴らしている。

 このままでは……と、静かに息を呑んだその時だった。

 ――ドゴンッ!

 と、いきなり上階から人間が吹き飛んできたのは。


「な、何事だッ!?」


 ハンが息を呑む。石段を転げ落ちてきたのは彼の部下の一人だった。

 倒れ伏したその男は、顔を大きく腫らして気絶していた。

 訳も分からず全員が緊張する。

 すると、コツコツと音を鳴らして誰かが石段を降りて来た。

 その姿を見て、全員が驚愕で目を剥いた。

 特に、オトハの驚きは一際大きかった。鼓動が一気に跳ね上がる。


「――ば、馬鹿なッ!? どうしてお前がここにいる!?」


 あまりにも唐突すぎる事態に、思わずハンが叫び声を上げた。

 一方、それに対し、訪問者たる白髪の青年はボリボリと頭をかき、


「ええっと、まあ、俺の説明の前に、先に訊きてえことがあるんだが……」


 そう呟くなり、青年の姿はかき消えた。

 そして次の瞬間には、めり込む勢いの横蹴りをダイモンの顔面に叩きつけていた。

 ダイモンは「ぐぎぇ」と蛙のような声を上げて吹き飛び、壁に張り付いた。


「とりあえず、ヤバそうなモンを持っている奴だけは排除しとくか」


 青年はその場に落ちてあった小太刀を掴み取ってそう嘯く。

 そして、未だ言葉もないハン達と、ポカンとしているオトハの前で、その青年――アッシュ=クラインは気安い口調で尋ねた。


「で、おっさん達よ。あんたら一体どこの誰なんだよ?」

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