第180話 復讐の鬼④

 際限なく湧きあがる大歓声。

 次々と生徒が校舎から駆け出し、人の集まるグラウンド。

 その中心に銀髪の少女と、純白の鎧機兵の姿がある。

 多くの級友に囲まれた彼女は、満面の笑みを浮かべていた。

 勝利に沸き、喜びが溢れ出ている光景だった。

 ――が、その光景を見つめて、眉をしかめる者もいた。


「くそ。なんてこった。俺の《四腕餓者》が……」


 ギリギリ、と歯も軋ませる。

 グラウンド近くにある雑木林の中。

 密かにサーシャ達の様子を窺っていた男が、そう呻く。

 彼が手塩をかけた四本腕の鎧機兵は、今や無残に破壊されていた。今回の計画のためにあの機体を捨て石にすることは了承している。破壊されることも覚悟していたが、ロクに性能も発揮できず、ああも一方的に潰されては苛立ちを隠せない。


「そう苛立つな」


 と、彼の仲間が声をかける。

 今この場には、四人の男が木々に身を潜めていた。


「これも想定の範囲内だろ。それより重要なのはここからだ。慎重に計画を――」


「……ほう。お前達にはまだ何か計画があるのか?」


 不意に響いた凛とした声に、男達は息を呑んだ。

 ――が、動揺も一瞬だけ。

 すぐさま顔つきを鋭くすると、全員がある方向に目を向けた。

 そこには黒いレザースーツの上に、赤いサーコートを着た女性が佇んでいた。

 小太刀を手に構えた、オトハ=タチバナである。

 男達はそれぞれが腰に差していた短剣を抜き放つ。そして全員が警戒し身構える中、男の一人が神妙そうに口を開いた。


「………貴様。どうしてここが分かった」


「ふん。元々はフラムを援護できそうな場所を探していたんだが……」


 オトハはグラウンドにいるサーシャ達の方を一瞥した後、男達を睨みつけ、


「まさか、先客がいるとはな」


 そう呟いて、皮肉気な笑みを見せた。

 しかし、よくよく考えれば、サーシャを援護できる場所ということは、ジラールを援護できる場所でもあるということだ。

 そこに、ジラールの仲間が潜んでいても不思議ではなかった。


「だが、これは都合がいいな」


 オトハは小太刀をすっと薙いだ。


「フラムの方はもう大丈夫だろう。後はここでお前達を捕えれば、今回の脱獄事件の黒幕の正体も分かるな」


 そう言って、オトハは一歩前に進み出た。

 全く隙のない女傭兵を前にして、男達に緊張が走った――その時だった。


「タ、タチバナ教官?」


 ――ガサガサ、と。

 草木の揺れる音と共に、不意にかけられた少女の声。

 オトハはほんの一瞬だけ息を呑んだが、声の主を一瞥してわずかに安堵した。

 いきなり林に現れたその少女は、オトハの知っている人物だった。


「気をつけろ。こいつらはジラールの仲間だ」


 オトハは少女に警告する。


「ここは私に任せろ。お前は教官か騎士を呼べ。分かったな。


 そう指示をする――が、そこでオトハはハッとした。

 自分が今言った台詞の中に、あり得ない名前があったことに気付いたのだ。

 何故ならリアナ=エーデルは、つい先程までジラールに人質にされていて……。


「――し、しまッ!」


 異常事態を察したオトハは、即座にエーデルの方へ振り向いたがすでに遅かった。

 ――ドスッ、と。

 突如、右太もも辺りに走る激痛。レザースーツに包まれたオトハの足には、一本の矢が深々と突き刺さっていた。

 誰が放った矢なのか。それは確認するまでもない。

 ボウガンを構えたエーデルだった。

 少女は十代とは思えない老獪な笑みを浮かべていた。


「き、貴様……何者だ」


 オトハが矢を引き抜き、エーデルに問う。

 すると、その返答のつもりなのか、エーデルは自分の顔に触れた。

 そして――オトハは目を見開いた。

 いきなりエーデルの姿が変化し始めたのである。小柄だった体格は徐々に大きくなり、長かった髪は瞬く間に短くなる。さらに口元は男性のものに変貌し、最後には顔の上半分には無貌の仮面が浮かび上がった。

 そうして数秒後、そこにいたのはもはや少女ではなく、別人の男だった。

 オトハはその現象に――いや、その仮面に見覚えがあった。


「それは《サジャの仮面》か! では、貴様らはバロウス教の……ッ!」


「……ご名答だ。まあ、この仮面を見れば気付くのも当然か」


 と、仮面の男――ハン=ギシンが言う。

 オトハは歯噛みした。と、同時にガクンと膝をつく。


「く、くそ……や、やはり毒、を……」


 恐らくボウガンの矢に仕込んであったのだろう。

 強い眩暈と共に、全身の感覚が鈍る。視界も歪んできていた。

 すでに握力もなく、小太刀も地面に落としている。


「当然だ。お前のような化け物を捕縛するのなら、これぐらいの準備はするさ」


「捕、縛? 準備、だと?」


 今にも瞼を落としそうな眼差しでオトハは問う。


「ああ、そうさ」


 ハンはくつくつと笑う。


「わざわざあんなガキを使ったのも、標的を別人と思わせてお前の油断を誘うためだ。お前があの少女を守るためにここへ来ること自体が我々の罠だったのさ」


「……わ、な?」


 オトハはそう呻き、もう片方の膝も崩れ落ちた。

 両膝を地についても、どうにか倒れずにはいるが、今のオトハは意識をかろうじて繋ぎとめているような状態だった。

 男達は互いの顔を見合せて首肯する。怖ろしく手強いはずの女傭兵の覇気のない姿を見て、かの《天架麗人》を完全に無力化したと確信したのだ。

 そして彼らはオトハに近付くと、グイッと左右から彼女の両腕を持ち上げた。

 完全に脱力した彼女は、まるで十字架にかけられたように動けない。


「ふん。流石のお前も毒には勝てんか」


 ハンは仮面を外し、オトハにゆっくりと近付く。

 そしてオトハのあごを片手で掴み――。


「では、我々の隠れ家へ招待しようか。《天架麗人》よ」


 ニヤリと笑ってそう告げる。が、オトハはぐったりとして口も開けない。

 だが、それでも最後の力を振り絞ってハンを睨みつける。


「……ふん。あの男の娘だけあって闘志だけは失わんか」


 ハンはまるで独白のように、そう言い放つ。

 そして、その言葉を最後に。

 オトハの意識は、闇の中に落ちていった。



       ◆



「――ははっ。こいつは随分と騒がしいな」


 ユーリィを前に乗せ、愛馬で騎士学校に駆けつけたアッシュは、想像以上に騒がしい景観に思わず苦笑を浮かべた。

 眼前に広がるグラウンドには騎士や教官、生徒などで見渡す限り人だらけだった。

 ライザーからジラールの騎士学校襲撃の報を受けたのが、四十分ほど前。

 すでにジラールは逮捕し、サーシャも無事だと聞いてホッとしたアッシュとユーリィだったが、それでも不安はある。

 ゆえに今日はすぐさま店じまいし、こうして愛馬で駆けつけたのである。


「メットさんはどこにいるんだろ?」


 ユーリィが小首を傾げて呟く。と、


「おっ、あそこにいるぞ。グラウンドの中心」


 アッシュが指を差して教える。

 この人だかりでも騎乗しているおかげで、あっさり見つけられたのだ。

 アッシュは、まず近くの林まで移動すると、ユーリィを降ろし、木の幹に愛馬の手綱を括りつけた。それからユーリィの背中をそっと押す。

 ユーリィはキョトンと小首を傾げた。


「……? アッシュ?」


「ん。ユーリィは先にメットさんの所に行ってくれ。ジラールは捕えてもまだあの野郎の仲間がいるからな。俺はオトや騎士達に状況を聞いてから行くよ」


 アッシュにそう告げられ、ユーリィはこくんと頷いた。

 そして彼女は人混みに向かって走っていった。

 それを見送ったアッシュは、まず近くの騎士にオトハの居場所を聞くことにした。

 現状を知るのなら、彼女に聞くのが一番だからだ。

 しかし、最初に出会った年配の騎士は居場所を知らないと答えた。

 アッシュは仕方がなく二人目の騎士を見つけて再度質問した。


「えっ? タチバナ殿ですか? 自分は見ていませんが……」


「……おう。そっか。ありがとう」


 二人目の騎士も外れだった。

 アッシュは、今度は生徒の方にも聞いてみたが、


「いや、知らないっすよ。そういや、今日は一度も教官を見てないっすね」


「……そうか。ありがとな」


 またしても外れ。その後も何人かの生徒や騎士。教官にも聞いてみるが、誰一人とてオトハの居場所を知る者はいなかった。


「……どういうことだよ」


 流石にアッシュは眉根を寄せた。これは明らかにおかしい。オトハが護衛対象であるサーシャを残して、どこかに消えたと言うのか。

 アッシュの知るオトハは、そんな無責任な人間ではない。

 しかし、実際、この場にオトハはいなかった。


(……オト。お前……)


 アッシュは再び眉根を寄せた。

 オトハが、ここで姿を消す意図が分からなかった。


「………オト」


 奇妙な困惑とわずかな不安を抱いて、アッシュは呟く。


「お前、一体どこに行ったんだよ……?」

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