第156話 火のカーニバル③

 ――ギュウゥゥ。

 と、ユーリィは必死にアッシュの腰を掴んでいた。

 言葉は発さない。

 ユーリィが悲鳴の一つでも上げればアッシュが動揺するからだ。


(……アッシュ)


 内心でユーリィは考える。

 素人判断だが、今のところ戦況は互角のように見えた。

 互いにある程度、手の内を知っている分、若干膠着状態にあるようだ。

 だからこそ、アッシュの集中力を削ってはいけない。

 相手は《九妖星》の一角。

 わずかな動揺が敗北を招く可能性は、充分すぎるほどある。


(だから邪魔しちゃいけない)


 そう決意し、ユーリィは声を出さず手に力を込める。

 これだけで自分が無事だと、アッシュにはっきり伝わるだろう。

 そして、ユーリィはグッと唇をかみしめて――。


(……アッシュ、頑張って)


 と、心の中で青年に声援を贈った。



       ◆



『かかかか――ッ!』


 と、大空洞にガレックの哄笑が響き、《火妖星》の上半身が宙を蠢く。

 そして身構える動作もなく突如加速し、鋭利な爪で《朱天》に襲い掛かる!


『――チッ!』


 手甲での防御が間に合わないと判断したアッシュは、わずかに機体の重心を沈めて回避する――が、完全にはかわせず装甲の第一層が抉られた。

 黒い破片が宙を舞った。

 しかし、アッシュとてやられっぱなしではない。

 再び宙空へ《火妖星》が離脱する前に、敵機の二の腕、手首を掴み、剛力にものを言わせて地面に投げつける! 


『――ぬおおッ!?』


 流石に動揺するガレック。《火妖星》は二度、三度と地面をバウンドした。

 操縦席にいるガレックにとっては堪ったものではない。

 その上、ダメ押しとばかりに《穿風》まで叩きつけてくる。無防備な状態で直撃を受けた真紅の装甲に亀裂が走り、重心を崩した《火妖星》は片手で機体を支えた。


『かかっ! やってくれるな! アッシュ=クライン!』


 少しふらつく頭を振りながら、ガレックはそれでも楽しげに笑う。

 そして愛機・《火妖星》はもう片方の手もズシンと地につけ、四足獣のように身構えた状態で《朱天》と対峙する。


『職人なんぞ酔狂な事やってから腕が落ちてるのかと思ってたぜ』


 そんなことを告げるガレックに対し、


『余計な心配だ。それなりに訓練はしてるよ』


 と、皮肉気に答えるアッシュ。


『それに俺の二つ名は《双金葬守》だぞ。ユーリィを嫁に出す日までは戦士を引退できねえ――って、ユーリィ? なんで俺の腹に爪を立てるんだ?』


 何故か、無言でアッシュの腹筋に爪を立てるユーリィに疑問を覚えつつ。


『ともあれ、てめえを生かしておいても俺にはデメリットしかねえ。この場で後腐れなく塵にさせてもらうぜ』


『かかかっ! おっかねえ野郎だな。そんじゃあ殺されちゃあ敵わねえから、そろそろ俺も芸の一つでも見せようか』


 言って、不敵に笑うガレック。

 その直後、蛇の頭部を象った兜から真っ白い霧のような物が噴き出してきた。

 それは瞬く間に周囲に散布され、《火妖星》の機体を覆い隠す。


『――ッ! てめえ!』


 アッシュはすぐさま《穿風》を繰り出した――が、不可視の力は霧に穴を穿ちつつもそこにはすでに《火妖星》はいなかった。

 ――恐らく、霧に紛れて襲い掛かるつもりか。


(……だが、どうするつもりだ? ここまで霧で覆い尽くしちまうと、かなり近付かねえ限り互いに見えねえはずなんだが……)


 この霧には見覚えがある。

 互いの姿が一切見えなくなる撤退用の煙幕だ。

 本来ならば、戦闘に使用するものではないのだが……。

 と、その時、アッシュの背筋に悪寒が走る!


『――くッ!』


 アッシュは《朱天》を加速させた。直後、霧に四つの斬線が奔る!

 その不可視の爪撃は、咄嗟に回避した《朱天》のすぐ傍を通り抜け、岩壁に大きな亀裂を刻みつけた……。

 恒力を刃の形で放出する《黄道法》の闘技・《飛刃》だ。

 オトハがよく使う闘技であり、今の威力は彼女のそれと遜色ないものだった。


(……あっぶねえ。大雑把に当たりをつけて放ったのか?)


 と、アッシュが眉をしかめている内にも《飛刃》はさらに襲い掛かってくる。

 目の前の霧に幾つもの斬線が走った。


『くそッ!』


 アッシュは直感のみで斬撃を回避した。そして斬線が走った場所に《穿風》を撃ち返すのだが、やはりその場に《火妖星》の影はない。

 察するに、反撃を予測して攻撃と同時に移動しているのだろう。

 アッシュは忌々しげに唇をかむが、その間も爪撃は襲い来る。同じ場所には一度も留まらず常に場所を変えているのだが、《飛刃》は正確に《朱天》を狙ってくる。

 不可解な戦況に、アッシュは眉根を寄せた。


(どういうことだ? あいつは何故こうも正確に――)


 と、そこでアッシュは自分の失態に気付く。


『しまった! 《朱焔》の光か!』


 現在、《朱天》は《朱焔》を二本開放している。

 その紅水晶のような角には、鬼火のような紅い光が灯っているはずだ。

 だとすれば、霧越しであっても《火妖星》の目には、さぞかし分かりやすい目印になっていることだろう。どこに逃げても一目瞭然だ。

 霧の中に光。あまりにも定石すぎる目印に、かえって失念していた。


(くそッ! 一旦、《朱焔》を解除するか? いや、この状況なら――)


 と、アッシュはすぐさま対応策を考えるが、わずかばかり遅かった。

 突如、目の前の霧に四つの斬線が走ったのだ。


『――ッ!』


 対策に思考を割いていた分、ほんの一瞬だけ反応が遅れる。

 その直後、《朱天》が衝撃で震えた。

 そして、ズズンと重い落下音が間近で響く。

 ただそれだけで、アッシュは愛機の損害状態を知った。


『……くそったれが』


 アッシュは小さく呻いた。





「――おっ! もしかして大当たりか!」


 霧の向こうから聞こえた重い振動音に、ガレックはほくそ笑む。

 この霧は逃走用なのだが、今の状況なら使えると判断したのは正解だったようだ。


「かかかっ! 目立ちすぎんだよ。お前さんの《朱焔》はな!」


 ガレックは不敵に笑い、更に追撃を加えようと愛機の右腕を振り上げさせた。

 しかし、その寸前にガレックは目を瞠った。


「な、なんだ……ッ!」


 いきなり霧が鳴動し始めたのだ。

 まるで広範囲の突風に押し流されるように霧全体が振動していた。


「う、うおッ!?」


 その上、《火妖星》の巨体までが不可視の力に呑み込まれる。

 予想外の不意打ちだったため、その場に留まることも出来ず《火妖星》は岩壁まで吹き飛ばされ、勢いよく叩きつけられる。

 ガラガラと岩壁が崩れた。


『お、おい。何だ今のは……』


 流石に困惑を隠せないガレック。

 すると、前方から聞き慣れた声が聞こえてきた。


『……《天鎧装》って言うんだ。憶えときな』


 そう告げるのはアッシュの声だった。


『へえ、聞いたことのねえ闘技だな。お前のオリジナルか?』


『ああ、この国に来てから開発したんだよ』


 と、淡々と語るアッシュに対し、ガレックは小さく舌打ちする。

 いつしか大空洞の霧は完全に晴れていた。今の衝撃波で一掃したのだろう。

 ――《黄道法》の放出系闘技・《天鎧装》。

 機体全身から全方位に向けて恒力を噴出する闘技である。

 本来は防御用なのだが、アッシュはそれを、霧を一掃するのに使用したのだ。


『かかかっ、やっぱこんな小細工は長くは続かねえか』


 ガレックは自嘲するように笑う。

 しかし、同時に、ニヤアと目尻を下げた。


『だが、思いのほか成果はあったみてえだな。かかかっ、いくら訓練していても実戦から離れりゃあ勘だけは鈍るか』


『…………』


 ガレックの挑発に、アッシュは何も答えない。

 正論すぎて反論できなかったからだ。

 アッシュはちらりと愛機の右腕へと目をやった。

 大地をも砕く鋼の剛腕。

 本来あるべきそれが――今はなかった。

 丁度、二の腕辺りから見事に切断されているのである。


『かかかっ! まさか、あんな小細工で片腕を奪えるとはな。おいおい、結構ヤベえ状況なんじゃねえの? アッシュ=クラインよ』


 ズズズッと蛇体を動かして立ち上がる《火妖星》。

 ガレックはくつくつと笑っていた。


『さて。俺の《火妖星》相手に片腕でどこまでやれるか見せてもらおうか』


 言って、《火妖星》を身構えさせる。

 対するアッシュはしばし無言だったが、不意にふっと笑い、


『……これぐらいなら問題ねえよ。昔から《朱天》はやたらと腕をもがれることが多かったからな。対応策ならいくらでもある』


 と、気負いもなく言い放つ。

 主人の闘志を受け、愛機である《朱天》も左拳を構えて《火妖星》と対峙した。

 二機の鎧機兵は互いに円を描くように間合いを測り始める。

 そしてそんな緊迫の中、アッシュは臆せずに告げた。


『さあ、かかってきな。てめえなんぞ片手で充分だってことを証明してやるよ』

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