幕間一 来訪者
第146話 来訪者
ガタガタ、と。
一台の馬車が街道を進む。
農夫が使うような幌なし馬車ではない。
二頭の馬で牽引される箱型の黒い馬車。デザインはシンプルであり、装飾も質素ではあるが、王侯貴族が使用してもおかしくないほどの上等な馬車である。
そんな馬車のキャビンの中で、その人物は杖に両手を置いて瞑想していた。
ボーガン商会の主人。ボーガンその人である。
(……もうじき到着か)
灰色のスーツに身を包んだ老紳士は、すっと目を開ける。
そして窓の外に目をやった。
そこは岩肌が目立つ街道だった。先程までは草原や林が見えていたのだが、ほんの少し瞑想していただけで随分と殺風景になってしまった。
ボーガンは苦笑する。
まるで今の自分の心境のようだ。
「……確かに計画自体は順調のようだが」
本当に上手くいくのか。
どうしてもその不安は消せない。
「……ふう」
そして小さく嘆息する老紳士。
最近よく思い出すのは若い頃の経験だ。
彼は若い頃、西方のエルサガ大陸において事業に失敗し、この国に流れ着いた。
そこから心機一転。再び商売を興し今やこの国有数の商会にまで成長させたのだ。
正直な話、危うい橋は渡ったのは一度や二度ではない。
「我ながら無茶をしたものだ」
ゆっくりと移りゆく窓の景色を眺めながら、ボーガンは苦笑を浮かべる。
しかし、そういったリスクを乗り越える度に商会は大きくなり、強い高揚感と達成感を覚えたものだ。その時の興奮は今でも忘れられない。
だからこそ分かる。今回の事態は、ある意味当然の帰結だったのだろう。
だが、それでも――。
「功を焦ったか……」
グッと杖を握りしめ、ボーガンは呟く。
果たして実際の現状がどうなっているのか。
それをこの目で確認するために、ボーガンはここまでやって来たのだ。
「旦那様」
と、その時、御者台から声をかけられた。
商会の人間ではなく、ボーガン家の使用人の声だ。
二十年以上の付き合いで、ボーガンが信頼を置く人間でもあった。
「もうじきグランゾに到着致します。外壁が見えてきました」
「そうか」
ボーガンは短くそう返した。
そしてしばらくしてから、馬車はグランゾの正門をくぐった。
アティス王国に所属する街や都市は、例外なく外壁を持っている。
グランゾの周辺は荒野に近いので魔獣などはほとんどいないのだが、それでも万が一を考えた構造だった。
「……ほう」
ボーガンは小さく感嘆の声をこぼす。
王都と比べれば常に外壁が見えるので若干の閉塞感はあるが、活気のある街だ。
そして馬車は人通りの多い大通りをゆっくりと進む。と、
「旦那様。このまま予約した宿まで行かれますか?」
「ああ、頼む」
ボーガンの承諾を得て御者は手綱を振るい、馬を動かした。
それから十分後。
数ある宿の中でも一際高級そうな――もはやホテルと言った方が正しそうな四階建ての宿屋の前で馬車は停車した。
「旦那様。到着致しました。どうぞ」
「うむ。ありがとう」
先に御者台から降り、キャビンのドアを開けてくれた使用人に礼を述べつつ、ボーガンはグランゾの地に降り立った。
そして感慨に浸るように周囲を見渡していると、
「旦那様。私は停留所に馬車を移動させますのでチェックインは少々お待ち下さい」
「いや、構わんよ。チェックインぐらいは私がしておこう」
そう告げられ、使用人は少し躊躇う表情を見せたが、すぐに「承知しました。ではお願い致します」と返して、馬車をホテルの裏側に移動させた。
一人残ったボーガンはホテルの入り口をくぐり、ロビーに入った。
大理石を敷き詰めた広く清潔なロビー。天井は二階まで吹き抜けになっており、シャンデリアが輝いている。少々眩しいぐらいだ。
しかし、そんな華やかさの割には、意外と利用客が少ない。
「あまり流行っていないのか……いや、そうか」
が、すぐに得心がいく。この街には出稼ぎの人間も多い。恐らくそういった人間にはこの高級そうなホテルは敷居が高いのだろう。
そもそもこのホテルは鉱山を視察にくるVIP用だと聞いている。
利用客が少ないのはむしろ当然なのかもしれない。
ともあれ、ボーガンは受付を見つけると、杖をつきながら近付いて行く。
それから特に問題もなく、受付でチェックインを簡単に済ませたが、使用人はまだやって来る様子がない。
「……ふむ」
手持ち無沙汰になってしまったボーガンは、ロビーの一角に置いてあるソファーで使用人を待つことにした。
コツコツと杖を鳴らしてソファーに向かうボーガン。
と、その時だった。
「……ああ、予定通り到着されたようですね」
ふと、向かおうとしていた場所からそんな声をかけられた。
見ると、そこには指を組んでソファーに座る一人の男性がいた。
「おや、君か」
ボーガンの知っている青年だった。
その青年はおもむろに立ち上がると、ボーガンに一礼する。
「ようこそ、鉱山街グランゾへ」
「ふふ、歓迎してくれる者がいるとは嬉しいな」
と、皮肉気にも見える笑みを浮かべながら、ボーガンは青年と握手を交わす。
対する青年も、ふっと相好を崩し、
「いえいえ。それよりボーガン殿。どうぞお座り下さい」
そして青年に促され、ボーガンはソファーに座った。
続けて、その向かい側に青年も座り直す。
「こうして君と直接会うのも、およそ一ヶ月半ぶりかな」
「ええ、そうですね。私はあの後すぐにこの街に向かいましたから」
と、青年は返す。それからソファーの前にある何もない大理石の机を見やり、
「ところでボーガン殿。何かお飲物でも注文しましょうか? ここのロビーの品ぞろえは中々のものですよ」
「ん? ああ、心遣い感謝する。しかし、ここでは本題にも入れんし、それは私がチェックインした部屋で頼むことにしよう」
そう告げるボーガンに、青年は「これは失礼」と肩をすくめた。
「確かにその通りですね。お連れの従者の方はじきに?」
「うむ。そろそろ――っと、言っている傍から来たようだ」
ボーガンの視線の先。
そこには、丁度ホテルの入り口をくぐる使用人の姿があった。
ボーガンの視線に気付いた使用人は頭を下げ、慌てた素振りで駆けてくる。
どうやらロビーでの談話はここまでのようだ。
「……さて」
杖をついて立ち上がった老紳士は、青年を一瞥して告げる。
「では、詳細は私の部屋で教えて頂くとするか。チェンバー君」
「ええ、もちろんです。ボーガン殿」
そう言って、その青年――ライザー=チェンバーは笑った。
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