第139話 鉱山街「グランゾ」②
鉱山街グランゾは、意外なほど綺麗な街だった。
無論、鉱山街なので王都ラズンやリゾート都市ラッセルほどの華やかさはないが、石造りの建物の構造はしっかりしており、道も全部ではないが石畳で舗装されている。
街中を行きかう人々も鉱員といった人間ばかりではなく、女性も多い。
よく見ると酒場はもちろん、普通に食品店や洋服店などの店舗も目に入った。
「……へえ。結構普通の街なんだな」
馬に乗ったままアッシュは、グランゾの街中を進む。
「とりあえず宿を探すか」
「うん。けど、結構数があるみたい。どうするの?」
と、ユーリィが首だけを振り向かせて尋ねてくる。
「う~ん、そうだなあ……」
アッシュは周囲を見渡した。
今、パッと見た感じでも、三つほど宿屋らしきものが確認できる。
「……おし。あそこにするか」
アッシュは三つの中でも一番上質そうな宿を選んだ。
二人で旅をしていた頃からの習慣だ。アッシュはユーリィのことを考え、極力安全面がしっかりした上質の宿をとるように心掛けていた。
アッシュは宿屋前の馬舎――実際は馬を繋ぐための丸太があるだけ――まで進むと、そこで馬から下りた。続けてユーリィを抱き上げて彼女も地面に下ろす。
そして馬を丸太に繋ぎ、サックを取り外して肩に担いだ。
「そんじゃあ、宿をとるか」
「うん」
アッシュ達はそのまま宿屋に入っていった。
「ああ、いらっしゃい。お客さん」
そう声をかけてきたのは、カウンターに立つ店主らしき女性だった。
上質そうな宿屋といっても、やはり構造そのものはほとんど変わらない。一階は酒場兼食堂になっているようで、室内にはテーブルが点在し、昼時に近かったので食事中の客も多い。ウエイトレス達が忙しく動き回っていた。
そんな店内を通り、アッシュはユーリィと共に女店主に近付いた。
「宿を取りたいんだが、部屋は空いてるかい?」
「ああ、空いてるよ。けど……その子はなんだい?」
恰幅のいい女店主は、ユーリィに目をやった。
それから、アッシュをギロリと見据えて。
「……兄妹には見えないね。悪いけど納得できる返答じゃないと部屋は貸せないね」
言われ、アッシュは内心で苦笑を浮かべた。
随分と懐かしいやり取りだ。傭兵時代には宿をとる度に問われた内容だった。
あの頃は説明も面倒だったので『異母兄妹』で押し通していたものだ。
しかし、この国で適当に誤魔化すのはよくないだろう。
アッシュは正直に告げた。
「俺はこの子の保護者だ。王都に在住しているから役所に届け出もしているよ」
「……ホントかねえ? まあ、随分と懐いてはいるようだけど」
女店主は青年のコートの裾を掴んで離さないユーリィを一瞥し、怪訝な顔をする。
対し、アッシュは渋面を浮かべた。これ以上どう説明すればいいのか。
(……まずったな。こりゃあ、団長さんとかに、身分証明書みたいなものを書いてもらっておいた方がよかったか)
と、少し後悔しかけていた時、
「……え、し、師匠? あんた、『流れ星師匠』じゃねえか!」
いきなり背後からそんな声をかけられた。
王都で定着したあだ名を呼ばれたアッシュは、少々緊張した面持ちで振り向く。
すると、一体いつからそこにいたのか、そこにはアッシュとほぼ同年代の青年が立っていた。少し薄汚れた、鉱員が着るような作業服を着込んだ青年。短く刈り込んだ黄色い髪が特徴的な男だ。
その男はアッシュの手を取って強引に握手を交わすと、喜色満面に語り出した。
「うおお……まさか、こんな場所であんたに会えるとはな!」
「……なんだいライザー。あんたの知り合いなのかい?」
と、女店主が問う。ライザーとはこの男の名前なのだろう。
「いやいや、知り合いって訳じゃねえよ女将さん。ただこの人は王都じゃかなりの有名人なんだよ。すっげえ強い職人なんだぜ!」
「……? 『凄い職人』じゃなくて『強い職人』なのかい?」
訝しげに眉根を寄せる女店主。
「いや、出来れば『凄い職人』と呼ばれてえんだが……」
と、頬を引きつらせて、小さくツッコミを入れるアッシュ。
傍らでは、ユーリィが少しだけ笑みをこぼしていた。
「……ふむ」
女店主があごに手をやる。
「ライザー。この人は信用できるのかい? 本当にこの子の保護者なんだろうね」
「……はあ? ああ、師匠に妹がいるって話なら聞いたことがあるぞ。確か王都の外れに工房を構えているんだよな、師匠?」
「お、おう。うちの店は王都の外れにあるよ」
と、ライザーに話を振られ、アッシュは反射的に答えた。
それを聞いた女店主は、しばし考え込んだ後、大きく首肯した。
「よし。分かった。王都在住ってのもウソじゃないみたいだし、部屋を貸そう」
「え、あ、ああ、部屋を貸してくれるのなら助かるよ」
どうやら奇しくも第三者が証言してくれたことで話がまとまったようだ。
アッシュはライザーへと顔を向け、感謝の言葉を述べる。
「ありがとよ。あんたが証言してくれたおかげで助かったよ」
そして、今度は自分から握手を求めた。
「へ? 証言って何だ?」
キョトンとした顔を浮かべながらも、握手に応えるライザー。
彼としては、たまたま有名人と会えたから声をかけただけなのだろう。
不思議そうに首を傾げるライザーは、ボリボリと頭をかきつつ、
「う~ん、何のことかよく分かんねえけど、まっいっか。それよりも師匠さ!」
そこでニカッと笑う。
「一緒に昼飯でもしようぜ! 師匠の武勇伝聞かせてくれよ!」
ライザー=チェンバー。
それが黄色い髪の青年の名前だった。
王都在住のこの青年は、普段は飲食店でバイトをして生計を立てているらしい。
そんな彼が何故こんな場所にいるかというと――いわゆる一攫千金を夢見てだった。
最近の《星導石》ラッシュの話を聞きつけ、一ヶ月ほど前からこのグランゾで働いているそうだ。ある意味、アッシュと同じ目的である。
「……けどさあ、俺が見つけんのってC級以下ばっかでさあ……」
と、丸テーブルに突っ伏し、管を巻くライザー。
時刻はそろそろ夕方近くになっていた。
結局、昼食後そのままライザーが酒を飲み始めて、アッシュがそれに付き合う形になったのだ。目の前のテーブルには空のジョッキやら酒のつまみ等が散乱している。
ちなみにユーリィは早々と二階に退散し、借りた部屋で休んでいた。
「まあ、《星導石》の発掘は外れが多いからな。企業みてえに人海戦術でも使えねえかぎり当たりを引き当てんのは難しいだろ。ある程度は仕方がねえさ」
アッシュはポンポンとライザーの肩を叩き、そう慰めた。
《星導石》の等級はC級からなる。それ以下は《星導石》としての価値はなく、主に工芸品の装飾などに使われる。無価値ではないが買い取り額は一気に下がるのだ。
「ういィ、けどよォ師匠ォ。俺と一緒に来たやつなんて、ヒック。B級を、いきなり発掘したんだぜえェ?」
「まあ、そういうこともあるさ」
と、適当に相槌を打ちつつ、アッシュは手に持った発泡酒を呑み干した。
アッシュは意外と酒豪である。
別に酒が好きという訳ではないが、勧められればよく呑む。今回もそうだった。
「ういィ、ねえちゃあん、ヤヒトヒィ追加ァ……」
と、近くにいたウエイトレスに、焼き鳥を注文するライザー。
その様子に、アッシュは苦笑する。
大分呂律が回らなくなってきている。これはそろそろお開きにすべきか。
「おい、ライザー。呑み過ぎだぞ。そろそろ――」
と、忠告しようとした時、
「……やれやれ。一向に店に来ないから心配してみれば、なんで陽のある内から酔っぱらっているんだ、この馬鹿は」
呆れた果てたような口調のその野太い声に、アッシュの台詞は遮られてしまった。
アッシュが振り返ると、いつしか席のすぐ近くで一人の男が腕を組んで佇んでいた。
年齢は三十代後半。左目に傷を持つ隻眼の男だ。灰色系統のつなぎを着たその男はライザーに一歩近付くと、ゴンッと拳骨を振り下ろした。
ライザーは大きく目を見開き、椅子を倒して立ち上がった。
「い、いってええッ!? お、親方!? いきなり何すんだよッ!?」
「やかましい。お前、その日暮らしのくせに、なんで真っ昼間から呑んでいる」
「そ、それは親睦を深めようと……」
「……親睦だと?」
隻眼の男は、そこで初めてアッシュに気付いたように視線を向けた。
「初めて見る顔だな。誰だお前は?」
と、単刀直入に聞いてくる男。
すると、ライザーの方がギョッとした。
「ええっ!? 親方って王都から出向してんだろ!? 『流れ星師匠』を知らないのか! すっげえ有名人なんだぞ!」
「……世事には疎い。何だその変な名前は。闘技場の有名な選手なのか?」
眉根を寄せて尋ねる隻眼の男に、ライザーはかぶりを振った。
そして少し酔いが醒めたのか、しっかりした口調でライザーは語る。
「違う違う。鎧機兵の職人だよ。業務用の機体で騎士型の鎧機兵を屋根の上まで投げ飛ばしたとか、機体の頭部を無造作にもぎ取ったとか、そういう逸話を持つ人なんだよ」
「……何だそれは? 職人の話なのか……?」
「……うん、そうだよなぁ、誰が聞いても変な話だよなぁ」
と、アッシュ本人が虚ろな笑みを浮かべてツッコミを入れる。
しかも、紛れもない事実なのでタチが悪い。
「ま、まあ、俺の話よりもライザー。この人はお前の知り合いなのか?」
と、話題を変えるのも兼ねて、アッシュはライザーに尋ねた。
「……ん? ああ、そうだな」
ライザーは隻眼の男を一瞥し、
「この人は……あれ? 親方の名前ってなんだっけ? まっいっか。俺は『親方』って呼んでいるんだ。本業は王都にある工房の職人らしいんだけど、今は《星導石》の加工のためにグランゾに出向していてさ。何かと俺が世話になっている人なんだよ」
「……おい、ライザー。人の名前ぐらい覚えろよ。ったく……」
言って、隻眼の男はアッシュに近付いた。
「俺の名前は……まあ、この際『親方』でも構わんか。よろしくな」
隻眼の男――親方は手を差し出した。
「おう。こちらこそよろしく。俺の名前はアッシュ=クラインだ」
アッシュは椅子から立ち上がり、親方と握手を交わした。
対する親方は厳つい顔に、多少の笑みを浮かべて。
「まあ、ここで知り合ったのも何かの縁だ。この街で分からんことがあれば何でも聞いてくれ。……ああ、ところでライザー」
「ん? なんだよ親方?」
酒で赤く染まった顔をキョトンとさせるライザー。
親方はかぶりを振って、うんざりした口調で告げる。
「話を聞いたぞ。お前、また勝手に第三抗道に入ったそうじゃないか」
「――ギク」
「ギクじゃない。あそこは意味もなく封鎖してる訳じゃないんだぞ。お前、いつか酷い目に会うぞ。あそこには『
「……そんなの地元民の噂じゃねえか。何度か入ったけど見たことねえし」
と、不貞腐れたようにライザーはそっぽを向いた。
その様子を横で見ていたアッシュは、聞き慣れない名称に、ふと尋ねる。
「なあ、親方。『暗人』って何だ? そもそも封鎖されてる坑道があんのか?」
「はあ? おいおいお前さん、まさか知らないのか?」
問われた親方は、訝しげに眉を寄せた。
どうやらかなり有名な話らしく、知らない方が珍しいようだ。
「ああ、それは仕方がねえよ親方。師匠は今日この街に来たばかりだし」
と、フォローを入れるライザー。
それからドスンと椅子に座り直し、発泡酒をゴクゴクと呑み始めた。
その態度に親方は眉をしかめる。
「……おいライザー。まだ説教は終わってないぞ」
「いいじゃねえか。あのつまんねえ噂話を肴にして一杯いこうぜ」
椅子を軋ませ、そんなことを提案する。
親方は大きくかぶりを振った。
「……まったく。お前と言う奴は」
しかし、元々親方もこの食堂に夕食と酒を目当てにやって来たのだろう。特に反対もせずに空いた席へと座り、自分の分の酒と食事をウエイトレスに注文した。
この状況に苦笑したのはアッシュだった。ここらでお開きにしようと考えていたのに、そうもいかなくなってしまったようだ。
「……はあ、しゃあねえか」
と、溜息混じりに自分も席に着くアッシュ。
外では徐々に夕日が沈んでいく。
こうして、野郎どもだけの宴が行われることになったのである。
◆
……その日の夜。
パタン、と自室のドアを閉め、その男はふうっと息を吐いた。
「……あれが、アッシュ=クラインか」
特徴的な白い髪以外はごく普通の青年にも見える人物。
しかし、その正体は、大国グレイシア皇国が誇る最強の七騎士――《七星》の一人にして、《双金葬守》の二つ名を持つ強者。
彼の愛機である闘神、《朱天》は一軍にも匹敵する戦力らしい。
「……やれやれ。まったく無茶な事をさせる」
男はふらふらとベッドに倒れ込み、しばしその柔らかさに身を委ねる。
流石に身体が重い。少々緊張しすぎたか。
いっそ、このまま朝まで眠ってしまいたいのだが……。
「それでもやるべきことは済ませておかないとな」
男は名残惜しむように重い身体を動かし、部屋の片隅にある机に向かった。
その机の横には、止まり木に掴まる一羽の梟がいる。
男は盛んに首を傾げる小型の梟を一瞥し、
「すぐに準備するから待っていてくれ」
そう告げて椅子に座り、机の引き出しから万年筆と便箋を取り出した。
そして、すらすらと筆を走らせる。
「……これでよし」
男は書き終えた文章を一度確認してから細く丸め、檻の近くに置いてあった小さな筒の中に入れる。それから止まり木で待つ梟の足にその筒を取りつけた。
そして梟を両手で掴み、窓辺に寄る。
「それじゃあ、頼むぞ」
男は梟を夜の闇の中へと放した。
訓練された梟は、迷うこともなく目的地へ向かって羽ばたいていく。
それを見届けると、男は部屋の明かりを消し、
「……はあ……。今日は疲れたな。さっさと眠るとするか」
そう呟き、一度眉間を片手で押さえてから、再びベッドに身を投げ出した。
そして大した間も開けず、すやすやと寝息を立て始めた。
男が送った便箋。
それにはこう記されていた。
『予定通り「A」は到着せり。引き続き監視を行う』
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