第四章 ボーガン商会
第140話 ボーガン商会①
「……どうやら計画は順調のようだな」
ボーガン商会にある執務室。
手に持つ報告書に目を通して、セド=ボーガンはふうっと息をついた。
全身を脱力させ、柔らかな椅子に身を委ねる。
そしてボーガンは瞳を閉じて、現状を振り返った。
計画は順調。人手も資金も足りている。
協力者である《黒陽社》との関係も今のところ良好だ。
ただ、不安があるとすれば――。
(ガレック=オージスか……)
ボーガンは苦々しく顔を歪めた。
つい先日会った《黒陽社》の支部長を名乗る人物。
にこやかな笑顔の下に、まるで火薬庫のような危険さを感じさせた男だった。
表向きには平穏に見えても、心の中に爆薬を抱えた男。
あらゆる意味で最大限に警戒すべき相手なのは一目瞭然であった。
(やはり犯罪組織だな。幹部クラスともなると存在感が違う)
あの男と出会った時は、計画を早まったかと思ったが……。
「……ふん」
そこで皮肉気に笑う。
「危険とはいえ、そもそも火薬庫は管理するものだ。扱いさえ注意すればいい」
報告書を執務机の上に放り捨て、ボーガンは呟く。
今回の計画は一部の重役と子飼いの社員しか知らないボーガンの独断専行だった。
なにしろ真っ当な役員に告げれば、反対どころか告訴されるのが目に見えている。
もし現時点でこの計画が発覚すれば、ボーガンは問答無用で免職されるだろう。
それほどまでにリスクの高い計画だった。
(……しかし、計画さえ完遂できればボーガン商会の利益は倍増。いずれはこの国全体の市場そのものが私のものになる)
ボーガンは姿勢を正してから、小さく嘆息した。
それから引き出しを開けて一本の葉巻を取り出し、マッチで火を着ける。
「…………ふう」
紫煙を肺に吸い込み、大きく吐き出す。
紫煙が立ち上る天井を、ボーガンは静かな眼差しで見つめた。
そして十秒、二十秒と沈黙が続き……。
「……私はいつまでもこんな島国で燻ぶるつもりはない」
決意を込め、ボーガンは宣言する。
「世界に出る。そのためには……手段にこだわってなどいられないのだ」
◆
「……ボーガン商会を調べてみたいの」
アッシュ達がグランゾに旅立って七日目のこと。
いきなりそんな話題を切り出したのは、意外にもサーシャだった。
銀髪の少女は、膝の上に両手を乗せて少し俯いている。
クラス・学年の違う候補生達が一堂に集まり、騒がしく食事をする大食堂。
何十人でも座れる長いテーブルの一角で昼食を取っていたアリシア、エドワード、ロックの三人は、キョトンとした表情をした。
「……珍しいなフラム。お前がそんなことを言うなんて」
と、ロックが言う。
「おう、確かにな。そういう無茶な提案ってエイシスの役だろ?」
フォークに絡めたパスタを頬張りながら、エドワードも言う。
それに対して、アリシアがムッとした顔を見せる。
「うっさいわね。最近はそんなに無茶は言ってないでしょう。それよりもサーシャ」
アリシアは食欲もなく塞ぎ込むサーシャを見やり、
「本当にどうしたの? 何か気になることがあるの?」
「……ううん。そうじゃなくて……」
言って、さらに俯くサーシャ。
何故か彼女の首筋は真っ赤だった。
訝しむ三人。すると、サーシャが少しずつ顔を上げて語り出す。
「あのね……会いたいの」
「……はあ?」
アリシアが怪訝な顔をして首を傾げた。
「……先生に……アッシュに会いたいの!」
その直後、そう叫んでサーシャが立ち上がった。
アリシア達はギョッとし、食堂の学生達は何事かと注目する。
「もう限界なの! お話したいの! 頭を撫でてもらいたいの! ギュッとしてもらいたいの! アッシュに会いたいの!」
「ちょ、ちょっとサーシャ!? 落ち着きなさい!?」
アリシアは慌ててサーシャの両肩を掴んで揺さぶった。
――この子はいきなり何を叫び出すのか。
「何の騒ぎだ?」「え? 何かあったの?」「おっ、痴話喧嘩か?」
そんな感じのざわめきと共に、周囲から好奇心に満ちた視線が集まり始める。
(うわあ、これはまずいわ……)
アリシアは即座に、横で呆然とするエドワードとロックに指示を出した。
「オニキス! ハルト! とりあえず場所を変えるわ! それからハルト! そこのサーシャのヘルムを持ってきて!」
「お、おう……」「あ、ああ、了解だ」
反射的にそう答えて、エドワード達は立ち上がる。ロックは言われた通りテーブルの上に置いてあったサーシャのヘルムを手に取った。
そしてサーシャの手を引くアリシアを先頭にそそくさと四人は食堂から退散した。
それからしばらくは大きな窓の並ぶ長い廊下を黙々と歩き、周囲にほとんど人がいなくなったところでアリシア達は足を止めた。
アリシアは苦虫を噛み潰したような顔でサーシャを見つめる。
「……サーシャ、あなた、公衆の面前で何を口走っているのよ……」
「……う、ご、ごめんなさい」
と、うな垂れながらサーシャは謝る。
アリシアはサーシャの手を離し、片手を額に当てやれやれとかぶりを振った。
「……はあ、ハルト。サーシャのヘルム貸して」
言われ、ロックは「あ、ああ」と答えて、ヘルムをアリシアに手渡した。
アリシアはサーシャの頭に、そのヘルムをすっぽりと被せてやる。
「……これで少しは落ち着いた?」
「……うん」
と、やり取りする少女達の傍らで。
「え? フラムのヘルムって鎮静効果があんのか?」
と、エドワードが目を丸くしていたが、アリシア達は気にしない。
「ねえ、サーシャ」
アリシアはおもむろにサーシャに尋ねる。
「ボーガン商会を調べたいっていうのは、そこで何か問題が見つかればアッシュさん達が早く帰って来るかも……ってこと?」
泣き出しそうな顔で、サーシャはこくんと頷いた。
「……それも意外だな」
と、ロックが腕を組んで呟く。
「まあ、フラムが師匠に想いを寄せているのは分かっていたが、まさか一番辛抱強そうなフラムが真っ先に根を上げるとはな……」
そこで、ちらりとアリシアを一瞥するロック。その表情はどこか曇っていた。
すると視線に気付き、アリシアは不機嫌そうに眉をしかめた。
「何よ。私の方が先に根を上げると思っていたの? そりゃあ私だって辛いけど」
「……いや、それはそれで俺にとっては……はあ……」
自分の好意が一向に伝わらない想い人の少女に、ロックは深々と溜息をついた。
やはりもっと積極的にアピールすべきなのだろうか。
(しかし、それは俺のキャラには合わんしな……)
と、ロックが内心で呻いていると、
「なあ、それでどうすんだ? マジでボーガン商会を調べんのか?」
エドワードが食い入るような態度でそう切り出した。
アッシュが早く戻ってくるということは、ユーリィも帰って来るということだ。
エドワードが乗り気になるのも当然だった。
「う~ん、そうねえ……」
アリシアがあごに手を当て考え込む。
そしてしばしの沈黙の後、サーシャから順に、ロック、エドワードを見やり、
「実はね。今回の件、私もボーガン商会はおかしいと思っていたの」
淡々とした口調で告げた。
「……おかしいだと?」
ロックが眉根を寄せて問う。アリシアはこくんと頷いた。
「まずは農業ギルドの件よ。あの場所がベストって話だけどはっきり言って問題のない空き地ならまだあるわ。強引に買収してまであの場所に拘る理由はないと思うの」
アリシアは「もし私なら……」と続ける。
「農業ギルドを発展させたいならクライン工房の付近に建てるわ。だって農業用鎧機兵を
その説明に、サーシャ達は互いの顔を見合わせた。
「だったらなんで買収なんて話になるんだよ」
と、エドワードが怪訝な顔をして問い質す。
サーシャとロックも同じく、訝しげな表情でアリシアを見つめていた。
「……それは」
一拍置いてから、アリシアは語り出す。
「最初はね、あの土地か建物自体に秘密があるのかと思って図書館とかで資料を調べてたんだけど、あそこって本当にただの田舎で何かあるって訳でもないのよね」
「……それじゃあボーガンは、ただあの場所がベストだからって理由で買収なんてことをしたの?」
サーシャが上目遣いで親友に尋ねる。
すると、眉根を寄せたまま、アリシアはかぶりを振った。
「多分違うわ。私ね、ちょっと考え方を変えてみたの。ボーガンの狙いは土地じゃなくてそこに住む人間じゃないのかなって」
「……それはどういうことだ、エイシス?」
目的が住人だと言われても流石に意味が分からない。
眉根を寄せたロックが腕を組んで尋ねる。と、
「多分だけどね。ボーガンは何らかの理由で、アッシュさん達を王都から遠ざけたかったんじゃないのかと思うの」
彼女にしては珍しく、全く自信なさげにそう答えるアリシア。
「あれだけの大金を捻出するには王都では無理よ。必ずどこかに出稼ぎに行くはず。一時的にでもボーガンはアッシュさん達を王都から遠ざけたかった……」
そこでアリシアは少し眉をしかめて自分の前髪をかきあげた。
そして脱力するように小さく嘆息し、
「……ごめん。私も整理しきれてない。工房の買収はただの口実だとは思うんだけど、今の情報だけじゃあ、どんな可能性でもあるわ」
そう告げるアリシアに、サーシャ達は顔を見合わせた。
それからサーシャが、おずおずと指を動かして親友に尋ねる。
「要するに怪しいのは間違いないけど、情報不足で推測できないってこと?」
「……う、まあ、その通りよ」
アリシアは肩を落として現状を認める。
だが、そこで諦めるような少女でもなかった。
「現状では何も分からない」
アリシアはそう前置きしてから、全員の顔を順に見据えて告げる。
「だからこそ――今日の放課後。一度ボーガン商会に行ってみましょうか」
「お、おい、大丈夫なのかよ、それ……」
と、不安そうな顔を浮かべるエドワードに続き、
「……危険なことなら承諾はせんぞ」
ロックが厳しい面持ちでそう告げる。
「アリシア。私の言ったことなら気にしないで。こんなのただの我儘だもの」
今回の発起人であるサーシャも、先程の自分の醜態を思い出してかぶりを振り、真剣な眼差しで親友を見つめた。
すると、アリシアは真面目な顔で皆を見据えて――。
「大丈夫よ。危ないことは絶対しないわ。それに、今回はオトハさんにも相談してついてきてもらうつもりだし」
そう返してから、不意にいたずらっぽく笑って続けた。
「そもそも危険なんてないわよ。だって、表向きはただの社会見学なんだもの」
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