第124話 怨讐の魔神③

 グオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!!


 ――皇都ディノス三番地。

 大通りに凄まじい咆哮が響き渡る。


「な、何なのよ……。あれって鎧機兵なの!?」


 宿屋の二階。バルコニーにてアリシアが耳を押さえて呻く。

 隣にいるロックも同じ姿勢で眉間にしわを寄せていた。


「信じられん大きさだが、間違いなく鎧機兵だろう……」


 大通りのほぼ中央。石畳も桟橋も水路さえも押し潰すように現れたその紫色の機体は、あまりにも常識外れな姿をしていた。

 家屋さえ越す全高は、恐らく十セージル前後。普通の鎧機兵の三倍近い。

 全身に鋭利な刃の付いた鎧装を纏い、頭部は獅子を摸した顔をしている。だが、その巨躯は獅子と言うより類人猿のようで長く太い両の拳を地面につけていた。

 尾の長さ、太さも通常の三倍近い。もはや怪物としか表現できない風貌だ。


 グオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!!


 再び咆哮を上げる怪物。

 そして腕を払い、近くの家屋を粉砕する!


「きゃ、きゃああああ!」「ば、化け物だああ!」「た、助けてくれえええ!」


 一斉に逃げ出す市民達。

 その光景を前にして鎧機兵に乗る騎士の一人が舌打ちする。

 ――このままでは死傷者が出かねない。


『クッ! 市民の避難誘導を急げ! それから手が空いている者! 俺に続けッ! あの化け物を討つぞ!』


『『『了解!』』』


 そう叫んで、数機の鎧機兵が剣を構えて巨大な怪物に向かって行った。

 アリシアはその光景を一瞥した後、サーシャ達に告げる。


「みんな、私達も逃げるわよ! ここは危険だわ!」


「うん! 分かった!」


 ヘルムをかぶってサーシャが答え、ロック、エドワードも頷く。

 そうして四人は一階に駆け降り、大通りに出た。


「うッ! 想像以上の混雑ね……」


 目の前の光景に、アリシアは息を呑んだ。

 焦りすぎて転ぶ者。他人を押しのける者。幼い子供を抱きしめて叫ぶ者。

 ほぼ恐慌状態になっている民衆。まさに混乱の坩堝と化していた。


(なんてことなの……)


 アリシアはグッと唇をかみしめる。

 自分達も避難誘導を手伝うべきかという考えが脳裏をよぎるが、かぶりを揺らして振り払う。今は自分達も逃げなければ危険だ。

 見たところ、民衆は混乱こそしているが、それでも騎士達が差し示すルートに従って動いているらしい。その光景は、まるで人の大河のようでもあるが。


「みんな! 人の流れに乗って私達も逃げるわよ!」


 アリシアが仲間達に告げる――が、その時だった。


「待った! エイシス!」


 エドワードがアリシアを止めた。


「あそこだ! あそこを見ろ!」


 そして少年は人が逃げ出し、無人となっている大通りの一角を指差した。

 アリシア達は視線を向けて――息を呑んだ。

 そこには、五歳ぐらいの女の子が泣き声を上げていた。

 この混乱の中、親とはぐれて取り残されたのだろうか。その近くでは二機の鎧機兵達が戦闘を繰り広げている。騎士側は女の子の存在に気付いているらしく、明らかに子供を守るために苦戦していた。


「くッ! 俺が助けに行く!」


 ロックはそう叫んで駆けだそうとした。危険な行為ではあるが、子供が危機に晒されているのに助けに行かなければ、もはや騎士ではない。

 だが、ロック以上に素早く動いた者がいた。サーシャだ。


「――サーシャ!」


「すぐ戻る!」


 アリシアの声に短く答え、四人の中でも一番身体能力に優れているサーシャは、疾風のような速さで大通りを駆け抜けた。

 そして拾い上げるように少女を抱きしめる。


「うえええェええッ! ふぇええ、ママァ……」


「うん。大丈夫。もう大丈夫だからね」


『そこの君! 早くその子と逃げて――』


 と、敵機と鍔迫り合いをしていた騎士の鎧機兵が声をかけてきた時、


 ――ドゴンッ!


 前方から一機の白い鎧機兵が砲弾のように飛んできた。そして石畳に叩きつけられて大きくバウンド。石畳と機体の破片が撒き散らされる!


「――くッ」


 咄嗟に、サーシャは抱きしめた少女の盾になった。

 飛び交う瓦礫と鉄の塊。その一つがサーシャのヘルムに直撃する。

 少女を抱きかかえたままサーシャの身体は吹き飛び、ガランガランとヘルムが石畳に落下する。銀髪の少女は石畳に倒れ込んだ。


「サ、サーシャ!?」


 青ざめた顔で親友の名を叫ぶアリシア。

 すると、サーシャは呻き声を上げつつ上半身を起こした。


「だ、大丈夫。ヘルムが壊れただけ……」


 言って、腕の中の子供を抱きしめながら片手で頭を押さえた。

 本人の言う通りヘルムのおかげで外傷はないが、衝撃までは受け止めきれなかったのだろう。サーシャは脳震盪を起こしていた。


「大丈夫か! フラム!」


 ロックがそう叫び、サーシャの元へと駆け寄った。そしてサーシャの代わりに子供を抱き上げる。アリシア、エドワードも同じく駆け寄る。


「サーシャ! 肩を貸すわ!」


「う、うん。ありがとう」


「お、おい! やべえよ! のんびりしてる暇はねえぞ!」


 と、そこで敵機を警戒していたエドワードが悲鳴のような声を上げた。


「あのデカブツ、俺らを狙ってるみたいだぞ!」


「「「――ッ!」」」


 エドワードの警告に全員が息を呑んだ。

 慌てて意識を巨大な鎧機兵に向けると確かにあの怪物はこちらを睨みつけていた。

 さらによく目を凝らすと、怪物の前には、まるで喰い荒したかのようないくつもの白い鎧機兵の残骸が散らかっていた。


『……忌わしき皇国の子らめ』


 聞いただけで寒気がするような低い声が、巨大な鎧機兵から発せられる。


『余の正義の裁きを受けるがよい』


 ズズン……と。

 大地を振動させて巨体がゆっくりと動き出す。

 サーシャ達は青ざめた。改めて見れば自分達の周囲には人がいない。


「やべえよ! 名指しで狙われてんぞ!? つうか、俺ら皇国民じゃねえし!」


「あいつにはそんなの関係ないんでしょう……」


 アリシアが唇を強くかみしめて呻く。

 周囲にいる皇国の鎧機兵は敵雑兵と交戦中だ。救援は望めない。


(どうする……戦う? ううん、そんなの無理よ。四人がかりでも、とても勝てる相手とは思えない。だったら走って逃げるしか……)


 そうやって必死に打開案を考えていると、


「どうすんだよ! 応戦すんのかッ!?」


 エドワードが腰の短剣に手をかけて、アリシアに問う。


(……決めるしかない!)


 そして、アリシアは決断した。


「私が《ユニコス》で応戦するわ! みんなはその子を連れて撤退して!」


「な、何を言ってるのアリシア!」


 アリシアに肩を担がれているサーシャは青ざめた表情で叫んだ。


「あんな怪物なんだよ! 皇国騎士もやられてるんだよ! 殺されちゃうよ!」


「そ、その通りだ! エイシス! その判断はッ!」 


 と、声を荒らげるロックに、アリシアは長い髪を横に揺らして首を振った。


「よく考えた決断よ。サーシャはこの状態だし、誰かの肩が必要。そしてその子を運ぶ人間も必要。残りの一人が囮になって引きつけるしか逃げる手段がないの」


「ならば囮は俺がする! 俺の《シアン》は頑強だ! 盾役なら――」


 ロックの意見に、アリシアは再びかぶりを振った。


「あの怪物相手に重装甲なんて無意味よ。むしろ必要なのは撹乱する速さよ」


 アリシアは真剣な眼差しで言葉を続ける。


「私は四人の中で唯一、《雷歩》を普通に使える。囮役は私が最適なのよ」


 その台詞の前にして、サーシャ達は沈黙した。

 アリシアの決断は正しい。真剣に考えた最善手だ。


「……アリシア」


 親友の名を呟き、唇をかみしめるサーシャに、蒼い瞳の少女は笑った。


「大丈夫よ。死ぬ気なんてないわ。逃げ回るだけなら問題ないわよ。むしろ『よく頑張ったな』って、後でアッシュさんに誉めてもらうんだから!」


 グッと拳を握りしめるアリシア。強がっているのは一目瞭然だった。

 その間も怪物の地を割るような足音は続いている。


「……アリシア。あなた……」


「さあ、早く行って! いくらあいつが鈍足でも、そこら辺の岩とか建物の残骸とか投げてきたら洒落にならないんだから!」


 そう言って、アリシアが仲間を送りだそうとした時、


『……悪いけどその役目。君には任せられないな』


「……えっ」


 突然、聞き慣れない男性の声がその場に響いた。


『判断は的確だよ。だがここは皇国。君達の命は我ら皇国騎士団が守る』


 アリシア達は唖然として声がした方へと振り向いた。

 そこには、右腕を失った満身創痍の機体の姿があった。

 置き去りにされた子供を守るために奮戦していた騎士の鎧機兵だ。

 どうにか敵機を斬り伏せたらしい。


『囮役は私が務めるよ。君達はその子を連れて早く逃げるんだ』


「け、けど、あなたの機体は……」


 躊躇いがちにアリシアが呟く。目の前の機体はどう見てもボロボロだった。下手すると立っているのさえ限界なのかもしれない。


『まだこいつの足は生きている。これなら《雷歩》は使えるさ。それに、君達はクライン隊長の知り合いの子達だろ?』


「……え、せ、先生を知っているんですか?」


 目を見開いて驚くサーシャに、騎士の鎧機兵は頷いた。


『ああ、私はクライン隊長の元部下でね。こんな所で君達に何かあっては隊長に合わせる顔がないんだよ。だから早く行ってくれ』


 そう告げると、その白い鎧機兵は視線を怪物に向ける。

 獅子の化け物はもう目前にまで迫っていた。


『さあ! 早く行くんだ!』


「くッ! すみません! ご武運を!」


 アリシアは再び決断する。損傷が激しくても彼は皇国騎士。自分が囮役をするよりもはるかに高い成果を上げるだろう。ここは任せるのが最善だ。


「みんな! 逃げるわよ!」


 アリシアの号令にサーシャ達は頷いた。


『うおおおおおおおおお――ッ!』


 それと同時に騎士が雄たけびを上げた。片腕の鎧機兵が怪物に突進する!

 そして四人は腕に抱く子供を連れて駆け出した。

 直後――雷音が響く。

 サーシャ達は思わず振り向いた。

 そこには怪物の薙ぎ払うような剛腕を躱し、宙を舞う鎧機兵の姿があった。


「おおッ! 流石だぜ! あれなら――」


 と、エドワードは笑みを浮かべかけた瞬間――。


 ――ズドドドッッ!


「…………えっ」


 サーシャ達は、我知らず立ち止まってしまった。

 何故なら、宙を舞っていたはずの白い鎧機兵が無数の剣で刺し貫かれたからだ。


「う、うそ……」


 アリシアが呆然と呟く。

 騎士の鎧機兵を貫いたのは剣でない。怪物の獅子の頭部、そのたてがみは実は剣の形状をしており、それが触手のように伸びて白い機体を突き刺したのだ。

 剣を先端に付けた自在に動く鋼線。それが獅子のたてがみの正体だった。


『……ふん。雑兵が』


 獅子の怪物はそう呟くと、ごみのように騎士の機体を投げ捨てた。

 白い鎧機兵は家屋に叩きつけられ、瓦礫と共に崩れ落ちた。


 ……もはや、動く気配はない。


『次はお主らだ。皇国の子らよ』


 怪物はサーシャ達を睨みつける。と、たてがみが蛇のように動き始めた。

 サーシャ達も同様の手段で葬ろうという魂胆だろう。

 しかし、サーシャ達は騎士の無残な最期を目の当たりにして動けないでいた。


『我らの痛み。少しでも味わって死ぬがよい』


 そして、たてがみの剣がサーシャ達に襲いかかる!

 対し、サーシャ達は動けない。刃の群れが目前にまで迫る――が、


 ――ズドンッ!


 突如響いた轟音と共に、獅子の怪物は大きくのけ反った。

 それに合わせて無数の刃も引き戻される。

 不可視の衝撃が、怪物の顔面を強打したのだ。


「……えっ」


 唐突のことに、サーシャ達はポカンとするだけだった。

 そして四人は訳も分からないまま、ゆっくりと背後を見た。

 すると、そこには――。


 ――ズシン。

 と、地を踏みしめる四本角の漆黒の鬼。

 彼らがよく知る、異形の鎧を纏う鎧機兵。

 アッシュ=クラインの愛機。雄々しく立つ《朱天》の姿があった。

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