第112話 四番目の男②
「……ここは昔のまんまだな」
そこは、ラスティアン宮殿の七階。
かつて自分に割り当てられていた個室にて、アッシュは苦笑を浮かべた。
外を一望できる大きな窓に、質素な机とベッド。
しばらく使われていないというのに塵一つない。きっと今も誰かが掃除してくれていたのだろう。ここを出た日のままだ。
アッシュは昔のように一度、外の景色に目をやった。
そして、そこで溜息をついて振り返る。
「なあ、ユーリィ。いつまで拗ねてんだよ」
部屋の中央。そこには法衣姿のユーリィがいた。
彼女は今、ひたすら不機嫌そうにそっぽを向いている。
……何故だろうか。どうにも見覚えのある光景だ。
すると、しばらくして――。
「最近のアッシュは女の子の頭を撫で過ぎ」
ユーリィはそんなことを告げてきた。
これには苦虫を噛み潰したような顔をするしかない。
「ま、まあ、ちょっと癖になってんのは自覚してっけど、皇女様に催促されたのは流石に別だぞ。つうか、不敬罪になるんじゃねえかとヒヤヒヤもんだった」
これはアッシュの本音でもある。ミランシャを始め、貴族の人間とも親しいアッシュだが、所詮は元田舎少年。皇女の頭を撫でることなど思いつくはずもない。
しかし、ああも露骨に「撫でて下さい」と態度で示されては、断ることも出来なかったのだ。皇女の件だけは明らかに不可抗力である、とアッシュは思っている。
だが、ユーリィは納得しなかった。
そもそもずっとストレスを感じていたのだ。本来、アッシュに頭を撫でてもらえるのはユーリィだけの特権だった。なのに、最近のアッシュときたら……。
正直なところ、イライラが溜まって仕方がない。
よって、ユーリィはここらでストレスを発散することにした。
「……アッシュ」
「お、おい、ユーリィ……」
真直ぐ腕を伸ばしてくるユーリィに、アッシュは頬を引きつらせた。
最近始まったユーリィの悪癖――「抱っこ」だ。
「あのな、ユーリィ。何度も言うが、お前はもう十四歳なんだぞ。いくら俺が父親代わりだからって言っても、甘えるような歳でもないんだぞ」
何度も繰り返した台詞。しかしやはりと言うか、ユーリィは聞く耳を持たない。
いつものように無言の圧力を放ちつつ、手を伸ばしてくる。
「……はあ、ったく」
そして、結局ユーリィに甘いアッシュが妥協するのだ。
アッシュはユーリィの腿の下に左手を回すと少女を持ち上げた。ユーリィはアッシュの首に手を回してくる。もはや慣れた仕種だ。
(……マジで人前では見せれねえな。多分逮捕される)
アッシュは内心で慄きつつ、ユーリィを抱えたままベッドに腰を下ろした。
そして、子猫のように頬をすり寄せてくるユーリィの頭を撫でてやる。
それから、およそ三分が経ち――。
「……なあ、ユーリィ。もういいか?」
「……ん。まだダメ」
はあ、と溜息をついて肩を落とすアッシュ。
まったく。もし誰かにこんな姿を見られたりしたら最悪だ。
ただでさえ騎士団内では「あの人、嫁を育ててるんだぜ」と、あらぬ噂を立てられているのだ。これ以上の悪い噂は本当に勘弁して欲しい。
しかし、こういった時こそ予期せぬ訪問者が来るものだ。
そう。まさにこんな感じに。
――ガチャリ。
前触れもなく開かれるドア。アッシュの表情が凍りつく。
「アシュ君。いる? 団長が呼んで――」
と、告げて入って来たのはミランシャだった。
彼女は部屋の光景を見るなり硬直した。
無言のまま見つめ合うアッシュとミランシャ。
そして数秒経ってから、ようやく彼女は口を開いた。
「……何をしてるのかな、アシュ君?」
それは知り合ってから初めて聞くような冷たい声だった。
アッシュは何も答えられない。ただゆっくりとユーリィを床に立たせた。
「「…………」」
そして――それ以降の問答は一切なく。
――ドゴッ!
言い訳さえ許されず、グーで張っ倒されるアッシュであった。
◆
「……一体、何があったんですか?」
ラスティアン宮殿の七階。騎士団長室にて。
何故か頬に拳の形を刻みつけたアッシュの顔と、かなり不機嫌そうなミランシャの顔を交互に見やり、ソフィアは執務席に肘をついてそう尋ねた。
しかし、アッシュ達は何も答えない。互いに気まずげな表情を見せるだけだった。
ただ、横に立つオトハはそれだけで何となく事情を察したのか、呆れたような顔をしつつフォローを入れる。
「……まあ、いいじゃないか、団長殿。それより私達を集めた理由は何なんだ? 誕生祭のことではないだろう?」
今、団長室には五人の《七星》が集まっていた。
てっきり誕生祭の打ち合わせかと思ったのだが、雰囲気が少し緊迫している。恐らくは別件――それも、もっと重要な要件があるのだろう、とオトハは感じていた。
すると、ソフィアの横で控えるライアンが苦笑を浮かべた。
「タチバナ君の勘の良さも相変わらずだな。団長。そろそろ本題に入られては?」
「ええ、そうですね。アッシュ君とオトハちゃん。あなた方にお話があります」
言って、ソフィアは真剣な面持ちで本題に入った。
自然とアッシュ達の表情も引き締まる。
「……他の《七星》や騎士団員にはすでに知らせているのですが、実は今回の誕生祭。一つ懸念する事案があるのです」
ソフィアが厳かに告げる。オトハは溜息をついた。
「やれやれ。一体どんな事案なんだ? 団長殿」
グレイシア皇国はセラ大陸有数の大国だ。
そして国とは大きければ大きいほど、比例して問題も多くなるものである。
「察するに《黒陽社》が暗躍、とかじゃねえな。動く理由がない。となれば……」
アッシュがオトハと顔を見合わせた。
「……テロ、か?」
「まあ、それが、一番可能性が高そうだな」
「ふふっ、二人とも説明入らずで助かりますね」
ソフィアは少し皮肉気に笑った。
「あなた方の指摘通りです。実は誕生祭の当日をターゲットに、ある組織からテロ予告がされているんです」
「ッ! おいおい、わざわざ予告してんのかよ」
「……それはまた大胆だな」
アッシュが驚き、オトハは呻いた。
一般的にテロリストは犯行直後にその場で声明を出すものだ。犯行予告などすれば警戒される。よほどの自信がなければ出来ない、百害あって一利なしの行為だ。
「ええ。舐められたものです。しかもその予告内容ときたら……」
と、ソフィアが苛立ちに眉根を寄せた。
普段から温厚な彼女にしては珍しい態度だ。
「……一体、どんな内容だったんだ?」
アッシュがそう問うと、ソフィアの代わりにミランシャが答えた。
彼女もまた少しばかり苛立っている。
「本当に舐めた内容よ。なにせ皇女様のお命を頂戴するってほざいてるんだから」
「「……はあ?」」
アッシュと、オトハは唖然とした声を上げた。
誕生祭――すなわちフェリシア皇女のパレードは、皇都ディノスにて行われる。
現在、グレイシア皇国の皇王陛下は病床の身であり、第一皇女は次代の皇王と目されている重要な人物だ。当然その警備は尋常ではなく暗殺することなど困難極まる。
あまりにも現実味がない。滑稽な犯行予告だった。
「……何か他に狙いがあんじゃねえのか。それ」
アッシュがそう呟く。
皇女暗殺はあくまで囮。同時進行で何か別の目的があるのでは……?
アッシュはそう思ったのだ。
それに対し、ライアンが両腕を組んで告げた。
「ああ。団長も私も、そう考えている。だから今、サントスの部隊に目ぼしい場所を調査させているんだ」
「あっ、なるほど。道理でブライの姿を見かけねえ訳だ」
アッシュは最後の《七星》の同胞の顔を思い浮かべて苦笑する。
彼の傍らではオトハが心底嫌そうな顔をしていた。
「……あの男。皇都にいるのか?」
「ああ。もうじき帰還するはずだ」
と、ライアンが告げる。
すると、クスクスとミランシャが笑い出した。
「オトハちゃん。ブライのこと嫌ってるもんね。また口説かれるわよ。きっと」
「私はいい加減あの男を始末したいんだが……」
と、物騒な事を真顔で言いだすオトハ。
「……流血沙汰はやめて下さいね。穏便に話し合って下さい」
ソフィアが苦笑を浮かべて告げた。
そして、少し脱線しつつあった議題を元に戻す。
「ともあれ。奴らは何かしらの行動を誕生祭当日に起こすと考えられます。私達皇国騎士団も万全を尽くしますが、アッシュ君達も警戒して欲しいという話です」
淡々とソフィアはそう告げた。
対し、アッシュとオトハはこくんと頷く。が、不意にアッシュの方は眉を寄せた。
「そういや犯行予告があったってことは、その連中の名前は分かってるのか?」
テロリストは自己主張が強い。名乗っている可能性は高かった。
ソフィアは「ええ」と呟き、険しい顔で頷く。
確かに送られてきた予告状には組織名が記載されていた。
そして、グレイシア皇国の騎士団長は、彼女達の敵の名を告げる――。
「奴らは――『レイディアの亡霊』と名乗っています」
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