第110話 遥かなる皇都③
そうして二時間後。
ガタガタと揺れる馬車の中。サーシャ達四人は、ずっと無言のままだった。
ハウル家専用馬車は豪華ではあるが乗合馬車よりもやや狭く、右側にサーシャ達四人。左側にアッシュ達五人が座ると、ほぼ席が満席になった。
車輪の音だけが響く中、サーシャ達は思う。
今日一日だけで一体何度、唖然としたことだろうか。
まずは最初に行ったハウル邸。白を基調にしたその壮大な館は、庭園の広さからして圧倒された。なにせ正門にまで行くのに馬車を使い、十分もかかったのだ。
その時になって、サーシャ達は初めてハウル家が公爵家――最高位の爵位――であることを聞き、また呆然とした。
さらにハウル邸に入ると、多くの使用人に迎え入れられ、各自が宿泊用の客室に案内された。その部屋でも唖然とする。成金趣味の富豪が見栄を張るのならともかく、天蓋付きのベッドなど、普通客室に用意する物なのだろうか。
そもそも個人用の広さではない。浴室からトイレまで完備され、大きな窓の向こうにはバルコニーまである。十人ぐらい泊まれそうな豪華かつ広い部屋だった。
そして柔らかすぎるベッドに腰を下ろして十分。
現実離れした光景にサーシャが呆然としていると、ミランシャが訪ねてきた。
「これからラスティアン宮殿に行くわよ」
赤毛の女性はそう告げた。
サーシャは、同様に呆然としているアリシア達と共に再び馬車に乗り、街中を走ること三十分。今日、最大の衝撃を経験することになった。
それが――目の前の光景だった。
「こ、これが皇都の象徴……ラスティアン宮殿……」
沈黙を破り、アリシアが圧倒された声で呟く。
湖面に架けられた長い一本橋。数台の馬車と人々が歩く道を真直ぐ進みながら、その先にある雄大な巨城にサーシャ達四人の騎士候補生は、完全に目を奪われていた。
天へと伸びる無数の槍を思わせる白き巨城――ラスティアン宮殿。
船の上から見た時も巨大だとは思ったが、間近で見ると迫力がまるで違う。
「……皇都に来たら一度は見ないと損をするという話は本当だったな」
ロックが声を絞り出すように唸った。
明らかに雰囲気に呑まれているサーシャ達に対し、アッシュは苦笑した。
「まっ、確かに見た目は凄げえけど、あれはあれで住むには大変なんだぜ。特に一階から最上階の十六階とか行く時なんて階段が終わんねえんだよ」
「うん。あれはしんどい」
「ああ、確かにあれは大変だな。何と言うか、心が折れる」
と、アッシュの右側に並んで座るユーリィとオトハも、各自感想を述べる。
一方、アッシュの左隣に座るミランシャは、はあっと溜息をついた。
「まあ、それは同感よね。皇国騎士団の詰め所は六階と七階にあるんだけど、あれって一階とかにならないのかしら?」
「いや、姉さん。一階は観光の人で一杯じゃないか。流石に詰め所は置けないよ」
と、姉にツッコむアルフレッド。
宮殿を目前にしても彼らに緊張はなかった。そんな五人をサーシャ達は羨ましく思いつつ、馬車はいよいよ宮殿の城門に辿り着き、城壁内に入った。
城壁内は、白い石畳を敷き詰めた大きな広場だった。中央にはラスティアン宮殿が雄々しく鎮座し、巨大な正門も見える。視界の端には場所の停留所がある。
「……あれ?」
サーシャは首を傾げた。彼女達の乗る馬車が停留所を素通りしたからだ。
馬車は正門から逸れて宮殿の裏側へと進んでいく。
「アッシュさん。あそこには停まらないんですか?」
アリシアが停留所を指差しながら、アッシュに尋ねる。
それに対して、アッシュはこくんと頷き、
「ああ。あそこは一般人や客人用。騎士団専用の停留所は裏側にあるんだよ。宮殿内にもその裏門から入ることになるな」
「へえ~。そうなんですか」
と、そうこうしている内に馬車は裏側の停留場に到着した。
アッシュ達は、次々と馬車から降りる。
そして全員が降りたところで、ミランシャがみなに告げた。
「さて。じゃあ、宮殿内に入りましょうか!」
◆
「……おおう、こいつは凄げえな。ピッカピカだぞ」
ラスティアン宮殿七階。大きな窓が並ぶ長い渡り廊下で、エドワードは足元を凝視して呻いた。埃一つない大理石の床は、鏡の如く少年の姿を映している。
アッシュ達の一行は今、騎士団長室へと向かっていた。
「ははっ、あんまはしゃぐなよ。不審者扱いで摘みだされるぞ」
と、アッシュが冗談めいた口調で告げる。
しかし、エドワードのみならず、サーシャ達が浮足立つのも仕方がない。
かく言うアッシュも、初めてここに来た時は似たような挙動だった。
「ふふっ、もうアシュ君たら。そんな意地悪なこと言わないの。《七星》が四人も同行していて不審者扱いされる訳ないでしょう」
ミランシャがクスクスと笑う。
そして、途中すれ違った騎士達に敬礼されたりなどあったが、アッシュ達は問題もなく団長室に辿り着いた。『団長室』のプレートがかけられた重厚なドアが目の前にある。
「じゃあ、ノックするね」
ミランシャはそう告げてから、ドアをノックした。
すると、ドアの向こうから「どうぞ~」と少し間延びした声が返ってくる。
「失礼しますね。団長」
言って、ミランシャはドアを開けた。
そうしてミランシャを先頭に、ぞろぞろと全員が部屋に入る。
そこは質素な部屋だった。陽の差し込む大きな窓に、壁一杯の本棚。ソファーこそあるが来客を意識していない部屋だ。普段は実務のみに使用しているのだろう。
そして唯一使い込まれていそうな執務席の椅子には一人の女性が座り、その傍らには壮年の男性が佇んでいる。共に黒い騎士服と純白のサーコートを纏っていた。
すると、不意に女性が微笑んで――。
「ようこそ。お久しぶりですね。アッシュ君にオトハちゃん。それにユーリィちゃんも」
と、歓迎の言葉を告げる。続けてサーシャ達の方へも目をやり、
「そして、みなさんも初めまして」
「え、あっ、こちらこそ初めまして!」
と言って、頭を下げるサーシャを皮切りに、慌ててアリシアとロックが続き、少し遅れてエドワードが自己紹介と挨拶をする。
その様子を、女性はにこやかな笑顔で見つめた後、
「ふふ、ご丁寧どうも。私の名はソフィア=アレールと申します。グレイシア皇国騎士団の団長であり、《七星》の長を務める者です。みなさんを歓迎しますよ」
そう告げて、女性――ソフィアは立ち上がった。
見た目は二十代後半。軽くウェーブのかかった亜麻色の長い髪を持つ美女だ。
同色の瞳は、その肩書には似つかわしくない温和な光を宿していた。
「……一応、私も自己紹介しておこう。ライアン=サウスエンドだ。皇国騎士団の副団長を務めている。君達を歓迎するよ」
と、執務席の横で控えていた男性が告げる。
仮にも「歓迎する」と口にしているのに、無愛想極まりない表情だった。
アッシュは呆れたように口元を歪める。
「ったく。相変わらず無愛想だな。副団長は」
「この顔は生まれつきだ。だが、歓迎するという言葉は本当だぞ。クライン」
ライアンは腕を後ろ手で組んだまま、やはり表情を変えずにそう返した。
二人のやり取りに、彼らを知る人間達は思わず苦笑いを浮かべた。
が、その一方で――。
「(うわ、うわっ! 団長さんもそうだけど、副団長さんも《七星》だよね!?)」
「(た、立て続けに《七星》が出て来たな……)」
サーシャ達はガチガチに緊張していた。なにせ、この場にはいきなり六人の《七星》が揃ったことになる。緊張しても当然だ。
すると、そんな彼女達の様子に気付いたのか、ソフィアが笑みをこぼした。
「うふふっ、そんなに緊張しなくてもいいですよ」
そして、ソフィアはそこそこ豊かな胸を張り、
「まあ、私のような若い女が《七星》の長と聞き驚いているのでしょう。ですが、私は若いとはいえ弱い訳ではありません。若いから長に選ばれた訳でもないのです。ふふ、そうですね。一つ教えてあげましょうか……」
彼女は亜麻色の瞳で、唖然とするサーシャ達を見据えて言う。
「私は《七星》の長。私は他の《七星》全員の能力を有しているのです」
「「「「――なッ!?」」」」
とんでもない事柄を告げられ、息を呑むサーシャ達。
対し、他の《七星》及びユーリィは――。
「「「「堂々と嘘をつくな」」」」
全面否定した。
そしてポカンとするサーシャ達をよそに、アッシュ達は次々としゃべり出す。
「いや、団長はオトの『銀嶺の瞳』とか持ってねえだろ」
「アシュ兄の《朱焔》とかも無理だよね。きっと暴走するよ」
「そもそもハウルの《鳳火》など狂気の機体だぞ。真似なんて無理だ」
「ちょっとオトハちゃん! アタシの愛機を『狂気』とか言わないでよ!」
「団長。流石にそれはホラが過ぎるかと」
「……それ以前に『若い』が多い」
と、ジト目のユーリィが締める。
「えっ、うそだったんですか?」
ようやく事態を理解したサーシャが、キョトンと尋ねる。
同胞達の総ツッコミに、ソフィアは少し涙目になりつつも答えた。
「冗談を交えて緊張をほぐそうと思っただけですよぉ。みんなノリが悪いです。それとユーリィちゃん。私は若いので若いと言ってもいいんですよ。なにしろ若いのですから」
最後の方は一切笑顔を見せずに告げるソフィアだった。
それに対し、ユーリィは何かを言おうとしたが慌ててアッシュが口を押さえた。
「と、とにかくさ。団長も久しぶりだよな。元気そうで何よりだよ」
「ええ。アッシュ君も元気そうで何よりです。オトハちゃんも元気そうですし。二人とも今回は招集に応じてくれてありがとうございます」
ポンと手を打ってにこやかに笑うソフィアに、アッシュは内心ホッとしつつ。
「まあ、流石に皇女様の『お願い』は断れねえよ」
「私も似たようなものだな。私自身は皇女とほとんど面識はないが、セラ大陸で仕事する以上、無視する訳にもいかんしな」
と、オトハが言う。
「……その言い分だと、私の手紙は無視する気だったと言うことか」
ライアンが淡々と呟く。
事実だったので、アッシュ達は苦笑を浮かべるだけだ。
と、その時。
――コンコン。
不意にドアがノックされた。
「はて。誰でしょうか。この時間に来客の予定はないのですが……」
唐突な来客に、ソフィアが首を傾げた。
ライアンが直立不動の姿勢で告げる。
「もしやサントスでは? そろそろ皇都に戻ってくる頃でしょうし」
「ああ、ブライ君ですか。確かにそうかもしれませんね。ともあれ、どうぞ~」
と、ソフィアは入室を許可した。
すると、か細い声で「失礼します」と返事がくる。
「……えっ」
その想定外の声に、ソフィアは唖然とした。
そして、音もなくドアが開かれる。
「あの、クライン様がおいでになられたと聞きまして……」
思わず全員が目を丸くした。
入室するなり、儚げな声でそう尋ねたのは、金色の髪を持つ美しい少女。
グレイシア皇国の第一皇女にして、今回の誕生祭の主役。
――フェリシア=グレイシア、その人だったのだ。
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