第三章 遥かなる皇都

第108話 遥かなる皇都①

「「「おお~」」」


 青く輝く大海原を軽快に進む鉄甲船の船首にて。

 四人の騎士候補生達は感嘆の声を上げた。


「こりゃあ、予想以上に早ええな!」


 潮風を頬に受けながら、エドワードが言う。

 サーシャ、アリシア、ロックも感心したように頷く。

 彼ら四人はどうにか全員保護者の了承を得て、今ハウル家が所有する鉄甲船に乗り、海へと出たところだった。ちなみに、彼らはいつもの制服のままだ。今回の旅行は海外研修として学校に認可されたからである。


 しばし四人は風景を楽しみつつ、船体が波を押しのける音に耳を傾けていた。


「……しかし、凄いな。本当に風と関係なく進むとは……」


 ロックが喉を唸らせて感嘆する。


「私は一度だけラッセルの《シーザー》に乗ったけど、あれは動かなかったし」


 続いて、サーシャが頬に手を当て、そんな事を言った。

 あまりにのほほんとした親友の台詞に、アリシアは呆れてしまう。


「いやいや、サーシャ。あの時は動いたら大変な事になっていたでしょう」


「あはは……確かに」


 その時のことを思い出し、サーシャが苦笑を浮かべる。と、


「ふふ、みんな楽しそうね」


 不意に後ろから声をかけられた。サーシャ達が振り返ると、この船の所有者であるミランシャと、にこやかな笑みを浮かべるアルフレッドがいた。

 二人とも出会った時と同じ黒い騎士服を着ている。


「この鉄甲船なら七日で皇都に着くよ。けど、その時はコートを着た方がいいかな。セラ大陸はここより少し寒いから」


 と、アルフレッドが告げた。

 セラ大陸は南方に位置するため、冬でもそこそこ温暖な気候なのだが、最南端であるアティス王国と比べれば、流石に肌寒いのである。


「はい。そうします。アルフレッドさん」


 笑顔を浮かべてそう返すサーシャに、アルフレッドは苦笑した。


「えっと、サーシャさん。それに他のみんなも僕のことはアルフで構わないよ。歳も変わらないんだし、敬語とか少し気恥ずかしいし」


 言われ、サーシャ達は顔を見合わせた。

 確かにミランシャの方はともかくアルフレッドは自分達と同年代。彼の言う通り、もう少し肩の力を抜いてもいいかもしれない。

 そしてサーシャ、アリシアがふふっと笑って応じた。


「うん。そうだね! じゃあ、改めてよろしくね! アルフ君」


「そうね……じゃあ私も。よろしくね、アルフ」


 続いて、エドワードとロックの方も声をかける。


「けっ、てめえには色々言いたいことはあるが、まあ、よろしくなアルフ」


「ああ。よろしく頼む。アルフ」


 四人の挨拶に、アルフレッドは笑みをこぼした。


「うん。僕の方こそよろしく」


「ふふっ。良かったじゃないアルフ。友達が出来て」


 と、ミランシャが目を細めて告げる。騎士学校を幼い内に卒業してしまった弟には、同年代の友人が極端に少ない。姉としても嬉しい限りだ。


 そして和やかな空気が甲板に広がる。と、


「……随分と楽しそうだな、お前達」


 いつのも漆黒のレザースーツに身を包んだオトハが、甲板にやってきた。

 その後方には何やら疲れ切った表情のアッシュと、彼の裾を掴んで歩くユーリィの姿が見える。


「オトハさん。それに、先生とユーリィちゃんも」


 そこで、サーシャは小首を傾げた。


「そう言えば、どうして二人ともつなぎのままなんですか?」


 アッシュとユーリィは、何故か工房のつなぎ姿だった。

 この長旅。てっきり二人とも私服で来ると思っていたため、意外だったのだ。

 すると、ミランシャが口元に手を当て、クスクスと笑った。


「どうせ向こうに着いたら、いやでも窮屈な服に着替えなきゃいけないものね。今だけでも楽な服でいたいんでしょう?」


「……窮屈な服ですか?」


 眉根を寄せてアリシアが問う。


「まあ、団長や皇女様とお会いしなきゃならないからね。アシュ兄とユーリィ様にはそれぞれ専用の服を用意しているんだ」


 アルフレッドが、肩をすくめて答える。と、まあ、そんなやり取りをしている間に、アッシュ達はサーシャ達のいる船首にまでやったきた。


「はあ……まさか、またあんな服を着ることになるとはな」


 アッシュが深々と嘆息する。


「……私もあれは動きづらくてイヤ」


 ユーリィも渋面を浮かべてアッシュの腰にしがみついた。

 白髪の青年は、くしゃくしゃと少女の頭を撫でる。

 そんな二人をよそに、サーシャ達は興味津々だ。一体どんな服なのだろうか。


「ふふっ、お披露目は皇都でね。今は船旅を楽しみなさい」


 ミランシャが猫を思わせる笑みを浮かべてそう告げる。

 青空に流れる白い雲。今はまだ島も近く、カモメの群れも飛んでいる。


 大海原を、鉄甲船はどんどん進む。

 サーシャ達の初めての船旅は良好な出航だった。



       ◆



 そうして旅は進んだ。

 サーシャ達はハウル姉弟と完全に打ち解け、親しさを増したり。

 途中、嵐に巻き込まれ、ロックが重度の船酔いになって寝込んだり。

 エドワードが何かにつけてアルフレッドに喧嘩を売り、その都度一蹴されたりなど、イベントは多種に渡ってあったが、特に問題もなく船旅は順調に進んだ。


 そして――七日目の朝が訪れる。


「ふん、ふん~♪」


 サーシャは割り当てられた個室で、鼻歌を口ずさみながら服を着替えていた。

 パサリと寝間着を脱ぎ捨てると、手足や腰つきは華奢でありながら、部分的に圧倒的なボリューム感を持つ白い肢体が露わになる。


「ふふふ、いよいよ今日かぁ……」


 サーシャは壁に掛けてある騎士候補生の制服を手に取ると、袖を通した。

 続けて、ブレストプレートを身につける。この鎧には普段は赤いマントが付いているのだが、今は取り外している。代わりにサーコートを着るためだ。


 サーシャはサーコートを手に取った。

 灰色のサーコート。背中には羽ばたく鳥を描いた紋章――アティス王国の紋章を描かれていた。学校が海外研修用として、急ぎ用意した専用のサーコートである。

 そして、サーシャがサーコートに袖を通した、その時だった。


 ――コンコン。


 と、ドアがノックされる。続けて声が聞こえてきた。


「サーシャ? もう準備できてる?」


「アリシア? うん。丁度今、準備が出来たよ」


 サーシャは最後に机の上に置いてあったヘルムを手に抱えると、ドアを開けた。

 ドアの向こうには、親友であるアリシアがいた。

 絹糸のような栗色の髪と蒼い瞳を持つ彼女も、すでに制服に着替え終えていた。

 サーシャは二コリと笑みを浮かべて。


「おはようアリシア、おまたせ」


「ふふ、おはようサーシャ。じゃあ、甲板へ行きましょう!」


 そう告げて、サーシャ達は通路を進んだ。

 彼女達の部屋は船楼の四階。二人並んで階段を降りていくと、


「おっす。お前らももう起きてたのか」


「おはよう。エイシス。フラム」


 途中でエドワードとロックと合流した。普段の彼らよりも起きる時間が早いのは、エドワード達も到着が近付き、興奮しているためだろうか。


「ユーリィさんは一緒じゃないのか?」


「ユーリィちゃんは今着替え中だって。先に行って欲しいって」


「ああ、例の専用の服とやらか」


「アルフ君は? 一緒じゃないの?」


「部屋に寄った時にはいなかったんだよ。姐御と一緒に甲板にいんじゃねえか?」

 

 と、談笑しながら四人は甲板へ向かった。

 そして、やや肌寒い潮風が吹く甲板に辿り着いた。

 サーシャ達は少し身を震わせながら、船首に足を向ける。


「おお~ッ! あれがセラ大陸か!」


 サーコートで喉元を覆いつつ、エドワードが感嘆の声を上げた。

 果てなき海岸に、その奥に見える草原と巨大な森。

 四大陸の一つ。南方の大陸、セラの大地がそこに横たわっていた。

 遠目でありながらも、その雄大さには全員が息を呑む。


「……私達の住むグラム島も、島としては破格の大きさって言われているけど、やっぱり本物の大陸はスケールが違うわよね」


 初めて見る大陸の姿に、アリシアは感心した声で呟く。

 その時、後ろから声が聞こえてきた。


「ふふっ、お前達は大陸を見るのは初めてだったな。中々壮観なものだろう」


 そう告げて、サーシャ達の隣に一人の女性が並んだ。

 漆黒のレザースーツの上に、《七星》のみに許される、背中に《夜の女神》と七つの極星の紋章が描かれた純白のサーコートを纏うオトハ=タチバナである。


「教官は他の大陸にも行かれたことがおありで?」


 ロックが素朴な質問をする。

 対し、オトハはセラ大陸を見据えたまま腕を組み、


「東方のアロンには行ったことがある。あそこも相当なものだぞ。いつかお前達も行ってみるといい」


 そう答えて、オトハは微笑んだ。

 サーシャ達四人は目の前の光景に圧倒されながらも、こくんと頷いた。

 そして船は進む。そこそこ雲はあるが、天気は快晴。陸地が近いため、カモメの群れも盛んに飛び交っている。大陸は徐々に近付きつつあった。


 と、その時。


「……久しぶりだな。この光景も」


「うん。まさか再び見るとは思ってなかった」


 そう呟きながら、新たな人物達が甲板に現れた。

 声からしてアッシュとユーリィだ。大陸を見ていたサーシャ達は振り返る。

 そして――全員揃って目を丸くした。


「よう。おはよう」


「……おはよう。みんな」


 アッシュと、ユーリィがそれぞれ朝の挨拶をするが、サーシャ達は答えない。

 挨拶を返すのも忘れ、女性陣、男性陣に分かれて囁き合っている。


 まず女性陣の方だが――。


「(わ、わわわっ、せ、先生、すっごくカッコいいよっ!)」


「(う、うん。あれがミランシャさんの言ってた専用の服なのよね……)」


「(見たところ、あれは皇国の騎士服をベースにした儀礼服だな。……ふふっ、やはりクラインには戦士の姿がよく似合う……)」


 と、サーシャとアリシア、そしてオトハが、頬を朱に染めて言葉を交わす。

 今日のアッシュの服装はつなぎとは違うものになっていた。

 黒を基調にした儀礼服。オトハの指摘通り皇国の騎士服に似た様式であり、袖などには銀糸で刺繍が施されている。アッシュはその上に、オトハと同じ《七星》のサーコートを纏っていた。完全に騎士にしか見えない佇まいだ。


 続いて男性陣の方と言えば――。


「(お、おおおおッ! 何故だ! 何故、ここに写真機がないんだッ!)」


「(お、落ち着けエド! あっても師匠が撮らせてくれないぞ!?)」


 エドワードが鼻血を流さんばかりに興奮し、ロックが慌てて諫めていた。

 アッシュ同様、ユーリィも今日は普段と違う姿になっていた。

 肩の部分の袖がない白いドレス。法衣を思わせる服で長いスカートにはスリットも入っている。所々に金糸の刺繍が施されており、まさしく巫女といった姿だった。

 ユーリィに惚れているエドワードが興奮するのも無理もない。

 そんな少年の視線に気付いたのか、ユーリィが心底嫌そうな顔をしてアッシュの後ろに隠れた。ギュッとコートの裾を掴んだまま離そうとしない。


 アッシュは苦笑を浮かべてユーリィの頭を撫でた。


「ったく。お前ら、じろじろ見んなよ。似合ってないのは分かってるし」


「い、いやそんな事はないぞ! エマリアはもちろんお前もよく似合っている!」


 と、オトハが手をパタパタ振って言った。

 サーシャとアリシアも、コクコク相槌を打っている。と、


「うん。アタシもそう思うわ。やっぱりアシュ君には騎士服が似合うのよ」


「そうだね。それにしてもユーリィ様……なんて美しいんだ」


 新たに二つの声が会話に加わった。ハウル姉弟だ。どうやらこれで全員が甲板に集まったらしい。早速サーシャがハウル姉弟に挨拶をする。


「あっ、ミランシャさん。アルフ君。おはよう――」


 しかし、その台詞は途中で途切れてしまった。

 サーシャは呆然とハウル姉弟の姿を見つめていた。アリシアや、エドワード、ロックも同じようにポカンとしている。


「よう、おはようさん。ミランシャ。アルフ」


「……おはよう」


「ふん。随分と遅かったなハウル」


「少し寝坊しただけじゃない。オトハちゃんは小さい事をネチネチと」


「……姉さんの寝坊は結構酷いから小さい事とも思わないけど……」


 と、四人の騎士候補生以外は普通に会話をしている。

 その光景を前にして、一番早く我に返ったのはアリシアだった。


「ちょっと、ちょっと待って下さい!」


 思わず声を張り上げる。アッシュ達はアリシアに注目した。

 アリシアは一瞬たじろぐが、負けじと尋ねた。


「な、なんでミランシャさんやアルフが《七星》のサーコートを着てるんですか!?」


 その叫び声で、ようやくサーシャ達もハッと我に返る。

 ――そう。ミランシャ達、ハウル姉弟は二人揃って普段の黒い騎士服の上に、《七星》のサーコートを纏っていたのだ。


 対し、ミランシャは小首を傾げた。


「あれ? 言ってなかったっけ?」


「そう言えば、普通にスルーしていたよね」


 そう呟いて、アルフレッドは苦笑する。一方、アッシュ達は「ああ~、知っているものという感じでいたな」と、それぞれ気まずげな仕種を見せていた。


「ど、どういうことなんですか? 先生」


 今度はサーシャがアッシュに尋ねた。

 彼女の師はポリポリと頬をかくと、「いや、悪りい。言うの忘れてたよ」と告げてハウル姉弟に目配せする。ミランシャ達は、はははっと笑って頷いた。


「言い忘れてごめんね。アタシ達って《七星》なの」


「「「……はあ?」」」


 唖然とした声を上げる騎士候補生達。

 それに対し、まずアルフレッドがコホンと喉を鳴らし、


「改めて自己紹介を。僕の名はアルフレッド=ハウル。《七星》が第七座――《雷公》を所有している。二つ名は《穿輝神槍》と呼ばれているよ」


 続けて、ミランシャが腰に両手を当てると、


「アタシの名はミランシャ=ハウル。《七星》が第五座――《鳳火》を駆る者よ。そして二つ名は《蒼天公女》と呼ばれているわ」


 燃えるような赤い髪を風になびかせて、堂々と名乗りを上げる。

 そして、未だ状況が呑み込めないサーシャ達に、


「改めてよろしくね! みんな!」


 と告げて、彼女は親指を立てて笑うのだった。

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