幕間一 父と娘

第107話 父と娘

「なん、だと……?」


 アラン=フラムは呆然と目を見開いた。

 そこは王城区にある、フラム邸の食卓の間。傍には使用人である五十代後半の女性――ナターシャ=グラハムが静かに佇み、長机の両端には当主であるアランと、彼の一人娘であるサーシャ=フラムが座っていた。


「い、今、何と言ったんだ……サーシャ?」


 カシャン、と手に持ったフォークを食器の上に落とし、アランが呟く。

 対し、サーシャは少しもじもじとして。


「えっとね、先生達と一緒に皇国に行きたいの。一ヶ月ほど」


 と、そんなロクでもない事を告げてくる。

 アランは青ざめた。我が娘は一体何を言っているのだ……。


「行きも帰りも鉄甲船を出してくれるそうでね、旅費はないの。宿泊先はミランシャさんの家……先生のお友達の家に泊めてくれるって」


「そ、そういう話ではないッ!」


 アランはドンと机を叩いた。

 卓上の料理の数々がガタンと震えた。


「……旦那様」


 傍に控えるナターシャが眉をひそめる。

 食事中に声を荒らげてはいけない。視線のみで彼女は訴える。


「いや、すまない、ナターシャさん。しかしだな……」


 ナターシャはアランが若い頃からの付き合いだ。家政婦ではあるが、彼にとっては姉のような女性でもある。すなわち、頭の上がらない人物だった。

 アランはとりあえずナイフを食器の上に置いた。


「……お父様。ダメですか?」


 と、上目遣いで尋ねてくるサーシャ。

 アランはふうと嘆息する。


「ダメに決まっているだろう。そもそも私はラッセルの時だって反対だったのに、ナターシャさんに押し切られて……」


 そこでアランはハッとする。目を剥いて横に振り向くと、恰幅のいい女性はくつくつと笑っていた。どうやら今回もサーシャは彼女を味方につけているらしい。

 アランは、すでに孤立無援になっていることを知った。


「だ、だが今回はダメだぞ! 外国なんて認められるか! 学校はどうする!」


「それならオトハさ――タチバナ教官が、海外研修扱いにしてくれるように学校に交渉してくれたよ。もしかしたら今後の留学とかのテストケースになるかもって」


「完全に根回ししてるな!? でもダメなものはダメだぞ!」


 しかしアランは引かない。何が悲しくて愛娘を異国に送り出さねばならないのだ。

 ましてや男連れなど――。


「父さんは絶対に反対だからな!」


 気炎を吐くアラン。すると、ナターシャが一歩近付き、


「旦那様。可愛い子には旅をさせろとも言います」


「だがな、ナターシャさん。サーシャはまだ十六歳なんだ。外国など早すぎる」


「旦那様。若い感性だからこそ得られるものもあります」


 と、二人の保護者が言い合っていると、


「もういい! 許してくれないなら、お父様とは口をきかないから!」


 ガタンッと椅子を倒してサーシャが立ち上がった。

 途端、アランの顔が青ざめる。


「ま、待ちなさい、サーシャ!」


「知らないっ! お父様なんて大嫌いっ!」


 言って、サーシャは食事も残し部屋から出て行ってしまった。

 残されたアランは呆然とし、ナターシャはあららと口元を押さえていた。

 そしてアランはおぼつかない様子で椅子から立ち上がると、ふらふらと何かを求めるように部屋のドアに向かった。


「……旦那様?」


「す、すまないナターシャさん。食事は片付けておいてくれ。今日はもう食欲がない」


 そう告げてアランは部屋から出ると、よろめく足取りで二階の自室前に戻った。

 そしてカチャとドアを開けて室内に入り、すぐさま後ろ手で閉めると、


「うう……エレナアアアァ!」


 ぶわっと滂沱の涙を流して、机の上に飾ってある写真を手に取り、


「サ、サーシャがッ! サーシャが、私を嫌いだと言うんだああああ!」


 ベッドにダイビングしつつ、写真に映った亡き妻に語りかける。

 早くに妻を亡くし、ナターシャの協力もあったとはいえ、基本的には男手一つで育ててきた愛娘だ。「嫌い」と言われた時のダメージは計り知れない。


「エ、エレナァ……。私は一体どうすればいいんだ。もしこのまま、サーシャがずっと私を嫌いになったら……」


 そう思うだけでゾッとする。まるで世界に終焉が訪れたような気分だ。

 しかし、可愛い娘を旅に出すのには抵抗がある。しかも海を越えるほどの旅だ。


「ぐぐぐ……」


 写真を手に、鬼の形相で呻くアラン。

 その後、ベッドの上でアランは一睡もせず悩み続けた。

 そして翌朝。朝食の席にて。

 目に隈を作ったアランは、ポツリとサーシャに告げた。


「……飲み水には気をつけなさい。それと知らない人には付いていくんじゃないぞ」


「お父様! ありがとう! 大好きっ!」


 そう叫んで、父に抱きつく娘。

 ……サーシャに嫌われるよりは、ずっとマシだ。

 結局、アランもまた、アッシュと同じく妥協したのだった。

 なお、エイシス家においても、悩み苦しんだ父がいたことは語るまでもない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る