第106話 《星》が集いて卓袱台囲む③
グレイシア皇国・皇都ディノス。
その中心地にある、天へと掲げた無数の槍を彷彿させる美しき巨城――ラスティアン宮殿の一室に、彼女はいた。年の頃は十四、五歳。精緻な華の刺繍を施した純白のドレスを纏う、紫色の瞳を持つ美しい少女だ。
「……ふう」
一人、椅子に座り、窓の景色を眺めていた彼女は小さく首を動かした。
同時に腰まである金色の髪がふわりを揺らめく。そんな自分の髪を一房握りしめて少女は嘆息する。
金色の髪。《星神》の希少種――《金色の星神》にしか許されない色。
しかし、彼女は《星神》ではない。
彼女の髪は曾祖母が《金色の星神》であったための名残だ。多くの人間は美しいと誉めてくれるのだが、少女にとってはコンプレックスの一つでもあった。
本物の……『彼女』の輝きに比べれば、まるで偽物のような気分になるからだ。
「……ふう」
再び嘆息をもらす。と、不意に部屋のドアがノックされた。
少女が「どうぞ」と促すと、「失礼します」という返事と共にドアが開けられた。
「姫殿下。ご機嫌麗しゅうございます」
そう言って、頭を下げたのは壮年の男性だった。
黒い騎士服の上に、白いサーコートを纏う男。挨拶をしている割には、まるで鉄仮面を思わせるほど無愛想な顔をした痩身の男性だ。
ライアン=サウスエンド。
グレイシア皇国騎士団の副団長にして《七星》の一人。
金髪の少女――グレイシア皇国の第一皇女、フェリシア=グレイシアの帝王学などの家庭教師も務める騎士だった。
「……サウスエンド先生」
フェリシアは視線をライアンに向ける。
そして小さく息をついてから、
「……あの手紙はクライン様に届いたのでしょうか」
今もっとも懸念する事柄を訊いてみる。
対し、ライアンは直立不動のまま表情一つ変えずに答えた。
「時期的にそろそろハウル姉弟がアティス王国に到着した頃でしょう。彼らならば問題なく届けるはず。何も案ずることはありません」
「……そうですか」
と、フェリシアは安堵の息をこぼした後、
「……クライン様は私の誕生祭に来て下さるのでしょうか」
憂いを秘めた眼差しで再びライアンを見つめる。
「それも問題ありません。あの男は身内の頼みに弱いですからな。ましてや姫殿下の頼みともなれば必ず参列することでしょう」
ライアンは自信をもってそう告げる。
アッシュ=クラインの性格は熟知している。皇女自らの頼みを断る男ではない。
さらに言えば、断りづらくするためにハウル姉弟を派遣したのだ。
と、そんなライアンの思惑は露知らず、フェリシアは純粋に笑みをこぼした。
「そうですか。ならば久しぶりにクライン様とエマリア様にお会いできるのですね」
「ええ、そうですな。クラインが来るとならばエマリア嬢も当然ついてくるでしょう」
ライアンはやはり表情を変えずにそう告げる。
「ふふっ、楽しみです……」
と、笑みを深めるフェリシアに、ライアンは初めて苦笑を浮かべた。
「ご安心下さい姫殿下。それよりも、そろそろ授業を始めましょう」
「うっ、じゅ、授業ですか」
「ええ。姫殿下はどうも最近集中力が散漫になっておられるご様子。今日は少々厳しめにいきますぞ」
「ううっ、お、お手柔らかにお願いします」
そして、フェリシアの今日の授業が始まったのだった。
◆
「……それでどうするのアッシュ」
クライン工房二階。茶の間にて、ユーリィが不安げに問う。
「う~ん、そうだなあ……」
アッシュはあごを手に当て考える。
グレイシア皇国に行くとなると、一ヶ月近くも工房を空けなければならない。
ご近所の農夫ばかりだが、ようやく固定客もついてきたこの時期に、店を長期間空けたくはない。正直なところ、副団長の依頼だけなら断っている。
しかし、皇女の『お願い』ともなると無下にする訳にもいかなかった。
「……やっぱ、行くしかないだろうな」
アッシュは溜息をつきつつ、そう呟いた。
そして隣に座るオトハを見やり、
「オト。お前はどうする?」
「……お前が行くのに、私が応じない訳にもいかないだろう」
そこでオトハは渋面を浮かべる。
「しかし、私には借金があるからな。この国から出国できないのだが……」
そう呟くと、ミランシャがポンと手を打った。
「それなら大丈夫よ。そこは皇国騎士団が保証人になるわ。そもそも借金の相手ってアシュ君なんでしょう? いくらでも融通きくじゃない」
「むむむ……」
と、呻くオトハ。
「今回は旅費も宿泊費も皇国騎士団が出すよ。応じてくれたら報酬も出すし」
アルフレッドがそう告げる。
至れり尽くせり……と言うより、断れないように万全を期した状況だ。
「……仕方がねえか」
アッシュが呟く。
「ただ、三日ほど待ってくれねえか? お得意さんに長期間店を空ける挨拶周りをしとかなきゃなんねえし」
「私の方も騎士学校に許可を貰う必要があるしな」
オトハも続いてそう言った。
ミランシャ達はこくんと頷く。
「うん。別に構わないわ。今、港にはハウル家所有の鉄甲船が停泊してるの。アタシ達はそこで宿泊しているから――」
と、ミランシャが呟いたその時だった。
「あの、ちょっといいですか?」
唐突に部屋の隅にいたアリシアが手を上げた。
隣に座るサーシャや、ロック、エドワードも驚く。
「……? どうかしたか、アリシア?」
アッシュが首を傾げてアリシアに問うと、彼女は少しもじもじした仕種を見せた。
普段から活発な彼女にしては、珍しい仕種だ。
そしてわずかな沈黙の後、
「あ、あの、アッシュさん……」
アリシアは意を決して告げた。
「その、皇国行き……私も付いて行っていいですか!」
一瞬、茶の間に沈黙が下りる。
「「「……はあ?」」」
そして、全員が唖然とした声を上げた。
全員が注目する中、アリシアがしどろもどろに語り出す。
「そ、その、皇国って騎士の本場じゃないですか。だから前々から一度行ってみたいなと思ってて、それにアッシュさんと一緒なら騎士団の見学とかも出来るかなって……あっ、旅費とか宿泊費は自分で出しますから……」
と、もっともらしい台詞を繰り返すアリシア。
アッシュ達は、未だキョトンとした表情でアリシアを見つめていた。
一方、親友であるサーシャだけはアリシアの本当の意図に気付いた。
皇国を見学したいと言うのは、ただの口実だ。
単純にアリシアはアッシュと離れたくないのだ。
そしてそれはサーシャも同じだった。
「せ、先生! だったら私も! 私も付いて行ってもいいですか!」
「は? メットさんまで何を……」
愛弟子の台詞に、呆然と呟くアッシュ。
そして少女達の提案に、級友の少年達も声を上げた。
「ならさ、俺も行きてえ! 旅費は自分で出すからさ!」
「うむ……俺も一度皇国に行ってみたいと思っていた」
エドワードと、ロックまでその気になる。
ユーリィは困惑し、アッシュの方はオトハと顔を見合わせた。
そして、しばらくしてから――。
「……ダメだ」
渋面を浮かべてアッシュは告げた。
サーシャ達は顔色を変えて声を上げようとするが、アッシュはそれを片手で制し、
「ラッセルの時とは訳が違う。外国ともなると流石に親御さんが許さねえだろう。学校だって休まなきゃなんねえんだぞ」
その常識的な意見に、アリシアが異を唱えた。
「何も授業だけが勉強じゃないはずです。他国を見聞する事だって勉強になります。それに今の言葉だと保護者の許可を得たら付いて行ってもいいって事ですよね」
「いや、そうは言ってないぞ」
ドサクサに紛れて言質を取ろうとするアリシアを、アッシュはたしなめた。
「けど……ッ!」
言って、身を乗り出そうとするアリシアに、サーシャも続こうとしたその時。
「……まあ、いいじゃないアシュ君」
予想外の味方が現れた。
今まで状況を傍観していたミランシャだ。
「おい、ミランシャ!」
「島国だと他国に行く切っ掛けなんてそうそうないわ。彼らの学ぶ姿勢は共感できるし、四人程度の旅費や宿泊費ぐらいならハウル家が出してあげるわよ?」
「金の問題じゃねえだろ! 第一親御さんが何て言うか……」
「そうだな……まあ、保護者が許可するのなら別に構わないんじゃないか」
「――オトッ!?」
いきなりオトハまでそんなことを言い出す。
てっきり自分と同意見だと思っていた旧友の言葉に、アッシュは目を剥いた。
「まあ、旅というものは色々勉強になるからな。こいつらはそこそこ優秀だし、試しにそう言った経験を積ませるのもいいかもしれん」
と、オトハは言う。どうやら教官としての意見のようだ。
「いや、けどなあ……」
と、なお渋るアッシュに、ユーリィがくいくいと腕を引っ張ってきた。
「アッシュ。私もメットさん達と一緒がいい」
「いや、ユーリィ。お前まで……」
アッシュは溜息をついた。現時点で意見を言っていないのはアルフレッドだけだが、ちらりと見たところ彼も反対ではないようだ。
いつの間にか反対しているのはアッシュだけになっていた。
「ああッもう! 分かったよ! ただし、親御さんの許可は絶対に取ること! これだけは譲らねえからな!」
結局、アッシュは妥協した。「わああ!」と歓声を上げるサーシャ達。
せめて親御さんの反対を望むが、どうも嫌な予感しかしない。
騒がしい大所帯の旅になる。
今からそんな気がしてならないアッシュであった。
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