第105話 《星》が集いて卓袱台囲む②
ユーリィ=エマリアは硬直していた。
目の前には赤いバラ。少しきつめの匂いが鼻孔をくすぐる。
……この少年に花を贈られるのは一体何度目のことか。
「どうかお受け取り下さい。ユーリィ様」
真摯な眼差しで少年――アルフレッド=ハウルは告げる。
ユーリィはわずかに頬を引きつらせた。本音を言えば受け取りたくない。貰っても花は食べられないからだ。ユーリィは花より団子派だった。
しかし、他人の好意を無下にすると、後でアッシュに叱られてしまう。
「……ありがとう」
そう小さく呟き、ユーリィは花束を受け取った。
けれど、どうしてこの少年がここにいるのだろうか。
それもあの忌わしい赤毛女と共に。
「ユーリィちゃん! こっちもお土産! 生モノだから早めに食べてね」
「……分かった」
赤毛女に声をかけられ、ユーリィは四角い箱のような菓子折りを受け取った。
そして、渋々といった顔をしたまま「台所に行く」と告げて退室した。
「ふふ、ユーリィちゃんも相変わらずよねえ」
赤毛女こと、ミランシャ=ハウルが笑う。
そこはクライン工房の二階にある一室。最近はサーシャ達の溜まり場になりつつある団欒の場所であり、客人を招くための茶の間である。
今その部屋には、荷物を置きにいったユーリィを除くと、八名の人間がいた。
壁際にはサーシャ達、四人の騎士候補生が緊張した様子で鎮座し、そして卓袱台を囲んでハウル姉弟と、アッシュとオトハが座っている。
ハウル姉弟以外は、ほぼ全員が未だ困惑気味の表情を浮かべていた。
「……それで一体何しに来たんだ、ハウル」
と、唯一不機嫌そうに顔をしかめていたオトハが、ミランシャに尋ねる。
アッシュ同様、オトハもハウル姉弟とは旧知の間柄だった。
そして、ミランシャとは犬猿の仲でもある。
「オトハちゃんも相変わらず仏頂面よね。いつもそんなんじゃモテないわよ」
ミランシャは挑発するような笑みでそう返す。
それをオトハはフンと鼻で笑った。
「……別にモテようなど思わん。たった一人だけ認めてくれれば充分だ」
「……あら、奇偶ね。それにはアタシも同意見だわ」
言って、互いに不敵な笑みを浮かべるオトハとミランシャ。
緊迫した様子にアッシュは頬を引きつらせた。
「お、おい。お前ら久しぶりに会ったんだし、そんな喧嘩腰に――」
「クラインは黙っていろ」「アシュ君は黙っていて」
「お、おう……」
こういう時だけは息を揃える二人に、アッシュは思わず押し黙った。
そうしてしばらくすると、ユーリィが戻って来た。
空色の髪の少女は、アッシュの隣にトスンと座ると、警戒の眼差しをミランシャに向けて、アッシュの腕にしがみついた。
「お、おい、ユーリィ?」
「…………」
不自然なユーリィの態度に、アッシュは声をかけるが、少女は答えない。
ただ無言でアッシュの腕をしがみつくだけだった。
その様子を、アリシアとサーシャはじいっと見つめていた。
「(ねえ、サーシャ、これって……)」
「(うん。ユーリィちゃんの、あの露骨なまでの警戒具合……やっぱりミランシャさんが以前ユーリィちゃんが言ってた『赤毛女』なんだ)」
以前、ユーリィから聞いた警戒しなければならない恋敵の一人。
それが、ミランシャ=ハウルなのだろう。
オトハとユーリィの態度が、そのことを雄弁に伝えていた。
「(……サーシャ。分かってるわよね)」
「(うん。私達も警戒しなくちゃ)」
と、頷き合う少女達。
一方、少年達にも動きがあった。
「(なあ、エドよ)」
ロックが隣に座るエドワードに小声で語りかける。
「(もしかしてヤバいんじゃないのか?)」
「(ぐぐぐ……)」
と、呻くエドワードに、ロックは淡々と告げる。
「(あのアルフレッドという少年。師匠の妹さんに花束贈ったぞ。タチバナ教官もいるのに何故か妹さんにだけだ。あれは要するに――)」
「(言うなロック! そんなの分かってるよ! ちくしょうッ! 何が『ユーリィ様』だ!? なんて気障なロリコン野郎だ!)」
「(……やめろエド。それは自分もロリコンだと公言しているようなもんだぞ)」
今にも立ち上がって、アルフレッドに喧嘩を売りそうな友人を諫めるロック。
エドワードも事実上惨敗したばかりなので、流石に思い留まった。
と、そうこうしている内に、アッシュ達の会話は続く。
「けどよ、ミランシャ、アルフ。お前ら本当に何しに来たんだ?」
アッシュはオトハと同じ質問をした。
すると、ミランシャが頬を少し膨らませて。
「……なに? 用事がないとアシュ君に会いに来ちゃダメなの?」
「いや、そういう意味じゃねえんだが……」
アッシュはポリポリと頬をかき、
「お前らって二人とも忙しいじゃねえか。休暇だとしても、あのおっさん――副団長がよくこんなとこまで来んのを許したなあ、とか思ってよ」
アッシュの疑問に、ハウル姉弟は互いの顔を見合わせた。
それから姉弟揃って苦笑をこぼす。
「流石はアシュ君。副団長のことよく分かっているわ」
「アシュ兄の指摘通りだよ。僕ら休暇で来た訳じゃないんだ」
「……? と言うことは任務で来たのか?」
そう尋ねたのはオトハだ。今でこそ教官のバイトなどしているが、かくいう彼女も元々はとある任務でこの国に訪れた身だった。
アルフレッドはこくんと頷く。
「実は僕達、アシュ兄とオトハさんに渡す物があってこの国まで来たんだ」
「……渡す物、だって?」
アッシュは訝しげに眉根を寄せた。
わざわざこの二人を使いにするほどの物とは一体……。
「……アッシュ」
何か不安を感じたのだろうか。ユーリィがより強くアッシュの腕にしがみつく。
その甘えっぷりに、ミランシャが若干ムッとした表情を浮かべる。と、
「クラインと私にだと? 一体何だそれは?」
オトハが腕を組んで単刀直入に尋ねてきた。
すると、ミランシャはもったいぶるように目を細めて笑い、
「ふふふ……それはこれよ!」
言って、自分の騎士服の上着から三通の手紙を取り出した。
そして一通をオトハに、二通をアッシュの手元にすうっと置いた。
どこか緊迫した様子に、サーシャ達は静かに息を呑み、アッシュとオトハは互いの顔を見合わせた後、手紙を手に取る。
「……これは副団長の封蝋だな」
「俺の方も一通はそうだな。けど、もう一通は……」
言葉の途中でアッシュの顔色が変わった。
「……どうしたの、アッシュ」
ユーリィが上目遣いで尋ねてくる。
アッシュは無言のままユーリィに薄紅色の封筒の封蝋を見せた。
「……え、それって」
ユーリィが目を丸くする。それは、グレイシア皇国の紋章だった。
すなわち、皇家に連なる者にしか使用が許されない封蝋ということだ。
「……とりあえず副団長のから読んでみっか」
「……ああ、そうだな」
アッシュとオトハは、同時に封を切り、中から便箋を取り出した。
続けて二人は黙々と手紙を読み始めた。サーシャ達とユーリィ。そして送り手であるミランシャ達まで興味深げに様子を窺う。
そうして二分ほど経ち。
アッシュ達はほぼ同時に息をつき、手紙を卓袱台の上に置いた。
「……そっかあ。そういや彼女はユーリィと同い年だったしな」
アッシュがそう呟くと、オトハが苦笑を浮かべた。
「その台詞からすると、お前と私の手紙の内容は同じようだな」
「ああ、そうみたいだな」
アッシュも苦笑で返す。
「……アッシュ。結局、どんな内容だったの?」
ユーリィが不安げに眉を寄せて訊いてくる。
対してアッシュは、愛娘の髪をくしゃくしゃと撫でた後、
「まあ、もう少し待ってくれ。もう一通も目を通すから」
そう告げて薄紅色の封筒を手に取った。そして全員が注目する中、封を切る。
封筒にはかなりの枚数の便箋が入っていた。それを破らないように慎重に取り出して、アッシュは手紙を読み始める。今度は五分近く時間がかかった。
そうして読み終わったアッシュは、小さく嘆息した。
「……アッシュ?」
キュッと腕を掴んで、ユーリィがもう一度尋ねてくる。
「あの、アッシュさん。オトハさん。何の手紙だったんですか?」
不躾かな、と思いつつも好奇心に負けてアリシアも訊いてきた。
他の騎士候補生達も身を乗り出して興味津々に注目している。
「簡潔に言えば――これは招待状だな」
オトハが言う。
「グレイシア皇国の、皇女の誕生祭に参列して欲しいという内容だった」
「……えっ」
アリシアが驚きの声をもらす。サーシャ達も目を剥いていた。
「うん。そういうことよ」
ミランシャがポンと手を鳴らして、相槌を打つ。
アルフレッドもうんうんと頷いている。
「皇女様の誕生祭。副団長はそこで《七星》を全員揃える気なんだろうね」
「まあ、今はアシュ君とオトハちゃんが国外にいるから、この誕生祭で国内外に《七星》が健在なのをアピールしたいんでしょうね。副団長も苦労人だわ」
ミランシャが的確に副団長の意図を推測した。
アッシュとオトハは渋面を浮かべる。
まあ、気持ちは分からなくもないが、当人としては困惑してしまう。《七星》とはいわゆる名誉称号。グレイシア皇国騎士団の要望に応じる義務はない。
従って、望めば辞退する権利もあるのだが……。
「アッシュ。そっちの手紙は何だったの?」
ユーリィが、アッシュが困惑する要因とも言えることを指摘してきた。
アッシュは心底困ったような表情をして――。
「これな……皇女様直筆の手紙なんだよ」
「え?」
唖然とするユーリィに対し、アッシュは深々と嘆息して告げる。
「要は、皇女様直々に参列して欲しいっていう『お願い』を綴ったものなんだよ」
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