第76話 邂逅②
(……これはきっと夢なんだろうな)
おもむろに周囲を見渡して、少年はそう思った。
そこは大きな河原だった。さざ波を立てる河。近くの桟橋には小舟があり、すぐ傍には木が生い茂る森もある。何とも懐かしい光景だった。
空を見上げる。雲が一つもなく、うっすらと月まで見える晴天だ。
ふと、少年は河辺まで寄った。そして水に映る自分の姿を見て苦笑する。
顔立ちが幼く、しかも髪の色が黒い。服も「あの日」のままだ。
(やはり夢なんだな)
改めて思う。こんな夢を見るのも昨晩、あんな話をしたためか。
しかし、これが夢ならば――。
少年は河辺に沿い、下流へ向かって歩き出す。
そして五分もしない内に、河原に佇む一人の少女の姿を見つけた。
年の頃は十五、六歳。その細い身体に纏うのは白い巫女装束。
彼の故郷――クライン村で収穫祭の時のみ着る特別な服だ。
久しぶりに見るその姿に、少年は目を細める。
すると、少女はこちらに振り向いた。
腰まで伸ばした艶やかな黒髪と、黒曜石のような瞳を持つ美しい少女。
サクヤ=コノハナ。
少年にとって誰よりも大切な少女だった。
彼を見て、少女は優しく笑った。
「久しぶりね。トウヤ」
「ああ、久しぶりだな。サクヤ」
サクヤに声をかけられ、少年――トウヤ=ヒラサカは笑って答えた。
トウヤはそのまま歩を進め、彼女の傍に寄る。
「しかし、まさか、こんな夢でお前と会うとは思わなかったなあ」
「むむ。どういう意味かしらそれは。私とはもう会いたくなかった? トウヤにとって私はもう過去の女なの?」
少し拗ねたような眼差しを向けるサクヤ。
それに対して、トウヤは困ったような笑みを浮かべて告げる。
「いや、そういう訳じゃ……つうか、自分で言うのもなんだが、多分おもいっきりまだ引きずってんぞ。やっぱ十代で死別はきついわ」
「それは……ごめん」
サクヤがしゅんと肩を落とす。
トウヤはゆっくりとかぶりを振った。
「謝るなよ。むしろ謝るのは俺の方だろ」
「……ううん。やっぱり私が悪いと思う。《最後の祈り》を使った事は後悔していない。けど、そのせいで沢山の人に酷い事をして、トウヤも凄く辛い目にあって……」
そう呟いてますます肩を落とすサクヤに、トウヤは苦笑を浮かべる。
そして、ポンとサクヤの頭に手を置き、
「そんなの言っても仕方がねえだろ。もう終わっちまったことだ。それに俺としてはそこまで辛いことばかりじゃなかったぞ」
「……それは、ユーリィちゃんのこと?」
不意に出て来た名前に、トウヤは少し目を丸くする。
サクヤはいたずらっぽく口元を綻ばせた。
「ふふ、『お前がなんで知っているんだ?』って顔ね。けど、これは夢なのよ。小さいことは気にしないで」
「いや、何もかも夢だけで片付けんなよ。まあ、実際そうなんだけどさ……」
ポリポリと頬をかくトウヤに、
「ふふ、村ではコウちゃんを泣かせてばかりだったトウヤが『お父さん』かあ」
言って、サクヤはその場でくるくると回り出す。
巫女装束の大きな裾が舞うように揺れた。
愛しい少女の艶姿に、トウヤは一瞬見惚れるが……。
「……泣かせていたのは赤ん坊だった頃のコウタだろ。ユーリィとは違うさ」
もうこの世にはいない歳の離れた弟を想いつつ、トウヤはそう反論する。
すると、サクヤはふふっと笑い、
「確かにそうね。トウヤも大人になったわ。ええっと、エドワード君とロック君だったよね? あの子達にあんな話をするなんて」
言われ、渋面を浮かべるトウヤ。
「だって仕方がねえだろ。ロックの方はともかく、エロ僧の奴は《星神》と付き合うって意味がまるで分かっちゃいねえ」
トウヤは腕を組んで言葉を続ける。
「《星神》と付き合うのに必要なのは『金』でも『家柄』でも『覚悟』でもねえ。純粋な『力』だ。『力』がなきゃあ、あの物語のガキみてえに頭を潰されて死ぬだけだ」
「……トウヤ」
サクヤが哀しげに眉を寄せた。
しかし、トウヤは構わず自分の考えを淡々と語る。
「だからこそ俺は、俺より弱い奴にユーリィを託す気はねえんだよ。でなきゃあ、そいつもユーリィも不幸になるだけだ」
「…………」
サクヤは何も言えなかった。
それは、トウヤが苦しみ抜いて至った結論だからだ。
だから少女は、言葉の代わりに愛する少年をギュッと抱きしめた。
「……サクヤ」
トウヤは困惑しつつも、少女の背中に手を回した。
そして、グッと強く抱きしめる。
「……トウヤ、少し痛いよ」
「……悪りい。けど、加減する余裕がねえんだ」
夢とはいえ、二度と会えない愛しい少女が目の前にいる。
こればかりは感情を抑えられるはずもなかった。
しばらく続く抱擁。木々の揺れる音が二人の耳元に届く。
そして不意に、トウヤが両手の力を緩めた。
「……サクヤ」
「……トウヤ」
互いの名を呼び合う。
少年は少女の腰に左手を回し、右手で彼女の首筋に触れる。
一瞬だけ訪れる沈黙。
そうして二人は見つめ合い――……。
◆
「まったく。クラインの奴め。こんな時まで寝坊するとはな」
「うん。ホントにそう。アッシュは時々酷く寝起きが悪い」
そこは、ホテルの四階。
アッシュ達・男性陣が借りた部屋に向かってオトハとユーリィの二人は廊下を進んでいた。目的は未だ眠りこけるアッシュを起こすためだ。
相部屋であるエドワードとロックはもう起床しており、すでにラウンジにいるのだが、アッシュだけはどうやっても起きなかったらしい。そこでやむえず、普段からアッシュを起こし慣れている二人がわざわざ部屋に出向いているのだった。
と、そうこうしている内に目的の部屋に着いた。
「まったく。世話の焼ける」
オトハが愚痴をこぼしつつ、エドワード達から借りた鍵をドアノブに差し込む。
カチャッと音を立て鍵が開いた。続けてオトハはドアを開く。
「さて。あいつは……」
オトハは部屋の中を見渡す。
パッと見たところ、部屋の構造は女性陣のものと変わらなかった。
「……いた。あそこ。やっぱり寝てる」
と、ユーリィが四つあるベッドの一つを指差す。
そこにはアッシュ=クラインがグースカ寝ている姿があった。
「なんと呑気な……」
オトハは呆れたように嘆息すると、アッシュに近付いた。ユーリィも後に続く。
そして、アッシュの肩を揺らして起こしにかかる。
「おい、クライン。起きろ。みんなもう起きているぞ」
「……ううん」
しかし、アッシュは唸るばかりで中々起きない。
仕方がなくオトハはより強くアッシュを揺すろうとした――その時だった。
「――えっ」
――ガバッと。
突然オトハの右腕はアッシュに掴まれた。そして困惑する暇さえなく、オトハは勢いよく引っ張られる。彼女はただポカンとしていた。
そして、ボスンとベッドの上に倒れ込むオトハ。が、それだけでは終わらない。
更にアッシュは、呆然とするオトハの背中に手を回して強く抱きしめてきたのだ。
「なななっ!? 何をするクライン!?」
ようやく自分の状況を理解したオトハは、真っ赤になって声を上げた。
しかし、アッシュはまだ寝ぼけているのか、全く返事をしない。
「ア、アッシュ!? 何してるのアッシュ!?」
慌てたのはユーリィも同じだ。必死になってアッシュの手をオトハから引きはがしにかかるが、ビクともしない。それどころか力は強まるばかりだ。
「や、やめ、ク、クライン……痛い」
腕力はアッシュの方がずっと強い。身動きさえとれずオトハは呻いた。
すると、不意にアッシュの力が緩み始めた。
オトハはホッとする。そして今の内に脱出を試みるが……。
「ク、クライン……?」
今度はグッと腰を押さえられた。続けてアッシュの手が首筋に触れてくる。
オトハの顔が赤くなり、同時に鼓動が跳ね上がった。
――ま、まさか、これは……。
「ま、待て! クライン! それはまだ早い! ま、まだ心の準備が!」
思わずそんなことを叫ぶが、アッシュは聞いていない。
と言うよりも、恐らく聞こえていないのだろう。まだ夢の中のようだ。
そして徐々に近付いてくるアッシュの顔に、オトハはもう声も上げられなかった。ただ瞳をギュッと閉じる。はたから見れば覚悟を決め、受け入れている状態だ。
だが、その時だった。
細い足が美しい弧を描いたのは。
――ゴンッ!
そして鉄槌のような踵が、アッシュのこめかみに炸裂した!
「ッ!? 痛ってえええええええええ――ッ!?」
その直後、絶叫を上げて、アッシュがベッドから転げ落ちる。
白髪の青年はこめかみを両手で押さえて床の上をのたうちまわった。
「え、ク、クライン……?」
オトハは目を瞬き、恐る恐るベッドの上からその様子を窺った。続けて、今の一撃を放った人間――ユーリィの方を見やる。
「エ、エマリア……?」
ユーリィはぽろぽろと涙をこぼしていた。少し肩も震えている。
よほど今のアッシュの行為がショックだったのだろう。
「痛ってえ……。何だ? 何があったんだ?」
すると、アッシュが手でこめかみを押さえたまま、片膝をついた姿勢をとる。
彼は困惑していた。折角どこか懐かしくて幸せな夢を見ていたような気がするのに、いきなり頭に凶悪な衝撃を受けたのだ。困惑するのも当然だった。
アッシュはかぶりを振りつつ、周囲を見渡す。と、
「あれ、オト? ユーリィ?」
どうしてか自分の部屋にオトハとユーリィがいる。
すると、いきなりユーリィが走り出し、アッシュの首にしがみついてきた。
「ユ、ユーリィ……?」
「ひっく。やだぁ、アッシュ、こんなのやだぁ」
アッシュは唖然とする。ユーリィは泣いていた。それもガチの泣き方だ。
ここまで大泣きするユーリィの姿は久しぶりに見る。
「ど、どうしたんだよ、ユーリィ?」
とりあえず泣きじゃくる少女の頭を撫でてやりながら、アッシュはオトハの方へと視線を向ける。彼女は何故かベッドの上にペタンと座っていた。
「……なあ、オト。これって一体どういうことなんだ?」
「…………」
しかし、頼りになるはずの友人は何も答えない。
いや、それどころか、恥ずかしそうに顔を伏せて目を合わせようともしない。
こんな少女のような仕種をするオトハを見るのも久しぶりだ。
これは、本当に一体何があったのだろうか……?
頭の中に、ひたすら疑問符だけが浮かぶ。
そして泣きやまない少女と、何故か頬を染める友人を交互に見やり、
「……本当に何があったんだよ、これ?」
そう呟き、アッシュは首を傾げた。
こうして――最終日。
三日目の朝は、微妙な空気の中で始まったのである。
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