第四章 邂逅
第75話 邂逅①
その夜。アリシアは終始ご機嫌だった。
今も女子部屋のベッドの上でゴロゴロと転がりながら、ふと右手につけた銀のブレスレットを見やる度に、にへらと相好を崩す。
「うふふ~」
遂には甘く蕩けそうな声まで上げ始める。
そんな少女の様子を、同部屋の三人はじいっと観察していた。
その時、自分のベッドの上に座るサーシャが立ち上がり、
「(……オトハさん。あのブレスレットって……)」
と、壁際に腕を組んで立つオトハの傍に寄って、小声で尋ねる。
「(あのブレスレット、昨日までつけてなかった)」
冷蔵庫から飲み物を物色していたユーリィもオトハに近寄って申告する。
二人の少女に問われ、オトハは渋面を浮かべた。
「(……まあ、間違いなくクラインからのプレゼントだろうな)」
「(……やっぱり)」
「(……むう)」
呻く少女達。オトハは少し天井を見上げた。
「(クラインは時々その場のノリでプレゼント攻撃をしてくるからな。私も経験があるが、それがまた効くんだよ。すっごく嬉しいんだ)」
自分の眼帯を撫でながらオトハは語る。
少女達は無言だった。
一瞬の静寂。すると、アリシアの方から声が届いてくる。
「うふふ~、アッシュさん。アッシュさ~ん」
完全にサーシャ達の存在を忘れているのか愛しげにアッシュの名を連呼している。
三人の額に、ピシリと青筋が立った。
ユーリィなど今にも蹴とばしに行きそうな雰囲気だ。
しかし、それをオトハが片手で制する。
「(……待てエマリア。ところで二人とも気付いているか?)」
不意に黒衣の麗人は語り出す。サーシャ達は眉根を寄せた。
「(……なに?)」
代表してユーリィが問うと、今度はオトハが眉をしかめた。
そして改めて腕を組み、ギシと鳴らせて、
「(クラインのエイシスを呼ぶ時の名称が、さりげなく『アリシア嬢ちゃん』から『アリシア』に変わっていることに、だ)」
「「――なッ!」」
思わず声を荒らげる二人の少女。それには気付いていなかった。
オトハはふうと嘆息してから言葉を続ける。
「(夕食時にはすでに変わっていた。察するにエイシスの方から自然に促したのだろう。彼女の優秀さは理解していたつもりだったのだが、まだ侮っていたか……)」
苦虫をかみ潰したような表情を浮かべるオトハ。
アッシュの心情を知るがゆえに少しばかり楽観視していたのかもしれない。
「(……ここは実際、何があったのか詳しく知るべきだな)」
そしてユーリィ、サーシャの順に目配せし、
「(エマリア、フラム。やるべきことは分かっているな?)」
一切説明のない指示。しかし、それでも二人は頷いた。
今日一日で信頼が深まったのは、何もアッシュとアリシアだけではない。
サーシャとユーリィはお互いの顔を見据えるとこくんと頷き、無言のままベッドの上で転がり続けるアリシアの元へと近付いた。
そして――。
「うふふ~、アッシュさ――えっ、サ、サーシャ? ユーリィちゃん?」
いきなり二人の少女が、アリシアの両腕を掴んだ。
そして無理やりベッドの上に座らせる。俗に言う女の子座りだ。
「え、えっ? な、なに? 何なの?」
ユーリィには全身でしがみつくように右腕を、サーシャにはその豊満な胸に埋められるように左腕をガッチリ拘束され、アリシアは困惑するばかりだった。
と、その時。
コツコツコツ、と足音が部屋に響く。
オトハである。壁際に立っていたオトハがアリシアに近付いてきたのだ。
大きく揺れる胸を支えるように両手を組み、彼女は優雅に歩く。
その姿は、例えるならば断罪を司る黒衣の女王か。
「オ、オトハさん……?」
アリシアは頬を引きつらせて教官である女性の名を呼んだ。
対して、オトハは美麗な顔に無表情の仮面をつけて、淡々と宣言する。
「アリシア=エイシス。これからお前の尋問を開始する」
◆
一方、その頃。男子部屋にて。
「「お願いします! 明日は女の子と組ませて下さい!」」
二人の少年が、ベッドに片足を組んで座る青年に土下座していた。
その青年――アッシュは、ポリポリと頬をかき、
「いや、俺に言われてもな……」
という呟きを聞くなり、少年達――エドワードとロックは額を床に打ちつけて、
「頼むッす! 師匠!」
「どうか、どうかご慈悲を!」
「いや、まあ、明日も散策になりそうだが、こればかりは運だぞ?」
今日の夕食時、ロビーで聞いた話によるとサメ退治は難航しているらしい。
この分だと恐らく明日もメンバーを変えて散策することになるだろう。その時に、また男同士になるのだけは嫌で、エドワード達は土下座しているのだ。
「そんなの師匠の一言であっさり覆るじゃねえっすか!」
「何もいかさまをして欲しいと言ってるんじゃないんです」
ロックは顔を上げ、切羽詰まった眼差しでアッシュを見据えた。
「師匠……真面目な話、よろしいでしょうか?」
真剣な口調でそう告げる。
アッシュも流石に表情を改めた。
「何だ? 言ってみな、ロック」
「はい。師匠。エドの奴が妹さん――ユーリィさんに惚れているのはもう言うまでもありませんが、実は俺にも好きな人がいます」
「ほう。お前にか」
この真面目そうな少年から色恋沙汰の話を聞くとは――。
いや、少々老成した雰囲気を持っているが、この少年も十六歳。当然のことか。
アッシュは興味深げにロックを見つめた。
「それで……誰なんだ?」
少々直球かな、と思いつつアッシュが尋ねる。
対し、ロックは少しだけ眉をハの字にして、ぽつりと答えた。
「……エイシスです」
聞いた途端、アッシュは自分の額を片手で覆った。
ああ、なるほど。ロックの切羽詰まった表情はそういうことか。
「そいつは……すまん。悪かったな。好きな女が別の男と二人きりで出かけるなんて気分悪りいよなあ……」
「い、いえ、それに関してはくじ運でしたし……」
と、言葉を濁しつつ、
「ですが師匠。俺としては、やはり一度ぐらいエイシスと二人で行動したいんです。そのためには少しでも可能性を上げておきたいんです」
しっかりと自分の望みだけは告げるロック。
アッシュは足を組み直して唸った。
「う~ん、要するに、お前らの頼みっていうのは、明日のくじ引きでもし男組を選んだ場合はやり直しがしてえェってことでいいのか?」
二人の少年は揃って首を縦に振った。
アッシュは再びう~んと唸る。彼らの気持ちも理解はできなくもない。アッシュとて二人で街を歩くのなら野郎よりも可愛い女の子の方がいいに決まっている。
「もう、もう嫌なんすよ。何が悲しくてこんな巨大なデートスポットを野郎と二人で歩かなきゃなんねえんっすか……」
エドワードが涙ながらに訴えかける。
ロックはもはや無言で額を床に擦りつけていた。
アッシュは深々と溜息をつき、
「あ~、分かった分かった。明日そんな組み合わせになったら一応やり直しの声をかけてみるよ。それでいいか?」
「「ありがとうございます! 師匠!」」
声を揃えて感謝するエドワード達。
よほど、今日一日のことがトラウマになったのだろう。
「じゃ、じゃあ、明日ユーリィさんとペアもありってことでいいっすか!」
どさくさにまぎれて自分の要望を通そうとするエドワードを「お、おいエド! 調子に乗りすぎだ!」とロックが慌てていさめるが、少しばかり遅かった。
「……図に乗るなよ、エロ僧」
――ベキッ!
アッシュの足の裏が、容赦なくエドワードの顔面に炸裂した。
だが、テンションの上がったエドワードはそれぐらいでは怯まなかった。
鼻血を垂れ流しながらも、ググッと立ち上がり、
「ぐ、ぐう! だって師匠! 師匠も好きな女の子とペアになったら嬉しいっしょ!」
と、吠えるエドワードを前にして、アッシュは脱力するように溜息をついた。
……やはり、こいつは何も分かっていない。
「それとこれとは別の話だ。はっきり言っただろうが。ユーリィと付き合いたいんなら俺よりも強くなれってな」
「無茶っすよ! そんなの交際は認めねえって言ってるのと同じじゃねえっすか!」
と、気炎を吐くエドワードにハラハラしつつも、その気持ちだけはロックも分かるような気がした。エドワードは理不尽さを感じているのだ。
グレイシア皇国が誇る《七星》の一人――《双金葬守》アッシュ=クライン。
一人で一軍に匹敵すると謳われる怪物だ。騎士候補生ごときが敵う相手ではない。
「てめえ、どうせ、なんだかんだと理屈をつけて、最初からユーリィさんに交際させる気なんてねえんだろ! この親バカ野郎!」
収まることを知らない暴言。エドワードのうっぷんはもはや限界だった。
隣に座るロックの顔からは完全に血の気が引いていた。
(こ、殺されるぞ……エド)
目を見開いてアッシュの一挙手一投足を窺う。と、
「……はあ」
何故かアッシュは深く嘆息した。
そして殴りかかる訳でもなく、ただエドワードを見つめて語り出す。
「あのな、エロ僧。お前、やっぱ根本的に分かってねえな」
「な、何が……」
「とりあえずそこに座れ。説明してやる」
そう言って、アッシュは少年に座るように促した。
エドワードは困惑しつつもロックの隣に座る。
それを見届けてから、アッシュはおもむろに口を開く。
「まず言っておくが、ユーリィは《星神》だ。それも《金色の星神》だ」
「そ、それは知ってるっす」
「俺も知っています」
そう答える少年達を一瞥し、アッシュは言葉を続ける。
「そっか。なら《星神》を狙う《神隠し》は知っているか?」
少年達は顔を見合わせた。
彼らはしばし相談した後、エドワードがおずおずと語る。
「それも知ってるっす。一応、講義で習いました」
「……そっか。だったら大陸ではよく聞くような、まぁありきたりな話をしてやるよ」
「ありきたりな、話ですか?」
眉をひそめるロックに対し、アッシュは皮肉気な笑みを見せた。
「ああ、マジでありきたりだな。どこにでもいる間抜けなガキの話だ」
そう切り出すと、青年は自分の白い髪を一房触った。何やら緊迫した雰囲気に、少年達も居ずまいを正して話を聞く心構えをする。
「ふふ、そんなに緊張すんなよ。んじゃあ、始めんぞ。まずその話は、とある小さな村に《星神》の少女が流れ着いた時から始まるんだが……」
そして、青年は訥々と語り始めた。
とある少年と、《星神》の少女の物語を――。
こうして、男達の夜は静かに更けていくのであった。
◆
――その、同時刻。
コツコツと足音が薄暗い路地裏に響く。
華やかな表通りとは違う。どこか異臭のする路地。
平和な国。リゾート都市。安穏な名で呼ばれようが、こういった場所はどの街でも必ずあるものだ。そしてそういう場所を好んでたむろするならず者も必ずいる。
「へえ、姉ちゃん。こんなところに何か用かい?」
「おいおい、ここ危ねえぜ。俺っちが宿まで送ってやろうか? 俺の宿にさあ」
奥へ進むにつれてそんな下卑た声が耳に届く。が、それら雑音には一切構わず、その女性は大きなトランクケースを片手に路地の最奥に向かっていた。
そうして進むこと十分。彼女は最奥に辿り着いた。
女性はその場を一瞥する。
そこは少し大きめな広場だった。ダストボックスやコンテナがいくつか並び、申し訳ない程度に街灯が照らしている、そんな場所だ。
そしてその場には二十人ほどの様々な人間がたむろしていた。
年齢は十代~三十代。男が多いが女もいる。
衣類もバラバラで共通点のない集団だ。
ただ、ギラついた眼差しから彼らが真っ当な人間ではないことは窺い知れた。
女性は、彼ら一人ひとりを順に見やり、
「少し構いませんか?」
そう尋ねる。声をかけたのは右端にいた二十代の男だ。
男は少しばかり目を瞠った。
「へえ。よく俺がリーダーだって分かったな」
「職業柄、人を見る目が必要ですので」
「ふ~ん。まあ、姉ちゃんがただもんじゃねえってのはよく分かるが……」
男はニヤリと笑う。
「俺達に何か用かい?」
対し、女性はふっと口角を崩し、
「ええ、実は皆さんにお話がありまして」
ドスン、と見た目以上に重いトランクケースを石畳に置いた。
否が応にも全員の注目が集まる中、女性は悪女の笑みを浮かべて告げた。
「さて。どうです皆さん。少しアルバイトしてみませんか?」
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