第77話 邂逅③

 そこはホテルの一階。食堂を兼ねたラウンジにて。

 サーシャがポツリと呟く。


「……先生達、遅いね」


 彼女は今、丸テーブルの一席に座っていた。

 他の三人の級友達も同席している。


「確かにそうね。一度見に行った方がいいかしら?」


 サーシャの右側に座るアリシアが、そう言って首を傾げる。

 すると、頭頂部で結いだ長い髪が大きく揺れた。

 髪形もそうだが、彼女の服装は初日のボーイッシュなものだった。サーシャも同じく初日のドレスだ。元々今回の旅行では服はどうしても嵩張るため、予備も合わせて二着しか持ってきていない。ちなみに男どもに至っては一張羅である。


 ともあれ、アリシアはコツコツと指でテーブルを叩き、


「もう私達の方は食事も終わっちゃったしね。オトハさん達が手こずっているようなら交代すべきかもね」


「う、うん。そうだね。私達も行こうか」


 アリシアの提案にサーシャも乗る。内心では二人とも一度アッシュの寝顔を見てみたいと思っていたのだ。これはいい口実だった。

 しかし、そんな少女達の想いなど露知らず、ロックが制止に入る。


「いや、師匠は簡単には起きないぞ。俺達も相当頑張ったんだが、結局無理だった。ここは教官達に任せるべきだろう」


「そうだぜ。ここは大人しく待っとこうぜ」


 と、ロックの言葉に、エドワードも続いた。

 アリシアとサーシャは、訝しげに眉をひそめる。

 止められたことには若干ムッとしたが、それ以前にどうも今朝から二人の少年の様子がおかしいのだ。何と言うか、凄く落ち着いている。


「どうしたのよ二人とも? 特にオニキス。いつものあなたなら『ユーリィさんに起こされるなんてうらやましいぞ!』って喚くのに」


 と、歯に衣も着せずに語るアリシアに対し、エドワードは真剣な瞳で答えた。


「はンッ。俺はな、決めたんだよ。二年。そう、二年だ。騎士学校を卒業するまでに俺は今よりずっと強くなって師匠に挑む。そして師匠に認めてもらった上で、ユーリィさんに交際を申し込むんだ」


「「……はあ?」」


 いきなりそんなことを言い出すエドワードに、少女達の目は点になった。

 一方、ロックは「よく言ったぞエド」と腕を組んで頷いている。


「ちょ、本気なの? 相手はアッシュさんよ? 一瞬で塵にされて終わりでしょう」


「うっせえな。そりゃあ、あんな化け物に勝てるなんて思ってねえよ。要は『まあ、ギリギリ及第点だな』って感じになりてえんだよ」


 そんなアリシアとエドワードのやりとりに、サーシャは小首を傾げて、


「う~ん。なんか微妙っぽい志だけど、どうして急にそんなことを考えたの?」


 と、興味本位でエドワードに尋ねる。

 その問いには、ロックが代わりに答えた。


「いや、なに。昨日の夜にな。師匠から身が引き締まるような話を聞いたんだ」


「へえ~、身が引き締まるって、どんな話を聞いたの?」


 好奇心からアリシアが訊いてくる。サーシャも興味津々に首を縦に振っていた。

 しかし、ロックとエドワードは渋面を浮かべる。


「正直なところ、あまり楽しい話ではないぞ。一種の教訓話だ」


「ああ。まあ、ちょっとした物語だったな。ちなみにその物語の主人公は、最後に頭を踏み潰されて死ぬんだ」


「……何それ。完全にバッドエンドじゃない」


 眉をしかめるアリシア。サーシャも口元を押さえていた。

 そんな少女達の反応に、ロックとエドワードは共に肩をすくめて。


「まあ、師匠の話だと大陸方面ではありきたりな逸話らしい。……聞きたいか?」


 そう尋ねるロックに、サーシャとアリシアは顔を見合わせた。

 本音を言えば、バッドエンド確定の物語を聞きたいとは思わないのだが……。


「そうね。聞かせてくれる? まだ時間もありそうだし」


 アリシアがそう言った。サーシャも頷く。

 アッシュがわざわざ教訓話として話した物語だ。興味はある。

 ロックは少し眉をひそめたが、すぐに頷き、


「そうか……。なら話すぞ。この話は《星神》の――」


 と、昨日アッシュから聞いた話をそのまま語った。

 そうして、およそ十分後。


「……なるほどね。確かに教訓話だわ」


 アリシアが神妙な声でそう呟く。続けてハンカチを取り出し、


「ほら、サーシャ。泣かないの」


「ひっく、だ、だってだってぇ、可哀そうで……」


 と、大泣きするサーシャの涙を拭ってやる。

 何とも涙もろい親友にアリシアは苦笑を浮かべて、


「まあ、要するに、アッシュさんはその話を通じて《星神》と付き合うつもりなら、まず『力』が必要だってことを伝えたかったのね」


「ああ、そうだな。だからエドも考え直したんだ」


「おうよ! 確かにちょっと甘く見てたよ。だから目標を決めたのさ!」


 と、胸を張ってエドワードは宣言する。


「まあ、頑張るのはいいけど、ハードル恐ろしく高いわよ。それ」


 アリシアが淡々と告げる。彼女の感覚では、恐らくエドワードの言う「及第点」とは途方もなく高い位置にあるだろう。


「ぐぐっ……」


 と、本人も自覚しているのか、唸るエドワード。


「ま、まあ、たとえ無駄でも頑張るのは自由だよ? 十年でも二十年でも」


「ああ、そうだとも。しつこくしつこく何十年も挑み続けたら、師匠もいつかは妥協してくれるかもしれんしな」


 と、サーシャとロックが気の遠くなるような年月を前提に応援する。

 そして、アリシアが止めの一言を放つ。


「いずれにせよ、肝心のユーリィちゃんに全く脈がないんだけどね」


「うっせえよ! それを言うな!」


 エドワードのツッコみに、他の三人は笑い声を上げた――その時だった。


「まったくもう! あの人は!」


 突如、後方からそんな声が上がった。

 今の声はそう大きくはない。しかし、何故か耳に残る声だった。


「……ああ、どうしましょうか、これ」


 再び発せられる同じ声に、サーシャ達が振り向く。

 すると、すぐ近くのテーブルに一人だけで座る女性がいた。

 年の頃は恐らく二十四、五歳。腰まで伸ばした亜麻色の髪に、白いブラウスと黒いタイトパンツ。何より赤い眼鏡が印象的な美人だ。

 彼女は何かチケットらしき物を握りしめたまま、視線を伏せていた。


「おお~すっげえ美人だな」


 と、あまりにも素直かつ不躾な台詞を宣うエドワード。

 すると、その声に気付いたのか、不意に女性が顔を上げた。意図せずサーシャ達と視線が重なる。女性はキョトンとした表情をしていた。


 そして彼女はおもむろに口を開く。


「あの、私に何かご用なのでしょうか?」



       ◆



 リーナ=グレイグ。

 サーシャ達のテーブルに移った女性はそう名乗った。


「へえ~、新婚旅行なんですか」


「ええ。忙しい中、ようやく時間が取れた旅行だったのですが……」


 サーシャの無邪気な笑顔に対し、リーナは困ったような笑みを浮かべた。

 話を聞くと、彼女は新婚旅行でこのアティス王国に訪れたそうだ。


「なのに、こんな可愛い嫁さんを放ったらかして旦那は仕事に戻ったってか」


 と、エドワードが率直に尋ねる。リーナは肩を落として頷いた。


「ええ。実は私は主人と同じ職場に勤めているのですが、主人はそこそこ責任のある地位にいまして、そのためか、重度のワーカーホリックなんです」


「それは……また気の毒な」


 ロックが何とも言えない苦笑を浮かべた。

 新婚旅行より仕事を優先されるなど、女性としては堪ったものではないだろう。


「う~ん。それは一度ぶん殴ってやりたい奴ね」


 アリシアがそんな物騒な事を告げた。

 するとリーナは、慌てた様子で首を横に振り、


「そ、それは困ります。ああ見えても可愛い人なんですから」


 と、惚気のような台詞を言い放った。

 こんな理不尽な目にあってもやはり新婚ということらしい。


「あはは、リーナさんって可愛いですね。殴ったりしませんって。それに旦那さんはもうラズンに向かったんでしょう?」


 笑みをこぼしてそう尋ねるアリシアに、リーナは「ええ」と頷く。


「ですから……困っているんです」


 リーナは手に掴む一枚のチケットに視線を向けた。


「あの、リーナさん。その手に持ってるものは何なんですか?」


「え? ああ、これですか。これは《シーザー》のチケットです」


 何気なく発せられたその台詞に、サーシャ達は目を剥いた。


「シ、《シーザー》!? それってあの恒力だけで動く遊覧船のことか!?」


 と、仰天するエドワード。他の三人も声こそ上げなかったが同様だった。

 この世界には、二種類の船がある。

 一つは帆船。恒力を予備動力と扱い、主に風で動く一般的な船だ。

 そしてもう一つは鉄甲船。帆を持たず恒力のみを動力にする船だ。

 単純に恒力船とも呼ばれる場合もある。鉄甲船は従来の帆船に比べ、風に影響されない上、速力も早くて便利なのだが、かなりの数の《星導石》を必要にするため、帆船よりも遥かに大きい。


 さらに言うならば、ゾッとするほど高価な船でもあった。

 ゆえに技術自体はすでに確立していても、まだまだ世間では帆船が主流であり、アティス王国が所有する鉄甲船はたった一隻に限られていた。


 それが、このラッセルにて安全な航路のみを遊覧する《シーザー》なのである。


「むむぅ。《シーザー》か。確か予約が半年待ちと言われている船だな。しかもそのチケットも笑えんほど高いとか……」


 思わずロックが唸る。彼も騎士学校に通っている以上、一応貴族ではあるのだが、爵位も持たない下級貴族の出であった。


「……私、《シーザー》のチケットなんて初めて見たよ」


「ああ、俺もだ。一生見ることはねえと思ってた」


 リーナの手元を見つめながらサーシャが息を呑み、エドワードが喉を鳴らす。

 資産という意味では元名門のフラム家や、中級貴族であるオニキス家もそう変わらない。エドワードの言う通り、恐らく一生縁のないチケットだろう。

 

 と、そんなことを考えていたためだろうか。

 ふと三人の視線がこのメンバーの中で唯一購入できそうな少女に――名門中の名門、エイシス侯爵家の御令嬢に注がれた。


「わ、私だって流石に《シーザー》には乗ったことはないわよ。うちの父さん、あ

れでも結構忙しい人だし」


 パタパタと片手を振るアリシア。

 その時、彼らの様子を黙って見ていたリーナがポツリと口を開いた。


「あの、皆さん。《シーザー》に興味がおありなんですか?」


 女性の問いかけに、全員が顔を見合わせた。

 そして代表してアリシアが答える。


「それは……興味はありますよ。有名な船ですし」


 そう告げるなり、リーナの顔が輝いた。


「それは良かった! 実はこのチケット、最大十名まで同行可能らしいんですけど、主人がいなくなってしまって、私は一人で乗ることになったんです」


 そこで彼女は眉をひそめた。


「しかし、遊覧船などいくら豪華であっても一人では空しいだけ。正直なところ、キャンセルしようかどうか迷っていたんです」


「え、え? マ、マジ? それってもしかして……」


 話の流れからその内容を推測し、エドワードが興奮じみた声を上げる。

 そしてリーナはこくんと頷き、期待通りの言葉を告げた。


「どうです皆さん。私と一緒に《シーザー》に乗ってくれませんか?」

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