エピローグ

第62話 エピローグ

 グレイシア皇国・皇都ディノス――。

 ラスティアン宮殿七階にある副団長用執務室にて一通の手紙を一読したライアン=サウスエンドは深々と嘆息した。


「……やれやれ、任務は失敗か。中々いい口実だと思っていたのだが……」


 手紙の送り主はオトハ=タチバナ。この手紙は言わば報告書だった。質素な便箋には、達筆な文字で今回の依頼における詳細な経緯が綴られている。

 一応無期限の依頼であるにも関わらず、早速結果を送って来るところは、実に律儀で真面目な彼女らしい行為だ。

 まあ、その内容自体はライアンにとって芳しくないものであったが。

 ちなみにその手紙には、今後の彼女の予定も追記されているだが、それを読んだ時、思わずライアンは自嘲の笑みを浮かべてしまった。


「クラインの方は仕方がないとしても……まさか、こうなるとはな」


 ミイラ取りがミイラになってしまったか。

 そこまで考慮しなかった自分の失態としか言いようがない。


(まあ、いいさ。彼女は本来傭兵。騎士団には無関係の人間だしな)


 ライアンはふっと口角を上げる。

 今回は失敗してしまったが、かと言って何かを失った訳でもない。

 むしろ、あの頑固な元部下をそう簡単に説き伏せられるとは思ってはいなかったし、ある意味、これで楽しみも出来た。なにせ部下いじりは彼の数少ない趣味の一つだ。退団した程度で逃げられると思われては沽券に関わる。


(さて、と。次はどのような口実を考えようか……)


 ライアンは腕を組んで瞑想する。しばしの間、執務室に沈黙が下りた。

 そうして数分後、


「……ふふっ」


 鉄面皮と呼ばれるライアンが、楽しげに笑う姿がそこにあった。



       ◆



「……ったく。やれやれだな」


 時刻は午前八時半。場所はアティス王国騎士学校の講堂の一つ。

 ビリビリ、と。

 エドワードは無造作に手紙を破り捨てた。

 その姿に、隣に座るロックが目を丸くし、音が気になったのか、下の段にいるサーシャとアリシアが首を傾げて振り向いた。


「……お、おいエド。それって確か、今朝Ⅳ組のコリンズから貰った物だろ? なんで破り捨てたんだ?」


「へ? コリンズって、あのホーリー=コリンズ? 校内でも十指に入るほどの美少女だって噂される子よね? 一体何を貰ったのよオニキス」


 校内でもサーシャと並んで二大美少女と呼ばれるアリシアが興味津々に尋ねる。

 すると、エドワードはフンと鼻で笑い、


「つまんねえもんだよ。ただのラブレターさ。何度もいらねえって言ってんのに無理やり渡されたんだよ」


 と、心底つまらなそうに言い放った。

 直後、アリシアとサーシャは目を剥いた。


「「……ええッ!?」」


 そして、二人揃って驚愕の声を上げる。

 その傍ら、ロックは額に手を当てて嘆息していた。


「ちょ、ちょっとオニキス! あなた、あのコリンズをフッたの!?」


 アリシアはかなり愕然とした。

 まさか、あの校内屈指の美少女を袖にするとは――。


(こいつ、少し調子に乗ってるんじゃないでしょうね……)


 そんなことを思いつつ、アリシアが眉をしかめる。

 今彼女達四人は校内で少しばかり……どころか、凄い感じで有名人になっていた。

 なにせ、建国から誰ひとり成し遂げられなかった《業蛇》打倒を果たしたのだ。

 誇張抜きで英雄扱い。さらに言えば、国王陛下から直々に勲章まで授かっている。


 そして――その結果、彼女達は非常にモテるようになった。


 サーシャとアリシアは元からファンクラブがあるほどモテていたが、今はほぼ毎日告白されてはお断りするというのが日課になっていた。

 一方、少年達の方はというと、まずロックはアリシア達ほどではないが、一週間に一度ぐらいは告白され、その都度、困り顔で断っているそうだ。


 そしてエドワード。一番この状況に喜びそうな彼も目に見えてモテるようになったのだが、どうもその態度が変だった。一言でいえば彼らしくない。

 エドワードはまるで迷惑とばかりに素っ気なく拒否しているのだ。

 誰が相手でもあからさまに嫌な顔をする。アリシアはエドワードのこの態度は、調子に乗って他人を馬鹿にしているのではないのかと危惧していたのだが……。


「ふん。フッたも何も、俺にとっちゃあユーリィさん以外は眼中にねえよ」


「「「…………」」」


 エドワードの堂々とした台詞に、他の三人は沈黙した。

 そして数秒後、エドワードの前でこそこそと、


「(ねえハルト。最近こいつ、ずっとこんなこと言ってるけどマジなの?)」


「(……う~む。どうもエドの奴、本気みたいなんだ)」


 ロックの言葉に、アリシアは「うわあ……」といった顔をして、


「(……ねえ、サーシャ。この事ってアッシュさんは……)」


「(し、知らないよ……。ユーリィちゃん本人も、それに私の方からも言えないもん。知ったら最後、多分オニキスは跡形もなく塵になるよ)」


 と、青ざめた表情でサーシャは語る。

 それにはアリシアも同意だ。アッシュはユーリィを愛娘のように思っている。

 そんな彼女に近付く虫は――塵になるだけだ。


「(……あはは、諦めるか、それとも塵になるか、ね。随分と過酷な恋だわ)」


 アリシアの冗談めいた呟きには、笑えなすぎて誰もツッコめなかった。

 と、その時、


「なあ、それよりさ。お前らあの話憶えているか? 新しい教官が来るって話」


 そう切りだして、エドワード本人が話題を変更してきた。

 サーシャ達は顔を見合わせる。


「ああ、あれか。実技を担当する教官が赴任してくるって話か」


「あ~そう言えば、二日ぐらい前に教官が言ってたわね」


 アリシアが呟くと、サーシャがポンと手を叩き、


「あっ、そっか。それって今日だったんだ」


「ったく。お前ら呑気だな~。周り見てみろよ。みんなそわそわしてんのに」


 と、エドワードに指摘され、サーシャ達は講堂内を見渡した。

 ……なるほど。確かに他の騎士候補生達はそわそわしている。そして、どんな人間がやって来るのか、あちこちで話題にしていた。

 するとエドワードが、


「なあなあ、俺らも乗っかろうぜ。お前らどんな奴が来ると思う?」


 と、話題を振ってくる。サーシャ達は再び顔を見合わせた。


「う~ん、新しい教官かあ……」


「いきなり言われても返答に困るわね」


「まあ、そうだな。まるで情報がない」


 と、いまいちノリが悪い三人にエドワードは渋面を浮かべる。


「おいおい、ノリが悪りいな。じゃあさ、『男』か『女』かで賭けしねえか? 負けた奴は勝った奴に飯を奢るってことでさ」


「う~ん。そうね。いいわよ。じゃあ私は『女』」


 と、アリシアが言い、


「あっ、じゃあ私も『女』」


 サーシャが続く。するとロックが、


「なら俺は『男』にするか。エド。お前はどっちだ?」


「ん? 俺か? 俺はそうだな~。バランスとって『男』にすっか」


 と、エドワードが最後を締めた。


「んじゃあ、これで賭けの成立だな。後は――って、早速来たみてえだな」


 講堂内が不意に静まった。

 見ると、教壇に近付いていく教官の姿があった。サーシャ達も含めて騎士候補生達は一斉に長机の椅子に着席した。そして教官は教壇に手をつき、


「ふむ、諸君おはよう。さて、では早速今日の授業……といきたいところだが、先日連絡したように、今日はお前達を指導して下さる新任の教官殿が着任する日だ。まずは彼女に挨拶して頂こうと思う」


 と告げた。その台詞に、


「(あらあら、いきなり賭けに勝ったわね)」


「(あはは、そうだね)」


 アリシアとサーシャが笑う。

 しかし、彼女達の笑顔は次の瞬間、固まることになった。


「それでは入って来てくれたまえ」


 と、促す教官に、


「ああ、失礼する」


 そう答えて講堂に入ってきたのは若い女性だった。

 年の頃は二十歳ほど。右目を白いスカーフのような眼帯で覆った美しい女性だ。

 抜群のプロポーションを誇る身体には黒いレザースーツを着用し、その上に教官用サーコートを纏っている。


 サーシャ、アリシア、エドワード、ロックの四人は唖然とした。

 そして新しい教官は、目を丸くするサーシャ達をよそに笑みを浮かべて告げた。


「今日からお前達の実技を担当する事になったオトハ=タチバナだ。よろしくな」



       ◆



「おし。これで元通りだぜ。じいさん」


 そこはクライン工房の前。

 かなり年季の入った農耕用鎧機兵のメンテナンスを、アッシュはようやく終えた。

 彼のすぐ傍には、ユーリィと一人の老人が佇んでいる。


「おお~、ありがとよ。師匠さんや」


 老人がしわくちゃな顔を笑顔にして告げる。

 対し、アッシュは頭をかいて、


「はははっ、じいさん。師匠はやめてくれよ……マジで……」


 と、一応意見するが、老人は気にもかけず修理の完了した鎧機兵に乗り込んだ。


「ほっほっほ。これでまた農作業に戻れるよ。お代は後でばあさんが届けにくるから待っておいてくれ」


「おう。待ってるよ。別に食いもんでもいいってばあさんに言っといてくれ」


「うむ。分かったよ師匠さん。さて。では《ポチロウ》行くかの」


 そして、老人に《ポチロウ》と呼ばれた鎧機兵は、のんびりとした足取りで工房から去っていった。老人は時々後ろを向いて、こちらに手を振っている。

 アッシュもまた笑みを浮かべて手を振り返していた。

 そうして鎧機兵の姿が見えなくなってから、アッシュはふうっと溜息をついた。

 それから、ちらりと隣に立つユーリィに視線を向けて、


「……なあ、ユーリィ」


「…………」


 ユーリィは答えない。彼女は朝から不機嫌だった。

 アッシュは再び溜息をついた。


「……あのなユーリィ。なんでそんなに不機嫌なのかは知らねえが、お客様の前でも膨れっ面すんのはよくねえぞ」


 言われ、ユーリィは眉根を寄せた。確かにその通りだ。

 しばし思案した後、ユーリィはようやく重い口を開いた。


「……どうしてオトハさんがまだいるの?」


 それが不機嫌な理由だった。


「ん? いや、だってそりゃあ仕方がねえだろ。オトの奴、《鬼刃》の修理費が足りねえって言うんだから」


 そこでアッシュはポリポリと頬をかき、


「この国に傭兵の仕事はねえからな。だから騎士学校で教官のバイトをして払うって言ってんだし、問題はねえだろ?」


「……あなたの頭カラッポなの? そんなの皇国ならすぐ稼げる。それから送金してもらえばいい。天罰いる?」


「……久しぶりに聞いたな、お前の口癖。けど、それは無理だぞ。傭兵ギルドの設けたルールでは、借金したまま他国に出ることは禁止されてるからな」


 元傭兵であるアッシュの台詞にユーリィは唇をかんだ。

 基本的に根無し草の傭兵は借金をしたまま他国に行くことは禁止されている。

 これは傭兵間の暗黙ルールをギルドによって明言化されたものでもあった。

 生粋の傭兵であるオトハが破れるはずもない。


「……むう」


 ユーリィが頬を膨らませた。

 すると、アッシュは片膝を曲げ、彼女と視線を合わせて、ふっと笑い、


「……なぁユーリィ」


 そしてユーリィの頭を撫で始める。


「なんでお前がオトのことを嫌ってんのかは分かんねえけど、オトは俺の大事な友人なんだよ。困ってんならほっとけねえよ」


「…………」


「だから、もう少し仲良くできねえかな?」


 アッシュの懇願に近い声にもユーリィは答えない。


(やれやれ。これは随分と拗ねちまったなぁ)


 正直、ここまで拗ねたユーリィの姿を見るのは久しぶりだ。

 どうすれば機嫌を直してもらえるのか。

 アッシュはしばし考えた後、妙案を思いついた。


「うん、よし。ユーリィ、ちょっと提案があるんだ」


「…………提案?」


 ユーリィが上目づかいで反芻する。

 アッシュは「ああ」と頷き、


「なあ、ユーリィ。海に行こうぜ」


 と、いきなりそんなことを言いだす。

 ユーリィがキョトンとしていると、アッシュは言葉を続けた。


「まっ、要は休暇さ。工房の方も大分落ち着いてきたしな。この国にはラッセルっていうリゾート都市があるそうだ。そこにメットさんやアリシア嬢ちゃんも誘って行ってみねえか?」


「……海って、泳ぐの?」


「ああ。ユーリィは泳ぐの好きだろう?」


 ユーリィは無言で頷く。意外な事に彼女は泳ぐのが大好きだった。


「ん。じゃあ、海に行くか!」


 そう言ってアッシュがニカッと笑うと、ユーリィはこくんと頷いた。

 それからユーリィは少し躊躇いがちに手を動かすと、意を決したようにアッシュの首に抱きついた。細い腕でギュッとしがみついて離れない。

 そのまま五秒、十秒と時間が経ち、ようやくユーリィは一言だけ告げる。


「……ありがとう」


 万感の想いを込めた言葉だ。

 ……まあ、本当は「大好き」と続けたかったのだが流石にそこまで勇気は出ない。

 ユーリィは顔を赤くしてアッシュから離れた。

 そうして恥ずかしそうに俯いたまま、工房内へと走っていった。

 一人残されたアッシュは、そんな愛娘の後ろ姿を静かに見つめて――。


「……ははっ、どうやら少しは機嫌を直してくれたみてえだな」


 と、笑みをこぼす。

 そして立ち上がり、空を見上げて背筋を伸ばした。

 その時、心地良い風が吹く。

 アッシュは目を細めた。


「う~ん、今日も良い天気だなあ……」


 今日も快晴。空はどこまでも青い。

 アティス王国は、今日も平和だった――。




 第二部〈了〉

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