第3部 『妖なる星』

プロローグ

第63話 プロローグ

 そこは、とある執務室――。

 その室内は部屋の主人の役職の割にはとても簡素であり、向かい合わせに並べられた二つの来客用ソファーと、間にある低い机。そして書類が山積みにされた執務机ぐらいしか目立つ物がない部屋だ。


「ここが第5支部の支部長室か……」


 丸い黒眼鏡の縁をくいと上げ、剃髪の黒服男が呟く。


「……ええ、私も入室するのは初めてです」


 と、答えたのは帽子を手に持つ男だ。彼も丸い黒眼鏡と黒服を身につけている。

 革張りのソファーに座ったまま、彼ら二人は緊張していた。


(これからお会いする方のことを思えば当然ですか)


 帽子を手に持つ男が苦笑する。

 と、その時、コンコンとノックされた。

 男達はギョッとして立ち上がり、ドアを凝視した。

 もしや、この部屋の主人が戻ってこられたのか。そう思い、礼を失せぬよう直立不動で構えるが、しかし入って来たのは一人の女性だった。


 歳の頃は二十代半ば。亜麻色の髪を頭頂部で団子状に結った美女だ。

 彼女もまた黒服をスレンダーな身体に纏っていた。


「失礼します。飲み物をお持ちしました」


 そう告げると女性は、トレイに乗せた二つのコーヒーを男達の前に置いた。


「こ、これはすまない……」


「支部長の秘書殿にこのようなことをさせてしまうとは……申し訳ない」


 と、恐縮する二人の男に、女性――第5支部・支部長の秘書はふっと口角を上げ、


「いえ。お二方は第2支部の所属。今日お越し頂いたのは言わばこちらの我儘です。おもてなしするのは当然のこと。支部長からもそう申しつけられております」


 トレイを片手に秘書はそんなことを言う。男達はますます恐縮してしまった。


「それよりお座り下さい。もうじき支部長もこられるはずです」


 と、秘書に促され、二人は再びソファーに座った。そしてしばらくは落ち着かない様子でコーヒーを口に運んでいた二人だったが……。


「……失礼。一つよろしいですか、秘書殿」


 不意に帽子を手に持つ男が、トレイを持ったまま壁際に佇む秘書に尋ねた。


「何でしょうか?」


「……そろそろ教えて頂きたいのです。三人の本部長と六人の支部長と言えば、我が社の中核を担う大幹部。そのお一人であらせられる支部長殿が、我々などに一体どのような御用がおありなのでしょうか?」


 帽子を手に持つ男の問いかけに、秘書は眉根を寄せた。


「それは……ふふっ、どうやら私の口からお伝えせずとも、ようやくご本人がいらっしゃったようです」


「……え? な、何ですって!」


「つ、遂にいらっしゃったのか!」


 帽子を手に持つ男、そして剃髪の男の方も目を見開き、立ち上がった。

 二人の男は緊張した面持ちでドアを見つめる――と、ドアの向こうからパタパタと足音らしきものが聞こえてきた。二人は息を呑んだ。

 そして、いきなりドアは開かれる。


「いやあ! お待たせしてすみません! 会議が遅れてしまいました!」


 そう言って勢いよく入ってきたのは小柄な男だった。

 年齢は恐らく四十代後半。温和な顔立ちに、細い瞳を持つ男。

彼も男達と同じデザインの黒い服を着ているが、随分くたびれた感じがするのは、やや猫背なのと、毛根が死滅しかけた頭部のせいか。


「あ、あなたが支部長?」


 呆然と呟く帽子を手に持つ男。

 あまりの威厳のなさに二人は唖然としたが、


「ええ、そうですよ! 私が第5支部・支部長を務めるボルド=グレッグと申します。いやあ、随分とお待たせして申し訳ない。ええっと、お名前は確か、エリックさんとスコットさんでしたな」


 にこやかに笑い、握手を求めてくる支部長に困惑しつつも、まずは帽子を持つ男――エリックが握手を交わし、続いて剃髪の男――スコットも応じた。

 そうして二人と握手を交わした支部長は満足げに笑った。


「ささ、お二人ともお座り下さい。立ち話も何ですので」


 促され、エリック達は再びソファーに座った。

 それを見届けてから、支部長ボルドも向かいのソファーに腰を下ろした。

 そして壁際に佇む秘書に視線を送り一言。


「ああ、カテリーナさん。私にもコーヒーを一つ頼めますか?」


「かしこまりました支部長。すぐにお持ちいたします」


 言って、カテリーナと呼ばれた秘書は退室した。


「いやあ、わざわざお越し頂いたというのにお待たせするとは、本当に申し訳ない」


 三度みたび謝罪するボルドに、エリックは困り顔で告げる。


「い、いえ、グレッグ支部長。支部長ならばお忙しいのは当然。それに我々は今休養が与えられている身です。いくらでもお待ちしますよ」


「ははっ、そう仰って頂けるとありがたい。それに今のお話ですと、お二人にはきちんと労災が下りたようですな。良いことです」


「……はは。労災ですか。どうも言葉に違和感を抱いてしまいますな」


 と、スコットが苦笑まじりに呟いた。

 すると、それに対し、ボルドはパタパタと手を振り、


「何を仰いますかスコットさん。確かに我々の本質は宗教団体。体系としては裏社会の組織です。ですが、れっきとした企業でもあるんですよ。業務中の負傷には労災が下りるのは当然のことです」


「は、はあ、そういうものなのでしょうか……」


「ふふ、まあ、そういうものなんですよスコットさん。社長も常々『人は宝だ』と仰ってます。憶えておくと良いでしょう。さて……」


 そこでボルドは声のトーンを低くした。

 エリックとスコットの背筋に緊張が走る。いよいよ本題のようだ。


「今日お二方をお呼びしたのは他でもありません。その労災の原因についてです」


 エリックとスコットは沈黙する。あれは自分達としては忘れたい「不運」だ。

 何も反応しない二人をよそに、ボルドは淡々と言葉を続ける。


「あなた方がアティス王国で就かれていた任務と、その結果については私も報告書を読ませて頂き、存知あげております。しかし、実はその報告書では分からない点があり、それをあなた方に直接お聞きするために今日はお越し頂いたのです」


 ボルドの台詞に、エリックとスコットは顔を見合わせた。

 そして互いに訝しげな表情を見せた後、代表してエリックが問う。


「その、グレッグ支部長。それは、もしや我々の報告書に何かしらの不備があったということでしょうか?」


 すると、ボルドは慌てたそぶりで手を振った。


「えっ、いえいえ、違いますよ! 報告書に不備などありません。これは私が個人的に知りたいことなのです。すみません。公私混同のようでして」


「い、いえ、そういうことならば……」


 どこかホッとした表情を見せるエリック。

 隣に座るスコットも軽く息をついていた。

 どうやら自分達が何か失敗したせいで呼ばれた訳ではないようだ。


「……では、何をお話すればよいのでしょうか?」


 気を取り直したスコットが尋ねる。と、ボルドはにっこりと笑い、


「ええ、簡単な話ですよ」


 と、前置きしてから、


「クラインさんはお元気でしたかな?」


「「……はい?」」


 一瞬、エリック達は質問の意味が分かなかった。

 そして、二人は再度顔を見合わせたのち、


「え? あ、あの、それは《双金葬守》のことですか?」


 と、スコットが困惑した顔で尋ねる。エリックも眉をしかめていた。

 すると、ボルドは喜色満面にポンと手を叩き、


「ええ、そうです。《双金葬守》アッシュ=クラインさんのことですよ。彼はお変わりなくご息災でしたかな?」


 エリック達はますます困惑した。

 《双金葬守》と言えば、かのグレイシア皇国の誇る《七星》の一人。

 まさしく我らが《黒陽社》の天敵のような人物だ。

 そして、エリック達にとっては前回の任務で未だ夢でうなされるほど怖ろしい目に合わされた相手でもある。正直、二度と関わりたくない人間だった。

 そんな人物を指して息災かどうか聞くなど支部長の意図がまるで分からなかった。


「……あの、グレッグ支部長。それは一体どういう意味なのでしょうか?」


 悩んだエリックは率直にボルドに意図を訊いた。

 それに対して、ボルドはふっと笑い、


「いえ、そのままの意味ですよ。実は私もクラインさんとは面識がありまして皇国騎士団を辞めたと聞いて彼の行く先を案じていたのですよ」


「「……はあ?」」


 無礼と知りつつも、エリック達は思わず呆れたような声を上げてしまった。

 そんな二人に、ボルドはポリポリと頬をかき、


「はは、意味が分からないといった顔ですね。しかし、考えても見て下さい。確かにクラインさんに潰された施設は多いですが、同時に彼は《聖骸主》の最多討伐者。しかも、あの《黄金死姫》まで始末してくれたのです。《聖骸主》の大半は、我が社のお客様が原因になっていることが多いですからね。言わば、彼は無償で我が社のアフターケアをしてくれていたのですよ」


 と、堂々と語るボルド。エリック達は強引すぎる論理に未だ呆れたままだ。


「だからこそ、私は常々クラインさんに感謝しているんです。しかし、ふふ、工房の職人とは……。また変わった転職をしましたねえ」


 そこであごに手を当て、


「う~ん、そうですねえ。ここは今までの感謝も込め、菓子折りでも持って挨拶に行きべきでしょうかねえ。お預けしているあの《商品》の様子も気になりますし……」


 と、ぶつぶつと呟きながら、ボルドは考え込み始めた。

 すでにエリック達にはついていけない状況だ。

 と、そこへ、


「失礼します。支部長。コーヒーが入りました」


 そう告げて、今まで席を外していた秘書カテリーナが戻ってきた。


「ん? ああ、ありがとうカテリーナさん。あっ、そうだ!」

 

 ボルドはコーヒーを受け取ると、カテリーナに問う。


「カテリーナさん。私の有給はどれくらい残っていました?」


「……? 残っているも何も支部長は四年と九ヶ月間、有給を取られていません」


「え? そ、そんなに取っていませんでしたか?」


 ボルドが目を丸くすると、カテリーナは「はい」と頷き、


「他の支部長方はもちろん、本部長の方々。さらには社長に至るまで有給を取れと仰っているというのに支部長は頑として受け入れず……」


「そ、そうでしたかな? う~ん。では、私の有給は――」


「腐るほど余っています。日数にすれば百五十日ほど」


「ひゃ、百五十日……。想像以上に溜まっていますね。しかし、それなら一ヶ月ぐらい有給を取っても大丈夫ですかね?」


 思いがけないボルドの台詞に、カテリーナは目を剥いた。


「……本気ですか、支部長? 正直なところ、私は社長から直々に支部長が過労死する前に何としてでも休ませろと命じられております。支部長がその気ならばすぐにでも休暇の準備を整えますが……」


「……初めて聞きましたよ、その命令。とにかくカテリーナさん。少し遠出をしようと考えています。一ヶ月ほど有給を取るつもりなので早速準備をお願いします」


「かしこまりました。では早速」


 と返答し、カテリーナは再び退室していった。

 そしてボルドはコーヒーを一口飲むと、机の上に置き、


「さて。エリックさん。スコットさん」


 不意に名前を呼ばれ、エリック達はハッとする。


「……え? あ、はい。何でしょうかグレッグ支部長」


 エリックがそう答えると、ボルドは柔和な笑みを浮かべて尋ねた。


「ふふ、もう一度お聞きしますよ。クラインさんはお元気でしたか?」

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