第30話 夜の女神と、星の騎士⑥

「あーー暑ちィ……。この状態の《朱天》はマジでサウナだな」


 全身から冷却剤を放出して二分後――。

 胸部装甲を解放した《朱天》の中でアッシュはしみじみとそう呟く。口調こそ軽かったが、その声には強い疲労感が滲み出ていた。


 少しでも体力を回復させるため、アッシュは深呼吸を繰り返した。

 そうして幾ばくか回復した後、漆黒の機体に戻った《朱天》から降りる――が、地面に片足を着けたところで、アッシュはふらふらとよろけてしまった。

 どうやら本人が思っている以上に疲労は重かったらしい。


(ここんところ、自主トレさぼってたからなぁ。こりゃあ随分となまってるわ)


 右腕を振り回しながら、「これは鍛え直しだな」と苦笑していると……。

 ズウゥン――と、突然背後から轟音が聞こえた。思わずギョッとして振り返る。


 そこには、砂煙を上げて大の字に倒れた《朱天》の姿があった。

 横たわる相棒の姿を、アッシュは静かに見つめる。


 左足は今の転倒で完全に折れてしまった。

 いや、それだけではない。全身に刻まれた数え切れない弾創に加え、尾は千切れてかかっている。自壊にまでは至らなかったが《朱焔》を使用した代償も大きいはずだ。恐らく内部構造はまともに機能する状態ではないだろう。


 そして何より酷いのは、神槍と最後の攻防をした右腕だった。これに至っては肘より先が吹き飛んでいる。まさに、死力を尽くした姿だった。


 アッシュは最後まで共に闘ってくれた相棒に、心から感謝する。


(必ず直してやるからな、相棒。だが、今は――)


 そして、彼は視線を前へと戻す。そこにはユーリィが両膝をついて座っていた。

 ――淡い桜色のドレスを纏い、空色の髪を夜風になびかせて。


 アッシュは緊張と共に、ユーリィの元へ歩を進める。

 本当に、本当にこれで彼女は……。


 すると、アッシュが近付いてくる気配に気付いたのだろう。

 空色の髪の少女は、その愛らしい唇を開いて――。


「……あなたの頭カラッポなの? 助けにくるの遅すぎ。天罰いる?」


「……いらねえよ。つうか、もう死ぬほど天罰くらった後じゃねえか」


 アッシュは苦笑する。いつも通りのユーリィだ。

 その翡翠色の瞳も、無愛想な表情までもが変わらない。


(……はは、何も変わってねえよ。何もかも元通りのユーリィだ……)


 湧き上がる喜びと愛おしさで思わず彼女を抱きしめたくなったが、――ここは我慢だ。まず、兄として、父として怒らなければならないことがある。


 アッシュは拳を握りしめ、ユーリィの頭上へと落とした。少女は突然の折檻に、訳が分からないまま涙目で殴られた頭を押さえる。


「??? な、なんで叩くの?」


「叩きたくもなるわ! アホ! お前なんで《最後の祈り》なんかを使うんだよ!」


「そ、それは……だって、そうしないとメットさんが……」


「その辺はメットさん本人から聞いてるよ! けどな! それでもな! もっと他にやりようがあっただろうが! どんだけ自分が無謀なことをしたのか分かってんのかよ! お前が今生きてんのは、間違いなく奇跡なんだぞ!」


 柳眉を逆立て、アッシュは怒鳴りつける。ユーリィは久しぶりに見る、優しい青年の本気の怒りの前に身体を竦ませた。

 そして、今日一日における自分の行いを省みて、ユーリィは眉をひそめた。


 ……確かに、アッシュの言う通りだ。反省すべき点は多い。

 まず根本的に闘技場でのこと。感情に流されて迂闊にも《黒陽社》を挑発してしまい、その結果、サーシャと共に攫われてしまった。


 そして、さらに最悪なのは、ジラールの館での対応だ。

 あの状況でユーリィがすべきことは、アッシュが来るまでの時間稼ぎだった。

 その方法はいくつかならある。例えば、今は力を使い果たしているから待って欲しいと言えば、交渉次第で引き延ばせた可能性は充分ある。


 しかし、ユーリィは友達を失うかもしれない焦りと恐怖から完全に視野狭窄に陥り、とんでもない手段に先走ってしまった。

 確証のない推測にすがり、あまりにも危険な賭けに出てしまったのだ。


 綺麗な顔をくしゃくしゃと歪めて、ユーリィはしゅんと肩を落とす。

 それを見てアッシュは、やれやれと嘆息した。

 この子がしでかしたことを考えれば、まだまだ叱りつけるべきなのだが……。


「……まあ、済んだことだし、反省したんならもういいさ。そこまで凹むなよ。それに今回は、俺も色々とヘマしてるしな。俺も反省しなきゃいけねえ」


 そう告げて、アッシュはユーリィの頭に手を置いた。


「お前がメットさんを守りたかった気持ちはよく分かるよ。大事な友達だもんな。けどなユーリィ。誰かのために死んでも、結局は誰にとっても、つまんねえことにしかなんねえんだぞ。それだけは憶えておいてくれ」


 そして、アッシュは少女の頭を優しく撫で始めた。ユーリィは顔を上げて、眼前の青年をじいっと見つめる。彼の黒い瞳には、慈愛と悲哀が映し出されていた。


 ――きっと《彼女》のことを思い出しているのだろう。

 命と引き換えに、彼の死を覆す奇跡を起こし《聖骸主》に成り果てた少女。


 そして最後には彼自身の手で殺さざる得なかった――もう一人の《金色の星神》。 


 澄んだ湖のような、静謐の時が訪れる。

 愛しげに空色の髪を撫でていたアッシュだったが、不意に自嘲の笑みを浮かべた。


 先程からユーリィが神妙な瞳で自分を見つめているのに気付いたからだ。

 この子は本当に勘がいい。自分の心情などお見通しのようだ。


(……やれやれ、ユーリィには敵わねえな)


 ともあれ、重い空気を払拭するため、アッシュは話題を変えることにした。

 が、意外にこれと言った話題が思いつかない。


「う~ん……。それにしても……そうだな、うん! ユーリィ、お前なんつうか、エロくなってきたよなぁ」


「………………は?」


「《聖骸主》になってた時なんて、ドレス姿で生足を振り回すから結構ドギマギしたぞ!」


 明らかな作り笑いを浮かべ、ろくでもないことを口走るアッシュ。

 実のところ、これは話題が思いつかなかったアッシュの極めて不器用な冗談だった。あの極限の闘いの中、ユーリィの生足に見惚れる余裕など彼にあるはずもない。


 それに十三の娘の生足に見惚れて《双金葬守》が後れをとっては、他の《七星》に合わせる顔がない。……というより、きっと六人がかりで袋叩きにされるだろう。


 所詮はその場つなぎの意味のない冗談である。

 しかし、そんなアッシュの思惑など、そもそもユーリィに分かるはずもなかった。

 ましてや恐ろしく鈍感なアッシュが、これまでセクハラまがいの冗談を言ったことは一度もなかったのだ。冗談だと気付けという方が無茶だろう。

 ユーリィは軽くパニックになりながらも、その思考を目まぐるしく活動させる。


(な、何? エ、エロくなった? これは遂にアッシュが私を『女』として認識し始めたの? これは好機? 本格的な侵攻はまだ二年先だったけど――これは予定を前倒しに出来るかも!)


 そして彼女は密かに決意した。――そうだ。ここは打って出るべきだ!

 覚悟を決めた少女は、頬を朱に染めながら言葉を紡ぐ。


「う、うん。私も日々成長している。エ、エロくもなってくる。最近は胸だって――」


 ………………………ちッ………………………。


「で、でも! 来月には十四になるし、もう二年も経てば――結婚が出来る」


 ……誰と、とは聞くまでもないだろう。

 それはユーリィなりに、勇気を振り絞った遠回しのアピールだったのだが……。


 当然の如くアッシュには全く通じず、その代わりとばかりに彼は別の事を――一週間ほど前に、サーシャと交した雑談の内容を思い出していた。


「そっかぁ、お前ももう結婚出来る歳になるのか……。う~ん、そうだな。だったらメットさんの話も、本気で検討すべきかもな……」


「……? メットさんの話って何?」


「ん? ああ、以前メットさんがさ、ユーリィもそろそろ年頃の女の子だから、家族同然でも男と二人で暮らすのは、教育上良くねえって」


「……………………え?」


 ぱちくりと目を瞬かせるユーリィ。

 そんな少女の様子にまるで気付かないまま、アッシュは明るい声で続ける。


「ほら、メットさんの家ってでけえだろ。けど、今は使用人もいなくて部屋が余っているらしいんだよ。だから良かったらお前を預かるって。中々いい話だろ?」


 思わず「ふざけんな、朴念仁が!」と、ユーリィは叫びそうになった。

 が、何とか踏み留まり、とにかくこの危機的状況を分析する。


(ど、どういうこと? まさかメットさんが私の最大のアドバンテージを崩す策を密かに実行していたの? 私に一切気付かれずに? あんなに警戒していたのに!?)


 恋敵の恐るべき手腕に、ユーリィはゾッとするほどの戦慄を覚えた。

 サーシャの笑顔が脳裏に浮かぶ。想像の中の彼女は、口元は笑っているが、目は笑っていない。その瞳に宿す光は、獲物を狙う猛禽類のそれだった。


(メ、メットさんは、やっぱり侮れない……)


 ガクガクと震え出すユーリィ。

 そんな少女をアッシュは首を傾げて見つめていた。

 ……何故この子は、小動物のように震えているのだろう?


(また悩み事か? う~ん、この年頃の女の子は気難しいからなぁ)


 と、おもむろに腕を組んだその時、


(ん?)


 不意にアッシュは後ろへ振り向いた。何となく人の気配を感じたのだ。

 視線の先には丁度森の中から出てくる少女が一人。

 今話題になっていたヘルムの少女だ。

 少しふらついているようだが、どうやら大きな怪我はなさそうである。


 彼女もこちらに気付いたようで、大きく手を振って近づいてくる。

 アッシュは優しく笑い、手首だけで手を振り返した。


「ふふ、どうやら、メットさんも無事みてえだな」


 言って、ユーリィの方に振り向き、


「――え?」


 思わずギョッとした。

 何故かユーリィが、全身から闘志を立ち昇らせていたのだ。


「ユ、ユーリィ? え、どうしたんだお前? なんで臨戦状態!? なんでそんな怨敵を見るような目でメットさんを睨んでんの!?」


「……アッシュは黙ってて。私はこれから最強の敵と闘わなければならない」


「最強の敵!?」


 アッシュの頬が引きつる。

 どうやら彼女達の間では何かしらの確執があるようだ。

 巻き込まれてはたまらない。ここは傍観者を決め込むのが一番だろう。

 とりあえず少しばかり距離を取り、アッシュは少女達の様子を窺うことにした。


 《煉獄の鬼》でさえ怯むような声を出すユーリィと、その少女に抱きつこうとした姿のまま硬直するサーシャ。まさに、奇跡と呼ぶにふさわしい再会のはずなのだが、何故か臨戦態勢に入ってしまっている状況に、アッシュは呆れて頬をかいた。


 が、その皮肉気な態度とは裏腹に、彼の表情はとても優しい。

 穏やかな瞳で、眩しそうに大切な少女達を見つめていた。


 そして、アッシュは、心から想う言葉を呟く。


「生きて幸せになるか……。やれるだけやってみるよ。見ていてくれよな、サクヤ」


 思い出の中の少女が、優しく微笑んでくれたような気がした。

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