第26話 夜の女神と、星の騎士②
その白い鎧機兵は、森の中を縫うように疾走していた。
(早く早く……。もっと急がないと。いつ星霊が安定するのか分からないんだから)
主の意志に応え、《ホルン》はさらに加速する。
サーシャは焦っていた。《万天図》のお陰ですぐに《最強の鎧機兵》の位置はつかめたが、その距離は約千二百セージル。とても近いとは言いがたい距離だ。
(……あの短期間で、ここまで移動するなんて……)
思わず唇をかみしめる。
だが、幸いにも今、《最強の鎧機兵》はその場で停止している。
これならもうじき追いつけるはず。
(……本来なら騎士として名乗りを上げるべきかもしれない。けど、ここは――)
奇襲だ。木々の間に隠れ、問答無用で不意打ちする。
性能差を鑑みればそれしかない。
なにせかかっているのはユーリィの命だ。躊躇いなどなかった。
しかし。
『――――え』
不意に開けた視界。今まで生い茂っていた木々が、まるで幻だったかのように消え、いきなり大きな広場に飛び出したのだ。
(な、何? どうして「ラフィルの森」にこんな大きな広場が――)
想定外の状況に動揺し、サーシャ――《ホルン》がたたらを踏むと、
『……サーシャか? どうして君がここに?』
背後から発せられた聞き覚えのある声に、サーシャは凍りついた。
弾けるように白い鎧機兵が振り返ると、そこには黄金竜が雄々しく佇んでいた。
『……ジラール……』
サーシャは歯がみする。
迂闊だった。不意打ちをするつもりが、先に見つけられるとは。
(――くッ! こんな広場さえなければ……)
と思った時、サーシャは周囲の異常さにようやく気付く。
よく見ればここは広場などではない。
周辺の木々は薙ぎ倒され、大地には削り取られたような傷跡がいくつもある。それはまるで大型の魔獣が暴れまわったかのような荒れ地。
――そう。ここは眼前の鎧機兵に開拓された場所だったのだ。
『これって……ジラール。あなた、ここで鎧機兵のならしをしていたの?』
『……ふん。僕ほどの操者なら、本来不要な作業だがね。しかし、僕はこれから国盗りをするんだ。念には念をいれてね! だが、ふふふ……』
ジラールは実に誇らしげに声を上げる。
『見よこの光景を! 素晴らしい! 本当に素晴らしいよ! 僕の《アドラ》は!』
……どうやら鎧機兵に名前を付けたらしい。
まるで子供のようにはしゃぐ眼前の男に、サーシャは抑えがたい怒りを抱く。
その機体のせいで、お前のせいでユーリィはッ!
サーシャは――《ホルン》は、静かに剣を正眼に構える。
もはや語る言葉などない。この男は倒すべき敵だ。
『――おや? なんだい? まさか僕とやる気なのかい? 四千ジンにも届かないその機体で、十万ジンを誇る僕の《アドラ》に!』
サーシャは答えない。ただ闘志を胸に隙を窺う。ジラールの目付きが変わった。
『どうやら本気のようだね……いいだろう。ならしの仕上げに丁度いい。ただし! そう簡単に終わってくれるなよ! 精一杯、僕を楽しませてくれ!』
そして《アドラ》が無造作に右手を――その鋭利な爪を《ホルン》へとかざした。
サーシャの全身に緊張が走る。なにせ初めて戦う機体。そもそも竜型など今まで聞いたこともない機体だ。一体どんな攻撃をしてくるのか見当もつかない。
ジラールも彼女の緊張を感じ取ったのだろう。その顔に余裕の笑みを浮かべる。
『ふふ、どうやら緊張しているようだね。まあ、竜型なんて初めて見るだろうし。う~ん、そうだな――なら一つだけ教えよう! 今、君の目の前にいるのは鎧機兵などという矮小な存在ではない。これこそが、かつて世界を滅ぼした――《悪竜》そのものだ!!』
その言葉が、開戦の合図だった。
《ホルン》に向けられた《アドラ》の爪が、突然ドンッと撃ち出される。
――否、撃ち出されたのではない。高速で右腕自身が伸びたのだ。
爪を立て躍動するその姿は、まるで獲物を呑みこまんとする大蛇のようだ。
咄嗟に《ホルン》は右へと飛び込み回避する。黄金竜の爪が先程まで《ホルン》がいた空間を切り裂き通過した。サーシャはそれを見送り青ざめる。
まさか、腕が伸びるとは――。
(人工筋肉って人の構造とほぼ変わらないはずなのに。根本的に別物って事なの?)
目の前の機体がますます得体の知れないものに見えて、サーシャは身震いする。
――が、すぐに思い直した。
確かに予想外の攻撃であったが、逆に好機でもある。
今、《アドラ》は右腕が使えない。間違いなく攻撃力は半減しているはずだ。
そう判断したサーシャは《ホルン》を加速させようとし――ふとその音に気付く。
背後から、バキバキッと何かを破壊する音が聞こえてくる。慌てて振り向くと、そこには時間を巻き戻すかのように逆走する右腕の姿があった。
しかも、その爪には――。
『――ッ! 《ホルン》ッ、避けて!』
《ホルン》がすぐさま地に伏せた。轟音が頭上を過ぎ去り、《アドラ》の元に、右腕が帰還する。その爪には、太さが二セージル以上はありそうな巨木が握りしめられていた。
《アドラ》は無言のまま巨木を両手で掴むと、捩じり、砕き、へし折った――。
それは、己が膂力を見せつけるためのデモンストレーション。
すなわち――お前もいずれこうなる、と。
目の前で舞い散る木片に、少女は喉を鳴らした。
もしも、あの爪に掴まれたら……。
再び恐怖がサーシャの心を襲う。
恐らくは一撃。たった一撃でも直撃を食らえば《ホルン》は粉砕される。もしくは今の巨木のように、胴体を引き千切られるかもしれない。
どちらにしろ原型を残すような死に方は出来ないだろう……。
サーシャは小さく息を吐き、一瞬だけ瞳を閉じる。
思い浮かぶのは、親しき二人の笑顔だった。
一人は、彼女にとって大切な友達である、空色の髪の少女。
そしてもう一人は、八年前のあの日。
とある災厄からこの国を救うために、自ら《聖骸主》となった――……。
(……お母様。たとえそれが、どんなに困難だとしても、私は――)
琥珀の瞳を見開き、サーシャは叫ぶ!
「――私はッ! ユーリィちゃんを! 《聖骸主》を救うって決めているんだッ!」
恐怖を振り払ったサーシャの双眸には、決意の炎が灯っていた。
ありったけの勇気を乗せ、《ホルン》が今度こそ加速する!
剣を水平に構え、白い機体は力強く疾走する。限界まで前傾に構えて駆け抜ける《ホルン》の姿は、まるで一本の巨大な槍のようだった。
しかし、全霊をかけて突進してくる《ホルン》に対し、《アドラ》は身構えようともしない。むしろ、受け入れるかのように両手を広げていた。
その相も変わらない傲岸不遜な態度は、当然、サーシャの怒りに火を注いだ。
そして、《ホルン》の剣の切っ先が突き出される!
だが、
『――――な』
サーシャは唖然とした。そんな、どうして……?
今のは《ホルン》の全体重を乗せた最高の一撃だった。
直撃すれば、十セージル級の大型魔獣でさえ仕留める自信があった一撃だった。
だというのに――《ホルン》の剣は、《アドラ》の装甲の前で止まっていた。
白い鎧機兵の一撃は、黄金の竜鱗に傷一つ付けることが出来なかったのだ。
渾身の突きがまるで通じない事実に、しばし呆然としていたサーシャだったが、ハッとして我に返る。《アドラ》の左の爪がゆっくりと動き出したのだ。
まずいッ! 即座に《ホルン》が後方へ跳ぶ――が、わずかに遅かった。
――ギャリンッ!
空気を切り裂く《アドラ》の爪が、《ホルン》の肩へと襲い掛かる!
途端――右の肩当ては、まるで砂山を殴りつけたかのように弾け飛んだ。
サーシャが驚愕で目を見開く。今の爪撃は直撃ではない。浅くかすっただけだ。
(う、そ……。直撃でなくとも、触れただけでこうなるの……?)
舞い散る装甲の破片を目に焼き付けながら、《ホルン》は慌てて確認のために軽く右手を動かした。――動作に異常はない。砕かれたのは外装だけのようだ。
しかし、あの《偽朱天》の攻撃を防ぎきった《天鎧装》を、まるで薄布のように切り裂くとは……。息を呑むサーシャに対し、ジラールが高らかに笑う。
『はははははッ! これはどうやら思っていたよりも、つまらない仕上げになりそうだね!』
サーシャはグッと唇をかみしめる。
苦戦は覚悟していたが、ここまで差があるとは想定していなかった。一撃を食らうと終わりで、しかもこちらの攻撃はまるで通じない。
普通ならば、逃走しか手段が残されていない状況だ。
――だが、《ホルン》は迷わず剣を正眼に構える。
ここは退けない。――否、絶対に退かない。
この戦いには、彼女の大切な友達の命がかかっているのだ。
サーシャは守るべき人のために、改めて騎士として名乗りを上げる。
『アティス王国騎士学校所属、第六十三期・騎士候補生サーシャ=フラム。そして、我が愛機・《ホルン》――いきます!』
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