第24話 黄金の聖骸主④
シン――とした静寂が訪れる。
アッシュは、サーシャのあまりにも我儘かつ純粋な想いに、ただただ圧倒されていた。呆然と少女の顔を見つめるだけで未だ声も出せない。
しばし続く静寂。そして……。
(……はは。ったく。俺は何やってんだろうな……)
アッシュは深く視線を落とし、自分の無様さを思い知る。
……やれやれ。一体何を考えていたのだろうか。
こんなにも近くに、まだ自分を必要としてくれる子がいたというのに。
この無力な手にも、まだ掴めるものがあったというのに。
(これじゃあ、ユーリィに頭がカラッポって言われても仕方がねえか)
ついつい皮肉気に嘆息するアッシュであった。
だが、自身の行動を振り返っていたのは彼だけではなかった。徐々に感情が落ち着き始めたサーシャもまた、自身が無我夢中で口走ってしまった言葉に硬直していた。
(……あれ? 私、今何を言ったのかな?)
うん。自分は今、かなり形振り構わない行動に出た。
このままではアッシュが死んでしまうと思い、包み隠さず自分の想いを伝えた。
そして勢いのまま叫び続けた台詞が……。
一緒に生きて欲しい。ずっと私の傍にいて。あなたが必要なの。
う~ん。何とも凄い内容だ。これはどう聞いても――。
(プロポーズにしか聞こえない!?)
バババッと勢いよく後退したサーシャは、顔色を赤に青にと目まぐるしく変化させる。自身の台詞を振り返ると、顔が火山の如く爆発してしまいそうだ。パニックを起こしたサーシャは目尻に涙を溜めながら、口を忙しく開け閉めしていた。
そんな少女の様子を見ることで、年長者ゆえか、すでにアッシュの方は冷静さを取り戻していた。……ただし、少々的外れな方向にだったが。
(はは、本当に優しい子だな、俺なんかのためにこの子は……)
サーシャを見つめるアッシュの瞳は、とても穏やかで優しい。
だが、残念なことに、その視線は父親が愛娘に向けるものと同じものだった。
サーシャはまだ気付いていない。――否、侮っていた。
アッシュの並ぶ者なき鈍感さを。
しかも生来の鈍感さに加え、ユーリィの父親役を五年以上もしてきた彼は、年下の異性を前にすると、ついつい保護者的な態度を取ってしまう癖があった。
基本的に年下は恋愛対象から外れるのだ。従って、サーシャにとってはプロポーズに等しい台詞でも、アッシュには「いい子だな」程度にしか届かない。アッシュに愛を伝えるには「愛している」と、直球で言わない限り通じないのである。
ともあれ、まさかそんな状況だとは夢にも思わず、サーシャはおろおろとするばかりだ。
そんな愛らしい少女を、アッシュは優しく見つめ、同時に深く感謝もしていた。
さっきまでの自分は絶望して、明らかに死を望んでいた。
だが、今は違う。
サーシャの言葉は、自分の愚かな考えを見事に吹き飛ばしてくれた。
(……やれやれ。本当に馬鹿だよな。俺って奴は……)
顔を真っ赤にさせた弟子の姿を見ると、思わず笑みが零れてしまう。
そうだ。この子のためにも死んではいけない。それに、こんな簡単に死を選んでは自分をずっと支えてくれたユーリィにも合わせる顔が――。
と、そこで、
(……ん? ユーリィって言やあ、さっき……)
ふと思い出す。そう言えば、ユーリィについても何か聞いたような……?
しかし、首を捻っても詳細が思い出せない。
(仕方ねえな。思い出せねえなら、本人にもう一度聞くか)
アッシュはサーシャを見据えると、その細い肩を両手で強く押さえた。
そして、ぱくぱくと口を開く少女に、緊張した声音で願う。
「なあ、サーシャ。悪りいがさっきの台詞、もう一度言ってくれねえか?」
「は、はい? さっきの台詞をもう一度って……もう一度言うの!?」
サーシャはパニックに陥った心で思う。なんて無茶を言うんだこの人は。
捨て身のプロポーズを、もう一度叫べと言うのか。
あまりに理不尽すぎる要求に、彼女はそのまま完全に固まってしまった。
すると、アッシュは不思議そうに首を傾げて、
「サーシャ? あ、もしかして台詞忘れたのか? 別にさっきの台詞全部じゃなくていいぞ。ほら、最後らへんで言ってたろ。ユーリィの最後の言葉ってやつ」
アッシュの言葉に、サーシャは頬だけをピクンと動かし、
(……最後の言葉? それって――あッ!)
ようやく硬直が解ける。そして思い出した。確かに最後の言葉は、自分の――いや、自分だけの言葉ではない……のだが――……。
(……え、せ、先生……? まさか、私の気持ちに全然気付いてないの……?)
サーシャは流石に愕然とした。この三カ月で鈍感な人だとうすうす気付いてはいたが、あれでも無理なのか……。
しかも、渾身の愛の言葉の中、彼が一番興味を示したのは、ユーリィの――愛娘に関することだけとは。過ごした月日のハンデは想像以上に大きいらしい。
落胆で思わず深い溜息がもれてしまうが、サーシャは気持ちを切り替えた。
どれだけ気落ちしようが告げねばならない。これは友達との大切な約束なのだ。
サーシャは、ユーリィの最後の言葉をアッシュに伝える。
「……ユーリィちゃんが言ってたんです。先生に伝えて欲しい言葉が二つあるって」
「……二つ?」
「はい。一つは、さ、さっきの『私はあなたとの幸せな未来をこれからも信じてる』」
そこでサーシャは一度言葉を切る。
正直、もう一つの伝言は意味が分からなかったのだ。
なので、彼女はユーリィの口調を真似るように告げた。
「もう一つは『ケースその二。あの脳天気女の言葉を思い出して』……です」
託された想いを正確に伝えることが出来て、サーシャはホッと息をつく。
その傍ら、アッシュの方は、二つの言葉の意味を吟味していた。
この二つの言葉は実に不自然だった。とてもこれから死にゆく者の残す言葉――遺言とは思えない。彼はあごに手をやり、より深く思考に没頭する。
(……これからも信じている……これからもだって? それにケースその二だと? 脳天気女とは間違いなくあいつのことだろうが、一体何を思い出せと言うんだ?)
アッシュは懸命に記憶を探る。
ユーリィが脳天気女と称した女。彼が信頼する六人の戦友の一人。
――《七星》が第五座・《凰火》を駆る彼女は、一体何を言っていた……?
『う~ん。その一にはやっぱり無理があるかな。じゃ、その二! 正直これは無機物限定になるから凄いレアケースなんだけど……。ねぇアシュ君。リセット現象って知ってる?』
……リセット現象? 確かそれは――。
「ッ! そうかッ! 今回の件あいつの言っていたレアケースに該当すんのか!」
戦友の言葉を思い出し、ようやくアッシュはユーリィが伝えたかった意図を理解する。
ユーリィは、自分の未来を完全に諦めた訳ではない。
彼女はサーシャを守るため、自分の命を担保にして、途方もなく危険な賭けに出たのだ。そんな愚かな暴挙に出てしまうほど、あの子は思い詰めていたのだろう。
アッシュは、愛娘をそこまで追い込んだ男に、改めて殺意を抱く。
今すぐにでも、あの男をぶち殺してやりたい。
――が、荒ぶる心を無理やり抑え込み、アッシュは気持ちを切り替えた。冷静にならなければ救えるものも救えない。
(……だが、どうすりゃあいい? 確かにあいつの推測通りなら、ユーリィを救うことが出来るかもしれねえが……)
状況は極めてシビアだった。現状を考えるとアッシュ一人では手が足りない。
せめてもう一人。もう一人、鎧機兵を操れる騎士さえいれば――。
「……あの、先生? 何か分かったんですか?」
その時、不意に呼び掛けられたアッシュは思考を中断し、声の主へと目をやる。
そこには、不安そうに眉を寄せるサーシャがいた。
アッシュは彼女の瞳を見つめ――そして、気付いてしまう。
サーシャが、彼の望む条件をクリアしていることに。
(……そうか……サーシャには《ホルン》が……召喚器も今ここに――)
と、そこまで考えた時点で、アッシュは大きく首を振った。
――ダメだ! そんなことをすれば最悪サーシャまで!
思い直したアッシュは、苦悩に満ちた表情で必死に他の手段を考える。
どうすれば、どうすればユーリィを救えるのか……。
何度も頭をかきむしり、悩みに悩み抜くが、
(くそッ! くそったれ! どうして何も思いつかねえんだよ!)
アッシュは、グッと唇をかみしめる。
(……ちくしょうが……)
もう、これしか方法が残されていない……。
そう悟ったアッシュは、遂に苦渋の決断をした。
「……サーシャ。いいか、俺が今から言うことをよく聞いてくれ」
一度、大きく息を吐く。
この先を伝えれば、彼女に途方もない負担を背負わせることになるだろう。
だが、それでも――。
「……恐らくたった一つだけ、ユーリィを助ける方法がある」
「ほ、本当ですか!」
サーシャの瞳が輝く。
――ああ、この子は本当にいい子だ。心からそう思う。同時にそんな子を巻き込まなくては、少女一人救えない己が不甲斐なさにうんざりした。
全く何が《七星》だ。思わず深い溜息がもれてしまう。
「……? 先生?」
「ああ、悪りい。それで続きだが……。なあ、サーシャ、リセット現象っていうのをお前は知ってるか?」
「え? ええっと、どこかで聞いたような……」
「いや、思い出せないなら別にいいぞ。簡単に言うが、リセット現象ってのは《願い》によって生まれた物質が外部からの衝撃で星霊に戻っちまう現象をいうんだ」
「――え? あッ! もしかしたら私、それ子供の頃見たことがあるかも! 母が直してくれたおもちゃを乱暴に扱っちゃって……」
恥ずかしそうに俯く少女の姿に、
「……どうやら随分と、お転婆だったみてえだな」
アッシュは微かな笑みを浮かべた後、真剣な表情で語る。
「ともあれ、知ってんなら話は早いな。要するにユーリィを救うには、このリセット現象が鍵になるはずなんだよ」
期待に満ちた瞳で、サーシャはこちらを見つめていた。
その真直ぐな眼差しに、罪悪感さえ抱きつつも、アッシュは先を続ける。
「……《星神》が生み出す物質は、すぐには星霊が安定しねえ。ちょっとした衝撃で、簡単に構成が崩れちまうんだよ。その時、《願い》自身はどうなると思う?」
「……えっと、母は確か《願い》が消えてしまったって言ってたような……」
「ああ、その通りだ。《願い》は消えて、最初からなかったことにされちまう。だから、リセット現象という名がついたらしい」
消費した力は、星霊と共に本人の元へと返還され、根本的に一回というカウントにさえ入らない。それがリセット現象だった。
サーシャの瞳が見開かれる。アッシュの狙いを察したのだ。
「もしかして、リセット現象をわざと引き起こして、《願い》を――《最後の祈り》自体をなかったことにするんですか……? けど、本当にそんなことが……」
確かに、それは実例のないことだった。何故なら、今まで無機物の創造などに《最後の祈り》を使うような愚者は一人とていなかったからだ。
「……理論上は可能なはずなんだよ。生み出したのが無機物である限り、リセット現象は引き起こせる。それは《最後の祈り》であっても例外じゃねえはずだ」
一拍置いて、
「それに星霊の安定って剣や槍なら十数秒程度って聞くが、今回は鎧機兵丸ごと――しかも本来なら創れないはずの《星導石》付きだ。そんなのがそう簡単に安定する訳がねえ」
だからこそ――。
「大丈夫だ。今ならまだ、リセット現象を必ず引き起こせる」
そして、アッシュは自分の結論を告げる。
「《最強の鎧機兵》をぶっ壊す。それだけがユーリィを救える唯一の方法なんだよ」
◆
サーシャは歓喜で踊り出しそうだった。
ユーリィを救える。そのことに喜びが抑えきれない。
しかもその手段は、それほどハードルが高いものとは感じられなかった。
確かに、あの鎧機兵は凄まじい威圧感を宿していた。
だが、今ここには、かの《七星》の一人と――闘神、《朱天》がいるのだ。
たとえ相手が《最強の鎧機兵》だとしても、操者の格がまるで違う。
まともに戦えば、アッシュの勝利は揺るがないだろう。
もうすでに、ユーリィは救われたようなものなのだが……。
ランタンの光の中、何故かアッシュの表情には苦悩のような陰りが浮かんでいた。
「……先生? どうかしたんですか? その、やっぱり先生でも、恒力値・十万ジンの鎧機兵は手強いんですか?」
「……………」
アッシュは何も答えない。
その黒い瞳は、ただ真直ぐにサーシャの顔を見つめていた。
銀髪の少女は、不思議そうに首を傾げる。
すると、青年の両腕が、不意に彼女の肩に触れて、
(…………え?)
気付いた時には、サーシャは力強く抱きしめられていた。
それは、まるで恋人にするような熱い抱擁だった。
一瞬キョトンとしていた少女の顔が、ぼっと火が燃えあがるように赤く染まる。
(ななな、何、何? な、なんで私いきなり抱きしめられてるの!?)
と、軽いパニックを起こすサーシャ。
しかし次の瞬間、その異変に気付く。自分を抱きしめるアッシュが、セラ大陸最強の騎士が怯えるように震えていたのだ。
困惑する少女の耳元に、彼は悲痛な声で囁く。
「サーシャ……、すまねえ……。俺は、ジラールとは戦えねえんだよ」
「……え? た、戦えない? ど、どうしてですか!」
青ざめるサーシャに、アッシュは静かに告げる。
「……もうじきユーリィがやってくる。俺は、あいつの相手をしなきゃならねえ」
「え? で、でも、あの男の《最強の鎧機兵》を壊さないと、ユーリィちゃんは元に戻らないんですよね? なら先にジラールを倒せば……」
アッシュはかぶりを振った。
「ここは王都に近すぎんだよ。もしも今ユーリィが真直ぐ王都に向かったら――」
その先の言葉を想像し、サーシャの喉がごくりと鳴る。
「あいつを足止めする者が必要なんだよ。それは俺にしか出来ねえ。今ここで、俺が止めてやらねえと……ユーリィが人殺しになっちまう」
サーシャは、驚愕に声も出せなかった。あの優しい少女が人を殺す。
信じられない――いや、信じたくないが、銀の星々を従えたユーリィの姿が脳裏によぎり、サーシャは改めて自分の《聖骸主》に対する認識の甘さを思い知った。
だが、アッシュは、さらに非情な宣告をする。
「だから、俺はジラールの相手が出来ねえんだよ。ジラールの相手は、俺以外の誰かがやらなきゃいけねえんだ……」
俺以外の誰か。その言葉に、サーシャの鼓動は跳ね上がる。
それは簡単な消去法だった。
この場には二人しかおらず、その内の一人は除外される。
ならば、あの竜の如き力を宿す《最強の鎧機兵》の相手をするのは――。
そこまで思い至り、サーシャの心に、凄まじい恐怖が襲い掛かる。
全身が凍りついたように硬直し、息さえ出来ない。自然と歯がカチカチと鳴り始め、琥珀色の瞳には涙が溜まった。視界がくらくらと揺れて、そのまま意識を失いそうになる。
と、その時だった。
(……あ……)
不意に強くなったアッシュの抱擁。サーシャの鼓動が再び跳ね上がる。
が、同時にそれは、少女の心に安らぎも与えた。
……暖かい。凄く暖かい。とても、とても心地良い。
けれど、その抱擁は力強いはずなのに、どこかしら儚げに感じた。
どうしてだろう。どうして、こんなにも儚く感じるのだろうか。
彼女は考え、そして――……。
(……ああ、そっか。そういうことなんだ)
サーシャはすべてを理解した。
だからこそ、その言葉はごく自然に彼女の唇から紡ぎ出される。
「大丈夫ですよ先生。《最強の鎧機兵》は……私が、《ホルン》が倒して見せます」
アッシュの抱擁は、その両手の震えは、さらに強くなった。
そろそろ背骨が折られそうかな。そんな場違いな感想を抱きながら、サーシャもまた彼を強く抱きしめて――そして思う。
(この人は、私を失うかもしれないことに怯えているんだ)
サーシャはアッシュの想いを全身で感じていた。
それはきっと弟子に対する愛だろう。残念だが、自分はまだ女としては見てもらえていない。そのこと自体はとても不本意ではあるのだけど。
(……私は大丈夫だよ、アッシュ……)
それでも、彼は間違いなく自分を愛してくれている。
それを知った時、サーシャの恐れは消えていく。
彼を想う愛が、彼女の恐怖を駆逐する。
「私を誰だと思っているんですか! 《七星》が一人、《朱天》のアッシュの弟子ですよ! あんなへたれには負けません!」
「……サーシャ」
力強いサーシャの言葉に、アッシュはようやく彼女を抱擁から解放した。
そしてもう一度サーシャの意志を確認するために、その瞳を見て――苦笑する。
彼女の琥珀色の瞳は、闘志で燃えていた。
(……本当にこの子は強いな。だったら、俺のやるべきことは――)
アッシュは足元に置いてあった短剣を右手で、続けてサーシャのトレードマークともいうべきヘルムを、左手で拾い上げる。
「――そうだな、サーシャ。お前は俺の愛弟子だ! あんな小物なんぞに後れをとるものか! 行ってぶちのめしてこいッ!」
アッシュはそう激励するとサーシャの右手に短剣を授け、その頭にはヘルムを少々乱暴にかぶせてやる。そして最期にポンと気合を注入するようにヘルムを叩いた。
少しずれたヘルムの下で、サーシャは満面の笑みで宣言する。
「はい! サーシャ=フラム、全身全霊でぶちのめしてきますッ!」
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