第23話 黄金の聖骸主③
「……とりあえず落ち着いたか?」
アッシュはそう尋ねながら、携帯型ランタンに灯を点した。
傭兵時代に使っていた古い型の代物だが、焚火代わりとしては充分のようだ。手ごろな石の上にコツンと置くと、橙色のほんのりとした明かりが森の中を照らした。
「……すいません。こんな時に、こんなことで取り乱したりしちゃって……」
白いコートを抱きしめるように羽織り、消え入りそうな声で答えるサーシャ。
そんな少女を、アッシュは静かに見つめていた。
ランタンの光で照らされた彼女の顔は、怪我のせいか、少しだけ青ざめている。
さっきの事の除いても、彼女は明らかに憔悴していた。出来ることならもう少し落ち着くまで待ってやりたいが、もはや時間は残されていない。
意を決したアッシュは、せめてもの優しさを込めて少女に語りかける。
「……サーシャ。さっきはつい怒鳴っちまって悪かったな」
サーシャは驚いたように、アッシュへと視線を向け――沈黙する。
彼の表情を見て悟ったのだ。これから自分は、とても、それこそ身を切られるようなとても哀しいことを、この人に伝えなければならないことに。
「サーシャ。ゆっくりでいい。教えてくれ。お前達に一体何があったのかを……」
こくんと頷き、そしてサーシャは語る。
出来るだけ正確に伝えるため、感情を乱さないよう淡々と語る。
しかし、どうしても、大切な友達だった少女のささやかな笑顔が悲しみを生み、本当にくだらない《願い》で、すべてを奪ったあの男の顔が憎悪を呼び起こす。
すべての事情を語り終えた時、サーシャは泣いていた。
悲哀と憎悪で、顔を歪めて泣いていた。
「……全部話してくれて、ありがとな。ごめん、辛かったろう」
アッシュは泣きじゃくるサーシャを強く抱きしめ、少女の髪を優しく撫でる。
サーシャもまた、彼に抱きつき、その胸の中で嗚咽を上げた。
少女を優しくなだめるアッシュ。
だが、やはり怒りだけは隠しきれず――。
サーシャには見えない角度で、その顔は徐々に鬼の形相へと変貌していった。
(ふざけんな、ふざけんじゃねえッ! 《最強の鎧機兵》だと! そんなおもちゃのためにユーリィを犠牲にしたってえのかッ! そんなくだらねえもんのために――ッ!!)
ギリギリ、と怒りでアッシュは歯を軋ませる。
言葉さえ交わしたことのない男が、心の底から憎かった。
(なんでユーリィが死ななきゃなんねえだよッ! あんな奴のくだんねえ願望のためにッ! ちくしょう、ちくしょう! 殺す! 絶対に殺す! 必ず殺してやるッ!!)
溢れ出る憎悪と殺意に、胸中はひたすら荒れ狂っていた。
かみしめた唇からは血が零れ落ち、ただただ憤怒の形相を浮かべる。今すぐにでもジラールを殺しに行きかねない悪鬼の顔だった。
――だが。
(……いや待てよ。そうじゃねえ……)
不意にその表情は、愕然としたものに豹変した。
気付いてしまったのだ。自分の犯した失態に。
――ユーリィ達が攫われたこの非常事に、自分は一体何をしていた……?
真っ先に駆けつけなければいけない状況だった。なのに何故、《黒陽社》の雑魚などにかまけていた? どうしてあんな無駄な時間を費やしたッ!
(そうだ。もしもあの時、あんな連中に構わず真直ぐ駆けつけていれば……ッ!)
ギシリ、と再び歯を鳴らす。
明らかな失態だ。自分の心を御せず、最も優先すべきものを見誤った。
結局、己の力を過信していたのだ。いざとなればどうにでも出来る。
そんな慢心の結果、ずっと守り続けてきた大切な少女を失った。
何という間抜けさなのだろうか。
(……はは、俺って奴は……)
渇いた笑みが零れ落ちる。もう、笑うしかなかった。
「……先生?」
アッシュの気配の異質さに気付いたのだろう。
サーシャが赤く腫れた瞳で見つめていた。
彼は苦笑にも見える微かな笑みを浮かべ、優しく少女の髪を撫でる。
――せめて、この子だけでも日常に戻してあげなくては。
「サーシャ。お前は街に戻るんだ。ここはじきに戦場となる。早く逃げるんだ」
「せ、戦場……?」
サーシャは、ごくりと喉を鳴らす。
戦場。それは誰かと戦うということ。そして、その誰かとは……。
「ま、まさか、ユーリィちゃんと戦うんですか……?」
「ああ、ユーリィをここで止める。でなきゃ、あいつは人を殺し続ける事になる」
サーシャは震える手で口元を押さえる。分かっていたことだ。《聖骸主》は人類の敵。何としても倒さなければならない。――たとえ、それが愛おしい者でも。
「もう……、どうしようも……ないんですか……」
「……どうしようもねえんだ。《聖骸主》になったら最後――感情も、心も、魂さえも失くしちまう。ただひたすら人を殺すだけのそんな存在になっちまうんだよ」
そう呟く彼の胸によぎるのは、もう一人の《黄金の聖骸主》の姿。
後ろから、ちょっと驚かしただけで、瞳に涙を浮かべるような少女だった。
人一倍、臆病だったのかもしれない。
しかし、その分、誰よりも人の痛みが分かる少女だった。
だというのに彼の《願い》などを叶えたために《彼女》は六年近くもの間、世界を彷徨い歩いては、人を殺して殺して殺し尽くす存在に成り果ててしまったのだ。
(……そう。一年前のあの日、俺があいつを殺すその瞬間まで……)
胸に突き刺さる痛み。
それをグッと堪え、アッシュはサーシャの琥珀色の瞳を見つめた。
そしてしばし逡巡した後、少女の両肩を掴んで尋ねてみる。
「……なあ、サーシャ。俺は五年と半年ぐらい前、行き場を失くしていたユーリィの身受け人になった。一応皇国では十六から成人扱いとはいえ、当時まだ十七・八程度のガキだった俺が、あの子を引き取った理由って何だか分かるか?」
サーシャはキョトンとした表情を浮かべる。唐突に何の話だろうか?
困惑したが、サーシャはしばし考え込み、
「それは……ユーリィちゃんが《金色の星神》だから、誰か強い人が守らないと」
唯一思いついた理由を告げた。
アッシュは彼女の肩から両手を離し、静かに頷く。
「ああ、確かにそれも理由の一つだ。まあ、他にも色々あってユーリィ自身が『施設』を毛嫌いしていたってのもあるがな。けど、どっちも一番の理由じゃねえ。……一番の理由は俺の自己満足からなんだよ」
「―――――え」
予想外の言葉に目を見開くサーシャに対し、アッシュは口元を大きく歪ませる。
自己満足。まさにそう呼ぶしかないだろう。自分のしたことは。
それに「一番の理由」という表現も適切ではない。
そもそも順位などない。
アッシュがユーリィを引き取った理由はたった一つだけだ。
初めてユーリィと出会った日。
彼にとってユーリィの第一印象は――「失望」だった。
あの「施設」襲撃の日。アッシュは事前情報で救出対象に《金色の星神》がいることを知っていた。《彼女》と同じ能力を持つ者。気にならない訳がない。
だが、出会って「失望」した。全く似ていない。顔立ちも髪の色も仕種も声も。
とにかく無愛想な少女だった。しかも、仮にも助けてもらったというのに、礼を言わないばかりか、保護施設には行きたくないと宣う。
何とも我儘な娘だと思った。優しかった《彼女》とは大違いだ。
無愛想な娘。どうして笑わない。《彼女》はもう笑うことさえ出来ないというのに。そんな八つ当たりじみた苛立ちを覚えた。正直、気に食わない娘だった。
だけど、それでも少女に手を差し伸べたのは――。
「ユーリィがあいつと同じ《金色の星神》だったから。俺が守れなかったあいつとユーリィを重ねて見てたんだ。せめてユーリィだけでもってな。最低の自己満足だ」
言ってしまえば、ユーリィ個人ではなく彼女の能力だけを見ていたのだ。
本当に酷い話だ。
結局、当時の自分はユーリィを《彼女》の代用にしていたのだから。
うんざりするほどの自己嫌悪で、アッシュは顔を歪めた。
(……先生)
一方、その傍らで、サーシャは切なげに眉根を寄せていた。
今のアッシュの声は、まるで罪を告解したかのような重いものだった。
しかし、サーシャには、その重さ以上に、台詞の内容の方が強く印象に残った。
わずかに俯きながら、片手で胸元を押さえる。
あいつ。その言葉が耳に残る。一体誰のことだろうか。
どうしてか、胸の奥がズキズキと痛んだ。ざわざわとした想いが胸中に渦巻き、捉えようのない不安にかられる。この感情は一体何なのだろう……?
しばし続く沈黙。その間、彼女は悩み続けた。そしてキュッと唇をかみしめたサーシャは、意を決して詳しく尋ねてみようと口を開いた――が、
「まぁそんなふざけた事を考えてたせいで、手痛いしっぺ返しを喰らったけどな」
その前に、アッシュが話を再開させた。サーシャの興味がわずかに逸れる。
「……しっぺ返し、ですか?」
反射的に質問を変えるサーシャ。
すると、アッシュは苦笑いを浮かべた。それを訊かれると苦笑するしかない。
「……正直、子供を引き取るってのをなめてたよ。とにかく面倒見んのが大変だった。ほっとけば体調崩すし、ちゃんと勉強もさせなきゃなんねえ。しかも、ユーリィは女の子だからな。その辺の常識も教えなきゃなんなかった。男の俺に一体どうしろってんだと本気で思ったよ」
当時の頃を思い出し、アッシュは深々と嘆息する。
本当に、大変な日々だった。
旅先でユーリィが熱を出した時はパニックになったし、街を二人で歩けば人攫いではないかと自警団に尋問されたこともある。そういえば、保護者らしく勉強をみてやろうとしたら、ユーリィの方がよっぽど頭がよくて凹んだこともあった。
他にも二人で解決できないこと――女の子特有の知識など――では、宿屋の女将に頭を下げて教えを請うたこともある。
思い起こしたら数え切れないほど苦労の連続だったと、今更ながら実感する。
「自己満足が消えたとは言えねえけど甘い考えの方はすぐに消えたよ。あいつのことで頭が一杯だった俺が必死にユーリィの事を考えた。色んな人に助けてもらってユーリィ自身も努力してくれたが、それでも苦労に苦労を重ねたよ。……だからかな」
思いを馳せて、アッシュは言う。
「俺にとってユーリィは『妹』ってよりも、『娘』って感じなんだよ」
サーシャは無言のままだった。ただ静かに聞き手となっていた。
再び訪れる沈黙。どこか遠くで梟が鳴く声が聞こえた。
そしてしばらくして、
「だから俺は――」
アッシュは、淡々と自らの決意を告げた。
「ユーリィを殺そうと思う。次にジラールを。そして最後に俺自身を殺そうと思う」
「………………え」
一瞬、サーシャは言葉の意味を理解出来なかった。
――が、すぐに愕然と目を剥き、悲鳴のような声を上げる。
「せ、先生ッ!? 一体何を!」
「……聖骸化したユーリィを止めるには、もう殺すしかねえんだよ」
「けどッ! だからといって、どうして先生までッ!」
青ざめて詰め寄るサーシャに、アッシュはかぶりを振って答える。
「ユーリィをこのままにしておけねえよ。だけど、ユーリィまで殺しちまったら俺は……」
左手で顔を覆いながら、彼の独白は続く。
「あの子をずっと守ろうと思っていた……。それがあいつの代わりだとしても……。自己満足だろうがなんだろうが、ユーリィだけは絶対に守ろうって誓ってたんだ。いつか、あの子を託せる野郎が現れる日まで……ずっと………俺が………」
アッシュはそこで押し黙った。そして前髪で瞳が隠れるほど深くうな垂れ、ギシリと右の拳を握りしめる。爪が喰い込み、血が流れても固めた拳を緩めない。
(……ああ、また同じ結末だ……)
守るつもりだったあの子は――死んでしまった。
《彼女》と同じく、死んでしまった。
またしても、この手は何も掴むことが出来なかった。
最後の家族であった少女さえ、守り通せなかったのだ。
(……ユーリィ、お前まで……)
『……ねえ、灰色さん。教えて欲しいことがある』
そう言えば、あの子は質問ばかりしていた。
『……別にお化けは怖くない』
本当は苦手なくせに、あの子は強がって拗ねて見せていた。
『大丈夫。私は《最後の祈り》なんて使わない。約束する。だから安心して、アッシュ』
そんな風に、励ましてもらったこともある。
守ってやっていたつもりが、いつしか守られていたのかも知れない。
アッシュは、血が滲んだ右手を静かに見つめた。
そして、思わず苦笑してしまう。
なんて空っぽな手なのだろうか。
こんな無力な手で一体何が掴めるというのか。
事実、大切だったものは、すべて零れ落ちてしまった……。
だから、だからもう自分には――。
「……何もねえ……。俺にはもう、何もねえんだよ……」
それは、あまりにも深い絶望を宿した声だった。
そんなアッシュを前に、サーシャは、ただ呆然と立ち尽くしていた。
正直、彼の話には分からない部分があった。
あいつとは誰なのか。これまでの彼の人生で一体何があったのか。アッシュの過去を知らない自分では想像することさえ出来ない。
だけど、それでも一つだけ、はっきりと分かったことがある。
このままだと、彼は死ぬ。
ユーリィの後を追って、自分自身の手で――自分を殺す。
あまりにも無残なその未来に、サーシャの心は、我知らず絶叫していた。
――嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だッ!
そして、想いは溢れ出す。
「嫌だッ!! 先生が――アッシュが死ぬなんて、絶対に嫌だッ!!」
「――え、サ、サーシャ……?」
顔を上げて困惑するアッシュに、サーシャはありのままの想いを叩きつける。
「やだやだやだやだ! 絶対にやだッ! 私はアッシュに死んで欲しくない! アッシュに朝も昼も夜もずっと一緒にいて欲しいの! ずっと私の傍にいてッ! いなくなっちゃうなんて絶対にやだよッ!!」
彼女の激情は、なお止まらない。
「許さないんだから! 死ぬなんて許さないんだからッ!! 私と一緒に生きて! 私の傍で、ずっと一緒に生きてッ!! 二人で色んなことに泣いて、たくさんのことに怒って、楽しいことで、いっぱい笑って喜んで! そして一緒に――」
サーシャは声を張り上げる。
「生きて幸せになるのッ!」
「―――ッ!」
意図せずに放たれたその根源とも呼ぶべき言葉に、アッシュの心臓は貫かれた。
その衝撃の前に立ち竦む――と、サーシャの柔らかな両手でギュッと右手を掴まれた。絶対に離さないとばかりに強く握りしめられた彼女の手はとても暖かくて……。
空っぽだったはずの手に伝わる温もりに、アッシュは言葉もなかった。
そんな青年に、少女は優しく微笑みかけて、
「ねえ、アッシュ。ユーリィちゃんね、最後にこんなこと言ってたんだよ。『私はあなたとの幸せな未来をこれからも信じてる』って。ねえ、分かる? ユーリィちゃんにも私にもあなたは絶対必要な人なんだよ。だからね……」
そして、祈るように告げるのだった。
「お願いだから、もう何もないなんて言わないで」
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