第22話 黄金の聖骸主②

 その巨人はただ一歩で雷を呼ぶと、盾の如く銀髪の少女の前に、巨体を割り込ませた。続けて漆黒の両腕を同時に振るい、少女に襲い掛かる災厄の星々を、一気に薙ぎ払う。

 霞むような剛速で振るわれた両腕は、まるで黒い突風だ。ほとんどの星は為す術なく撃ち落とされ、わずかに残った星々も、巨人の纏う鎧がことごとく防いだ。

 しかし巨人は、身を呈して守り抜いた銀髪の少女に見向きもしない。

 その黒い鎧機兵は――彼は無言で前を、星々の主人である黄金の少女だけを凝視していた。


 ――狂おしいほどに、ただ静かに見つめていた。



 

 サーシャはいつまでたっても衝撃が来ない事を不審に思い、恐る恐る瞼を上げた。

 すると、そこには一体いつ現れたのか、黒い鎧機兵が背を向けて立っていた。


「……え? 鎧機、兵?」


 サーシャは、その鎧機兵を凝視する。

 それは漆黒の巨人だった。三層の装甲を組み合わせた重厚な外装に、まるで生き物のように躍動する荒々しい尾。額から二本の角、白い髪の中から、さらにもう二本の角が天を衝くように伸びている。その角まで含めれば、全高は三セージル半に届くかも知れない。


 明らかに、この国のものではない機体だ。

 と、そこでサーシャは、強い既視感に捕らわれる。


 眼前にいる四本角の鎧機兵。これによく似た機体を最近見たような気がするのだ。

 サーシャは記憶を探り――それはあっさりと見つかった。


 闘技場で闘ったジラールの鎧機兵。――そう。あの贋作の《朱天》だ。

 角の本数や機体の色は違うが、この鎧機兵はあの偽物によく似ているのだ。


(これも偽物なの? けど、この機体、ユーリィちゃんの――《黄金の聖骸主》の攻撃を凌いだ……)


 自分が生き残っているということは、そういうことなのだ。

 災厄に等しい《聖骸主》の攻撃を凌ぐことなど、偽物に出来るはずがない。

 だとしたら、この機体は――。


「ま、まさか、本物の《朱天》……なの?」


 鎧機兵は無言のまま答えない。サーシャは渇いた喉を鳴らす。

 もしこの鎧機兵が本物の《朱天》ならば、セラ大陸に名を轟かせる、かの《七星》の一人がこの国に来ていることになる。それはまさに国賓クラスの来訪者だ。国中に響き渡る大ニュースになるだろう。――が、そんな話は聞いたことがない。


(……ううん、それ以前に、なんでこんな所にいきなり《七星》が現れるの?)


 それは当然の疑問だった。たまたま通りすがったというには、ここは「ラフィルの森」の奥地だ。まずありえない。もしもこの場に現れる鎧機兵がいるとしたら、恐らくここに向かっているであろうアッシュの鎧機兵だけだ。


 そう、あの漆黒の――……。


(――え?)


 サーシャは、大きく瞳を見開いた。

 眼前に立つ漆黒の機体。それは、アッシュの鎧機兵と同じ色で……。

 いや、そんなまさか――。


「……も、もしかして、あなたは先生なの……?」


 自分の直感を試すかのように、サーシャは眼前の機体へと呼びかける。

 すると、黒い鎧機兵は、初めてサーシャの方に視線を向け、


『……怪我はないか? サーシャ』


 はっきりと応えた。


「―――ッ!」


 その声は間違いなくアッシュのものだった。

 サーシャが聞き間違えるはずもない。


(ホ、ホントに本物の《朱天》で、せ、先生が、あの《七星》なの……?)

 

 驚愕で目を瞠るサーシャ。

 未だ信じられない思いだが、同時に納得出来る気もした。

 思い出すのは、闘技場でユーリィが見せた激情。何故ユーリィがあそこまで怒りを露わにしたのか、疑問には思っていたのだが……。


(そっか、そうだよね、先生の愛機を侮辱されたら怒るよね……)


 サーシャは、ようやくユーリィの心情を知った。

 だが、今度は何やら胸に靄のような違和感が残る。これは一体何なのだろうか?

 サーシャは眉をひそめた。何だろう……。何かがおかしい。あの闘技場でのいざこざ以前に、自分はアッシュの正体を知っていたような気がする。


 奇妙な違和感に、彼女はさらに眉根を寄せる。


(――――あ)


 その時、不意に閃いた。

 それは今日の昼のこと。クライン工房で交わした会話の内容だった。

 あの時、ユーリィは語った。――《七星》は《七厄》と呼ばれている、と。

 

 だが、それをアッシュは知らなかった。

 そしてユーリィはさらにこう続けたのだ。

 

 と。


(……そういうことだったんだ……)


 サーシャは納得する。と、その時だった。

 黒い巨人が、鋭い声でサーシャに語りかけてきたのは。

 サーシャの顔に緊張が浮かぶ。


『……サーシャ。色々告げるべきことはあるが、まずは教えてくれ』


 そして、アッシュは問う。

 どうしようもない憤怒と憎悪、何よりも悲哀を込めて。


『なんでこうなったッ! 一体ユーリィに何があったッ! 答えろ! サーシャ!!』


 初めて見るアッシュの剣幕に、サーシャは声もなく硬直する。

 だが、その剣幕は当然だった。

 家族同然だった少女の変わり果てた姿を突きつけられ、激昂しない者などいない。


 サーシャは思った。伝えなくてはいけない。ユーリィの身に何があったのかを。

 しかし、どうしても気持ちばかりが焦って、唇が上手く動いてくれない。

 もどかしさで泣きそうになるサーシャ。

 すると、そんな彼女に救いの手が差し述べられる。


 それは、問いかけた本人であるアッシュの声だった。


『……くそッ、流石にここで立ち話するには無理があるか。仕方がねえ。サーシャ、一旦この場から離脱すんぞ。俺の――《朱天》の左腕に掴まれ!』


「え、あ、はい。分かりました」


 真剣な面持ちでサーシャは《朱天》の左腕に掴まる。と、黒い巨人は荷物でも抱えるように、彼女をいきなり持ち上げた。流石に表情が強張った。


「せ、先生、その、少し怖い……」


『悪いが我慢してくれ。いいか、しっかり掴まってろ! 本気で跳ぶぞ!』


「本気って……えっ、きゃ、きゃああああああ――ッ!」


 そして、《朱天》は《雷歩》を使って爆発的な加速を得ると、サーシャの悲鳴を木霊させながら、天へと飛翔していった。

 一人残されたユーリィは、無表情にそれを眺めていたが、やがて思い出したかのように《朱天》の後を追って歩き出す。――幻想の月と、銀の星々を従えながら。



       ◆



 少しばかり木々が開けた森の中――。

 天空より飛来した巨人が、ズウゥンと音を立て大地に降り立つ。

 突如鳴り響いた轟音に、周囲の動物達が一斉に逃げ出す中、サーシャは目を瞬かせていた。着地の衝撃を覚悟していたのに、まるで振動が伝わらない事に驚いたのだ。


 左腕に伝わるべき衝撃を、《朱天》は完全に受け流したのである。

 しかし、折角無傷ですんだというのに、サーシャはその技量に感嘆の声を上げようとして、舞い上がる砂煙をうっかり吸い込み、思いっきり咳込んでしまう。


『……悪りい。砂煙ばかりは、どうしようもねえ』


「ゴ、ゴホッ、ゴホッ、い、いえ、気になさらないで、ゴホッ」


 《朱天》は咳込むサーシャを、労わるように左腕から下ろす。続けて彼女の前で、そのまま両膝を屈めた。静かな回転音と共に胸部装甲が上へと開く。アッシュは外へ出るために両足を鐙から外した。その間もサーシャは咳込んでいる。


 流石に心配になったアッシュは、視線を彼女に向け――絶句した。


「――え? おい、これは……うわぁ」


 思わず眉をひそめ呻いてしまう。……これは、何と言えばいいのか。

 ユーリィのことで内心とても平静ではいられなかったアッシュだったが、そんな彼でさえ、瞬だけでも素に戻ってしまうほど目の前の光景は滑稽で……魅惑的だった。


 ……ダメだ。幾らなんでもこれを放置して話を進めることは出来ない。


「? ゴホッ、せ、先生?」


 何やら困惑している様子のアッシュに、サーシャはただ首を傾げていた。

 すると、アッシュは深い溜息をつきながら《朱天》から降りて、すぐさまその背後へと回り込んだ。そして、そこでごそごそと何か作業らしきことをし始める。


「……先生? どうかしたんですか?」


「……少し待っててくれ。すぐ見つかるはずだから……」


 どうやらアッシュは《朱天》の工具箱の中を漁って何かを探しているらしい。しばらくして彼は工具箱から短剣とヘルム、それとコートらしき衣服を取りだした。


「サーシャ。とりあえずこいつを羽織ってくれ」


 何故か視線を合わせようとしないアッシュを怪訝に思いながらも、サーシャはその衣服らしきものを受け取る。それは上腕部に黒い鉄甲を装着した白いコートだった。

 サーシャは思いついたままの言葉を呟く。


「……まるで、騎士のサーコートみたい……」


「まるでじゃなくて一応サーコートだ。俺の前の仕事着だしな」


 サーシャは一瞬、目を見開いた。


「……え? ま、前の仕事着って……ま、まさか」


 サーシャは慌てて白いコートを裏返し、その背にあるはずのものを確認する。

 そこには想像通りの――しかし、噂でしか聞いたことのなかった紋章があった。


 盾の形をなぞる黒枠と、神槍を片手に背を向ける《夜の女神》のシルエット。そして女神の背を守るかのように、円の軌跡を描いた七つの銀色の極星。

 それは、世界でたった七人にしか背負うことが許されない最強の証――。


「し、《七星》の紋章……じゃあ、こ、これって《七星》のサーコート……」


 唖然として呟くサーシャ。

 するとアッシュはボリボリと頭をかき、


「まあな。俺のお古で悪いが、そいつを羽織ってくれ」


「えっ?」


 いきなりそんなことを指示され、サーシャは目を丸くした。


「ど、どうして私がこのコートを……?」


 と、当然の疑問を師にぶつけると、アッシュは少し呆れたような表情を見せた。


「いや、サーシャ。もしかしてお前、自分の格好に気付いてないのか?」


 そう呟き、先程から一度もサーシャの方を見ようとしない青年は深く嘆息した。


「頼むからそのコートを早く羽織ってくれ。流石に目のやり場に困る」


「え……? 目の、やり場?」


 そこに至って、ようやくサーシャは自らの惨状に気付く。

 身体に刻まれた裂傷こそすでに血も止まっていたが、彼女が身に纏うただでさえ無駄に露出が多いドレスは、たび重なる不幸の果てに見るも無残な状況になっていた。


 かつて純白だったそのドレスは至る所を切り裂かれ、もはや原型の六割も留めていなかった。その上、衣類最後の砦たる下着までもが傷ついた姿を晒している。

 もちろんそんな状態では、その下にある艶めかしい肌色を隠すことなど出来るはずもなく……。


 気付かなかったとはいえ、自分はこんな格好を晒していたのだ。

 ――それも、アッシュの目の前で。

 サーシャの顔色が、失態による青から、羞恥による赤へと移り変わる。

 そして、肺に限界まで空気をとりこんで――。


「ひやあああああああああああああああああああああああァァ―――ッ!?」

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