第七章 黄金の聖骸主

第21話 黄金の聖骸主①

 ――《最後の祈り》――


 それは《星神》が全霊を捧げる最後の力。

 命と引き換えにあらゆる願いを叶え、回避不能の悲劇さえも覆す世界最高の奇跡。

 それが《最強の鎧機兵》が欲しいという子供じみた《願い》に使用されるなど、まさに前代未聞の愚行だった。ましてやそれを《金色の星神》に行わせるなど――。


「おおッ! 治癒と聞き、まさかとは思っていたけど本当に金色だったのか! ははははははッ! 僕はなんて幸運なんだ! 百年に数人しかいない稀少種を引き当てるなんて!」


 金色の髪を輝かせるユーリィの姿に、ジラールは歓喜の声を上げる。

 無邪気に騒ぐ男に向け、金色の髪の少女は煩わしそうに告げた。


「……準備は出来た。あなたの《願い》を言って」


 ジラールは、まるで愛する者に求婚されたかのような満面の笑みを浮かべる。


「ああ! 僕の《願い》は恒力値十万ジンの《最強の鎧機兵》を手にする事だ!」 


 それは、何度も聞いた《願い》。

 何度聞いても、馬鹿馬鹿しいとしか思えない《願い》。だが、それでもユーリィはこの男の《願い》が自分の全身に満ちるのを確かに感じた。


「……分かった。あなたの《願い》は聞き届けた。――我が全霊をもって応える」


 厳かにそう告げると、ユーリィは胸の前で手を組んで瞳を閉じた。


 ……ごめんなさい。約束守れなくて。


 ただその想いだけを胸に抱き、全霊の祈りを――その命を、天に捧げる。

 そして、ユーリィの金色の光は変化した。

 星の瞬きのような淡い光が、恒星の如き眩い輝きへと。

 直視するのも困難な状態で、サーシャはせめて最後まで少女の姿を見届けようと、必死に瞼を上げ――その光景に息を呑む。


 世界が崩壊していた。

 壁も、床も、天井も何もかもが崩れて、光だけが舞っている。

 そこは、光の――星霊の楽園だった。


(これってこの館を無理やり星霊に戻してるの? でもなんでそんなことを……)


 サーシャは一瞬眉をひそめるが、すぐにユーリィの意図に気付いた。

 恐らく星霊の数が足りないのだろう。一般的に、星霊の数と恒力値は同数と言われている。例えば、恒力値・百ジンを得るためには、同じ数の星霊が必要になるのだ。


 そして、今回生み出すのは、恒力値・十万ジンの怪物。

 必要となる星霊の数は十万――ではない。


 十万ジンというのは、あくまで機体の持つ恒力値の話だ。

 実際に生み出すものは、十万ジンもの恒力を発生させる《星導石》だけではない。その莫大な出力に耐えきる、強靭な機体もまた必要なのである。

 それほどのものを作ろうとしたら、下手すれば百万近い星霊が必要になるだろう。


 しかし、そんな莫大な数を、周辺の大気にいる星霊だけで賄うのは、流石に無理がある。だからこそ、ユーリィは《願い》を叶えるのに必要な数の星霊を補うため、館を一度星霊に戻して《材料》にするつもりなのだろう。


 まさに、《最後の祈り》のみが可能とするとんでもない力技だった。

 さらに続く世界の崩壊。それは終末のように静かな世界だった。だが、その光の楽園にも遂に変化が訪れる。ある一点を中心にして光が渦巻き、収束し始めたのだ。


 そして、最初に生まれたのは――右腕だった。

 崩れていく世界の中で、宙に浮かぶ巨大な右腕を苗床に、機体がさらに構築されていく。それと同時に星霊はより活性化し、視認出来ないほど強く輝き始めた。


 かくして、金色の光が世界を白く染め上げる。





「――お、おおおッ! なんて美しい鎧機兵なんだ! これが僕の、僕だけの!!」


 光の世界が終焉を迎えた時、その場所には一機の鎧機兵が悠然と立っていた。

 黄金に輝く外装。長い鎌首の竜頭に鋭利な爪を持つ四肢。更には四セージルを超す規格外の巨躯。まるで伝説の怪物――《悪竜》を彷彿させる美しくも忌むべき機体。


 荒ぶる竜の力を宿し、今、《最強の鎧機兵》は産声を上げたのだ。

 しかし、サーシャは竜の化身とも呼べるその鎧機兵に、見向きもしなかった。

 彼女の瞳は、ただ一心にユーリィだけを見つめている。


 ――《最強の鎧機兵》は生まれた。だったら、ユーリィは……?

 すると、サーシャの瞳の中で、ユーリィの華奢な身体がぐらついた。

 サーシャは慌てて少女に駆け寄るが支える間もなくユーリィは倒れてしまった。


「ユーリィちゃん! しっかりして!」


 倒れた少女を両手で抱き上げ、サーシャは絶句する。その髪はまだ金色の輝きを放っているというのに、ユーリィはすでに息をしていない。

 サーシャは狂乱にも等しい感情の中、かろうじて理性を保った。


 ――まずは呼吸を確保しなくては!

 ユーリィを更地となった地面に寝かせ、すぐさま気道を確認する。彼女を地面に寝かせるのには抵抗があったが、館が消えたため仕方がない。


 そして、サーシャが人工呼吸を施そうとしたその時だった。

 いきなり、大地が振動したのは。


(じ、地震? 一体何が――)


 動揺したサーシャは慌てて振り向き――思わず喉を鳴らす。

 そこには、品定めをするように長い首を伸ばした黄金の竜がいたのだ。

 ゆっくりとアギトを開く竜。生物でないことは分かっていても、竜の姿をした鎧機兵のアギトに、サーシャは本能から身を硬直させる――と、


『……何だ。やっぱり死んだのか』


 アギトから吐き出されたのは獲物を前にした獣の吐息ではなく、拡声器を使用した人の――ジラールの声だった。


「ッ!! ジラール! あなたはッ!!」


 罪悪感の欠片もないその声にサーシャはかつてない怒りを――殺意さえも覚える。

 しかし、黄金竜はそんな彼女には目もくれない。

ただ、横たわるユーリィへと鎌首をもたげた。そして黄金の竜はしばし少女を凝視していたが、すぐに興味が失せたようにそっぽを向いた。


『……ふん。まだ聖骸化は始まっていないのか。この機体の初陣に《聖骸主》を仕留めるのも一興かと思っていたがやめだ。《聖骸主》には感情がないらしいからな。人形を弄んでも大して面白くないだろうし。やはり初陣は感情のある人間が一番かな』


 そこで、ジラールは名案ありと膝を打つ。


『そうだ! どうせなら、このまま国盗りをしよう! 今や僕を倒せるものなどいない。このまま三騎士団を打ち破り、現国王を殺して、僕が新しき王になるんだ!』


 そのあまりにも短絡的すぎる考えに、サーシャは唖然とした。

 しかし、ユーリィの創り上げたこの鎧機兵ならばその妄想も現実となってしまう。


(――そんなこと……させないッ!)


 サーシャは、どうにか説得しようと決死の思いでジラールの前に立ち塞がる。

 ――が、そんな覚悟も、この男の心には全く届かなかった。それどころか、もはや彼女の存在そのものが、ジラールの眼中に入らなかったのである。


「ジラール! バカな真似は――」


 サーシャの言葉は、そこであっさりと断ち切られる。

 いきなり黄金竜が天へと跳んだのだ。

 まさに力任せの大跳躍。至近距離で轟音が鳴り響き、爆風が少女の身体を叩く。

 わずかな抵抗すら出来ず、サーシャは吹き飛ばされた。まるでゴムまりのように身体が何度も地面に叩きつけられ、身に纏うドレスが花弁を散らすかのように引き裂かれていく。


 ようやく勢いが止まった時、サーシャの身体には無数の裂傷が刻まれていた。


(……くううぅ……。い、痛い……けど、そんなことより!)


「ユ、ユーリィちゃん……。ユーリィちゃん! どこ!!」


 サーシャは全身の激痛を無視してユーリィを探す。

 至近距離にいたのはユーリィも同じだ。自分よりもさらに小柄なユーリィでは、どんな被害にあっているのか分からない。今にも泣き出しそうな顔で、サーシャは子を探す母のようにユーリィの姿を求める。


 そして――見つけた。

 別の意味で変わり果てた少女の姿を。


「ユ、ユーリィちゃん……?」


 彼女は、ジラールの鎧機兵が大跳躍した跡地にいた。

 呼吸が止まっていたはずの少女が、背を向け悠然と佇んでいる。

 黄金の髪は今も輝き続けていた。サーシャはその輝きに目を奪われながらも、ユーリィの後ろ姿に強烈な違和感を抱く。――が、その原因はすぐに分かった。


 ドレスの色が変わっているのだ。

 サーシャを魅了した淡い桜色ではなく、闇夜の如き黒のドレスへと。


 しかも、それだけではない。

 ユーリィの肌は血色を失い、雪のように白く変化していた。


 黄金と、漆黒と、純白――。

 三色に彩られた少女の姿は、まるで神話の――星々を統べる《夜の女神》のようだった。


 サーシャは呼吸も忘れて、ユーリィに見惚れる。

 恐らくこのまま凝視し続けたら、きっと魂を奪われるに違いない。

 そう直感した時、彼女が――かつてユーリィだったものが、初めてサーシャの存在に気付いたかのように、こちらへ振り向いた。


「ッ!? ユーリィちゃん、その目……」


 サーシャは目を瞠る。変貌したのはドレスと肌だけではなかった。

 ユーリィの瞳もまた、変貌していたのだ。

 瞳孔は白くなり、そして、眼球は少女の瞳の色だった翡翠色。それがまるで宝石のように輝いている。――それは、まさに翡翠石の魔眼だった。


 もはや言葉もない。ユーリィの変貌は間違いなくあの現象だ。

 サーシャの顔が悲痛で歪む。


 それは、《最後の祈り》を使用した《星神》が、人類の敵として黄泉返る現象。

 それは、誰かのために死を受け入れた、哀れな《星神》の遺骸。


 其の名は――。


「――《聖骸主》――」


 その言葉に呼応するかのように、ユーリィの唇が開かれた。彼女の小さな口に尋常ではない量の空気が吸い込まれていく。反射的にサーシャは両手で耳を塞いだ。

 その直後――、ユーリィの肺から空気が解放される。


「――――――――――――――――――――――――――――――――」


 怒号ではない。悲鳴でもない。それどころか声ですらない。

 暴力にも等しい音が天地に響く。痛みさえ感じるその振動に、サーシャは耳だけなく、瞳もまたきつく閉じて、少しでも早く音が鳴りやむのを信じながら耐えた。

 食いしばった歯に痛みを感じ始めた頃、ようやく永遠に等しい時間を乗越え、暴音が空気へと融け始めた。未だ耳鳴りのする耳を抑えたまま、サーシャはうっすらと瞼を上げる。


 そして、そこで見た光景とは――。


「…………月? いつの間に月が……?」


 黄金の髪を夜風になびかせるユーリィの頭上には、巨大な月が真円を描いていた。

 《夜の女神》の如きユーリィに、月はとてもよく似合う。――よく似合うのだが、今この光景には、明らかな異常があった。

 何故ならば――。


「今夜は満月じゃない……。どうして月が真円を描いているの……?」


 呆然と月を凝視していたサーシャは、自らの疑問に、自ら答えを出す事になる。

 ユーリィの頭上に浮かぶ、明らかに縮尺がおかしいとしか思えない巨大な満月。

 その後方に小さな、――そう、小さな三日月を見つけてしまったのだ。


「……うそ……、ユーリィちゃん……。あなた、まさか月を創り出したの……」


 恐らく先程の声だろう。あれは威嚇でも、ましてや攻撃でもない。

 何のためかは分からないが、ユーリィはあの声でもう一つの月を生み出したのだ。


 あまりにも常識外れな力に、サーシャは言葉もない。

 そんな唖然とするサーシャを、ユーリィは無表情に見つめていたが、不意に右手を自ら生み出した月へとかざし始めた。頭上の満月が淡く輝き出す。


「……? ユーリィちゃん? 一体何を……?」


 怪訝な表情を浮かべたサーシャだが、すぐにその表情は驚愕へと移り変わる。

 満月が輝き始めた直後、ユーリィを中心に、亀裂が大地を走り抜け、周囲の森はギシギシと軋み始める。まるで世界全体が震えているようだ。


 だが、異常はそれだけではない。

 砕けた岩石や、折れた木々が、ゆっくりと宙空に浮かび始めたのだ。


 その光景を、蒼然と見ていたサーシャだったが、ハッと気付く。

 浮かび始めたのは、岩や木だけではなかった。

 サーシャ自身もまた、ふわりと浮かび始めていたのである。


「――ッ!」


 サーシャは咄嗟に身を屈め、たまたま足元にあった出っ張りのような岩に手を伸ばした。どうやら土の中に、鎧機兵並みの巨大な岩が埋まっているようだ。

 とにかく、その岩を必死に掴み、浮かび上がる身体を固定した――が、掴んでいるのは両手だけ。両足までは固定出来ず、身体が逆さまに浮かび上がる。


(く、まずい! もし、このまま宙に浮かんだら……)


 まるで逆さ吊りにされたような格好で、必死にサーシャは岩にしがみつく。


(う、ぐぅ……。腕がしびれて……)


 徐々に限界が近付く両腕に、焦りを覚えるサーシャだった――が、それは唐突に終わる。

 プツン、と糸が切れたように宙空から解き放たれたのだ。

 いきなり解放されたサーシャは、勢いよく胸から地面に叩きつけられた。一瞬息が詰まり、しばしの間、呼吸困難に陥る。


 が、どうにか呼吸を整え立ち上がると、再びユーリィへと視線を戻した。

 すると、またしても世界は異質な変貌を遂げていた。


 天を覆うほどの数の岩や木々が、上空にて静止していたのである。

 ユーリィは無表情のまま空を見上げると、かざしていた右手で拳を作り出す。


 ――それが、変化の始まりだった。

 宙空に静止していた岩が、木々が、吸い込まれるように圧縮され始める。

 夜空を背に、至る場所で圧縮は行われた。全身を砕くような不協和音が鳴り響き、人の拳大ほどの銀の星が次々と生み出されていく。その総数は恐らく千に近い。


 銀の星々がたゆたう夜空を見て、サーシャは悟った。

 ユーリィが月を生み出した理由を。

 あの満月は重力に干渉することが出来るのだ。その証拠に生み出された銀の星々は、重力を無視して今も宙空に留まり続けている。

 そしてその星々が何のために生み出されたのかも、サーシャは悟ってしまった。


「……ユーリィちゃん」


 悲痛の中、大切な友達だった少女の名を呟く。

 名前を呼ばれたからではないだろう。ユーリィが無言でサーシャを凝視する。

 その表情はやはり変わらない。

 しばし見つめた後、少女は指先をサーシャへと向けた。

 主の呼びかけに応えて、銀の星々の一角が、停滞から一気に加速へと変化し、何十もの銀の弾丸がサーシャに襲い掛かる。――無論、回避など不可能だった。

 サーシャは何も出来ず、ただ覚悟だけを決めて、瞳を固く閉じる。

 そして、彼女の耳に、落雷の如き爆発音が鳴り響いた。

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