幕間二 雨の日の約束

第20話 雨の日の約束

 グレイシア皇国・皇都ディノスの中心に位置するラスティアン宮殿――。


 皇国の権威の象徴であり、天へと掲げた無数の槍を彷彿させる美しき巨城。皇都に訪れたのなら、一度は見ないと損をするとまで言われるほど有名な城だ。


 そんな宮殿の七階。将官と上級騎士のみに与えられる個室の前にて。

 白い法衣を着た少女――ユーリィは、躊躇うような表情を浮かべて佇んでいた。

 

 迷うこと三分。彼女は意を決し目の前のドアをノックする。

 しかし、返事はない。


 ユーリィはしばし考え込んだ後、ドアノブを掴みドアを開いた。

 部屋の中には一人の青年がいた。

 二十歳を迎えたばかりの白髪の青年。その身体には白いサーコートを纏っている。彼はこちらに背を向け、大きな窓の外を眺めていた。

 

 窓の外では、ぽつぽつと雨が降り始めている。


「……灰色さん……」


 ユーリィの呼びかけに、彼――アッシュは振り向いた。


「……お前な。だから、灰色さんはやめろって。もうじき三年だぞ」


 いつもの軽い口調だ。顔色もいい。しかし、それでもユーリィは尋ねた。


「そんなことより……体はもう大丈夫?」


「おい待て。そんなことよりはないだろ。それが転じて、団内で俺のことを『ハイロさん』って呼ぶ奴らがいんだぞ。意味は『ハイエンドロリコン』の略だそうだ。泣くぞオイ」


 肩をすくめてそう抗議するアッシュ。明らかにわざとおどけている。ユーリィは睨むような視線で青年を見据えた。

 すると白い髪の青年は、ポリポリと頭をかいて、


「……まあ、体はもう大丈夫だよ。お前のお陰だ。ありがとな」


「…………そう」


「ああ、そうだよ。……しかし、怪我を治してもらったのは、ガキの頃以来だな」


 ユーリィの眉がピクリと上がる。ガキの頃以来。この台詞が出てくるということは、どうやら自分の推測は当たっているようだ。

 少しだけ逡巡してから、ユーリィは最も知りたいことを尋ねた。


「……ねえ、灰色さん。一つだけ教えて欲しい。三日前のあの日、あなたが戦ったあの人は――あの《黄金の聖骸主》は……」


 あなたの知り合いなの……と言う前に、青年が口を開いた。


「《黄金死姫》」


「―――え」


の通り名。皇国はそう名付けたそうだ。物騒な名前だろ? には全然似合わねえよ」


「…………灰色さん」


「……大体、お前の想像通りだよ。は俺の知り合いの成れの果て……いや」


 アッシュはわずかに視線を落とし、


「俺の幼馴染で――恋人だった」


「――――――」


 それは、ある程度予想していた返答だった。三日前、ボロボロになるまで《彼女》に挑み、そして敗れ、慟哭する彼の姿を鑑みれば当然の帰結だった。

 しかし、予想していてもなお、少女の小さな胸はちくりと痛んだ。


「……もう五年近くも前のことだ。を拉致しようと目論んだ《黒陽社》の連中に、俺の村――クライン村は襲撃された」


 白い髪の青年は語る。


「俺はその時一度――死んだんだ」


「――――――え?」


 アッシュは、自分の前髪を一房触り、


「俺の髪の色って変だろ? これは一度死んでから、生き返ったら変わってたんだ」


「……生き、返るって……それって……」


 死者の蘇生。そんな事が出来るとしたらただ一つ――《最後の祈り》しかない。

 そして、その場には《星神》が一人いたはず。


 だとしたら――。


「あなたの家族が、その、《彼女》に、あなたの蘇生を願ったの?」


 アッシュは首を横に振る。


「……違う。その時にはもうみんな死んでいる。俺の蘇生を願ったのは俺自身だ」


「…………?」


 意味が分からずユーリィが眉を寄せると、アッシュは肩をすくめて告げた。


「奴らに殺されそうになった時、俺は心底ブルっちまってな。思わず口走ったんだよ」


 すうっと目を細め、


「『イヤだ。死にたくない』ってな」


「……………」


「それをが聞き届けちまって、今に至るってことだ」


 ……ユーリィは、何も言えなかった。


「馬鹿だよな。俺なんかのために、あんな姿になって、今も人を殺して……」


「……だから、《彼女》を止めるの? たとえ殺してでも……」


 ユーリィの問いに、アッシュは皮肉気に笑った。


「せめてそれぐらいはな。もう、してやれることなんて何もないから……」


 再び、窓の外を見つめるアッシュ。雨は大分きつくなっていた。

 そんな景色を、青年は無表情に眺めながら、


「……なあ、ユーリィ」


「……なに?」


「……お前は大丈夫だよな? お前まで《最後の祈り》を使ったりしねえよな?」


 それは、出会ってから初めて聞く、あまりにも弱々しい声だった。

 その声を聞いた時、ユーリィは悟った。

 何故彼が自分を引き取ったのか。その理由を。

 正直ショックだった。要するに、自分が《彼女》と同じだったから――。

 

 しかし、ユーリィはかぶりを振った。

 そんなショックも些細なことだ。些細なことにしか思えなかった。

 同時に生まれたこの想いに比べれば。


「―――……」


 ユーリィは無言のまま歩を進め、アッシュの右隣に立つ。

 そして青年のコートの裾を、キュッと握りしめて、


「大丈夫。私は《最後の祈り》なんて使わない。約束する。だから安心して、アッシュ」


 と、初めて彼の名を呼ぶのだった。



 以降、彼女はアッシュを名で呼ぶようになる。

 ずっと傍にいることを心に誓って。

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