第五章 黒い太陽
第13話 黒い太陽①
――くそくそくそくそくそくそッ!
苛立ちながらジラールは、闘技場の受付へと早足で歩を進めていた。
大きな怪我はないが、首が少し痛い。
もしかしたらムチ打ちになっているかもしれない。
時々通路ですれ違う連中が、自分を見てクスクス笑うのも癇に障る。
(――くそッ! 全部あの出来損ないの機体のせいだッ!)
そんな荒ぶる感情を剥き出しにしたまま、ジラールは受付に辿り着く。
「……お客様? どうかなさいましたか?」
いきなり不機嫌顔で現れた少年を怪訝に思いながらも、受付嬢はそう尋ねた。
すると、ジラールは、
「おい。ここには通話機があっただろ。その壁に設置しているやつだ。それを貸せ」
と、単刀直入に用件を告げてくる。受付嬢は困った表情を浮かべて、
「お客様。大変申し訳ありませんが、これは緊急時用ですので一般の方にお貸しする訳には――」
「うるさいな! そんなのどうでもいいんだよ!」
受付嬢の台詞を遮り、ジラールは懐に手を入れた。
「ほら。これでいいんだろ」
そう言って取り出したのは小さな革袋。トスン、と受付机の上に置かれたそれが財布であると察した受付嬢は、やや不快そうに眉根を寄せた。
「……お客様。金銭の問題ではありません。これは規則ですので」
と、毅然とした態度を示す受付嬢だったが、ジラールはそれを鼻で笑った。
「それを曲げろと言っているんだよ。この中にはビラル金貨が二十枚入っている」
受付嬢は目を瞠った。ビラル金貨二十枚。それだけあれば三ヶ月は遊んで暮らせる。鎧機兵一機が購入出来る金額だ。流石に驚いて受付嬢が硬直していると、彼女が了承したと勝手に判断したのか、ジラールはずかずかと受付内に入ってきた。
「お、お客様! 困ります! こんなことをされては――」
「ああっ、さっきからうるさいな! もう黙ってろよ! 裏から手をまわしてお前をクビにすることだって出来るんだぞ!」
身も蓋もない恫喝の前に再び硬直する受付嬢。
その隙にジラールは受話器を手に取った。
この通話機というものは最近普及され始めた通信機械で、相手先に設定してある番号を押すことで遠く離れていても会話出来るという優れものだった。
ジラールはメモを取り出し、ジラール家が所有する工場の番号を押す。
ジリリリリリリッ――
しばし鳴り響く呼び出し音。そして、
「お、やっと出たか。僕だ。……挨拶はいい。工場長、今すぐあいつらに闘技場へ来るよう伝えてくれ。……誰かって? あいつらはあいつらだよ。確か今日は工場に来ているはずだろ。……ああ、そうだよ。あの真っ黒い太陽みたいな社章を掲げた連中のことだよ」
◆
――闘技場一階、選手控室。
各選手に割り当てられたその個室で、サーシャはベンチに座り一息ついていた。
今はブレストプレートも外して一人考え込むように、両手で掴んだ銀色のヘルムをじいっと見つめている。
サーシャは瞳を閉じて先程の戦闘を振り返った。
それは、彼女にとっての初勝利だった。この三ヶ月の訓練、そして《ホルン》の大改良。この二つが合わさることで、もぎ取ることが出来た大金星だった。
湧き上がる歓喜に、サーシャの口元が自然と綻んでくる。
(ああ! ああ!! 全部先生のおかげです。本当にあの人に出会えて良かった……)
彼女は愛用のヘルムを豊満な胸で抱きしめて、そのまま妄想に突入する。
(うふ。うふふ。これからも先生……アッシュと、ずっとずっーと一緒にいて、いつか一人前と認めてもらって、そこから! いよいよ! 本格的な交際を――)
サーシャの妄想はどんどん加速する。このまま続けたら、きっと日が暮れるまで浸っていただろう。だから、部外者の乱入は幸運だったのかもしれない。
ガチャリとドアが開く。
(うふふ。子供は二人がいいかな? あっ! そうだ! ユーリィちゃんは私達の妹として正式に迎えて……ん? そしたら、小姑さんになるのかな?)
「……ットさん。メットさん! 聞こえてる?」
「ひやあ!! 小姑さん!!」
「……誰が小姑さん……」
どすの利いたユーリィの呟きに、思わずサーシャはヘルムをゴトンと床に落として顔を引きつらせた。
「ユ、ユーリィちゃん……。い、いつ来たのかな?」
「……メットさんが、ヘルムを抱きしめていたあたりから……」
「ひ、ひやあああああ――」
喚声を上げるサーシャをジト目で睨みつけ、ユーリィは誰にも聞きとれないような小さな声で呟く。
「……やっぱり、メットさんは侮れない。それに油断も出来ない……」
ユーリィの警戒レベルが密かに上がったことなど知る由もなく、サーシャは真っ赤に染まった頬を両手で押さえ、ふるふるとかぶりを振っていた。ただただ自分の呟きが想い人本人に聞かれていないかだけが気になり、慌てて辺りを見渡して――。
「あ、あれ? 先生は? 一緒じゃないの?」
そこで初めてアッシュがいないことに気付いた。
「うん。アッシュは今、全会場を巻き込んだ壮大な鬼ごっこで忙しい」
「……えっと、意味が分からないんだけど」
ユーリィは遠い目をして、
「大丈夫。あの人はこの試練をも乗り越え、必ず私の元に帰ってくる」
「……えっと、ますます意味が分からないんだけど」
困惑するサーシャを、ユーリィはじいっと見つめる。
「……? ユーリィちゃん?」
少女の様子に、サーシャは首を傾げる。ユーリィはしばし視線を泳がしていたが、意を決するように頷くと、サーシャの手をとり、
「……勝利、おめでとう。そして、私の我儘を聞いてくれてありがとう」
小さな声で祝福と感謝の言葉を伝えた。
最初は少し驚いていたサーシャだったが、やがて優しげに笑うと、ユーリィの手をしっかりと握り返して、
「ううん。こっちこそありがとうだよ。ユーリィちゃんがいたから、私はこの場所に立った。ユーリィちゃんがいなければ、きっとあの男の鎧機兵に怯えて、私は闘おうともしなかったと思う。ホントにありがとう」
「……そんなことない。闘おうと考えない人を、アッシュは弟子にしたりしない」
ユーリィの頬が朱に染まる。
まさか、お礼を返されるとは思っていなかったのだ。
「そうかな?」
「そう。愛弟子と呼んでいた」
「ま、愛弟子! す、すなわち、『愛する』弟子と!」
「………前言撤回。愛弟子は私の聞き間違い。本当は、えっと、『俺のまだ弟子』?」
「『まだ弟子』!? まだって何!? なんで私、破門寸前になってるの!?」
いきなり知らされた理不尽な状況に悲鳴を上げるサーシャと、頬に手を当て小首を傾げるユーリィ。少女達は互いの顔を見合すと、クスクスと笑いだした。
「メットさん。早く行こ。アッシュが待っている」
「うん。そうだね!」
ユーリィとサーシャは二人並んで、煉瓦で作られた闘技場の通路を歩いていた。
両脇に一定間隔で部屋がある一本道。その赤茶色の廊下は意外なほど静かで、二人の足音だけがコツコツと響く。サーシャはふと疑問を抱く。
どうも静かすぎる。何故か先程からずっと人とすれ違わない。
普通なら係員が一人か二人はいるはずなのに。
サーシャは小首を傾げて、ユーリィに訊いてみた。
「ねえ、ユーリィちゃん。全然人がいないね。どうして誰もいないんだろ?」
「きっと、鬼ごっこがいよいよクライマックスを迎えて、みんなそっちへ行っているのだと思う。……あの人の闘いも終焉が近い……」
「……えっと、先生は本気で何に巻き込まれてるのかな?」
と、そんな談笑を交わしながら、二人は廊下を歩き続けた。
元々年齢が近いこともあり会話はとてもはずむ。
思いがけない楽しい時を過ごし、少女達の顔にも笑みが浮かんだ――が、幸せな時間はそう長くは続かなかった。
それは二人がある部屋の前を通り過ぎた時、
「――ふざけるな!」
突如鳴り響く怒号。少女達は目を合わせる。
今の声には聞き覚えがあった。異常を察した二人は部屋の前へと戻る。
そこは選手控室の一つだった。木製のドアにはネームプレートもかけられている。
その予想通りの名に、彼女達は険しい表情を浮かべた。
「この部屋って……ジラールの……」
「うん。贋作の持ち主の部屋」
喧騒は部屋の中から聞こえてくる。二人は顔を見合わせると、お互いに頷く。
サーシャは、部屋の中の人間に気付かれないようにドアを少しだけ開いた。
そしてサーシャは立ったまま、ユーリィは少し腰を屈め、その隙間から部屋の中の様子を窺う。
部屋の中には三人の男がいた。
一人は予想通りの男――ジラール。それと見知らぬ黒服の男が二人。
共に黒い丸眼鏡をかけ、同じデザインの黒服を着込んだ二人だ。各自の特徴を挙げるなら、一人は黒い帽子を深くかぶり、もう一人は剃髪だということか。
ともあれ、三人は揉めているようで先程からジラールが金切り声で叫んでいる。
「どういうつもりだ! あんなガラクタ作りやがって! なんで恒力値が半分しかない鎧機兵に負けるんだよ!」
帽子の黒服が、ふうと溜息まじりに口を開く。
「……アンディ君。わざわざ通話機まで使って呼び出すので、一体何事かと思えば……。そんな泣きごとを聞かせるためだったのですか?」
「ぐ、う、うるさい! だが、あの機体が最強と言ったのは、お前達だろうが!」
今度は剃髪の黒服が、傲然と言い放つ。
「ふん。あの機体は不愉快な改造こそされていたが、この国の中では間違いなく最強クラスの機体だぞ。まあ、そうだなぁ、鎧機兵が最強でも負ける時はあるものだぞ。例えば……ふふっ、操者の腕の差が、どうしようもなく開いていた場合とかなぁ」
「き、貴様! 僕の腕がサーシャに劣るというのか!」
「くくくっ……俺は一例を言ったまでだよ。気分を害したのなら謝罪するが?」
と、誠意が欠片もない声で告げる剃髪の男。ジラールが忌わしげに歯軋りする。
その様子に帽子の黒服はやれやれとかぶりを振り、少年の怒りを制するように右手を突きだした。これ以上は時間の無駄だ。そろそろ話を進めるべきだろう。
「アンディ君。我が社と君の父上、ゴードン=ジラール氏の間で交わした技術提携の条件は当然知っていますよね?」
「……お前達が製造技術を提供する代わりに、うちは工場を貸し出す……」
それが分かっているのなら、と嘆息する帽子の黒服。
「あのですね、アンディ君。すでに製造した全機は、本社のある皇国に輸出する段階にまで来ているんですよ。ですから――」
と、そこで剃髪の黒服が割って入ってきた。
「そもそも俺達には作った機体をこの国で見せびらかす気はないんだよ。だから、お前のおもちゃが壊されたのはむしろ喜ばしいことだ。ガキのお遊びもここまでだな」
歯に衣も着せない相棒に、帽子の黒服は脱力するように肩を落とした。
「ガ、ガキのお遊び、だと……」
ジラールが柳眉を吊り上げて、剃髪の黒服を睨みつける。
だが、男はフンと鼻で笑うだけだった。
険悪な雰囲気の二人に、残された帽子の黒服が深い溜息をつく。
「……スコット、アンディ君を挑発するのは、それぐらいにして下さい」
「……だがな、エリックよ。こいつには、この際はっきりと言うべきだぞ」
「アンディ君の気持ちも察してあげて下さい。別に彼は無為に闘技場で暴れていた訳ではありません。公の場でジラール家の技術力をアピールしていたのですよ。入手した高い技術力を誇示し、今後この国で優位に立つために。彼はジラール家の嫡男として将来を見越した行動をとっていたんです。――ねえ、そうですよね、アンディ君」
恐ろしく好意的な見解だった。
もちろん、この場を収めるためのおべっかである。
「――え? あッ、ああ、そうだ。その通りだ! 技術の高さを誇示するには、闘技場でアピールするのが一番なんだよ!」
正論ではあるが、明らかに乗せられたジラールの回答。
それに対し、帽子の黒服――エリックはにこにこと笑みを浮かべ、剃髪の黒服――スコットは不機嫌そうな顔でそっぽを向く。
そんな三人の様子を、サーシャとユーリィはドアの隙間から覗いていた。
少女達は互いの顔を見て、小声で会話をする。
「(どうやら、ジラール家のお家事情みたいだね……)」
「(……メットさん、どうするの? もう少し聞いてみる?)」
「(う~ん。どうしよう。立ち聞きしていいような内容じゃないみたいだし……)」
しかし、戸惑うサーシャ達を置いて、ジラール達の会話はどんどん続く。
「ところで前々から思っていたんだが、そもそもお前達は何故この国で商売しないんだ? あれだけの技術力なら、この国の市場を独占することも可能だろうに」
純朴ともいえる表情で、ジラールは二人の黒服に尋ねる。
それに対し、エリックは困ったような顔をして、
「あ、いえ、まあ、我々が欲しいのは、あくまで製造ルートですので……」
と、あえて濁した言葉を、未だ不機嫌であったスコットが鼻を鳴らして継いだ。
「あのな。こんな田舎の小さな市場を独占して何になるんだ。我らが《黒き太陽の御旗》は、そんなに軽くはないんだよ」
(――――――え)
ユーリィは、不意に凍りついた。
今、何と言った……? どうして今ここでその名を聞くッ……!?
まるで想定していなかった事態に、みるみる血の気が引いていくのを感じた。
「(え? ユ、ユーリィちゃん! どうしたの! 顔色が真っ青よ!)」
そんなユーリィを心配して、サーシャが慌てて声をかけてくる。
しかし、当のユーリィは自らの両肩を抱きしめて小さく震えるだけだ。
「(……う、うそ……《黒き太陽の御旗》……それにさっき、確かに皇国って……だとしたら、あの二人は黒陽の――ッ!!)」
「(ユ、ユーリィちゃん! しっかりして! あの人達のこと知ってるの!?)」
「(あ、あの二人は、あの人達は私達の国の――)」
と、その時、
「――ッ! 誰だ!」
いきなり開かれたドアに、少女達は身動き一つ取れず硬直する。どうやら動揺しすぎたため、知らず知らずの内に声が大きくなり気付かれたらしい。
「……サーシャ嬢? それに闘技場前で会った小娘か」
「……お知り合いですか?」
「僕の宿敵だ」
「――ああ、今日の対戦相手ということか」
スコットがポンと手を打った。意外と大きかったその音に、サーシャはビクッと震えて、反射的に腰の短剣へと手をのばす。
そんな少女の態度に、エリックは眉をひそめて、
「ふむ、どうやらお嬢さん方は立ち聞きされていたようですね。しかし……」
そこで言葉を切る。その先はスコットが侮蔑するような口調で続けた。
「おいおい。盗み聞きをした挙句、見つかったら剣に手をかけるのか。それがこの国の騎士の礼儀か? まるで犯罪者だな」
「あ、あう……」
サーシャは身を小さくして、剣から手を離した。
あからさまに怪しい眼前の男に言われるのはしゃくだが、確かにその通りだ。
たまたま聞こえた怒鳴り声が気になって覗き込んだが、その内容はジラール家の問題。彼女達には全く関係のない話だ。剣に手をかけたのは条件反射だとしても、盗み聞きについては、犯罪者と言われても反論が出来ない。
「あ、あうぅ、ど、どうしようユーリィちゃん、謝った方がいいかな?」
思わず年下の女の子にすがりつくサーシャ。
しかし、ユーリィからの返答はない。
サーシャは、隣の少女へと視線を向け――訝しげに眉をひそめた。
何故かユーリィは怒っていた。
眉を吊り上げて、二人の黒服をきつく睨みつけている。
敵意を隠そうともしない空色の髪の少女に、その場にいる全員が困惑していた。
そんな中、少女はまるで怒気を吐き出すように、黒服達へ告げる。
「誰が犯罪者なの。私達はお前達とは違う。お前達に言われたくない」
ユーリィの突き刺すようなその言葉に、
「……どういう意味です? その言い方では私達が犯罪者のように聞こえますよ」
エリックが片眉を上げて、やや語気を強くした口調で問い質した。
するとユーリィは、感情を押し殺した声で淡々と返す。
「……犯罪者でしょう。それとも《黒陽社》は業務内容を変えたの?」
「「―――ッ!」」
二人の黒服がわずかに目を瞠った。
そして一瞬の沈黙の後、エリックがおもむろに口を開く。
「……何故、我々が《黒陽社》だと知っているのです?」
その問いに、ユーリィは侮蔑の視線を向けて答える。
「お前達は無駄に自己主張が激しすぎる。いくら皇国の外だと言っても、《黒き太陽の御旗》の名を出せば、皇国出身者なら誰でも気付く」
「……ああ、なるほど。あなたは皇国出身者という訳ですか」
静かに睨み合う少女と黒服の男達。
その張り詰めるような空気の前に、サーシャ、それとジラールは困惑を隠せなかった。
サーシャは、恐る恐るユーリィに尋ねてみる。
「あの、ユーリィちゃん……。その……《黒陽社》って一体何なの?」
ユーリィはサーシャの方へ振り向くと、わずかに目を伏せて話し始めた。
「……《黒陽社》。それは、かの裏切りの聖者である《黒陽》を信奉する狂信者の集団のこと」
サーシャが大きく目を瞠る。ジラールはポカンと口を開けていた。
黒服達が軽く肩をすくめる中、少女はさらに言葉を続ける。
「《黒陽》を讃える《黒き太陽の御旗》を掲げて、欲望こそが人の真理と謳う狂人達……。その上、こいつらは皇国内において最大クラスの犯罪組織でもあるの。多種多様な犯罪を行うこいつらだけど、その中でも最も有名なものが……」
ユーリィは一度息を吐いてから、忌わしげに告げた。
「《星神》を拉致して商品にすること。要するにこいつらは《神隠し》の集団なの」
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