第14話 黒い太陽②

 シンシン、と雪が降り積もっていた。

 ――そこは山間の村。吐く息も白く染まる雪景色に包まれた農村だ。

 小さな村なので宿屋はなく、民家の二階の一室を借りて彼らは暖を取っていた。


「……ねえ、灰色さん。教えて欲しいことがある」


 と、不意にそんな質問をされた。

 椅子に座って窓の景色を眺めていたアッシュは、声の主へと視線を向ける。


 そこには、二つあるベッドの一つにポスンと座る幼い少女――ユーリィがいた。

 温泉から上がったばかりの彼女の髪はまだ少し濡れている。


 アッシュはやれやれと呟き立ち上がると、住人から借りたタオルを手に取り、


「ったく。また風邪ひくぞ。で、何をだ? いや、つうかその前に、そろそろ『灰色さん』はやめろよ。一緒に旅してもうじき一年だぞ」


 ごしごし、と少女の髪を拭いてやりながら嘆息する。

 「灰色さん」というのは、ユーリィがアッシュを呼ぶ時の名だ。白と黒が混じった髪の色から名付けたようだが、何度やめろと言っても聞いてくれない。

 実は「アッシュ=クライン」という名が本名ではないと知っているのではないかと疑いたくなるほどだ。


「……んっ……んんっ……気が向いたら呼ぶ。それよりも教えて」


 挙句、そんなおざなりなことを言う。


「……はあ。で、何が知りたいんだ?」


 ごしごしごし。少女の頭をさらに強くこすりながらアッシュは促すと、


「……あのね、もしかしてここには《神隠し》がいるの?」


 タオルの下から顔をのぞかせたユーリィが、上目遣いで質問を口にした。

 ああ、なるほど、とアッシュは思った。どうやら先程までこの家に訪れていた自警団の青年との会話を立ち聞きしたらしい。


「……灰色さんも、男の人も怖い顔していた。黒ずくめの奴らがどうとか……」


「…………」


 アッシュは手を止め沈黙した。そして少し考える。ここは話すべきだろうか。あまりこの子に怖い話はしたくないのだが……。さらに熟考し、アッシュは決めた。


 話しておこう。

 ユーリィは家族だ。あまり秘密ばかり作るのもよくない。


「……えっとな。さっき一階に来てたのは、この村の自警団の人間なんだよ。黒ずくめの奴らについて何か知らないかって訊かれていたんだ」

 

 そして真剣な声音で告げる。


「どうやら、最近この近くで《黒陽社》と思しき奴らが出没しているらしい」


 ユーリィが大きく目を瞠る。聞き覚えのある組織の名だ。


「……それって……」


「流石に知っているか。そうだよ。皇国で最も有名な《神隠し》の大本家様だ」


 と、忌々しげに吐き捨てるアッシュ。その顔は苛立ちで歪んでいた。

 ユーリィは少し考え込むように沈黙した後、」


「…………灰色さん。教えて欲しい」


「うおおい、また灰色さんかよ。お前はいつになったら気が向くんだ?」


「……《神隠し》って食べていけるの?」


「スルーかよ……って、それ、どういう意味だよ?」


 食べていける? 何とも奇妙な質問だった。


「《星神》の数は少ない。多分、ステラクラウン全部を合わせても一万人に届かない。……とても《商売》が成り立つ人数とは思えない」


「ああ、そういう意味か。確かにそうだよ。実際、《黒陽社》の主な収入源は戦争――まあ、要するに死の商人だ。他にも違法薬の製造や、暗殺・誘拐も請け負っているらしいけどな」


「……じゃあ、《神隠し》だったのはもう形骸化しているの?」


 ユーリィの問いに、アッシュはわずかに目を伏せてかぶりを振る。


「……いや。形骸化じゃない。象徴化したんだよ」


「象徴化?」


 首を傾げる少女に、アッシュはどこか淡々とした声で、彼の知る実状を語る。


「まあ、組織としてのステータスだな。奴らにとって《星神》は《商品》というより《特別な贈呈物》に近い。新規の客や、お近付きになりたい相手へのな。稀少な《星神》を売ることで同志意識や共犯意識を高めんだよ」


「……嫌な話」


「……そうだな。嫌な話だ。奴らにとって《星神》は極上の宝石と変わらない。事実、《星神》は《最後の祈り》を抜きにしても利益になるし、何より《星神》ってゾクッとするほどの美形ばっかだかんな。最高級の奴隷って扱いなんだよ。だから《黒陽社》に限らず、すべての《神隠し》どもは、今でも手段を選ばず《星神》を拉致しようと考えている」


「……本当に嫌な話」


 そう呟くとユーリィは俯き、黙り込んでしまった。

 やはり落ち込ませてしまったか。

 アッシュは苦笑した後、タオルを少女の首にかけ、


「大丈夫だ」


 ポン、と彼女の頭に手を置いた。

 そして驚くユーリィに構わず、くしゃくしゃと頭を撫で続け、


「大丈夫さ。お前は何も不安に思う必要はねえ。お前が怖いと思うもんは全部俺がぶちのめしてやる。《神隠し》も、盗族や魔獣でもな。あ、お化けもか」


「……別にお化けは怖くない」


 ニカッと笑う少年に、不機嫌そうにそっぽを向く少女。 

 なんだかんだで仲の良い二人であった。



       ◆



 部屋は、静寂に支配されていた。

 黒服達からは表情が消え、ジラールは大口を開けて絶句している。


「ジラール……。あなた……」


 その静寂を最初に破ったのは、サーシャの震える声だった。


「ち、違う! 僕も知らなかった! か、《神隠し》なんて、この国じゃ都市伝説みたいなものじゃないか!」


「……はは、都市伝説ですか。そう言われると、案外寂しいものですね」


 と、エリックは皮肉げな笑みを浮かべた。

 すると、そんな男に対し、無表情のユーリィがぼそりと問う。


「……一つ教えて欲しい」


「おや? 何でしょうか。お嬢さん」


「……お前達は、こんな皇国から離れた場所で一体何をしているの?」


 少女の問いに、エリックは少し迷った後、


「……まあ、言っても問題ないですかね。我々の目的は、この地で鎧機兵の製造ルートを確立することです。もっと簡単に言えば工場を拝借するってことですね」


「……何故そんな面倒なことを? 《黒陽社》なら自前の工場ぐらい持っているでしょう?」


「いや、工房はともかく、工場の方は持ってないんですよ私達」


 その台詞に、ユーリィはわずかに驚いた。


「工場というのは、とにかく目立つものだ。作業人員、運用資金、必要な恒力。どれをとっても莫大だ。それだけ目立つと格好の的になってしまう。俗に言う正義の味方のな」


 と、スコットが横から口をはさむ。


「工場を潰されるのは本当に洒落になりませんし。と言うことで、量産機に関しては海外の工場を利用するのが、我々の方針になっているんですよ」


 お分かり頂けましたか、と言葉を締めるエリック。

 ユーリィは、苦々しく口元を歪めた。

 よりにもよってこの国でしなくてもいいのに、と思わず愚痴が漏れそうになる。

 そんな苛立ちを込めて、ユーリィはエリック達を睨みつけた。

 しかし、その程度の敵視など黒服達は歯牙にもかけず、


(まさか、こんなところで我々の素姓が露見するとは、ちょっと想定外でしたね)


 エリックはスコットへ視線を向け、唇の動きだけで意思の疎通を行う。


(確かにな。だがどうする? この二人、いや三人はここで《処分》しておくか?)


(そうですね。任務もまだ途中ですし……。ここはゴードン氏に泣いて頂いて、アンディ君には、お嬢さん方と一緒に、行方不明にでもなってもらいましょうか)


 頷き合う黒服達。結論を下した二人は無言で間合いを詰めてくる。

 狙うはサーシャ達、そして、ジラールだ。

 雰囲気が明らかに変貌した黒服達に、サーシャは凍えるほどの戦慄を感じた。


(ま、まずい! この人達、本当に危険だ――)


 サーシャは、腰の短剣をすぐさま抜刀すると《ホルン》の召喚を決意した。

 屋内だからなど関係ない。鎧機兵を呼ばないと殺される。彼女の直感は最大級の警鐘を鳴らしていた。

 

 ……しかし、結局、サーシャに《ホルン》を召喚することは出来なかった。

 全く意識していなかった第三者の手によって、短剣を横から奪われたからである。


「ジ、ジラール! 何をするの!」


 奪いとった短剣を片手に、ジラールは笑みを浮かべて黒服達に話かける。

 それはもう、とても親しげな声で。


「ふん。《神隠し》か。都市伝説かと思っていたけど、まさか実在していたとはね。だが、そんなこと、僕には何も関係ないことだろ?」


「あ、あなた、何を言ってるの!」


「僕には関係ないと言っているんだよ。むしろ《商品》が今ここにあるのなら、僕が購入したいぐらいだよ」


「あなた正気なの!!」


 二人のやりとりに黒服達は一瞬呆気にとられていたが、すぐに状況を察すると、


「ふふ、ふはははははッ! おいおい、こんな展開になるか普通!」


「ははっ、いや、まさかこんな形で新しい顧客が増えるとは。まったくの驚きです」


 実に楽しそうに笑う黒服達。そして、エリックが告げる。


「ふふ、アンディ君。いいでしょう。今からあなたは我々のお客様です。我々はあなたを傷つけるような真似は決して致しません。……ですが」


 視線をサーシャ達に向け、


「彼女達は余計な事を知ってしまいました。残念ですが見逃す訳にはいきませんよ」


「……ふん。分かっているさ。あぁくそ! もったないなぁ、欲しかったのに!!」


 突如、絶叫を上げるジラール。その場にいる全員がギョッとした。

 そんな注目の中、赤毛の少年は癇癪を起した子供のように地団駄を踏む。そして満足いくまで足踏みを繰り返した後、ジラールはサーシャを一瞥して呟くのだった。


「……ま、仕方がないか。また新しいのを探せばいいし」


 サーシャは呼吸も忘れて凍りつく。

 気付いてしまったのだ。

 この赤毛の男が、自分のことを本当はどう思っていたのかを。


  好意などとんでもない。この男は恐らく自分のことを――。


(……人間として見ていない。この男にとって、私はおもちゃと同じなんだ……)


 欲しいおもちゃだったから執着した。

 対等の人間と思っていないから、手に入れるのに手段を選ばなかった。

 そして、おもちゃだからこそ――捨てるのに躊躇いがない。


(こ、怖い、怖い怖い、気持ち悪い……一体何なのこいつは……)


 まるで理解出来ない未知の恐怖。それはサーシャの生存本能を強く刺激した。


 本能が告げる。今は命の危機である、と。

 ゆえに最も大切なものを守れ、と。


(……そ、うだ……、守らないと、私の、私の一番大切なものを……)


 そしてサーシャの指先が、彼女の最も大切なものに触れて――。

 ジラールが訝しげに眉をひそめた。


 ……今の仕草は何だ?


「一ついいかなサーシャ。どうして君は?」


 その言葉に、サーシャはまるで雷にでも打たれたかのように全身を震わせ、より強くヘルムを押さえる。

 まるで己が身よりもヘルムの方が大切だと言わんばかりに。


「……そう言えば、君がヘルム――いや、その下の頭巾をとった姿を、僕はこれまで一度も見たことがなかったな……」


 ジラールが獣のように双眸を鋭くする。


「ふん! 面白いじゃないか! そのヘルムの中、ぜひとも見せてもらおうか!」


 そう宣言し、ジラールは短剣を投げ捨て、サーシャに猛然と襲い掛かった。


「や、やだ、やだああああああ! こ、こないでよッ!」


 悲鳴を上げながら、サーシャは必死に抵抗した。ヘルムを狙い損ねたジラールの爪が右頬にかすり、鈍い痛みが走ったが構っている余裕さえない。


「メットさんに何するの!」


 急な展開にただ呆然としていたユーリィが、慌ててサーシャに加勢する。

 しかし、サーシャよりさらに小柄なユーリィに、ジラールを止めることなど出来るはずもなく、ユーリィは片手で払いのけられてしまった。


「ユーリィちゃん!」


 吹き飛ばされたユーリィはベンチにぶつかり転倒してしまう。

 その姿に、サーシャは自分の危機さえ忘れて絶叫する。――だが、それが致命的な隙を作り出してしまった。


「ははッ、隙だらけだぞ! サーシャ!」


 サーシャの瞳が絶望で見開かれる。這いよるように延びたジラールの指先が、とうとうヘルムに触れ、その下の頭巾ごと力ずくでもぎ取ったのだ。


「……おや、これは……」「……ほう。珍しいな」


 黒服達の感嘆の呟き。しかし、それもジラールには聞こえない。ただ目を剥いてサーシャを、その髪を凝視していた。


 我知らず彼の手からヘルムがゴトンと落ちる。

 露わになったサーシャの髪は、毛先を綺麗に揃えたストレートヘアだった。

 肩にかかる程度まで伸ばしたその髪は、触れば零れてしまいような見事な髪質だったが、ジラールの視線を釘づけにしたのはそれではない。


「……はは、ははははっ! なるほど、隠したがる訳だ! 特に彼らの前ではな! まさか、まさか君がそうだったとは!!」


 ジラールの瞳に映るのは『色』だ。

 彼女の髪は見惚れるほど美しい銀色だった。


 ――そう。サーシャの髪は《星神》の証である銀の色だったのだ。

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