第四章 その名は流れ星

第10話 その名は流れ星①

 乗合馬車の停留場から徒歩五分。

 市街区の北に位置する『スザン大広場』に着くなりアッシュは感嘆の声を上げた。


「おおー……こりゃあすげえなぁ」


「……うん。本当に凄い」


 ユーリィも圧倒された表情で相槌を打つ。

 この大広場は王城区との境目辺りにあるので、周囲の景観には石造と木造の家屋が入り混じっている。そんな立地条件のためか、ここはまさに混沌とした場所だった。


 周りにいるのは人人人――と、老若男女、人ばかり。

 子供の手を引く親子連れ。興奮気味な幼い少年達。サーシャと同じ制服を着た少年少女のグループ。出場選手のものだろうか、立ち並ぶ鎧機兵の姿もある。


 そしてその混雑の奥に見えるのが、左右に開かれた巨大な門。

 垂れ幕や色彩豊かな旗、空にはバルーンなどで着飾っているが、まるで城砦を彷彿させる重厚な建築物だ。

 今回のお目当てである王立闘技場である。


「おおー……中々凝ってんだな~」


 威圧感を放ちつつ華美という煉瓦造りの建築物に、アッシュは再び感嘆の声を上げた。初めてお目にかかったが、闘技場とはこんなにも迫力があるものなのか。


 まじまじと眺めていると、ドンと背を押された。「おっと、すまん」と後ろから声がする。混雑さから誰かと当たったようだ。周りを見ると闘技場へと人が徐々に移動していた。


「やれやれ、これだと見物も一苦労だな」


「……見物以前に、人に酔いそう」


「もう少し頑張ってね、ユーリィちゃん。あっちが観客用の入口で……先生?」


「ん? ああ、あっちからいい匂いがしてな」


 アッシュの視線は広場を囲うように連ねる露天商に向けられていた。

 さっきから何やら香ばしい匂いが鼻孔をくすぐっている。

 干した肉や魚を売る露天商なら知っているが、その場で調理する出店は初めて見る。好奇心が刺激された。

 アッシュは一度、懐にある財布の重さを確認し、


「……おし。ちょっと何か買ってくるよ。先に入って待っててくれ」


「え? あ、先生! こんな人だかりで別れたら――って、行っちゃった」


「アッシュは時々子供みたいになる。気にしないで行こ」


「え、ちょ、ちょっと、ダメだよ! ユーリィちゃん!」


 サーシャは、トコトコと歩く少女の手を掴み、


「先生を探すか、待っておかないとはぐれるよ!」


 しかし、ユーリィは首を横に振る。


「心配ない。アッシュなら私がどこにいても見つけられる」


「み、見つけられるって、どうして?」


 ユーリィは一瞬だけ微笑む。――ふふんっ。それを訊くか。

 そして小さな胸を張り、得意げに答えた。


「愛の力」


「あ、愛って……」


「愛は不可能を可能にするの。それより早く行こ。三人分の席をとらないと」


「ちょ、ちょっと待って! 愛って何!?」


 こればっかりは聞き捨てならない。

 ただでさえ年月や同居のハンデを感じているのだ。

 サーシャはユーリィの台詞を問い質そうとした――その時、


「おお!《朱天》だ!」「闘神、《朱天》が今日も来たぞ!」「うおおおおおおッ!」


 突然、後方から大歓声が上がった。


(……《朱天》?) 


 聞き覚えのある名前に、ユーリィが怪訝な顔をして振り向く。

 すると、意外なものを見た。サーシャが珍しく不機嫌そうな顔をしていたのだ。


「……どうしたの?」


「……私の一番嫌いな人が来たの」


「嫌いな人?」


 ユーリィはサーシャの視線の先を追う。と、そこには一機の鎧機兵がいた。

 ――それは、頭部に六本の角を持つ真紅の鎧機兵だった。

 ユーリィは大きく目を見開き、言葉を失う。

 その機体は彼女がよく知る、本当によく知る鎧機兵に酷似していたのだ。


 凍りつくユーリィと、鎧機兵を睨みつけるサーシャ。周囲の人間の要望に応え、何やら勇ましいポージングをとっていたその鎧機兵だが、ふと彼女達――正確にはサーシャの存在に気付いたようだ。真紅の機体が人垣をかき分けるどころか、視界にも入らないかのように、ズンズンと近付いてきて二人の前で立ち止まった。


 両肩のジョイント部から回転音が鳴り、ハッチである胸部装甲がゆっくりと上に開く。そして機体の中から現れたのは、サーシャの最も嫌う男――アンディ=ジラールだった。


「やあ! サーシャ嬢。こんな所で出会うとは。僕の応援に来てくれたのかい?」


「今日来たのはただの偶然よ。あなたが参加するって知っていたら来なかったわ」


「ふふ、これはまた手厳しいな」


 と、そこでジラールは、値踏みするかのようにユーリィを凝視して、


「……ところで、そちらの美しいお嬢さんはどなたかな?」


 サーシャはユーリィを背中に隠す。こんな男をユーリィに関わらせたくない。


「彼女は私の友達よ。あなたに紹介する必要はないわ」


 その台詞に、何故かユーリィが軽く目を瞠ったことにサーシャは気付かない。


「おいおい、つれないな。君の友人ならいずれ僕の友人にもなる可能性があるのに」


「そんな可能性はないわ! さっさと行きなさい!」


 サーシャの剣幕は相も変わらずだった。ジラールはやれやれと肩をすくめる。

 そうしてジラールが、仕方なく再び鎧機兵に乗り込もうとした時、


「……待って」


 と、彼を呼びとめる者がいた。それは――意外にもユーリィだった。


「ん? 何かな。美しいお嬢さん」


 にこやかに応えるジラール。

 ユーリィは手の届く距離で、じいっと真紅の鎧機兵を見据えて、


「……この鎧機兵は何?」


 ぼそりと問う少女に、ジラールは嬉々とした笑みを浮かべて答えた。


「ふふ、よくぞ聞いてくれた! これは! この鎧機兵こそは! かの《七星》が一人、《双金葬守そうごんそうしゅ》の愛機! 《黄金聖女》の守護者――闘神、《朱天しゅてん》なのだよ!」


 その言い草に、サーシャは呆れた表情を浮かべる。


「よく言うわ。お金にものを言わせた、ただのレプリカでしょう」


 しかし、ジラールは悪びれることもなく、サーシャの言葉を鼻で笑った。


「ふん。確かにこれは《朱天》のレプリカだ。だが、その実態は海外の新技術で製造したうちの工場の最新鋭機なんだ。その恒力値は六千を超えるんだよ! もはやオリジナルを超えたと言ってもいい! この鎧機兵が《朱天》の名を継いでも誰も文句は言えないさ!」


 自身に満ちたジラールの啖呵に、思わずサーシャは唇をかんだ。

 ――確かに、この鎧機兵の力は強大だ。

 この鎧機兵こそが、成績が芳しくないジラールを十傑にまで押し上げたと言っても過言ではない。この国において、間違いなく最強の機体である……が、


(いくらなんでも、勝手に似せておきながら本物を名乗るのはやりすぎでしょう)


 サーシャは仕方なく、ジラールをたしなめることにした。

 そして一歩足を踏み出した時――その異常に気付く。


 ……何だろう、ジラールの様子がおかしい。

 何故かジラールは、目を見開いたまま一点を見つめて硬直していた。

 サーシャは訝しげに眉をひそめ、ジラールの視線の先を追う。


 そして、そこにいたのは――。


(……ユーリィちゃん?)


 さらに眉をしかめた。

 何故ジラールは、ユーリィをあんな怯えたような顔で見つめているのだろう?

 不審に思ったサーシャはユーリィの顔を覗き込んで――ゾッと背筋が凍りついた。


 ユーリィから、完全に表情が消えていたのだ。

 すべての感情を閉ざした彼女は、研ぎ澄まされた刃のように鋭く――美しい。


 サーシャはごくりと喉を鳴らし、眼前の少女を凝視した。

 すると、少女の唇がゆっくりと開いて――。


「お前、もう黙れ」


 初めて聞くあまりにも冷酷な少女の声に、サーシャは絶句して胸を押さえる。

 ジラールも同様の戦慄を感じたのだろう。その瞳は恐怖の感情で彩られていた。

 だが、それらには一切構わずユーリィは淡々と続ける。


「オリジナルを超えた? 名を継いだ? こんな粗悪な贋作が? 笑わせる。こんなもの《朱天》に対する侮辱以外なんでもない」


 その辛辣な言葉に、ジラールはようやく硬直から解放された。

 しかし、ホッとするよりも先に、怒りで顔を赤くして、


「そ、粗悪な贋作だと! 僕の《朱天》を侮辱する気か!」


 と、気炎を吐く。しかし、その怒気にもユーリィの無表情はまるで揺るがない。


「お前の頭カラッポなの? だから侮辱しているのはそっち。天罰いる?」


 ジラールは怒りのあまり拳を振り上げようとするが、かろうじて思い留まった。

 相手は無知な子供なのだ。そう自分に言い聞かせ、彼は出来るだけ冷静さを保った口調で目の前の少女に問いかける。


「……では訊こう。オリジナルに対し、僕の《朱天》のどこが違うと言うんだ?」


 ユーリィが冷たい瞳でジラールを一瞥した。


「私の方こそ教えて欲しい。どうして《朱焔》が六本もあるの? しかも機体の色をよりにもよって真紅にするなんて馬鹿じゃないの? それに――」


 そこで少女は初めて無表情を崩した。わずかに頬を赤く染めて口元を綻ばせる。


「《双金葬守》が守ったのは、あの人が今も昔も守り続けているのは《金色聖女》。……《黄金》じゃない。これは何よりも重要なこと。間違わないで」


 そう告げる少女はどこか嬉しそうであり、恥ずかしそうでもあった。

 ジラールは、そんな少女を呆然と見つめていた。

 どうやらこの少女の口ぶりからすると、彼女は本物に会ったことがあるらしい。

 今まで散々本物を超えたと言ってきたが、ジラールは本物に会ったことなど一度もなかった。当然ながら、本物がどんなものなのかは噂程度でしか知らないのだ。


 知らず知らずの内に、ジラールの瞳がキョロキョロと泳ぎ出す。

 それを見たユーリィは「……馬鹿馬鹿しい」と呟いた後、先程からずっと立ち尽くしていたままのサーシャの方へと振り向いて、


「ねぇメットさん。この人凄く目障りだからこの粗悪な贋作ごとプチっと潰して」


「あ、うん、分かった。プチっと潰せばいいんだね――って、無理だよ!?」


「おお、のりツッコミ」と感嘆したユーリィが、手をパチパチと叩く。

 しかし、サーシャはそれどころではなかった。


「ちょ、ちょっと待って! 何気にそんな無茶ぶりしないで!」


 と抗議するが、ユーリィは「出来れば頭からプチっと」と注文までつけてきた。

 唖然として、口をパクパクと動かすサーシャ。

 そんな少女達のやりとりの傍らで、ジラールは一人怪訝な表情を浮かべていた。


 ……メットさんとは、一体誰のことだ? 

 しばらく困惑していた彼だったが、ふとサーシャのヘルムが目に入ると、「ああ、なるほど」と合点がいき、ポンと手を打った。


「よかろう! メット嬢!」


「メット嬢!?」


「武闘大会にエントリーしたまえ! 闘いにて、そこの小娘に僕の《朱天》の凄まじさを思い知らせてやる!」

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