第9話 闘技場へ行こう!③
――それは、二ヶ月ほど前のことだった。
「今日は私がお昼ご飯を作る」
ユーリィの唐突な宣告に、アッシュはポカンと口を開けていた。
丁度訓練の休憩中だったサーシャは、手に持つボトルの水を一口飲み、
「へえ~、ユーリィちゃんって、お料理得意なの?」
と、気軽に尋ねる。
そこでようやくアッシュは、今ユーリィが何を言ったのかを理解した。
「え、い、いや、ちょっと待て! ユーリィお前、料理が……出来る……のか……?」
ぽつりぽつりと言葉を切りながら、呆然と呟く。
アッシュにとって、料理はユーリィに対する禁句だった。
努力家で自立心の強いユーリィは刺繍から掃除洗濯、さらには必需品の補充までと大抵のことは自分でこなすのだが、何故か料理だけはしない。徹底してしないのだ。
……きっと絶望的に下手なんだと、アッシュは思った。
だからこそ、暗黙の了解で料理はアッシュの担当となったのだが、実は彼も料理は大の苦手だった。しかし、それでも何とか食えるものをと四苦八苦して今に至るのだが……。
「実は料理は超得意」
「―――――え」
五年以上の付き合いで初めて知る真実に、アッシュは唖然とした。
が、ユーリィはそんな彼を気にもせず、サーシャの姿をまじまじと凝視する。
サーシャの整った顔から順にじいっと見つめ、胸部のあたりで一旦止まると、微かに舌打ちする。何なんだこの卑怯な武器は。まったくもう。
次にくびれた腰、最後に鍛えているとは思えない細い足の先まで刮目した後、ユーリィは溜息をつくように呟いた。
「メットさんはやはり侮れない。……特に私にない武器がある。だから、私もここぞという時のために、密かに練習してきた切り札を使う」
「いや、密かに練習すんなら、普通に料理してくれよ……」
と、アッシュが力なくツッコミを入れる。しかし、やや興奮気味なユーリィには、まるで聞こえていなかった。胸を張る少女は、自信に満ちた声で宣言する。
「私のとっておきの切り札。きっと絶句する」
結論だけを言うと、アッシュ達は絶句した。
ユーリィの料理は絶品だった。
正直これほどの味は予想もしていなかった。こんな工房で働かずに料理店でも出した方が、遥かに儲かることは容易に想像出来る味だった。
まさにユーリィの料理は文句なしの絶品だったのだ。
……そう。味だけは。
卓袱台の上にある料理を見て、アッシュとサーシャの顔は引きつった。
「……これは」「……うわぁ」
ユーリィは自慢げな笑みを浮かべながら、二人を手招きする。
「二人とも早く来て、パンが冷めちゃう」
二人は引きつった顔のまま少女が「パン」と呼ぶ小麦色の物体に視線を向ける。
卓袱台のど真ん中に鎮座するそれは、太い舌を出し、両目を見開いていて――。
「……なあ、メットさん。あれはどう見ても、豚の頭だよな」
「……はい。けど、ユーリィちゃんの口ぶりからすると、材質は恐らくパン……」
アッシュは続けて、コップに注がれた緑色の液体に目を向けた。
「……隣にある――パチパチ気泡を立ててる飲み物らしきものは何だと思う?」
「……匂いからすると、多分、オレンジジュース……」
二人は互いの顔を見て、ユーリィには聞こえないように小声で会話する。
「……確か、前回の時は、昆虫の形をした芋のころっけでしたよね」
「……ああ、正直、俺はパンの耳以下が、とうとう現れたのかと思った……」
「……先生。それは笑えません」
「う、ま、まぁそれはともかく。……どう思う。あいつは自覚してると思うか?」
「……多分、自覚はしてないと思いますよ。だって、ユーリィちゃん、あんな自信ありげにお披露目したんですから」
アッシュ達はユーリィを見つめた。二人の視線を感じて少女は小首を傾げる。
二人は、思わず声をそろえて呟いてしまった。
「「……かわいそうに……」」
――ぱくっ。
と、アッシュは引き千切った豚パンの鼻にかぶりついた。
サクサクとした表面に、柔らかな中身。口の中にほどよい甘味が広がる。
……やはり美味い。
とても家庭用のオーブンで作ったものとは思えない出来栄えだ。
続けて奇妙なグリーンジュースを口にする。
味はサーシャの推測通りオレンジジュースそのものだ。
しかし、この口内で弾ける不思議な刺激感は何なのだろうか?
不快ではない。何というかとても子供受けしそうな感覚だ。
これはもう新商品として売ってもいいような気がする。
アッシュは、懸命に豚パンの頬肉(?)に齧りつくユーリィを見つめた。
この子には間違いなく料理の才がある。
多分、『鬼才』とか呼ばれそうな才能が。
ここは、その才能を伸ばしてやるべきなのだろうか……?
う~んと唸った後、アッシュは小さく溜息をつき、
「……そういや、この国には武闘大会があるんだよな」
とりあえず今は考えるのをやめて、別の話題に切り替えることにした。
すると、ホクホク顔で豚パンの耳に食いついていたサーシャが顔を向けて、
「ええ、基本的に毎日やっていますよ。特にイベントとかない時は、昼の部と夜の部のエントリー戦だけですけど。先生達は見に行ったことはないんですか?」
「ああ、なんだかんだで機会がなくてな」
修理に訓練にと、この三ヶ月の忙しい日々を思い出しながらアッシュは答えた。
豚パンから口を外したユーリィが、少し補足する。
「でも興味はある。皇国には武闘大会なんてなかったから」
キョトンと首を傾げるサーシャ。
「……? 皇国? それってグレイシア皇国のこと?」
「うん。私達の故郷」
何気ないユーリィの返答に、サーシャは目をぱちぱちと瞬いた。
「――ユ、ユーリィちゃん! それホントなの!」
つい身を乗り出してユーリィに詰めよるが、不意にハッと目を見開き、
(――あっ、だったら、もしかして!)
急きょ矛先をアッシュへと変えた。
「あ、あの、じゃあ先生って、も、もしかして皇国の騎士だったんですか!」
まるでかみつきかねない勢いで顔を近付けてくる。
あまりの少女の剣幕に、アッシュは少しのけ反りながら、
「お、おう、一応そうだよ。傭兵上がりで、大体三年ぐらい勤めてたよ。まあ、色々あって最後の方は、ほとんど逃げ出すみたいに辞めちまったけどな……」
そう語る青年の表情は、気まずげに曇っていた。
しかし、そんなことはお構いなく、サーシャの瞳はキラキラと輝き始める。
アッシュがグレイシア皇国の元騎士。それならば、彼の強さも納得出来る。
何故ならば、かの皇国を守護するグレイシア皇国騎士団は、セラ大陸最強と謳われているのだ。その名声は、島国であるこのアティス王国にまで轟いている。
特に皇国最強の七騎士――《七星》の存在は、もはや伝説と言っていいほどだ。
創世神話における《七つの極星》から名付けられたという彼ら七人は、噂では一人ひとりが一軍にも匹敵する力を持っているらしい。
サーシャは思う。アッシュが皇国の元騎士だというのなら、やはりあの最強の七騎士について訊いてみたい、と。
「じゃ、じゃあ! あの《七星》には会ったことがあるんですか!」
「し、《七星》か。そりゃあ、顔は知ってるけど……。けどさ、正直知り合いだからって、あんま自慢出来るような連中じゃねえぞ」
「へ? そうなんですか?」
元騎士の意外と批判的な意見に、思わずサーシャが聞き返すと、
「う~ん、なんつうか《七星》のボスは、のほほんとした放任主義でな。そのためか、《七星》の連中は戦闘ともなると、そりゃあもう好き勝手に暴れるんだよ。とりあえず見えるもの全部斬ればいいや、とか言う奴もいるし」
アッシュがしみじみと答える。うんうん、とユーリィも力強く相槌を打った。
「そう。裏では《七星》じゃなくて、《七厄》とか呼ばれていた」
「―――は? や、厄!? 何だそれ!? 初めて聞いたぞ!?」
聞いた事もない陰口にアッシュはギョッとした。ふと故郷での日々を思い出す。
幾らなんでも《七星》は、そこまで嫌われていただろうか?
「知らないのは彼ら七人だけ」
「そ、そうなのか」
アッシュは顔を引きつらせる。まさか、そこまで定着していた陰口だったとは。
しかし、一体どこから、そんな陰口が広まったというのだろう……。
「ちなみに私が広めた」
「うおおい!? なんでそんなことを!?」
いきなりの犯人の自供に、口をパクパクとさせるアッシュ。
すると、ユーリィは少しばつの悪そうな顔をして、
「……だって以前、団長に『おばさん』って言ったら、鬼の形相で追いかけまわされたの。だから、その仕返しのつもりで……」
「それ明らかにお前が悪いだろ!? 他の《七星》は完全にとばっちりだし! つうか、それよりお前、だだだだ団長に、なんつう恐ろしいことを言うんだよ!」
ガタガタと震えながら、アッシュは絶叫する。
しかし、ユーリィは、ぷいっとそっぽを向くだけだった。
これは蛇足だが、彼らの言う「団長」とはグレイシア皇国の騎士団長のことだ。
《七星》の長でもある彼女は二十代後半――それもギリギリ――という微妙なお年頃。そんな彼女を「おばさん」と呼ぶ勇者は《七星》の中にもいない。
だというのに、ユーリィの蛮勇ときたら……。
「お、お前って奴は……。ううぅ、今度団長に会う時、怖えーなあ……」
幻痛でも感じるのか、無意識の内に胃をさするアッシュ。
「……はあ、けど、今考えてもしゃあねえか。一旦団長のことは忘れて――」
ユーリィからサーシャへと順に目をやり、
「それより話を戻そうぜ。ええっと《七星》の話だっけ? まあ、ともあれ《七星》は乱暴者ばかりってことだよ」
気を取り直したアッシュは、開口一番にそう断言した。
すると、憧れの対象を汚されてか、サーシャが少し不満そうに頬を膨らませる。
そんな拗ねた少女の様子に、アッシュは困ったふうに頬をかき、
(う~ん。こんな顔されると、実は《七星》って騎士の称号なんかじゃねえ、とは言えねえよなぁ)
サーシャには聞こえない小声で、そう呟いた。
実のところ、《七星》とは単に強さを象徴する称号であり、別に皇国騎士でなくても、先代さえ倒せば名乗れるものなのだ。ただ、現在七人の内、五人までもが皇国騎士団に所属しているため、皇国騎士に与えられる称号だと世間一般では誤解されているのである。
しかし、《七星》に憧れる若き騎士候補生に、そんなことを教えるのもなんなので、アッシュが言葉を詰まらせていると、
「話を戻すのならむしろ闘技場の方。そう言えばなんで皇国にはなかったの?」
アッシュの心情を察したのか、ユーリィが別の話題を持ち出してくれた。
(お、ナイスだ。ユーリィ)
あごに手をやり、アッシュは自分の推測を言う。
「う~ん、皇国って《聖骸主》が六人もいるしな。近隣諸国との関係も微妙だし武闘大会なんてする余裕がねえんだよ。もし大会で鎧機兵が壊れたら洒落にならんし」
「へえー……」
サーシャが感嘆の声をもらした。
国が違えば文化も色々変わってくるんだな、と感心していたら、ふと名案が閃いた。彼女はポンと両手を打ち、二人の異邦人に提案する。
「じゃあ、これから闘技場を観に行きませんか?」
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